まだまだ頑張るイーストウッド…映画『クライ・マッチョ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2022年1月14日
監督:クリント・イーストウッド
恋愛描写
クライ・マッチョ
くらいまっちょ
『クライ・マッチョ』あらすじ
ロデオ界のスターとして一世を風靡したマイク・マイロだったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれていき、家族も離散。今はすっかり高齢になり、競走馬の種付けで細々とひとり暮らしていた。そんなある日、マイクは元の雇い主からメキシコにいる彼の息子のラフォを母親のもとから誘拐して連れてくるよう依頼される。メキシコでその少年と出会うが、その旅路でいろいろな人生について思いを馳せることに…。
『クライ・マッチョ』感想(ネタバレなし)
まだまだ頑張るイーストウッド
私は高齢になったら体はボロボロだと思うので、動こうにも動けないと思いますが(正直、今の年齢でもすでに衰えを感じる…)、国は高齢者にも働かせようと考えているらしく、クソくらえだなとボヤくしかできません。私たちは“クリント・イーストウッド”じゃないんですよ、全く…。
そうです、“クリント・イーストウッド”は働きすぎです。「生ける伝説」なんて巷では評価する声もありますが、見方を変えると定年退職も許されずに働かされ続ける高齢労働者みたいでちょっと可哀想にもなってくるような…。
“クリント・イーストウッド”については語るまでもないハリウッドの歴史的人物ですが、監督と俳優を両立した2008年の『グラン・トリノ』でひと区切りをつけるのかなと思いました。「思いました」と過去形で語っているのは、そうではなかったからで…。本人もこの映画で俳優業を引退すると言っていたのに、2018年の『運び屋』でまた監督&主演を務め、「あれ…またもや俳優に返り咲いたの?」とみんなを驚かせました。
今度こそこれで最後なのか…と仕切り直しで哀愁を感じることにしていたら、またまた監督&主演作の登場です。それが本作『クライ・マッチョ』。
もうこれはあれですね、一生現役で辞めない感じですね。それにしたって2022年時点で91歳ですよ。よく体が動くなぁ…。バイタリティが凄い。コロナ禍で地球上の人類の大半が死滅しても、この人なら生き残ってそうな気がする…。
ともあれ動き続ける限りずっと映画を撮り、演じ続ける“クリント・イーストウッド”の最新作『クライ・マッチョ』。実はこの映画、50年くらい前に企画が進んでいました。“N・リチャード・ナッシュ”という人が執筆した脚本だったのですが(『雨を降らす男』の原作を書いた人です)、1970年代に20世紀フォックスに映画化を何度も持ちかけるも却下。1980年代後半に“クリント・イーストウッド”に白羽の矢が立ち、「自分は演じられないけど監督ならする」と承諾。1991年にあの『フレンチ・コネクション』の“ロイ・シャイダー”を主演に起用して撮影まで始まっていたというからびっくり。でも結局映画化の制作は途中でストップしてしまったそうです。もったいない…見たかったなぁ…。
で、2003年には今度は“アーノルド・シュワルツェネッガー”主演で企画が再度持ちあがるも、彼はご存じのとおりカリフォルニア州知事になってしまったのでそこで企画は頓挫。2011年に州知事を退任した後にまたも企画が再始動するのですが、次はスキャンダルのせいで企画はうやむやに。
そして2020年になって“クリント・イーストウッド”の監督&主演で動き出すという…。でもさすがの“クリント・イーストウッド”で、めっちゃ早撮りなので企画開始からもうサクっと完成させてしまい、今までの長々とした回り道はなんだったんだというくらいのあっけなさ。原作者の“N・リチャード・ナッシュ”は2000年に亡くなってしまったのですけどね。
そんな『クライ・マッチョ』ですが、物語はひとりの老人がテキサスからメキシコまで行って少年を連れ帰ってくるというロード・ムービーです。多少のサスペンスはありますが、そこまで殺伐とした緊張感はなく、ゆったりとしたストーリーになっています。まあ、大半の人は“クリント・イーストウッド”を拝むためにこの映画を観ると思いますが、その需要にはじゅうぶんに答えられる内容になっているのは間違いありません。
他の出演者はそんなに目立つ感じでもなく、主演の“クリント・イーストウッド”の次にスクリーンを占めるのは子役の“エドゥアルド・ミネット”、さらにその次はニワトリくらいなものです。そう、この映画、1羽のニワトリも旅についてくるので出番が何気に多いです。この1羽のニワトリは総勢11羽のニワトリが演じているそうですけど、たぶん観てもわかんないと思う…。
それ以外の共演は、カントリー歌手として有名な“ドワイト・ヨアカム”、『Trade』の“ナタリア・トラヴェン”、『ブルー・ミラクル』の“フェルナンダ・ウレホラ”など。
