そんな一瞬の最高でもいい…ドラマシリーズ『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
シーズン1:2023年にAmazonで配信
原案:スコット・ノイスタッター、マイケル・H・ウェバー
性暴力描写(暗示) 性描写 恋愛描写
デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃
でいじーじょーんずあんどざしっくすがまじでさいこうだったころ
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』あらすじ
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』感想(ネタバレなし)
架空のバンドをゼロから作る
2023年3月の始まり、iTunesのアメリカのチャートにて「Aurora」というアルバム曲が1位を飾っていました。歌っているのは「Daisy Jones & The Six」というバンド。
音楽業界に精通している人でも「誰?」と思ったに違いありません。そんなバンド、聞いたこともないけど、最近デビューしたばかりなのだろうか…。
でも最近デビューしたわけでもないのです。知らないのも無理ない話。なぜならこの「Daisy Jones & The Six」は架空のバンドだからです。
この「Aurora」というアルバムは「Daisy Jones & The Six」は架空のバンドが生み出した…という設定になっています。と言っても本当に人が歌っていますし、本格的なアルバムの貫禄です。
日本であればアニメのキャラクターやバーチャルアイドルなんかのグループの曲がヒットしたりしていますし、あれも架空的な位置づけではありますが、この「Daisy Jones & The Six」はひと味違います。実写ドラマシリーズに登場する架空のバンドなのです。
そのリアルな音楽界隈にまで存在感を見せつけた架空のバンドを生み出してみせたのが、本作『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』です。
原題は「Daisy Jones & The Six」。なんかやたらとハジけた邦題になっていますけど、このバンド名だけの原題も鑑賞後は味わい深く思えてきます。「Daisy Jones & The Six」…ここに至るまでのドラマがまたね…。観てもらえればわかる…。
本作は「Daisy Jones & The Six」というバンドが結成されるまでの過程、その人気を獲得していく姿、そして音楽を軸とする団結、不和…そういうバンドものであれば定番の内容を詰め込んだ王道なドラマです。
ただ、架空のバンドながら「本当にこんなバンドがいたんだ」という実在感をゼロから作り上げており、その作り込みの出来は素晴らしいです。映画やドラマにはいろいろな架空のバンドがでてきたりするものですけど、本気でやればこんなクオリティになるんですね。
なにせ人気バンドとしての説得力がないといけないですから。最近も連発している実在のミュージシャンの伝記映画とはわけが違います。俳優が実際に歌って、カリスマ性を発揮して、これならヒットするのも納得だなと視聴者が頷けるレベルにする…。これは相当に大変でしょう。
音楽面でのパフォーマンスを試されることになった俳優陣ですが、主演はまず『アンダー・ザ・シルバーレイク』『Zola ゾラ』の“ライリー・キーオ”。“ライリー・キーオ”がシンガーの役というのも奇遇なもので、というのも“ライリー・キーオ”の祖父はあの“エルヴィス・プレスリー”ですからね。ちなみに“ライリー・キーオ”の母“リサ・マリー・プレスリー”は歌手なのですけど、“ライリー・キーオ”自身はモデルの仕事をしており、本格的に歌うのは初めてで、本作のために歌唱トレーニングしたそうです。作中ではものすごく様になっていますけどね。
“ライリー・キーオ”と並んで熱唱するのは『ハンガー・ゲーム』シリーズの“サム・クラフリン”。こちらも歌は本業ではなく、本作を演じているうちにみるみる上達したそうです。
共演は、『Never Goin’ Back ネバー・ゴーイン・バック』の“カミラ・モローネ”、『降霊会 血塗られた女子寮』の“スキ・ウォーターハウス”など。
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』は“テイラー・ジェンキンス・リード”が2019年に発表した小説が原作になっており、これをドラマ化する原案を立ち上げたのが、『(500)日のサマー』や『ディザスター・アーティスト』『ロザライン』の脚本を手がけた“スコット・ノイスタッター”と“マイケル・H・ウェバー”の2人。かなり原作から改変しているらしいです。
