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アニメ『デキる猫は今日も憂鬱』感想(ネタバレ)…デキる猫は恋愛伴侶規範も片付ける

デキる猫は今日も憂鬱

デキる猫は恋愛伴侶規範も片付けてくれる…アニメシリーズ『デキる猫は今日も憂鬱』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:The Masterful Cat Is Depressed Again Today
製作国:日本(2023年)
シーズン1:2023年に各サービスで放送・配信
監督:横峯克昌

デキる猫は今日も憂鬱

できるねこはきょうもゆううつ
デキる猫は今日も憂鬱

『デキる猫は今日も憂鬱』あらすじ

吾輩は猫である。しかしただの猫ではない。空前絶後の「デキる猫」である。仕事はできるが生活能力が壊滅的な会社員の福澤幸来という人間に、仔猫の頃に拾われた。諭吉と名付けられたその猫はいつの間にか猫にあるまじき大きさに成長し、ダメなご主人様に代わって料理、洗濯、掃除、買い出し…あらゆることを完璧にこなす…。これがこの二者の当たり前の共同生活になっていた。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『デキる猫は今日も憂鬱』の感想です。

『デキる猫は今日も憂鬱』感想(ネタバレなし)

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猫が本当に伴侶になったら?

「コンパニオン・アニマル」という言葉があります。要するに「ペット」のことですが、より人間と対等な存在として捉え、心を通わせる良きパートナーという意味で「コンパニオン(companion)=伴侶」という単語を使っています。

他にも人間と密着に接している飼育動物の在り方として「サービス・アニマル(Service animal)」というのもあります。これは何らかの障がい者を支援するためにトレーニングされた動物のことで、盲導犬介助犬などが該当します。当事者にとってこれらの動物は自分の目となったり、耳となったり、手足となったりしてくれるので、生活には欠かせません。

加えて近年は「エモーショナル・サポート・アニマル(Emotional support animal)」なんて存在も注目を集めています。こちらは何かしらの心理的ディサビリティを抱える人をケアするための動物のことです。新型コロナウイルスのパンデミックにおいてもペットが人の孤独を埋めるのに大きな効果を与えていたという研究もあり、あらためてこのエモーショナル・サポート・アニマルへの関心が高まっています。

いずれにせよ、私たち人間にとってこうした動物は単に一方的に飼育して可愛がるだけのものではなく、動物のほうから人間側にプラスの影響があることが認知されており、それをどう形として位置づけるのか…そんな段階にあるのかもしれません。

今回紹介するアニメは、そんな人間と飼育動物の関係性をユーモラスに戯画化した一作です。

それが本作『デキる猫は今日も憂鬱』

本作は、”山田ヒツジ”による2018年から「水曜日のシリウス」(講談社)に連載している4コマ漫画が原作。

ひとりのOLが主人公で、この主人公はひとり暮らしですが1匹の猫を飼っています。しかし、その猫はなぜか人並みの体格に成長し、二足歩行で歩き、しかも家事全般を完璧にこなしてくれる…という日常ファンタジーです。この変わった猫は、人の言葉を喋りはしないですが(ただしナレーションやツッコミとして心の声は日本語化して演出されている)、人間同然の振る舞いです。

基本的には4コマ漫画らしいギャグを中心にしたテンポのよいコメディです。『カワイスギクライシス』みたいな、よくある「猫は可愛い」ということを土台にしたペット動物モノです。

一方で、この『デキる猫は今日も憂鬱』はそのゆるさの中でも「人間と飼育動物の関係性」の構造をきっちり丁寧に捉えており、批評性も部分的に感じます。とくに主人公がOLという「社会人として位置づけられる若い女性」に設定されているのが案外と大切なポイントになってくる作品でもあったり…(たぶん若い男性が主人公だったら違うタッチの構造になるでしょうね)。

『デキる猫は今日も憂鬱』のアニメーションの制作は、『K』シリーズや『好きな子がめがねを忘れた』「GoHands」が手がけています。

本作は日本のアニメにありかちなセクシュアライゼーションもこれといってなく、老若男女問わず見やすいアニメになっています。

「猫が好きだ」というただそれだけの人も、「癒されたい」というチルアニメをお望みの方も、「ちょっと人とペットの関係を考えてみたい」という需要でも、何でもとりあえずまったり対応してくれる、そんな猫の手を借りられるアニメでしょう。

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『デキる猫は今日も憂鬱』を観る前のQ&A

✔『デキる猫は今日も憂鬱』の見どころ
★人と猫の関係をまったり批評的に描く。
★幅広い人に見やすい。
✔『デキる猫は今日も憂鬱』の欠点
☆犬は出てこないので犬派の人は我慢。
日本語声優
石川由依(福澤幸来)/ 安元洋貴(諭吉)/ 加隈亜衣(柴咲ゆり)/ 小西克幸(織塚馨)/ 竹達彩奈(優芽)/ M・A・O(仁科理央) ほか
参照:本編クレジット

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:まったり癒されて
友人 4.0:猫好き同士で
恋人 4.0:のんびり観られる
キッズ 4.0:猫が飼いたくなるかも
セクシュアライゼーション:なし
↓ここからネタバレが含まれます↓

