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『DAU ナターシャ』感想(ネタバレ)…ソ連全体主義の実験的再現の始まりの始まり

DAUナターシャ

ソ連全体主義の実験的再現の始まりの始まりにすぎない…映画『DAU. ナターシャ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:DAU. Natasha
製作国:ドイツ・ウクライナ・イギリス・ロシア(2020年)
日本公開日:2021年2月27日
監督:イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ
性暴力描写

DAU. ナターシャ

でぃーえーゆー なたーしゃ
DAUナターシャ

『DAU. ナターシャ』あらすじ

ソ連某地にある秘密研究所では、大勢の科学者たちが軍事目的の研究を密かに続けていた。施設に併設された食堂で働くウェイトレスのナターシャは、この閉鎖的な世界で暮らし、仕事を終えると同僚の若い女性相手に鬱憤を晴らすような生活を送っていた。ある日、研究所に滞在するフランス人科学者リュックと惹かれ合う。しかし、彼女は当局にスパイ容疑をかけられ、KGB職員から厳しく追及されることに…。

『DAU. ナターシャ』感想(ネタバレなし)

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そんな実験、アリなのか?

私は野生動物を相手に科学実験をしたことならあります。そう聞くと、なんか野蛮そうなことをしてそうだと思われるものです。動物をコントロールしているんじゃないか…とか。でも実際、少なくとも私は野生動物に振り回されっぱなしで、コントロールどころじゃありませんでした。下手したら私が動物に弄ばされていただけかもしれない…。野生動物って、難しいんです…。実験なんて上手くいかないことの方が多いですよね。

しかし、この実験は桁が違った。

制作年数15年、欧州最大1万2000平米のセット、衣装4万着、オーディション人数39.2万人、主要キャスト400人、エキストラ1万人、35mmフィルム撮影のフッテージ700時間…。

最初は長編映画を作るつもりで2007年に撮影が始まったものの、しだいにソ連全体主義をまるごと再現してしまおうという壮大なプロジェクトに発展。舞台となる物理技術研究所を本当に作ってしまい、そのセットの中で人間たちが実際に衣食住を完結させて暮らし、外界から隔離されて、本当にソ連時代と何ら変わらない環境&情報下で過ごす。科学者も本物で、ちゃんとそこで研究もする。友情も生まれ、恋愛も生まれ、結婚したり、出産したりした人さえいたとか。

つまり、完璧にシミュレーションしてみせたのです。こんなこと、できてしまうものなのか? でもやってみせたんだからできるんだろうなぁ…。どういう倫理規定とかになってるんだろう…?

その巨大な実験を映画として観られるのが本作『DAU. ナターシャ』です。

監督は“イリヤ・フルジャノフスキー”“エカテリーナ・エルテリ”の2人。モスクワとサンクトペテルブルクの生まれの2人なのですが、ほんと、どういうめぐり合わせでこんな実験の機会を得られるんだろうか。

そんな『DAU. ナターシャ』はこれだけの規格外ですから当然のように注目を集め、ベルリン国際映画祭では銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞するなど話題騒然となりました。

ただ思わぬ騒動も。というのも、作中でかなり強烈な性暴力的なシーンがあるのですが、壮大な実験を銘打っていたこともあって、本当に性暴力をしているんじゃないかと非難される事態が一部であったとか。

けれども現実ではそういうことはなかったそうです。そもそも壮大な実験だと大声で語っておいてなんですが、そこはやっぱり撮影であり、企画なので、重要な部分では台本があるわけです。カメラも回しながら、編集も加えています。演じているのは俳優ではないのですけど、何をしなくてはいけないかは事前にわかっています(わかっていないとあんなスムーズに進行できない)。まあ、インティマシー・コーディネーターとかがいたのかまではちょっと不明なんですけど。

私はこの『DAU. ナターシャ』の批判的な騒動は、いわゆる炎上マーケティングの一種なんじゃないのかなと…。なぜなら本作は散々説明しておいてなんですが、宣伝と中身に大きな乖離があるからです。

