ダリ・ランドは奇妙な世界…映画『ウェルカム トゥ ダリ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・フランス・イギリス(2022年)
日本公開日:2023年9月1日
監督:メアリー・ハロン
性描写
ウェルカム トゥ ダリ
うぇるかむとぅだり
『ウェルカム トゥ ダリ』あらすじ
『ウェルカム トゥ ダリ』感想(ネタバレなし)
ダリの映画もやはり奇抜?
芸術家というのは往々にして「変人」であるという、あまりにざっくりしすぎる見方もありますが、並みの芸術家の中には収まらない、突出して「奇抜な変人」アーティストの代表格のように語られがちな偉人と言えば、やはりこの人…「サルバドール・ダリ」です。
サルバドール・ダリは1904年生まれ。スペインのカタルーニャ地方フィゲーラス出身です。幼い頃から絵画に興味を持ち、その好奇心の赴くままに、当時のパブロ・ピカソなどの先駆者の流れをくむシュルレアリスムの代表的作家として駆け上がっていきます。
有名な作品として広く知られているのは、時計がデロデロに溶けた「記憶の固執」という油絵ですが、他にも異彩を放つ作品を無数に生み出しています。
ダリがなぜ「奇抜な変人」と呼ばれるのか、その逸話に関しては挙げだすとキリがないほどです。もともと社会規範にあえて逆らうようなことを好み、それは注目を集めたくてそうしているのか、そもそも本心なのか、そこもわからないほどに奇想天外。ダリの最も奇抜な作品は、ダリ自身なのかもしれません。
そんなダリですが、案外と映画の主役として描かれることは少ないです。サブキャラとしてちょこっとでてくることは一部の作品でありましたが(『天才画家ダリ 愛と激情の青春』など)、やはり変人枠なので、メインでは扱いきれないと思われてきたのでしょうか。
そんな中、ついにサルバドール・ダリを主題にした映画の本格登場です。
それが本作『ウェルカム トゥ ダリ』。
原題は「Dalíland」なのですが、それにしても…この無駄に半角スペースを多用する邦題…やめてほしい…。
『ウェルカム トゥ ダリ』は、サルバドール・ダリが主題の伝記映画であることは間違いないのですけど、少し描かれる範囲が限定的です。ダリとその妻ガラの夫婦の晩年に焦点を当てており、いわゆる「夫婦倦怠期モノ」みたいな趣です。ダリの生涯が順を追って丁寧に映し出されるわけでもないので、ある程度「ダリってこんな人です」という前知識があった方がいいでしょう(と言ってもこの感想の冒頭で説明した程度の知識でじゅうぶんですが)。
この『ウェルカム トゥ ダリ』を監督したのは、1996年にアンディ・ウォーホルの衝撃的事件を題材にした『I SHOT ANDY WARHOL』で鮮烈な監督デビューを果たした“メアリー・ハロン”。『アメリカン・サイコ』(2000年)、『チャーリー・セズ/マンソンの女たち』(2018年)など、“メアリー・ハロン”監督は、特異な男性と複雑で密接な関わりを持つ女性にスポットライトをあてることが多いですが、この『ウェルカム トゥ ダリ』もその系譜ですね。
なお、『ウェルカム トゥ ダリ』の脚本は、“メアリー・ハロン”の夫である“ジョン・C・ウォルシュ”が手がけています。
そして肝心のダリを熱演するのは、『ガンジー』から『シャン・チー テン・リングスの伝説』まで、多彩な作品で独自性を発揮している“ベン・キングズレー”。スペイン人でも何でもないですけどね。“ベン・キングズレー”は何かと人種が食い違う役柄をやっている気がする…。
共演は、『鉛の時代』『ローザ・ルクセンブルグ』の“バルバラ・スコヴァ”、『ダロウェイ夫人』『禁断のエヴァ』の“ルパート・グレイヴス”、ドラマ『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』の“スキ・ウォーターハウス”、『オペレーション・ミンスミート ナチを欺いた死体』の“アレクサンダー・ベイヤー”など。
なお、若かりし頃のダリを『ザ・フラッシュ』の“エズラ・ミラー”が演じているのですが、出番は非常に少ないです。本当は“エズラ・ミラー”をもっと重要なキャラとして起用する予定だったそうですが、『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』との撮影スケジュールの問題でそれを断念し、じゃあということで、この配役になったのだとか。
芸術に疎いという人も、サルバドール・ダリをよく知らないという人も、『ウェルカム トゥ ダリ』はもちろんウェルカムです。ダリの作品は奇抜ですが、この映画自体はそんなにめちゃくちゃヘンテコってわけでもないですから。