なお、音楽を手がけるのは『モアナと伝説の海』で共同作曲を担当した“マーク・マンシーナ”ですが、“クリント・イーストウッド”も1曲関与しているみたいですね。音楽面でも現役です。
日本でも映画ファンの間で支持の高い“クリント・イーストウッド”の主演作ですから客はある程度入ると思うのですが(年配層含めて)、いかんせんタイミングが悪く、オミクロン株のパンデミックの波が直撃している時期に公開ですからね(ちなみにアメリカでは劇場公開と同時に「HBO Max」での配信もあった)。観れる人は観に行ってみてください。
オススメ度のチェック
ひとり | :俳優ファンは要注目 |
友人 | :俳優好き同士で |
恋人 | :異性愛ロマンスは多少 |
キッズ | :大人のドラマです |
『クライ・マッチョ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):昔は強かった男と強くなりたい少年
1979年。車を運転してやってくるひとりの老人。馬のいる畜舎に到着したのは、マイク・ミロという男です。彼は昔はこの地域一帯で名を馳せる凄腕のロデオスターでした。壁には飾られている昔の写真、メダル、トロフィー、記事などがその栄光を物語っています。しかし、それは過去の痕跡に過ぎません。今のマイク・ミロは老体しか残っておらず、家族さえも失い、独り身なのです。落馬によって引退してからの人生は輝かしかった絶頂期とはまるで違うものでした。馬の調教師として細々と生計をたてるしかできません。
ある日、元雇い主のハワード・ポークから、別れた妻に引き取られている13歳の息子のラフォをメキシコから連れ戻してきてほしいと依頼されます。事情を聞と、その母親のリタという女はハワードいわく「正気じゃない」というのです。ただ、そうは言っても勝手に子どもを連れ帰ったら誘拐になるのではないかとマイクは躊躇しますが、「本物のカウボーイだろう」と言われ、勢いに押されて引き受けることにしてしまいます。元雇い主に恩義があるので断れません。
車を運転して国境の検問地点に辿り着きます。呑気な旅行若者集団に続いて、マイクも「ホリデーで」と旅の目的を告げると、あっさり通過できました。
車を走らせ続け、野宿をしたりしながら、メキシコシティに到着。子どもの母親だというリタはずいぶんと欲にまみれた豪勢な暮らしをしているようで、赤いドレスを身にまとい、マイクを座らせ、「私の元夫に送られてきたのか」と口にしたかと思えば、「家に帰れ」と追い返されます。
肝心のラフォはどこにいるのかと言えば、闘鶏で盛り上がっていました。そこに警官がやってきて、みんな一目散に散り散りになります。隠れているラフォに話しかけ、ハワード・ポークの名を出すと関心を持ちました。子どもの頃の写真を見せて証明するも、ラフォは「彼は嘘つきだ」と信用しません。でもロデオに興味を持っているようで、マイクの話に乗ってくれます。
もう一度、リタのもとに行くと、「どこで見つけたの?」と言われ、「闘鶏」と素直に答えます。しかし、リタは「ラフォは私のもの」とあくまで執着し、「出ていけ」と命令。マイクが立ち去った後に、リタは「追跡しろ」と部下の男に指示します。
帰るしかなくなったマイクは再び車を走らせて来た道を戻るのですが、その途中で車を運転しているといきなり鶏が車内に飛び出してきます。後部座席にラフォが隠れていました。
「出ろ!」と車から引きずり下ろすマイク。でもラフォは「行きたいんだ」と頑なです。「父のもとにどうしても」と懇願され、「わかった、後ろに乗れ」とマイクも認めます。
ニワトリも一緒です。ラフォは「ニワトリじゃない。マッチョだ。強いという意味なんだ」と力説し、彼自身は強い男になることに憧れがあるようです。
野宿で焚火をしながら、マイクはラフォに強い男とは何かと聞かれます。
翌日、前方に警察車両が複数いるのを発見。道を外れて塗装されていない砂利道を走ります。レストランで休憩すると、ラフォは子どもながらテキーラを注文。どうしても大人ぶりたいようです。マイクはハワードに電話し、「見つけた」と報告。
しかし、店の外でリタが差し向けた追っ手の男に捕まるラフォ。けれども、ラフォが機転をきかせてこの追っ手の男に虐待されたと喚き、周囲の人に取り押さえさせて、そのうちに退散します。
こうして2人の旅は続きますが…。
イーストウッド・エクスプロイテーション
『クライ・マッチョ』は特段の真新しさのようなものは感じません。というか既視感が強いです。
本作の脚本は“ニック・シェンク”。『グラン・トリノ』と『運び屋』の脚本を手がけた人であり、どうしてもその過去の2作と同じ肌触りがします。要するにすっかり老人となって時代の片隅で生きている主人公が何かしらの犯罪スレスレのことをしながらも、その生き様の片鱗を見せ、そこに観客が渋さみたいなのを感じ取って満足するという…そういう定番のパターン。なので「また、これか」という気持ちにもならなくはないです。こう何度も繰り返されてしまうと、同じ芸しかできない人みたいに思えてくる…。