『デキる猫は今日も憂鬱』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤):吾輩はデキる猫である

福澤幸来は目覚ましの音で起床します。でもなかなか布団からは出れません。やっと起き上がるともう家を出ないといけない時間です。急いで身支度をして、すでに出来上がったホカホカの 弁当を手に、マンションを出発。大勢の人混みをかき分けて、満員電車に揺られて出勤です。

その後、ちょっとした空き時間に社内パソコンで世界最大の猫を調べているところを後輩の柴咲ゆりに見られます。メインクーンがイエネコの中でも最も大きな品種のひとつらしく、その体長は1m、体重も10kgを超える個体もいるとか。

「実は猫を飼っていて、最終的にどれくらいまで大きくなるものなのかなって…」と、福澤幸来は検索していた理由を説明します。

そして昼休憩に美味しそうな手作り弁当を食べます。社内では福澤幸来は仕事も料理もできる優秀な人間として評価されていました。

帰宅。「ただいま、諭吉」と福澤幸来は声をかけます。その真っ暗な部屋には、誰かがいました。それは…掃除機を持ってエプロンをつけている、人並みに大きい猫…。

その猫、諭吉は帰りが遅いと怒っているようです。夕食がすでに出来上がっており、ずっと待っていたのでした。

福澤幸来は嬉しそうにそれをたらふく食べて満足。そして眠気にまどろむ中、諭吉は福澤幸来をずるずると引きずって風呂場につれていき、シャワーを浴びせます。

シャワーからあがると諭吉は弁当箱をつかんでいました。「今日もお弁当美味しかったよ、毎日ありがとう」と感謝を述べる福澤幸来。

そのままねだられてしまい、ビールのつまみになる一品を作ってくれる諭吉。これもいつものことです。

翌朝、諭吉は早くに起きて弁当づくりに取り掛かります。それが終わると、全身で乗っかってベッドの上で惰眠している福澤幸来を起こします。会社に行きたくないとだだをこねるのをなだめて玄関の外に押しだすのでした。

昼、家で留守番の諭吉はテレビで料理番組に注目。料理のスキルを磨くことに余念がありません。苦手な水に耐えながら風呂掃除をし、ひととおりの家事を終えます。仕事でトラブルだから会社に泊まりだと福澤幸来から留守電が入りますが、早く帰れと舌打ちを送り返します。

ある日、柴咲ゆりから「猫ちぐら」をもらった福澤幸来。諭吉の全身は入りませんが、それを頭にかぶって寝るのに活用し、諭吉も満足な様子。諭吉はお礼にマドレーヌを作って渡してくれます。さすがに「それ作ったのはうちの猫なんです」とは言えず、会社の同僚には誤魔化すしかない福澤幸来。部長の織塚馨は以前に諭吉が小さい頃の姿を見たことがありますが、大半の人はあの実態を知りません。

この日の朝も諭吉は早朝にごみだし。同じマンションのおばあさんは諭吉を知っています。

福澤幸来が大雪の日に弱った子猫を拾って来たとき。諭吉の人生はこの生活力の無さそうな人間の手のひらの上に移りました。別にこの人間の家を出ていってもよかった…でもそうしなかった。これも何かの縁なのか、それともただの甘んじた付き合いか…。

朝は磯部つくね丼です。

きっと今日もあの飼い主は喜んでくれるはず…。

この『デキる猫は今日も憂鬱』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/02/05に更新されています。
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恋愛伴侶規範と猫の話

ここから『デキる猫は今日も憂鬱』のネタバレありの感想本文です。

『デキる猫は今日も憂鬱』は冒頭で「独り身が猫を飼うと結婚できない」という、よく日本で言われがちな小話が言及されます。主人公の福澤幸来が猫を飼っていることを知ったうえでの、同僚からの何気ない言葉です。

これ自体、とても恋愛伴侶規範的な考え方であり、もちろんその言葉自体、真実ではないのですが、それでも「結婚する」ということに理想があるかのような前提の物言いです。

それに対して本作はある意味ではやんわりとしたカウンターになっているような物語でした。独り身が猫を飼うと結婚できないからって、それが何か悪いの?…という…。

なぜなら今の福澤幸来は「独り身で猫を飼っている」という立場ですが、非常に人生は充実しており、なんだったらそこらへんの既婚者よりも幸せでいっぱいだからです。

福澤幸来にとって結婚の必要性すら感じていません。実際、本人は結婚願望なんて考えたこともないようですが、「自分は今は不幸せだからその欠落を埋めるために結婚を…」という発想には至ったこともないのでしょう。

もちろんその大きな理由は諭吉の存在があるからです。猫の諭吉が事実上の伴侶のようなものです。ただそれ以上に大きな役割を果たしているとも言えると思います。

そもそも若い女性が恋愛伴侶規範に絡めとられる諸々の背景を考えると、例えば、女性ゆえにキャリアアップの機会に恵まれず収入が上がらずに生活苦に陥りやすいとか、ジェンダーステレオタイプな社会の目線ゆえに家事などの負担を押し付けられやすいとか、言ってしまえばものすごく不本意なかたちで「やむを得ず結婚が選択肢に入ってしまう」ケースも少なくありません。「結婚したい」というよりは「結婚しないといけない」ような袋小路に追い詰められるみたいに…。

