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『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』感想(ネタバレ)…この街を愛している人が作った物語

ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ

この街を愛している人が作った物語…映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Last Black Man in San Francisco
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年10月9日
監督:ジョー・タルボット
人種差別描写

ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ

らすとぶらっくまんいんさんふらんしすこ
ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』あらすじ

サンフランシスコの街は経済発展で様変わりした。この街で生まれ育ったジミーは、祖父が建て、家族との思い出が詰まったビクトリアン様式の美しい家を愛していた。しかし、地区の景観とともに観光名所にもなっていたその家を現在の家主が手放すことになり、家は売りに出されてしまう。ジミーは再びこの家を手に入れるために奔走するが…。

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』感想(ネタバレなし)

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あなたの地域は変わりましたか?

私の子ども時代を過ごした地域は都市の郊外にありました。ちょうど私が住み始めた頃はまだ住宅地ができ始めた初期の頃で、そこまで家がありませんでした。なので原っぱが多く、いくらでも遊び放題で場所に困りませんでした。しかし、今、その場所はびっしり密集住宅地となっており、子どもの頃に遊んだ草でいっぱいの野原もありません。住んでいる人たちも少しずつ高齢化しており、子どもの数はじわじわと減っています。昔の私のように自由気ままに外遊びする子どもはおらず、かろうじて家の前の道路で車に気を付けながら遊んでいるくらいです。

こういう住み慣れた地域が時代とともに変化する光景というのは、誰しも経験していて記憶に残っているのではないでしょうか。そして、どんなに自分の街町が移り変わっていっても、やっぱり故郷や育った場所を想う気持ちは不変だったりするものです。

今回紹介する映画も、地元の街の変化を捉えていきながら人間の人生史を重ねた一作と言えると思います。それが本作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』です。

タイトルでわかるとおり、本作はアメリカのサンフランシスコを舞台にしています。サンフランシスコは日本人でも名前は聞いたことがあるアメリカの代表する中心都市です。でもその地域の歴史は大多数の日本人は知りません。私もよくわかっていませんでした。

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』はそのサンフランシスコの歴史の一端を覗けるようになっています。印象的な地域の景観も多数登場し、それがとてもビジュアル的に美しく撮られている映画でもあり、外部の立場から見ると観光意欲を掻き立てられます。地域の歴史と景観にスポットをあてたヒューマンドラマと言えば、最近だと『コロンバス』がありましたが、ちょっとそれに雰囲気は通じるものがあるかもしれません。

そして『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は「ジェントリフィケーション(gentrification)」を描いた作品でもあります。ジェントリフィケーションというのは、ある地域にて低所得者層が暮らしていたところが開発や発展によって富裕層が流入してくるようになり、それまでいた住人が追い出されていくような現象のことです。まあ、日本でもありがちなことですね。

そしてアメリカにおいてジェントリフィケーションを語ろうとするとどうしたって人種というキーワードは避けては通れません。本作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』もこれまたタイトルのとおり、アフリカ系アメリカ人を主題にした映画になっています。

サンフランシスコと黒人コミュニティがどんなふうに関わってきたのか。本作を観ると感じ取ることができるでしょう。

製作したのは個性の輝く秀作を見抜く力がある信頼の「A24」と、ブラッド・ピットが設立した「Plan B」のコンビ。このタッグと言えば2016年に『ムーンライト』という名作を世に送り出し、アカデミー作品賞に輝きました。またもアフリカ系コミュニティを題材にするということで期待もあがります。

そして実際に『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は批評家の絶賛で受け止められました。サンダンス映画祭では観客賞を受賞し、ゴッサム・インディペンデント映画賞では脚本賞などにノミネート。文句なしの評価であり、2019年を代表するインディーズ映画でした。

監督は“ジョー・タルボット”という人で、これが長編デビュー作。そしてその監督と一緒に脚本と原案を手がけ、主演も務めたのが“ジミー・フェイルズ”です。本作の主人公の名前がジミー・フェイルズであることからも察せるように、本作は“ジミー・フェイルズ”の実体験だそうで、“ジョー・タルボット”監督とは幼なじみ。そう考えると作中で主人公のジミーといつも一緒にいるキャラクターは“ジョー・タルボット”監督を投影しているのでしょうかね。

クラウドファンディングで製作費を募ってなんとか映画企画を始動させたそうで、なんとも幸運を手にしたクリエイターたちです。この“ジョー・タルボット”監督&“ジミー・フェイルズ”のコンビも今後の映画界で活躍していってくれるといいなと思います。

しっとり落ち着いて進むドラマなのかと思ったらそうでもなく、かといってバイオレンスでシリアスに進むわけでもない。ほんとに独特のセンスで突き進んでいく映画なので、ぜひその目で確かめてください。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(景観が心に残る作品を)
友人 ◯(シネフィル同士で)
恋人 △(恋愛気分はとくになし)
キッズ △(大人のドラマです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』感想(ネタバレあり)

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ここは誰の家?