膨大な数の人員と年月が投入されて生まれたプロジェクトであると期待を煽ったのですが、この『DAU. ナターシャ』はそこから連想される壮大なスケールとは程遠い内容で、拍子抜けするほどにミニマルです。ダイナミックでド派手なシーンもありませんし、これだけ見ていると膨大なおカネを使って生まれた映画には全然見えません。むしろ低予算のような…。「え、これで終わりなの?」と鑑賞後に思うでしょう。

実はこの『DAU. ナターシャ』は「DAUプロジェクト」のほんの一部に過ぎず、他にも映像作品があって、プロジェクトの公式サイトでは「DAU. String Theory」「DAU. New Man」「DAU. Nikita Tanya」「DAU. Brave People」「DAU. Katya Tanya」「DAU. Three Days.」「DAU. Nora Mother」…さらに続々と今後も長編の映像作品がリリース予定。要するに全体像の断片しか『DAU. ナターシャ』からはわかりません。

だから『DAU. ナターシャ』の映画の宣伝をすることになった配給会社とかは大変だったと思うのです。プロジェクト規模と『DAU. ナターシャ』単体の規模が釣り合っていませんから。多少煽り気味のマーケティングになるのもやむなしなのか。

そんな断片の鑑賞だけ面白いのかという感じもしないでもないですが、とりあえずこの前代未聞のクリエイティブ実験を目撃するだけでも一考に値するのではないでしょうか

なお、中身自体は完全に「R18+」ですし、かなり暴力的な描写も多いです。子どもはもちろんデート・ムービーにはとてもオススメできません(カップルがソ連の社会主義を学んでいる同士なら話が弾むかもですけど)。

それなりの覚悟を持ちつつ、鑑賞することでこの実験に参加してみませんか?

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:関心があれば体験するのも
友人 2.0:とても人を選びます
恋人 2.0:非常に不向きです
キッズ 1.0:子どもは観られません
↓ここからネタバレが含まれます↓

『DAU. ナターシャ』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):DAUの第1章

ソ連。とある極秘の研究施設。ここでは日夜、科学実験が行われており、大勢の者たちが関与しています。当然ながら他言無用で口外禁止の世界。監視の目もあり、自由は鎖に繋がれています。

そんな環境にて、ウェイトレスの女性が後片付けをしています。彼女の名前はナターシャ。この研究施設に併設された食堂で働いています。今は食堂は静まり返っており、ナターシャはあくびをしながら、リラックスして作業にあたっています。

食堂が始まれば賑わいはかなりのもの。研究所に併設されているだけあって、研究者や政府関係者が多く、何やら専門的な話をしていることもありますが、基本は憩いの場です。老人もいれば、子どももいます。食事を出したり、片付けたり、繁忙の時間ともなればせわしなく動かないといけません。それでもみんながここの食事を楽しみにしています。

食堂が閉まる時間になればまた後片付け。20代の同僚オーリャと作業します。客が残したシャンパンをグラスに注いで飲むこともあり、2人で自堕落に会話するのが定番。こういうときでないと本心は表に出せません。

話題は恋愛に移ります。ナターシャは以前に付き合っていた既婚男性であるブリノフ教授をいまだに忘れることができておらず、未練が言葉に出てしまいます。一方、まだ若いオーリャは実のところ本当の恋愛というものを理解していないこともあり、ナターシャとは根本的には話が合いません。

2人は腕を抑えてじゃれ合ったり、それがどんどん勢いを増して押さえつけ合いになったり、あげくには髪を掴み、蹴り、罵声を浴びせ…やりたい放題に。獣の喧嘩のようですが、なんだかんだで感情を表に出せる相手です。

ある日、研究施設がずっと取り組んでいた実験が成功し、お祝いが開かれました。オーリャは功労者である科学者たちのために自宅でパーティを開いて盛大に祝福。ナターシャが遅れて到着した頃には皆浴びるように酒を飲み、歓声をあげて盛り上がる男たちも合わさって、ヒートアップ。