『15時17分、パリ行き』や『リチャード・ジュエル』のような実話モノだと“クリント・イーストウッド”監督作でもオリジナリティがあって新鮮に楽しめるんですけどね。
ただ、これに関しては『クライ・マッチョ』の脚本に非があるというよりも、そもそも映画化されるのが遅すぎたのではないかとも思います。実際、似たようなシナリオの映画はもうすでにいくつかあるんですよね。ロバート・デュヴァル主演の『A Night in Old Mexico』(2013年)とかかなり似ています。『クライ・マッチョ』は小説として1975年に刊行されていますし、結構スタンダードなプロットの骨格があるので、どこまで意図しているかはわからないですけど他作品の参考とかにされているんじゃないのかな。
一方で、“クリント・イーストウッド”という素材が大手映画会社にとって手っ取り早く手堅い客層を獲得する便利なコンテンツ扱いされている部分も否めなくて…。こうなってくると「イーストウッド・エクスプロイテーション映画」ですよ。“クリント・イーストウッド”も職人監督だからホイホイ仕事しちゃうんだけども。
個人的にはせっかくの才能のある“クリント・イーストウッド”監督なのでこんな感じで消費されてほしくはないのですが、これも現役高齢監督のさだめなのか…。
本当に弱そうで…
それにしても『クライ・マッチョ』の主人公を演じる“クリント・イーストウッド”、『運び屋』のときよりもさらに老いた感じが増していて、観ているこっちとしては心配になってくるくらいで…。
車を運転中に永眠していてもおかしくないですよ。作中では追っ手相手に一発パンチを躊躇なく決めるシーンがあるのですが、あれほどのヨボヨボパンチだと、イーストウッドの腕の骨が折れるんじゃないかと不安にもなってくるし…。
リタにベッドに誘われるようなシーンもあるのですが、あれなんかセクシャルな場面というよりは、完全に新手の老人の殺し方みたいですよ。というか誘う方も誘う方でおかしいでしょうに。
なので観客としてはマイク・ミロというよりは“クリント・イーストウッド”の面影を楽しみながらノスタルジー込みで評価してしまう映画であり、その時点で映画よりも“クリント・イーストウッド”が前に出ているので役者ありきな接し方になってしまいます。
私はこのあまりにも弱々しい今作の“クリント・イーストウッド”の姿も、物語としてはこれで合っていると思うので良かったのですが…。どんなにスターであっても老化によってここまで肉体的に衰退してしまうものですよという現実を“クリント・イーストウッド”がその身を持って教えてくれているような気もします。
しかし、「強い男」うんぬんの話はかなり旧時代的で錆びついている概念になってしまっており、昨今のマスキュリニティの見直しという先駆的な議論に全然追いついていないのがこの映画のもの悲しさでもあり…。
あのラフォも何を学んだかと言えば、ちょっと十数年前くらいの“男らしさ”論なんじゃないかと思うし、とは言えあのテキサスの環境だと他に学びようもなさそうだしなぁ…。舞台は1979年ですもんね。この年は“クリント・イーストウッド”は出演作『アルカトラズからの脱出』が公開されるなど、まさに全盛期でその時代の“男らしさ”を象徴していましたからね。“クリント・イーストウッド”の自己批判視点は出発はそこそこいいのですが、最終的には美女とのまったりした時間に逃げがちですよね。自省を描いていると解釈するにしてもかなり理想化されている…。
私は“男らしさ”の自省というものを最も悪ノリ込みでなんだかんだ上手くやっている作品の現在最高峰はドラマ『コブラ会』なんじゃないかなと思ってますが…。
『クライ・マッチョ』のような一連のイーストウッド・ノスタルジー映画を鑑賞していると“クリント・イーストウッド”が自身のキャリアに信仰心を持つファンの空想世界から抜け出せなくなってループに陥っているような、そんなサイコロジカル・スリラーみたいにも思えてくる。
この世界のイーストウッドは、ぜひあのニワトリと微笑ましく余生を送ってほしいです。ニワトリの平均寿命は8~10年だけど…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 57% Audience 64%
IMDb
5.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved クライマッチョ
以上、『クライ・マッチョ』の感想でした。
Cry Macho (2021) [Japanese Review] 『クライ・マッチョ』考察・評価レビュー