後半の感想ではサルバドール・ダリのクィアな一面も合わせて、軽く批評しています。
『ウェルカム トゥ ダリ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :とくに芸術に興味あれば |
友人 | :アート好き同士で |
恋人 | :円満な恋はないけど |
キッズ | :性的話題多数 |
『ウェルカム トゥ ダリ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ようこそ、“ダリランド”へ
1985年、テレビである番組の様子が映ります。それは目隠しの出演者がまだ正体を明かしていないゲストに質問し、名前を当てるというもの。そのゲストは質問にひたすらに「Yes」と答え、聴衆を爆笑させていました。
「あなたは作家ですか?」「Yes」「ユーモラスな作品を書く?」「YesでNOでもある」
こんな調子で続き、出演者は「サルバドール・ダリですね」と正解を言い放ちます。
その特集番組のテレビを部屋で見つめるひとりの男性、ジェームス・リントン。彼はダリと面識がありました。その過去を思い出します。
1974年、ニューヨーク。デュフレーヌ画廊で働き始めていたジェームスは、上司のクリストフに指示されてダリと妻のガラがいる高級ホテルのスイートルームへ向かいます。ダリはずっとここに宿泊して暮らしているそうです。
途中、ホテル内のエレベーターでムーア大佐という人に出会います。ダリの秘書らしいです。ジェームスはアート系の大学に行くも辞めて今はここで働いているという経歴を説明し、「アーティストになりたいのではなく、アートが好きだ」と答えます。
「ダリランドへようこそ」とムーアが部屋を開けると、中はたくさんの人でいっぱい。セレブやらを集めてパーティーの最中のようで、いろんな人がいます。その中でダリは得意げにお喋りしていました。
さらにディナーに付き合うことになり、ジェームスは恐縮しながら席につきます。すると「クリストフは愚かだけど、あなたは見込みがある」とダリの妻のガラに言われます。「このギャラリーで働いてみない?」なんて本心かわからない提案まで…。
そこにアマンダ・リアという女性が来て、ダリは熱烈に歓迎。どうやら今のダリの新しいミューズだそうで、「彼女は男だったんだ」とクリストフは耳打ちします。
ジェームスはダリのサインをかき集めたものをダリ本人に渡して、その行為を気に入ったのか、アシスタントとして雇われました。クリストフは否定的でしたが、渋々認めてくれます。「見張って全部を私に教えろ」と忠告して…。
アート場で雑用をこなすジェームス。一方、ガラはジェームスに性的にアプローチするような挙動をしきりにとり、こちらとしては困っていました。
ダリはこだわりが強いです。絵の具の用意でジェームスが失敗したときは「ガラ」を呼び、ガラは呆れたように教えてくれます。ガラは欠かせない人物だとダリは言いますが、ガラはダリにもう愛想をつかしたように見えます。
ダリはるグラムロックの代表格であるミュージシャンのアリス・クーパーと話し込み、何やら考えている様子。対するガラは、ブロードウェイの『ジーザス・クライスト・スーパースター』で主役を務めたジェフ・フェンホルトに熱をあげており、いつも一緒。
そんな中で、ダリのパーティーにいたジネスタと知り合い、ベッドを共にする関係になったジェームス。パーティー三昧の日々を送り、作品は1枚も仕上がっていないダリの芸術的才能は一体どこで発揮されるのか…。
主人公と共に覗く、その世界の表裏
ここから『ウェルカム トゥ ダリ』のネタバレありの感想本文です。
『ウェルカム トゥ ダリ』は、サルバドール・ダリが主題なのはそうなのですが、主人公ではありません。『永遠の門 ゴッホの見た未来』みたいな視点がシンプルな映画ではありません。本作はジェームス・リントンという若い男性の視点で、このダリの世界を覗くことになります。ジェームスは完全に架空の人物です。
そのジェームスを演じているのは、今作で長編映画デビューとなった若手の“クリストファー・ブライニー”。この抜擢で一気にキャリアが伸びそうですね。
この構成としては、かなり「グレート・ギャツビー」に近いです。享楽主義で宴を開きまくっている人間の浮世離れした世界に足を踏み入れるという…。最近だと『バビロン』もそうでしたが、よくある定番の始まり方。
アートを見るのが好きなジェームスにとって、ダリの世界そのものが見ごたえのあるアートです。最初はかなり興味津々で楽しそうです。でもすぐに表からは見えない、裏側を知ります。