楽しく歓談している中、ナターシャとフランス人科学者リュックは良い関係に。自国の言葉しか話せないナターシャでは、オーリャとコミュニケーションができません。片言の英語を喋るオーリャを通訳に、ただたどしく意思を伝えていくうちに、すっかり心を開きあっていました。泥酔の勢いで机の上に立ったり、周りも好き勝手に囃し立てます。

周囲が帰り、2人きりになったナターシャとリュックはキスをします。ベッドに倒れこみ、服を脱いでいき、絡み合う2人。抑えられていた性欲は解放されていきました。

行為を終えた後、リュックはベッドでいびきをかいて爆睡。

翌日。再び食堂。何事もなかったかのようにリュックは佇んでいます。ナターシャにしてみれば寂しい気持ち。あれは一時の感情の発露に過ぎないのか。

その日の片付け時間。またオーリャと残り物食事会を開催していると、ナターシャはイライラをオーリャにぶつけるようにウォッカを飲ませまくります。しだいに泥酔していくオーリャは嘔吐を繰り返しますが、吐いても吐いても次々注いでいくナターシャは冷徹。よろつき、何を与えても食べるオーリャは噴き出しながら吐くまでになり、最後は食堂を出て行ってしまいます。

オーリャが出て行った後の食堂は静か。ナターシャは孤独です。さらに寂しさを募らせ、泣き、ナターシャはひとりモノにあたって暴れまくります。

しかし、それで終わりませんでした。やがてソビエト国家保安委員会へ不穏な動きを察知され、ナターシャは連行されてしまいます。取り調べに現れたのは、犯罪捜査の上級役員ウラジーミル・アジッポ。初めは淡々と答えていましたが、その取り調べはやがて狂気の暴力へと変貌していき…。

ここが私たちの世界…。

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やっぱり研究者は喧嘩する

開口一番、「なんだこれは」と絶句する映像をお見舞いされるのかと身構えていたのですが、序盤はなんてことはないというか、割と日常です。

カメラワークなど演出面でもトリッキーなことをしているわけでもなく、『スターリンの葬送狂騒曲』などの社会風刺というような狙ったわかりやすさもないです。隠し撮りのような極秘映像っぽい要素もなし。

つまるところ、本作はソ連全体主義の中で暮らす人たちをドキュメンタリー風に映像におさえているという資料映像のような立ち位置なのでしょうかね。映像自体も本作は2時間10分くらいあるのですが、場面は驚くほど少なく、大きく分けても「食堂」「プライベート部屋」「研究施設」「取調室」の4つのみ。それをかなり長い時間で撮り続けています。おそらく編集されているだけで実際は相当な時間の撮影データがあるはず。

背景で行われている研究も観客にはよくわかりません。

監督はインタビューでこう答えています。

「あるグループは弦理論を研究し、別のグループは量子重力を研究していて、これらのグループはお互いを嫌っていた。一方のグループは12の次元があると述べ、もう一方は24の次元があると主張した。弦理論グループは24の次元はあり得ないと信じ、量子重力グループは、他の科学者は偏狭であると考えていた」

学術界の研究対立までそのまま再現して見せるというのは凄まじいなと思うのですが、こうなってくると一般の観客に理解させる気はゼロですね。

でも私としてはこの仮想・ソ連全体主義下で実施された研究が本当に研究成果として学会で有効になるのか、そっちが気になるのですが…。

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本物のプロが再現する拷問

この「DAUプロジェクト」の大目的は「当時の政権や権力がいかに人々を抑圧し、統制したのか」を明らかにすることだと当事者も語っています。

『DAU. ナターシャ』もそのとおりの内容です。

主人公のナターシャは中年女性で恋愛をしたいと考えていますが、それは自由にできません。フランス人科学者リュックとの一晩の肉体関係で発散することはできても、愛を永続的に手に入れることはできない世界。ゆえに自分よりも若く、可能性に満ち溢れているであろうオーリャに八つ当たりのように接します。

