イタリアの同性愛権利運動の悲しい始まり…映画『シチリア・サマー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イタリア(2022年)
日本公開日:2023年11月23日
監督:ジュゼッペ・フィオレッロ
自死・自傷描写 LGBTQ差別描写 恋愛描写
シチリア・サマー
しちりあさまー
『シチリア・サマー』あらすじ
『シチリア・サマー』感想(ネタバレなし)
イタリアの同性愛を語るならこの事件から
イタリアで一番有名な同性愛者は誰でしょうか。
個人的には「レオナルド・ダ・ヴィンチ」!…と言いたいところですが、確かにソドミーで起訴されたことがあって「ゲイ説」も学術的に分析されている人物なのですけども、とりあえずそれは今回は無しってことにしましょうか。ちなみにレオナルド・ダ・ヴィンチをゲイなセクシュアリティで描いていったドラマ『レオナルド ~知られざる天才の肖像~』もありましたけどね。
やはり1900年代以降で最も有名なイタリアのゲイの人と言ったら「ジャンニ・ヴェルサーチ」かな? ファッションブランド「ヴェルサーチ」の創業者の性的指向はあまり話題になっていませんが、人物の世界的影響力で言えばダントツです。
イタリアはそこまでゲイであることをオープンにしている有名人がたくさんいるというほどでもありません。それは西ヨーロッパで最も保守的な国のひとつであり、LGBTQの権利は近隣諸国に比べて進んでいないという現状と無縁ではないでしょう。
歴史的にイタリアがいかに同性愛差別的な社会を保持していたか。その1960年代の様子を映し出した実話の事件を描く映画『蟻の王』は2023年11月に日本で公開されました。
そして偶然だと思うのですが、同じ11月にさらにもう1作、イタリアの同性愛の歴史に残る実話の事件を描く作品が登場です。
それが本作『シチリア・サマー』。
こちらは1980年代にイタリア・シチリア島で起きたとある事件を描いており、これはイタリア全土に波及する同性愛権利運動の引き金となります。その波及していく過程は描いていないので、そのあたりは後半の感想で追加説明しておきますが、映画自体ではこのシチリア島で起きる事件からインスピレーションを得たフィクションの物語が展開します。
基本的には『君の名前で僕を呼んで』と同じ雰囲気の青少年同士のゲイ・ロマンスとなっています。ただ、何度も言うように舞台がシチリア島で地元の子が主人公なので、労働者階級的な生活感がずっと漂っていますけどね。
あとこれは書いておかないといけないと思うので明言してしまいますが、本作でどんな事件が起きるのか、その全容は伏せておくにしても、全編にわたって同性愛差別的な描写がかなり続くということは忠告しておきます。言葉の暴力、身体的な暴力、集団での嫌がらせ…などなど、ホモフォビアの見本市のようなオンパレードなので、とくに当事者の人は観ていて相当に辛いです。
それでも史実が基になっていますし、こういう事件があったということを記録し、後世に語り継ぐためにも、こういう映画は必要だとは思いますが…。
この基になった事件については日本語で触れられる情報源は以前はほとんどなかったですが、この映画公開を機にわりと目につくようになりましたし。
『シチリア・サマー』を監督したのは『モニカ・ベルッチ ジュリア』『シチリア!シチリア!』『海と大陸』など俳優業でキャリアを積んでいた“ジュゼッペ・フィオレッロ”で、初の長編映画監督作となります。シチリア出身なので、どうしても作りたかったようです。
さらに本作で主演を務めた若き俳優2人は大きなブレイクとなりました。“ガブリエーレ・ピッツーロ”と“サムエーレ・セグレート”。とくに“ガブリエーレ・ピッツーロ”は本当にこれが映画初主演だったのですが、一気にイタリアのスターに駆け上がりましたね。まあ、幼い頃から舞台で活躍していたみたいなので、演技自体は全然初々しくなく、圧巻のベテランっぷりなんですが…。
この2人はシチリア島最大の都市であるパレルモで行われたプライド・パレードにも参加していました。やっぱりクィア映画に主演するなら最低限これくらいの姿勢を現実で示してもらわないとですよね。
繰り返しますけど、『シチリア・サマー』は作中でほぼずっと苛烈な同性愛差別的な描写が続くので、とくに当事者にはキツイのですが、イタリアのクィア史に触れる機会にはなるでしょう。