この時期のダリはもう芸術活動をほとんどやっておらず、作中でも何度か言われていましたが、アーティストというよりはショービジネスの人間で、著名人を集めて満喫しているだけのような感じでした。
同時にこの頃のダリは鬱病にも悩んでいたそうで、メンタルヘルスは相当に弱っていました。パーキンソン病も併発していたので、筆を握るのも大変なときもあったでしょう。
“ベン・キングズレー”がそんな晩年のダリの精神的衰弱を巧みに演じる傍らで、“バルバラ・スコヴァ”演じる妻のガラは年齢を感じさせないほどにとにかく元気です。とくに性欲の面で…。
ガラ・エリュアール・ダリ、本名は「エレーナ・イヴァーノヴナ・ジヤーコノヴァ」。そんなガラの方が先に亡くなってしまうという、なんとも非情な現実がダリを襲います
なんにせよ、本作ではこのガラを「ダリに利用されていた女性」ではなく、「ダリさえも鞭うって絵を描かせていた女性」として位置づけており、この世界は「ダリ・ランド」じゃなくて「ガラ・ランド」だった!という衝撃を与えてきます。
“メアリー・ハロン”監督は、女性の内面的複雑さ(それがときに非倫理的な領域まで及ぶ)という部分に着目するのが好きなタイプの映画人なので、今作ではそういう解釈で映像化した…ということでいいのかな。
ある種の「ミューズ」という看板だけの言葉を肉付けして作り変えるようなアプローチでしたね。
グレート・マスターベーターのクィアネス
ここからは『ウェルカム トゥ ダリ』を、サルバドール・ダリとその周辺のクィアネスと絡めて語っていこうと思います。
実はダリは、その言動や生活はじゅうぶん奇抜でしたが、ダリ自身もクィアな人物だったという分析もあります。
本作でも、ジェームスがジネスタに「ダリはゲイなのか?」と質問し、「彼はセックスを楽しまない」と説明されるシーンがありますが、ダリのセクシュアリティはよく話題にされます。性的にかなり極端なレベルで奔放で、作品自体も「グレート・マスターベーター」に象徴されるように露骨に性的だったりするし、映画内で描かれたように「覗き趣味(voyeur)」まである。なのになぜダリは自分で他人と性行為を直接的にしないのか…。
一説によれば、ダリの幼少時の親の教育のせいで性嫌悪的になってしまったという話もありますし、別の説では、ダリをアセクシュアル(アセクシャル)のアイコンとしてみなす場合もあります(History Collection)。ダリは「女性とも男性とも性行為をしたことがあるけど、どちらもイマイチだった」みたいな趣旨の発言をしていたとも言いますし…。
『ウェルカム トゥ ダリ』は、このダリの曖昧な性的指向についてあまり掘り下げず、この性的関係の欠如を、セックスレス的な典型的な夫婦の危機の証のように扱っており、その解釈はちょっと平凡すぎたかなと思います。いっそのことアセクシュアルとして描き直すほうがもっと新しいダリの人間性が覗けたのでは…。
また、ガラもオープンマリッジな関係性を築き、そのスタイルはとてもポリアモリーです。
加えて、ダリの最新のミューズとしていつも傍にいるアマンダ・リアは、トランスジェンダーだったと言われており(ただし本人は否定。当時はトランスジェンダーという単語自体がそんなに一般的ではない)、こちらもクィアなアイコンです。ちなみにアマンダを演じた“アンドレア・ペジック”はトランス女性です。
そうやって整理すると、このダリの世界は多彩なクィアで溢れかえっているんですね。それも当時のLGBT運動初期では包括しきれていなかったようなラベルの人たちが…。
この観点で新解釈するのも面白いだろうに、『ウェルカム トゥ ダリ』の終盤は最期を迎えようとする芸術家のひっそりとした幕引きをセンチメンタルに描いていて、ダリらしからぬありきたりな映像に終わったのかなと、少し物足りなかったです。
サルバドール・ダリの映画はまだまだ作られてほしいですが、次はまた別角度でお願いします。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 47% Audience 97%
IMDb
6.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 SIR REEL LIMITED ウェルカム・トゥ・ダリ
以上、『ウェルカム トゥ ダリ』の感想でした。
Daliland (2022) [Japanese Review] 『ウェルカム トゥ ダリ』考察・評価レビュー