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』は「Amazonプライムビデオ」で独占配信中で、シーズン1は全10話。1話あたり46~66分とボリュームがありますが、バンドものが好きな人は注目です。
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :バンドもの好きなら |
友人 | :音楽を語り合える人と |
恋人 | :色恋沙汰が多め |
キッズ | :依存症描写あり |
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』予告動画
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):解散の真相を関係者が明かす
1977年10月4日、バンド「Daisy Jones & The Six」はシカゴで公演し、当時は人気絶頂で、アルバム「オーロラ」を発売したばかりでした。しかし、それは最後の公演となりました。一体何が起きたのか…。
1961年、ロサンゼルス。幼いデイジー・ジョーンズは資産家の父を持ち、家は裕福でしたが、デイジー自身は孤独でした。デイジーは部屋にこもってヘッドホンで音楽を熱唱。しかし、歌うのをやめなさいと母は叱ります。両親の愛はそこには感じられません。
1968年。15歳になったデイジーはクラブに忍び込み、ステージのパフォーマンスにうっとり。けれども世間知らずなデイジーはそこで男たちの現実を思い知らされ、傷つきます。それでも自分に沸き上がる感情をノートに書き記し、歌詞を考えていくことで自分を保っていきました。
ところかわってピッツバーグ。ビリー・ダンの住む町では戦争に行くか工場に行くかしか進路はありません。ふられた弟のグレアムはベッドですねており、ビリーは励まします。
モテたいグレアムはウォレン・ロハスやエディ・ラウンドツリーら友人たちにバンドを作ろうと誘い、少し経験のあるビリーもその場に居合わせ、指導していきます。しだいにビリーも加わり、いつのまにか中心になり、「ダン・ブラザーズ」という5人バンドになりました。
1970年、ビリーたちはプロムなどでパフォーマンスしまくっていました。ある夜、ビリーは4歳の頃に置き去りにした父を目撃して動揺し、ギターを父に押し付け叩き壊します。そこでいつか世界一のバンドになろうとみんなで誓い合い…。
一方、デイジーは様変わりし、世渡り上手になっていました。ノートに歌詞を書き記すのが快感でしたが、自分で歌うことはしません。パーティでデイジーはシモーン・ジャクソンと出会い、意気投合。「なぜステージの上ではなく客席にいるの?」と言われ、自分の在り方を考えます。
ある日、ビリーはコインランドリーでカミラという女性に出会い、交際しだします。グレアムは別のバンドのカレン・サーコに一目惚れ。
音楽業界に詳しいロッド・レイエスにカリフォルニアに行けと言われ、ビリーたちは決心して向かうことにします。
その頃、デイジーは自分の歌詞を盗むだけの男に失望し、ミューズ扱いとは縁を切り、小さなバーで思い切って歌うことにします。この解放感は初めてでした。
こうしてビリーたちとデイジーは同じ地に揃い、未来の邂逅の手筈は整いましたが…。
モデルになった人物
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』は冒頭いきなりドキュメンタリー風に始まり、「これは実在するバンドの話です」と堂々と振舞ってきます。
そして1977年のツアーのシカゴ公演を最後にバンドは解散したという事実が提示され、ではどのような経緯で解散したのか…という点をこの全10話で語り尽くしていくことになります。
物語自体はバンドものの鉄板の流れですが、デイジーとビリーたちの2つの視点で当初は進行し、全く重なりそうにない両者がくっつくという融合の奇蹟が前半の面白さです。
ビリーの視点で観れば、マスキュリニティの模索のドラマでもあります。ビリーは家族に責任を持たない父に憤慨していましたが、「ザ・シックス」というあのバンドをビリーは家父長的にコントロールしていました。そして最初のツアー時にアルコールに溺れ、父と同じ道を辿ってしまい、更生することになります。
バンドはしたい…でも父のようにはなりたくない…そんな定まらず迷走するビリーの前に現れたのがデイジーであり、第5話でセラピーのように率直に語り合い、自分の鎧を脱ぎ去っていくビリーが印象的です。
これだけだとデイジーは『(500)日のサマー』のあのヒロインのように男性主人公をエキセントリックに魅了する女性像にしかならないのですが、『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』はデイジーの視点も腰を据えて描きます。