しかし、今作では諭吉の存在がその不本意なシチュエーションを手際よく跳ね除けてくれます。

諭吉がいるから福澤幸来は家事の負担から解放され、仕事に専念できます。結果的に、諭吉の存在で恋愛伴侶規範から脱していることになります。

もちろん諭吉みたいな猫は実在しません。現実で女性が猫を飼ったからってこうはなりません。そんなのは視聴者みんなわかっています。

本作における諭吉はあくまで「猫が家事してくれたらどうなるだろう?」という妄想を具現化したファンタジーです。

それでもどこまで意図的かはわかりませんが、本作は「若い女性がこの社会構造の中で平等を得るうえで、この諭吉のような存在が必要になる」という社会的指摘を実にコミカルに提示できており、その視点で掘り下げると面白いですね。

こうした不平等な構造に実は苦しんでいる若い女性が“何かしらのファンタジーな存在”によって初めて対等な機会を会得する…という構図を活かした作品は、最近だと『パリピ孔明』なんかも同様だったと思います。

『デキる猫は今日も憂鬱』の恋愛伴侶規範に対する姿勢では、スーパーの店員で元カレに絡まれているところを福澤幸来に助けてもらった仁科理央のエピソードで、少し異性愛規範を除けていますが、ここはそれほどアニメで描かれた範囲では扱いは弱めでした。柴咲ゆりの「相手はいっそ同性でもいい」みたいなセリフといい、一歩間違えるとホモフォビアに傾きかねないので、やるならちゃんと描くべきですけどね。

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己の世話ができぬものでも、生きられるように

恋愛伴侶規範の視点で『デキる猫は今日も憂鬱』を掘り下げましたが、それ以外の視点でみてみるのも興味深い一作だったと思います。

それはケアやサポートなど福祉の視点です。

主人公の福澤幸来の過去の背景はそんなに詳細に語られませんが、諭吉が来る前は、相当に生活環境が悪く、職場でも心身の状態は良くなかったことが示唆されます。

本作はこれを主人公の「ズボラな性質」としてユーモラスな描き方をしていますが、家がゴミ屋敷になるようなほどの状態は一種のセレフ・ネグレクトであり、ときにそれはその人が何かのディサビリティを抱えている可能性も考えないといけないものです。アルコールに依存している姿からもメンタル面の問題を感じさせたり…。

真面目に考えるとあの福澤幸来の初期の状態は結構危険なものだったのだろうと思われます。

諭吉はそんな福澤幸来を支えます。三食から〆飯までの料理、ミシン裁縫、クレンジング、アイロンがけ、買い物、風呂、ゴミ出し…何でもです。これによって福澤幸来の「QOL=Quality of life(生活の質)」はみるみる向上します。諭吉が初めて料理の大切さに気づいたアイドルグループ「UMYU-Sea」の料理番組で学んだおにぎりのエピソードは良かったですね。

こうして福澤幸来は見違えるように変化します。家では相変わらずダラダラしていますが(卵も割れないので卵かけご飯も作れない)、致命的な不健康さはありません。それはリラックスできるからこそのまったりしたプライベートです。

結果、福澤幸来の社内での評価も見違えるように変化します。人間というのはその人にどれだけのケアやサポートがついているかで、外からの評価も激変するものだということがよくわります。

これだけだと諭吉が一方的に福澤幸来に尽くしているだけで、下手すると支配的な構図に見えなくもないのですけど、諭吉にとってはあくまで餌(猫缶)のためという私利私欲があるという描写でバランスをとるのはもちろん、福澤幸来が諭吉を拾ってきたという原点がここで活かされます。

つまり、福澤幸来も独りでは死にそうだったし、諭吉も独りでは死にそうだった。しかし、二者が揃って共同生活することで互いを支え、互いに生を与えることができている。そういう関係性です。

作中で諭吉がよく呟く「己の世話ができぬものは長生きしない」という言葉がまさにそれで、自分で自分の世話ができないからこの世から消えるしかないというのはあんまりに冷酷であり、そうじゃないセーフティーネットがあるべきで、福澤幸来と諭吉はそれを2人で用意できた…そんな物語だったのではないかな、と。

猫の動画を観て癒されるばかりじゃなく、ときには人間と動物のケアについてもっと社会の枠から考えてみる、そんなきっかけにもしたいアニメでした。

『デキる猫は今日も憂鬱』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
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関連作品紹介

日本のアニメシリーズの感想記事です。

・『アンデッドガール・マーダーファルス』

・『わたしの幸せな結婚』

・『氷属性男子とクールな同僚女子』

作品ポスター・画像 (C)山田ヒツジ・講談社/デキる猫は今日も憂鬱製作委員会 できる猫は今日もゆう鬱

以上、『デキる猫は今日も憂鬱』の感想でした。

The Masterful Cat Is Depressed Again Today (2023) [Japanese Review] 『デキる猫は今日も憂鬱』考察・評価レビュー