歌う気分ではない…映画『エミリア・ペレス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2024年)
日本公開日:2025年3月28日
監督:ジャック・オーディアール
交通事故描写(車) 恋愛描写
えみりあぺれす
『エミリア・ペレス』物語 簡単紹介
『エミリア・ペレス』感想(ネタバレなし)
トランスの映画の災難、再び
こういう心情にはなりたくない…。でもまたこの状況がやってきてしまった…。
何かってそれは…物議を醸すトランスジェンダーの表象を有する映画が大々的に登場してしまったということです。
世界であれば2015年の『リリーのすべて』、日本であれば2020年の『ミッドナイトスワン』のときもそうでした。これら2作はシスジェンダーの俳優が反対の性別を演じたことでトランスジェンダーのキャラクターが華麗な異性装を試される機会としてしか消費されず、同時に現実には大きな偏見を残すという問題が発生。そのたびに当事者は言葉にできない傷を増やし、表象の専門家はそれがいかに問題なのか解説する必要が生じ、不均衡な労力とストレスを蓄積する日々がしばらく続いたのでした。
前向きに考えれば、それら“問題あり”な映画の反省は活かされ、今や世界や日本でも当事者起用の(もしくはシスジェンダー俳優でも反対の性別を演じさせない)トランスジェンダーの描き方が定着し、改善されたと言えます。苦労は報われたかもしれません。
でも矢面に立たされているのはいつも当事者や一部の専門家・批評家ばかり。「この映画の表象は問題がある」と口にするだけでバッシングだって受けます。だから願わくばこんな状況は経験したくないものです。
しかし、その願いに反して、次の物議を醸すトランスジェンダーの表象を有する映画はやってくる…。そして、なぜか当事者にとってよろしくない表象というのは往々にして片や世間から称賛されやすい…。
その2024年~2025年の最新の問題作が『エミリア・ペレス』です。
フランスの名匠として知られ、『ディーパンの闘い』(2015年)、『ゴールデン・リバー』(2018年)、『パリ13区』(2021年)などを手がけてきた“ジャック・オーディアール”監督の最新作となったこの『エミリア・ペレス』。
有名な監督の映画ということで、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門になんなくリストされ、さらに審査員賞、加えて“ゾーイ・サルダナ”、“カルラ・ソフィア・ガスコン”、“セレーナ・ゴメス”、“アドリアーナ・パス”の4人が女優賞を受賞し、この年のカンヌの話題作となりました。その後も各地の賞を総なめにし、最も注目を集めた映画のひとつとして輝いたと言い切っていいでしょう。
とくに“カルラ・ソフィア・ガスコン”はトランスジェンダーであることを公表した俳優として初めて、アカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)などにノミネートされたという偉業を成し遂げ、クィア映画史にも刻まれました。
ただ…。“ただ”ですよ。映画業界は絶賛ムードがあった中、LGBTQコミュニティでは早々にこの『エミリア・ペレス』に否定的な反応が相次ぎました。例えば、「GLAAD」は「トランスジェンダーの表現にとって後退だ」と本作を評し、シスジェンダー中心の批評家が見ようとしなかったこの映画の問題性を指摘するトランスジェンダーの批評家の声を取り上げています。もちろん中には本作を褒めている当事者批評家もいます(Out など)。しかし、LGBTQ界隈の大多数は“否”が占めているのが現実の光景でしょう。
私も英語圏の情報(とくにクィアな業界)はよくチェックしているので、『エミリア・ペレス』への批判は把握していました。でも、日本劇場公開は少し遅れるので、このネガティブな反応をあまり事前に紹介しすぎるのもあれかなと思い、内に封じてもいました。けれどもやっと日本で公開されましたから、もう隠すこともないです。