そして「青少年同士の美しい恋はいいよね」なんて消費で終わらせず、しっかりこの同性結婚がいまだに異性結婚と対等に法的に制度化していない日本の現状と重ね合わせて考えてほしいところです。
『シチリア・サマー』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :クィア史に関心あれば |
友人 | :軽い話ではないけど |
恋人 | :ハッピーなロマンスではない |
キッズ | :差別描写がかなり多め |
『シチリア・サマー』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):2人の恋を嘲笑う世界で
1982年の初夏のシチリア島。猟銃を持った大人の男が、10代の若者と幼い子と一緒にウサギ狩りをしています。若者は16歳のニーノです。さっそく見つけたウサギに向けて慌てて発砲しますが、ちゃんと狙っていないので外れてしまいます。そしてまたウサギを見つけ、よく近づいて狙って発砲。今度は仕留めることができ、3人とも満足でした。
この年は、スペインで開催されたFIFAワールドカップでイタリア全土は大盛り上がり。ここシチリア島でも同様です。街中でも家の中でもみんなテレビに釘付け。わいわいと試合を観戦して楽しんでいます。
一方、シチリア島の別の場所。17歳のジャンニは整備士の手伝いの仕事を黙々とこなしていましたが、やや強引にテレビを鑑賞する男たちの集団に引っ張り込まれ、バーで立たされます。そしてそこで無理やり口紅を塗らされるのでした。ジャンニはゲイであるとこの町でも知られており、揶揄われる日々だったのです。
それでもジャンニは抵抗もせずに耐えるだけ。周りは笑っているか、無関心です。
家ではジャンニの母親は心配しますが、ジャンニはこれ以上大ごとにはしたくないので塞ぎ込むばかりでした。親切な地元の女の子だけが気遣ってくれますが、町の男たちのノリを制止することはできません。
ニーノは家に帰ってきて、家の前でスクーターバイクを乗り回し、気持ちよさそうに道路を疾走し、トンネルを通り抜けます。ニーノはひとり川で泳ぎ、ぷかぷかと浮かび、自由を満喫していました。
その頃、ジャンニはバイクで走行中にまたも陰湿な大人につきまとわれ、必死に振り払おうとしていました。でもくっついて嫌がらせをしてきます。
そのとき、道の合流地点で帰る途中のニーノのバイクと衝突。事故になってしまったので、嫌がらせ連中はその場をズラかってしまいます。
なんとか無事だったニーノは衝突したジャンニに声をかけますが、辛そうに呻いており、息ができなさそうです。なので人工呼吸をしてあげます。すると息を吹き返しました。
とりあえず命に別条はなさそうなジャンニはとぼとぼとその場を去っていきます。
しかし、ジャンニとニーノはその出来事で接点ができました。2人はまた会い、一緒に食事するくらいに打ち解けていきます。
共に泳いだり、花火を見たり、時間を共有し、自身のことを語っていくうちに、惹かれ合っていく2人。
それでもこの町の多くの大人は同性愛に偏見を持っており、それを平然と嘲笑する人もいれば、そうじゃない人でも腫れ物のように扱うばかり。2人が公然と恋愛を満喫できる環境ではありません。
そして事件が起きてしまい…。
基になった事件について
ここから『シチリア・サマー』のネタバレありの感想本文です。
銃声で始まり、銃声で終わる『シチリア・サマー』。シチリア島の日常でのほほんと行われている野生動物の狩りと、ホモフォビアの結果としての命の剥奪。それらを重ね合わせる、モノ悲しい演出です。
本作の基になった事件について初めに簡単に概説しておきます。
シチリア島の東部のカターニア県にあるジャッレという街で1980年10月31日に起きたもので、「ジャッレ事件」と呼ばれています。
この日、25歳と15歳の2人の青少年が手をつないだ死体となって発見されました。2人とも頭部に銃弾を受けていました。この2人は町では同性愛者として公然と知られており、嘲笑されていたことが明らかになっています。そして捜査の結果、犯人として特定されたのは13歳の甥で、当初は2人に頼まれて撃ったと説明していましたが、後にその発言を撤回。同性愛嫌悪の他の住人がこの甥に引き金をひかせて殺したのでは(13歳は罪にならない)という噂もたちましたが、結局、真実は不明のまま、誰も有罪にならずに捜査は終了しています。
『シチリア・サマー』は、時代と年齢が違っていますが、それ以外は似ていて、最後も2人が銃で死んだのだろうということが察せられます。