デイジー(本名はマーガレット)は「音楽はしたいけど音楽の男社会の醜態に幻滅している」…才能をくすぶらせている女性です。クィアなシモーンのエピソードも含めて、音楽業界における女性の息苦しさをしっかり描いている(それでいて女性同士をやたらと対立させたりもしない)のも本作の良さです。
そのデイジーにとってのビリーは境遇が似ていることもあって鏡のように機能し、ビリーへの歌詞を書くことがデイジー自身の扉も開くことになります。
この2人、もっとベタなロマンスの関係にもできそうなところを、あえて抑制させて、単純な恋人でも友人でもない、言葉にしようがない2人にしかわからないリレーションシップを構築していくのが本作の要でした。作中ではソウルメイトとも言っていましたけど。
一応、原作では2人の関係のモデルになった実在のミュージシャンがいて、“スティーヴィー・ニックス”と“リンジー・バッキンガム”らしいですけどね。また、デイジーを演じた“ライリー・キーオ”は歌手であった母“リサ・マリー・プレスリー”の実人生を演技のインスピレーションに活用したみたいですが…(“リサ・マリー・プレスリー”もかなりいろいろな有名男性を転々としている)。
ともかく「Daisy Jones & The Six」となったことでバンドの家父長制は崩れ、互いを尊重し合う良いコミュニティが生まれる。理想的な家族がそこに生まれた感じです。プロデューサーのテディ・プライスがまた良い父親役になってくれていますよね。
でも電撃的な解散という運命は決まっている…。
家族は解散したっていい
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』の後半は解散ルートを突っ走るのですが、出だしはデイジーのドラッグ依存が引き金になるかに思えます。
しかし、デイジーのバスルーム卒倒事件を乗り越えて、再びビリーとデイジーの仲は回復。穏やかな安泰が戻った…と思いきや…。
第9話~第10話の怒涛のバンド崩壊は本当に痛々しいです。デイジーのドラッグ再発、ビリーもアルコール再発、エディは劣等感に沈み、グレアムとカレンは中絶をめぐってすれ違い…。ウォレスは女優と交際順調でひとり浮いてますが…。
背景を見せられている私たち視聴者にはあのシカゴ公演のステージが地獄の空気だとわかるのですけど、何も知らない観客が「Look At Us Now」コールとかしているので、その温度差がまだエグイです。気まずいバンド・シーンとしては近年の中では屈指ではないだろうか…。
けれどもこのドラマはその絶望感からは想像がつかないほどに案外と明るく終わります。確かに解散はしました。でもそれはバッドエンドではない。
本作は家族という概念に完璧主義を期待しすぎないのがいいと思います。上手くいかなくなって解散したっていいじゃないか…という気楽さと言いますか、最高の一瞬があったならそれだけでも凄いんだ…みたいな着地で…。
実在のミュージシャンを描いた映画やドラマはいっぱいあります。多くのミュージシャンが非業の死を遂げることが目立つ中、この『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』は依存症や恋愛関係の亀裂を描くにもかかわらず、不幸にさせません。この描き方は完全に架空のバンドとして作り上げるからこそできる技なのではないでしょうか。
ドキュメンタリーの取材をしているのがビリーの娘のジュリアであるというサプライズもそうですが、ちょっと嘘臭いくらいに「良いエンディング」に繋げる。だって最後は誰も不幸せにはなっていないんですから(まあ、あのニッキーは例外だけど、あいつを気にかける視聴者もいないでしょう)。
『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』は、「こんな幸せを信じてみたいよね」と観客を巻き込んでいく、フィクションらしいパワフルなドラマでした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 71% Audience 79%
IMDb
8.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Amazon デイジージョーンズアンドザシックスがマジで最高だった頃
以上、『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』の感想でした。
Daisy Jones & The Six (2023) [Japanese Review] 『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』考察・評価レビュー