すでに憂鬱ではあります。この映画が日本社会のトランスジェンダーの印象にマイナスの影響を与えないだろうか、と。せめて宣伝だけでもヘマしないでほしいなと願い、ちょっと小言を漏らしたりもしましたが…(「性転換」ではなく「性別適合手術」とかの言葉を使ってねとか)。
日本は英語圏よりもはるかにクィアな批評家の数が乏しいので、この映画の問題性の語りが不足し、余計に心配にはなります。私みたいな文才のない人間はともかく、またもやわずかな有識者に負担が集中するのではないかと…。
なお、私はこの『エミリア・ペレス』を1行で評するなら、「極右メディア“Daily Wire”が“左派も満足するトランスジェンダー映画を作りましたよ!”と意地悪な顔を浮かべて届けてきたような映画」と表現するかな…。
正直、本作は、この記事でも便宜的にまわりに合わせて「トランスジェンダー映画」と表現していますけども、実際の中身はトランスジェンダーを描いた映画というか、変なシスジェンダー弁護士を描いた映画です。トランスジェンダーのキャラクターは別に主人公ではないんですよ。なのにトランスジェンダーのキャラを演じた“カルラ・ソフィア・ガスコン”が助演ではなく主演の賞の対象になっていることからして妙に作為的です…。
もし私が「トランスジェンダーを理解するうえでオススメの作品はある?」と誰かに聞かれたときに、絶対にタイトルを挙げることはしないであろう映画のリストには入れざるを得ない本作。ただ、「問題性のあるトランスジェンダー表象とはどういうものなのか?」を考えるときに批判的視点で視聴する資料としては役に立つ…かもしれません。
『エミリア・ペレス』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 全体的に当事者に否定的に受け止められやすいトランスジェンダーの描写が続きます。 |
キッズ | 子どもが楽しめる内容ではありません。 |
『エミリア・ペレス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
メキシコシティで弁護士として働いているリタ・モラ・カストロは、凄惨な事件も担当するなど活動の幅は広く、仕事尽くしで意欲的でした。そしてときに倫理的な一線を越えることもありました。殺人を自殺であると弁護したり、クライアントの望むがままに献身します。
今日も勝訴し、ひと段落つこうとすると、次の仕事が舞い込んできます。しかし、いつもと違いました。匿名の電話だったのです。低い声で話しかける相手はこちらの名前を把握しており、リタはトイレでその電話を受けます。詳細は何もわかりません。
明らかに怪しいですが、面会に応じることにしました。ところがいきなり頭に布を被せられ、車に拉致されて、どこかへ連れていかれます。
揺れる何かの車内のような場所に座らされ、フードを取られ、目の前に相手と話すことになります。
その人物はメキシコで有名なカルテルのボスであるフアン・“マニタス”・デル・モンテでした。髭面のその大物は、「密かに性別適合手術を受けて女性らしい身体を手に入れ、そのうえ死を偽装して新たな人生を始めたい」と希望を述べます。それを手伝ってほしいというのです。
こうしてリタはその要望を叶えるべく、あちらこちらを駆け回ることになりますが…。
踊り歌っても下手さは隠せない

ここから『エミリア・ペレス』のネタバレありの感想本文です。
さっそく私なりにこの『エミリア・ペレス』の問題点を整理していきたいと思いますが、まずは何よりもプロットとしてのトランスジェンダーの使われ方です。
エミリアがカルテルのボスという悪者として描かれているのは別にいいのです。悪役のトランスジェンダーがいたって何も問題ありません。それよりも「性別を移行する」という展開があまりに都合よく仕掛けに利用されている点です。
罠に嵌められて一夜で性別適合手術で男から女にさせられた殺し屋を描く『レディ・ガイ』という映画が2017年にありましたが、性別適合手術というのはまるで一瞬にして性別を反対のものに変えてしまう禁忌の人体改造のように誤解されがちです。これはよくある不正確な理解に基づくトロープでもあります。
実際はそんなことはなく、性別適合手術は性別移行(トランジション)のプロセスのほんのひとつの選択肢にすぎません。