あの中盤のオーリャに対するアルコール飲ませまくり騒動。オーリャは妙に明るくケヒャケヒャと笑い、その姿は滑稽でもあります。ただ、あれは完全に死の危険がある行為であり、アルコールハラスメントの経験者とかにしてみれば、トラウマを呼び起こす恐怖映像です。そしてあの暴力がまさにナターシャにも降りかかってくるという反転が後に展開されます。

そういう面で捉えるとやっぱり本作はドキュメンタリー風ですけど、明快に意図のある編集構成になっていますね。作為性が後半に行けば行くほど強くなるというか。

で、今度はナターシャが拷問を受けることになるというターン。ちなみにここでナターシャを尋問するのは、ソビエト連邦の刑務所と拘置所で働いた経験があり、KGB大佐にもなり、行動心理学の専門でもある人物なのだそうです(2017年に心臓発作で亡くなりました)。つまり、マジでプロの人が拷問しているということで、これはもう怖いなんてレベルじゃないですよ。

これまでフィクションの映画で散々拷問のシーンは観てきましたけど、リアルな拷問のやり方はこうなんだということを本作でまざまざと見せつけられました。やっぱり緩急をつけながら心理的に追い込んでいくんだなとか、最終的には尊厳を傷つけて心に致命傷を与えて掌握していくんだなとか…。

プロジェクト自体はソ連全体主義の恐ろしさを明らかにすることが狙いでしたけど、別に特定の国に限らず、ハラスメントや差別といった構造に通用する怖さの本質が見えた気がします。

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勝手に番外編「DAU.アセクシュアル」

本作のタイトルの「DAU」とは何なのか。

なんでも1962年にノーベル物理学賞を受賞したロシアの物理学者のレフ・ランダウに由来するそうで、彼は優秀な学者であると同時に、ヨシフ・スターリンが最高指導者を務めた全体主義時代において、自由恋愛を信奉し、スターリニズムを批判した罪で逮捕された経歴も持つのだとか。

だからなのか本作も自由恋愛がソ連全体主義と対になる存在として位置づけられており、ナターシャがリュックとセックスするシーンに集約されています。

ただ、私はこの設定には言いたいことが正直あって…。それは私が「アセクシュアル / アロマンティック(A-spec)」だからこその不満なのですが…。

自由恋愛をソ連全体主義と対になる存在にするのは今に始まったことではなく、映画の中でもよく出てきます。例えば、グレタ・ガルボ出演の『ニノチカ』(1939年)では、共産主義を信奉するニノチカという女性が登場し、彼女は無感情的で恋愛など全く理解できない人物として描かれます。そんな彼女が民主主義の国柄に触れていくことで愛を知っていくというストーリーです。

とにかくソ連全体主義からの解放が自由恋愛なのだという揺るぎなき主軸。それは確かに歴史的にそうなるのもわかります。でも「アセクシュアル / アロマンティック」はどうなるんだ、と。

私みたいなA-specセクシュアリティの人たちにしてみれば、自由恋愛は解放ではありません。というか、自由恋愛ですらもまだソ連全体主義とそう変わらないと思っています。別に自由恋愛をしたい人がするのは勝手ですが、みんな当然のように自由恋愛したいでしょ?という固定観念はそれこそ権力的抑圧と同じ。

『DAU. ナターシャ』はその視点はまるでないので、結果的にそこで描かれるソ連全体主義の恐ろしさもなんだか一部のマジョリティにしか通用しないものに限定されているような…。

なので私は本作に対してモヤモヤするんですよね。私にとっては『ニノチカ』も「DAU」シリーズと同系統ですからね。

ということで、私はこの「DAUプロジェクト」よりも壮大で馬鹿げた資金がかかっている「恋愛伴侶規範ワールド」にしばらく閉じ込められるしかなさそうです…。

『DAU. ナターシャ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
6.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
5.0

作品ポスター・画像 (C)PHENOMEN FILMS ダウ ナターシャ

以上、『DAU. ナターシャ』の感想でした。

DAU. Natasha (2020) [Japanese Review] 『DAU. ナターシャ』考察・評価レビュー