幼い少女が完全防護スーツでなにやら作業をしている人間を見据えた後、スキップでかけていきます。すると道の真ん中で熱心に演説している男がいて、防護スーツの人たちは素通り。というかほとんど誰も相手にしていません。

それを遠巻きにぼさっと見ている2人の男。彼らはジミー・フェイルズモントです。2人は仲良しでいつもこんなふうにこのサンフランシスコの地区でブラブラしています。2人でひとつのスケートボードに乗って、坂道の多い街を滑っていきます。サンフランシスコのいろいろな風景を背景にしながら。

2人はフィルモア地区にある一軒の邸宅へ向かいます。その家はヴィクトリアン様式の美しい建物で、実はジミーにとって家族で暮らした思い出の場所でした。ジミーは遠慮なしにズカズカと敷地内に入っていきます。庭の手入れはろくにされていないようで植物が密集しています。見張りを頼まれたモントはその邸宅を絵に描いて時間を潰していました。ジミーはと言えば、すでに自分のモノでもないのに、外からその家の窓枠のペンキを塗り直す作業に没頭中。

そこへ白人の住人老夫婦が帰ってきて、普通に敷地内に侵入し、窓枠を塗っているジミーに苦情を言います。その白人夫婦の妻が「警察を呼ぶ」と言い放ちますが、「待ってくれ」と一向にやめないジミー。買ってきたと思われる食べ物をどんどん投げつけられ、観念したのか、すごすごと退散していきました。見張りを怠ったモントにぶつぶつ文句を言いながら…。

では今のジミーはどこに住んでいるのか。それはモントの家で、彼の祖父と暮らしています。居候状態です。

モントは、急速な発展で環境汚染が進む海が目立つ船着き場で、プカプカとボードで浮きながら絵を描くのが趣味。ときには桟橋でひとり芝居をしつつ、戯曲を書き進めることもあります。ジミーは…とくに何もしていません。彼の考えていることはいつもひとつ。あの思い出の家です。ジミーはあの家にひたすら首ったけでした。

ある日、もはや恒例のようにジミーとモントが例の邸宅を訪れると、家具がぞろぞろとトラックに積まれている真っ最中でした。どうやら引っ越すらしいです。住人だったはずの夫婦が抱き合って泣いているのが見え、そばにいた業者の話では、住人の母親が亡くなったことで家の所有権を巡り紛争中だとか。本当なのか。

ジミーとモントは地元の不動産屋を訪問。やたら軽そうな男が対応してくれますが、そいついわく、その権利の揉め事が決着するまでに何年もかかり、その間は家は住人がいない、無人になってしまうとのこと。

無人、無人…つまり…俺たちのものだ!(え?)

ジミーとモントは意気揚々とその家で暮らし始めます。ついに手に入れた念願のマイホーム。自分たちだけの自由空間。自分の家族の家具を伯母のワンダから持っていき、その家に搬入。完全に調子に乗って近所に引っ越しの挨拶までします。

しかし、それが長続きするわけはありません。その家はジミーの所有物ではないのですから。

別の日、2人が家へ戻ると、外の歩道にせっかく運び込んだ家具が全て出されており、以前訪ねた不動産屋の写真が印刷された「売り家」の掲示が偉そうにデカデカと門に貼られていました。

それでもジミーは諦めません。家を買うおカネがないので、銀行に頼み込みますが、相手は黒人である自分を一瞥すると渋い顔。不動産業者も権利を証明する書類で、相手にもしてくれません。

悔しさだけでどうすることもできないジミーはどんな手段にでるのか…。

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サンフランシスコの歴史

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』を理解するためにサンフランシスコの歴史をざっくり整理してみます。

このサンフランシスコは実は日系コミュニティの歴史があり、アメリカでもかなり古く、1870代にはもう日系人の居住地(いわゆる日本人街)があったそうです。初期の日本人街はチャイナタウン内外にあったらしいですが、1906年に震災(サンフランシスコ地震)で破壊され、作中の舞台である市域の西に移ったとのこと。

ところが1940年時点で200以上の商業施設が立地していたのですが、太平洋戦争が勃発。敵国となってしまった日系人はやむを得ず立ち退き、完全に日本人街としては死んでしまいます。

作中のジミーはどうやらこの日系人が追い出された隙を縫うようなかたちで移住したようで、ジミーは自分の祖父こそがここの真の居住者だと豪語します。しかし、不動産会社も言うように、そして歴史が証明するように、どう考えてもあの家はジミーの居場所ではありません。