ただし、その死の具体的な現場は一切映らないので、誰が犯人かわかることもありません。おそらく“ジュゼッペ・フィオレッロ”監督としては、この死を直接的にセンセーショナルに暴くなどのアプローチはしたくなかったのだと思います。
一方で、2人が日常的に受けてきた同性愛差別は明白に描いています。あのシチリア島のホモフォビアな空気。男たちによる常態化した“いじり”。ホモソーシャルの典型例のようなありさまです。労働者階級にありがちな有害な男らしさがムンムンと充満している環境は、当事者にとってさぞかし最悪だったでしょう。
1980年代の後半は瞬く間にパンデミック化したHIV/AIDS(エイズ)危機によって同性愛者にとっては地獄のような惨状が巻き起こるわけですが、それ以前は平穏だった…わけでは決してないということ。本作は忘れられがちなこのHIV/AIDS危機前の同性愛迫害の悲惨な実態を語り継ぐ、とても大事な映画になっているとも言えます。
とは言え、差別的描写などの社会的背景を抜けば、本作で描かれるのはかなりベタな青少年同士の恋愛模様なので、ややピュアに依存した甘ったるすぎるところがあるのも否めないですけども…。演じた若手俳優2人の空気感だけで持っていくところはありますね。
現実ではその後に何が起きたか
『シチリア・サマー』は銃声の後、その事件の顛末や社会の反応は映像化されません。
この「ジャッレ事件」は非常に衝撃的で惨い事件だったので、当時のイタリアに大きな影響を与え、同性愛権利運動が沸き上がるきっかけとなったそうです。
何よりもその象徴となったのが、「Arcigay」という組織の誕生。1980年12月9日にシチリア島のパレルモで結成されたこの権利運動団体は、今やイタリアのLGBT権利運動の中核となっています。他にもシチリアで初のレズビアン団体「Le Papesse」(「女教皇」という意味なのが超かっこいい)も設立されました。
ただ、この事件が全ての原点というわけではないのでそこは勘違いしないでください。この事件の前から、同性愛の権利運動に尽力していた「Fuori!」みたいな組織はあります。
また、先ほども書いたように80年代後半はHIV/AIDS危機があるので、それで同性愛権利運動に一気に火が付いたというのもあります。80年代初頭のイタリアでは社会的参加関心が薄れ、大衆は個人主義な思考へと閉じこもる潮流があったそうで、それに対する一向に改善しない社会への当事者による怒りもあったでしょう。
『シチリア・サマー』を鑑賞してその牧歌的な景色に惹かれて「シチリアに行ってみたいな~」と思う人はいるかもしれませんが、たぶんこの映画だけを観たうえなら大半のクィアの人は「こんな地獄みたいところ絶対に足を踏み入れたくない」と思うのではないでしょうか。それも無理ない話です。私も今作を鑑賞してシチリアのイメージ大幅ダウンしましたよ。
でも現在のシチリア島では前述したようにプライド・パレードが行われ、当事者たちは声をあげています。イタリアのLGBTQの人たちの大切な「始まりの地」です。
最後に言っておきたいのは、こんな犠牲がないと社会が当事者の声を聴いてくれないという理不尽さです。しかも、こんな悲惨な事件があったにもかかわらず、このイタリアはまだ2023年時点でも同性同士の結婚が異性愛カップルと対等には法的にできません。
差別はなおもしぶとく蔓延っています。残念ながらつい最近もこんな事件が起きてしまいました。
2023年11月13日、こともあろうにシチリア島のパレルモで13歳の子が自殺しました。「同性愛者だ」といじめを受けていたと報道されており、これを受けて「Arcigay」は「イタリアで起こっている差別と暴力の新たな出来事を私たちに示している」と伝えています。
社会はマイノリティの犠牲によって変わるのではありません。そうであってはいけません。マジョリティの人たちの責任で変えてください。今すぐに。映画の題材になってしまいそうなこれ以上の悲しい出来事を増やしてしまう前に。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』
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作品ポスター・画像 (C)2023 IBLAFILM srl シチリアサマー
以上、『シチリア・サマー』の感想でした。
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