『エミリア・ペレス』も性別適合手術がやけに極端に描かれています。手術前はあからさまに男の中の男みたいな見た目をしており(ホルモン療法は受けられなかったとしても髭は剃れるだろう)、生殖器関連の手術だけでなく、顔の整形まで同時にしたのか、それにしたって手術後は人種まで変わったかのような別人になってます。
手術のリアリティの無さは百歩譲るとして、『エミリア・ペレス』はエミリアがまだ子どもの頃から性別違和を抱えていたという示唆があり、トランスジェンダー当事者として一応は描かれているぶんマシにも思えますが、本作はそこに「身分を別人に変えたい」という要求まで加わるためややこしくなります。
こうなってくると性別移行の望みも身分偽装計画の一部にどうしたって見えますし、だったらもうトランスジェンダーとして描くのをやめるか、せめて死を偽装してから、さらに数年後に性別移行のために性別適合手術をラストに決意するとか、そういう流れでもいいじゃないですか。
そして、本作はミュージカルなのですが、これがなおさら悪い効果を生んでいると思いました。
いや、荒唐無稽なストーリーをあえて用意して、わざとステレオタイプな表象を狙いつつ、それを逆手にとってユーモアに変える…というアプローチはLGBTQ映画にはひとつのやりかたとしてあります。
しかし、この『エミリア・ペレス』は全然パフォーマンスもキャンプじゃないし、クィア当事者好みからほど遠いんですね。歌声をAIで補正したという別問題もあるけども…(The Guardian)。
端的に言って“ジャック・オーディアール”監督はトランスジェンダーを描くのが下手すぎるのだと思います。『怪物』の感想でも似たようなことを書きましたけど、基本はベテランで手慣れている映画監督が、慣れていないものに手を出すと「下手さが際立つ」現象がここでも起きている気がする…。
フランスには“ジャック・マルティノー”、“オリヴィエ・デュカステル”、“アラン・ギロディ”、“セバスチャン・リフシッツ”、“セリーヌ・シアマ”といったクィアな映画監督がいますが、いずれも性的指向がマイノリティな当事者であり、トランスジェンダーの有名な監督はほぼいません。
それは豊かな映画文化を育んできたとされるフランスと言えども、依然としてシス中心の業界だという事実を物語っています。本作もそんな環境で生まれた映画じゃないでしょうか。
メキシコはトランスジェンダーにとって最悪の国?
『エミリア・ペレス』はトランスジェンダーの表象の問題に終わらず、メキシコの表象も激しく批判され、ことさらメキシコ本国の人たちから非難轟々でした。このトランスジェンダーの表象の問題とメキシコの表象の問題は分離することはできず、2つは密接に絡まってひとつの構造的表象欠陥を形成しているところが重要だと思います。
本作はメキシコを舞台にメキシコ人の登場人物が主軸で物語が進みますが、撮影はすべてフランスのパリのスタジオで行われ、主要キャストの中でメキシコ人は“アドリアーナ・パス”のみです(しかもたいした役割もない)。作中のセリフも歌詞も現地からすれば違和感だらけだと指摘されていますが、「メキシコのトランスジェンダー」というセットでみると表象はより一層歪さを増します。
この映画を観た観客はたぶん「メキシコってLGBTQに厳しい国なんだろうな」と思うはずです。ただでさえ残忍な犯罪組織ばかり描かれますし、マイノリティなんてなおさら生きづらいのだろう、と。
でも現実はこの映画が映し出すほどの劣悪な地獄ではありません。メキシコではトランスジェンダーに関しては、公文書の性別変更も比較的容易にできますし、多くの州では性別適合手術も不要です。男女ではない性別も選択できる州もあり、これはメキシコにはもともと先住民族において性別二元論ではない性別の文化があるという背景もあり、その歴史は奥が深いです。医療のアクセスもガイドラインを設けて整備されつつあります。
正直、公的な性別変更のしやすさについては(人権侵害な要件だらけの)日本よりもはるかに進んでいますし、手術なしで法的性別の変更ができるのはフランスも同じです。なので作中でエミリアが「女性となる」のも、別に書類上は手術関係なく実現できることで、あんな大ごとじゃないのです。手術だってメキシコでするほうが安いでしょう(裏社会向けの医者もどこかにいても全然変でもないでしょう)。