結局、アフリカ系アメリカ人たちは一瞬だけしかマイホームを手に入れることができない、ほんのわずかな当たり前の幸せを味見しただけなんですね。実際のジミーの居場所は家もないので、あのスケートボードの上くらいしかないです。あのスケートボードに乗って冒頭に街を滑走していく印象的なシーンがありますが、まさにジミー目線での他人に占拠されていく街の姿であり、そこに自分がとどまれるエリアはない。とても切ない場面でもありました。

じゃあ、日系人のものだ!と自慢できるのかと言えばそうではなくて…。

そもそもサンフランシスコのある一帯はインディアン部族のものであり、そこにスペイン人の入植者が1769年くらいにやってきます。次にメキシコ独立革命によってメキシコの一部になったりしました。そしてアメリカの入植者がやってきます。すると今度はゴールドラッシュが起こって、いろいろな人がぐわっと集まるようになり、交易の場所として栄えるようになります。そんな過程のすえに日系人も流れとして一部に住み着くわけです。

で、第二次世界大戦後すぐにこの地域は再開発が活発化。日本企業も続々と進出。しかし、日本経済が低迷していくと、今度はインターネット・バブルで大盛り上がり。シリコンバレーも近いのでIT企業が破竹の勢いで参入。少なくとも2020年のサンフランシスコはそんな感じです。

つまり、いろいろな人がやってきては追い出され…の繰り返しなんですね。

作中のあの家の持ち主だった白人老夫婦も追い出される側になりどこか寂しげ。結局のところ、この地を牛耳っているのはいつの時代も権力を持った資本企業なわけで…。

そういう見えざるパワーに蹂躙される地域と住民の移り変わりを巧みに捉えたストーリーだったと思います。

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地元を愛するという意味を教えてくれる

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』はそういう割と重たいバックグラウンドのある歴史ドラマでもあるのですが、映画に映るのはなかなかに調子の良さそうな2人です。このジミーとモントの存在感が本作に絶妙な緩さを与えてくれます。

あの家を手に入れた(本当は手に入れていない)ときの「ワーっ!」と大はしゃぎしている感じとか。もう「お前ら、5歳児か!」とツッコみたいレベルの幼稚さです。好き勝手絶叫したりと、まあ、確かにマイホームを手に入れたらやってみたいことではありますけど…。でも「好きなんだろうな~」というのはひしひしとこっちにも届きます。セグウェイ観光集団に食ってかかるシーンもシュール。

あの2人の関係性もなんかいいですね。冒頭からその良さが伝わります。美しい映像センスと合わせてそれが味わえるのも本作の魅力。

ジェントリフィケーションが背景にあり、アフリカ系アメリカ人を題材にした作品と言えば、最近だと『ブラインドスポッティング』がありました。あちらは主役の2人が人種が異なるゆえの“すれ違い”が描かれます。

一方の『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』の2人は人種も一緒ですごく距離が近くて仲が良いです。また、あの2人の友情はホモソーシャルっぽくないのも特徴で(良い意味でのポジティブな男同士の親密さがある)、加えてバイオレンスのような黒人のライフスタイルに身近にあるものをやんわりと退けます。そういう意味ではとても次世代的な生き方をしようとしている黒人像です。

でもあのジミーとモントにも“すれ違い”はあります。ジミーは家に憑りつかれているように、やはり過去を見ており、前を見ていません。だからあの家が自分のものではないという現実を簡単には受け止められません。対するモントは過去を創作というかたちで記録し、語り継ぐことで未来に繋げようとしています。まさにこの映画がそういう役割を果たしているように。

本作は2人の地元愛を通して、地域というものをとても多角的に見せてくれます。素晴らしい建物や風景があってもそこには犠牲になっている人がいる。そういうあまり見ようとしない一面を教えてくれるような…。それはサンフランシスコに限らず、きっとどこの地域にもあることです。観光業で賑わう街でも、その恩恵を受けているのは大企業やブランドのある施設だけで、地元の昔ながらの小さいな商売は潰れている…とか。シネコンの拡大によって映画ビジネスは盛況だけど、その裏でミニシアターは苦しい経営状態に陥っている…とか。何でもありますよね。

それでも地元を愛しているというのは、悪い部分を見て見ぬふりするのではなく、それをひっくるめて考えるのが愛なんだということで。作中でセリフとして登場するように「愛していないなら憎む権利はない」わけで、愛ゆえに対象に苦々しい気持ちを持つこともある。

コロナ禍のせいで自分が地域に縛られていることをかなり痛感した人も多いはず。今、住んでいる場所(市町村でも都道府県でも国でも)の“良い部分”と“悪い部分”をハッキリ見つめて「愛」を示していきたいです。

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 84%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 A24 DISTRIBUTION LLC.ALL RIGHTS RESERVED. ラストブラックマンインサンフランシスコ

以上、『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』の感想でした。

The Last Black Man in San Francisco (2019) [Japanese Review] 『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』考察・評価レビュー