それなのになぜかこの無能なリタは調査した結果、イスラエルのテルアビブに行くんですよ。ちなみにLGBTQフレンドリーを国家的に自称することで知られるイスラエルは性別適合医療ケアが受けづらい国で、アクセスのしづらさゆえに国内の当事者はイスラエル外にわざわざ出ていくくらいの状況です(The Times of Israel)。
なのでこの描き方だと、「治安最低のメキシコはトランスジェンダーにとっても最悪の国だ」という印象操作のみならず、「イスラエルは良いところだ」というピンクウォッシングにすら加担しているようにみえます。
“ジャック・オーディアール”監督含め、この『エミリア・ペレス』の製作者は、絶対にリサーチしてないですよ。私ですら少し調べればわかる程度のことも、映画に盛り込まれてないですから。
そんな映画業界が心底嫌いです
以上、書いていて頭痛がしてくるほど『エミリア・ペレス』の問題点に向き合ってきましたが、この映画、冷めたLGBTQコミュニティの視線なんて無視して、ある時期まで賞レースのトップを走っていたのですが、ある出来事で流れが変わりました。
主演(?)の“カルラ・ソフィア・ガスコン”が過去にSNSで人種差別や宗教差別など反多様性発言をしていたことが発覚したためです。“カルラ・ソフィア・ガスコン”の弁解も火に油を注ぎ、彼女だけは賞キャンペーンから除外されて、いないかのように扱われるようになりました。
無論、差別発言は容認できません。“カルラ・ソフィア・ガスコン”の自業自得です。
しかし、これまでもオスカーのレースに参加した映画の関係者で差別的言動が浮上した人は何人も(白人男性にたくさん)いましたが、その人たちもこれまで同一的に問題視していたでしょうか。業界に権力があるゆえに大目にみられて軽視されていなかったでしょうか。
“カルラ・ソフィア・ガスコン”はハリウッドに権力も地位もなく、おまけにトランスジェンダー当事者です。何の抵抗もなく批判しやすいでしょう。
まるで上記で説明してきた『エミリア・ペレス』の全欠点をあの“カルラ・ソフィア・ガスコン”ひとりに背負わせて印象的な全責任をなすりつけているような、そんなスケープゴートっぽい構図も否めません。トランスジェンダーやメキシコについての有害な表象を生み出した監督やプロデューサーは、“カルラ・ソフィア・ガスコン”という前科のある悪者を倒しさえすれば、大手を振ってアカデミー賞授賞式に笑顔で参加できるのでしょうかね。
私はそういうダブルスタンダードで日和見主義な映画業界は本当に心底大嫌いですよ。
ともかく、この『エミリア・ペレス』を観て初めて本格的にトランスジェンダーを知った不運な人がいるかもしれません。ぜひ本作の鑑賞の記憶を忘れて、より上質で当事者に寄り添うドキュメンタリーを観てください。『ジェーンと家族の物語』や『ウィル&ハーパー』とか、オススメですからね。


そしてこの『エミリア・ペレス』のカウンターとして製作された『Johanne Sacreblu』を必ず観ましょう。『Johanne Sacreblu』を観るために『エミリア・ペレス』はあるようなものです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
×(悪い)
関連作品紹介
第77回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『ANORA アノーラ』(パルムドール)
・『聖なるイチジクの種』(特別賞)
・『憐れみの3章』(男優賞)
作品ポスター・画像 (C)2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHE FILMS – FRANCE 2 CINEMA エミリアペレス エミリア・ペレズ
以上、『エミリア・ペレス』の感想でした。
Emilia Perez (2024) [Japanese Review] 『エミリア・ペレス』考察・評価レビュー
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