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ゲーム『デス・ストランディング』感想(ネタバレなし)…映画好きこそプレイすべき理由

デス・ストランディング

映画好きこそプレイしてみよう…ゲーム『デス・ストランディング』の感想&考察です。ストーリーの核心に迫るネタバレはありません。

英題:DEATH STRANDING
製作国:日本(2019年)
対応:PS4
監督:小島秀夫

デス・ストランディング

げーむすとらんでぃんぐ
デス・ストランディング

『デス・ストランディング』あらすじ

デス・ストランディングという現象によって繋がりが分断され崩壊した世界。そこにはかつてのような国もインフラもコミュニティもネットワークもない。サム・ポーター・ブリッジズはそんな世界で彷徨う人々のために、そして基盤を失ったアメリカを再建するために、「未来」を運ぶ任務に赴くのであった。

『デス・ストランディング』感想(ネタバレなし)

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「小島秀夫」とは何者か?

このブログは主に映画の感想をダラダラと書いています。ではなぜ急にゲームの感想を書いているのか? それは今回紹介するゲーム『デス・ストランディング』を生み出したのが“小島秀夫”という人間だからです。

「小島秀夫? 誰それ?」という人のために、なぜゆえに映画と絡めて語られるのかを含めて、私なりにゼロから説明していきましょう。

“小島秀夫”監督は、日本のゲームクリエイターであり、1980年代後半からコナミでゲーム制作を手がけていました。彼の特徴は明快で「ゲームに映画のような手法を取り入れる」ということでした。具体的にはカメラワークやストーリーテリングなどです。この時代のゲームといえばゲーム独自の演出ルールがありました。キャラの会話だったら、吹き出しなどのテキスト形式だとか。しかし、“小島秀夫”監督が作るゲームはあえてそのゲーム特有のルールに縛られることなく、映画らしく再構築しています。

これは当時は挑戦的でした。なぜならゲームと映画は全然別モノだと思われていましたから。まだゲームと言えばファミコン…みたいな世間の認識の中、“小島秀夫”監督はゲームも映画になれる!という先見の明を持っていたのでしょうか。

1988年の『スナッチャー』、1994年の『ポリスノーツ』と映画的なゲーム制作のノウハウを高めていき、ついにそのひとつの集大成となったのが1998年の『メタルギアソリッド』でした。

この『メタルギアソリッド』はとくに海外で非常に高く評価され、「シネマティックでクラシック」という絶賛もあるように、そのゲームに映画性を融合するという革新に世界が驚きました。

なぜ“小島秀夫”監督はこんなにも映画にこだわるのか。それは彼が「僕の70%は映画でできている」と公言するほど大の映画好きだからです。その映画愛はゲーム内でも随所に光っており、自分の好きな映画の要素もオマージュしまくっています。普段から自身のSNSでは映画の話題を頻繁にし、映画に推薦コメントを送ることもしばしば。もともと映画監督になりたかったようですが、諸事情でその道には進めず、だったらゲームで挑んでやるというチャレンジ。結果、前人未踏のことを成し遂げたわけですから、本当に凄いものです。ゲームクリエイターならば「ディレクター」とかカタカタで明記されることが多いのですが、“小島秀夫”だけは「監督」とつくのはそういう映画へのこだわりがあるからに他なりません。すでに本人の自己満足ではなく、海外の映画業界でもその功績が認められており、監督を名乗るのにじゅうぶんすぎるクリエイターです。

大好評だった『メタルギアソリッド』はシリーズ化され、2015年の『メタルギアソリッドV ファントムペイン』まで続く一大サーガが創出され、世界中で絶大なファンを獲得しました。『メタルギアソリッド』は映画化計画も進行中の様子。

そして、“小島秀夫”監督が新たな船出として「コジマプロダクション」という自分の会社を設立し、再度ゼロからの挑戦に乗り出し、そこでついに2019年に産み落とされたのが新作『デス・ストランディング』でした。

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ゲームと映画の境界が消える時代

『デス・ストランディング』は、“小島秀夫”監督のフィルモグラフィー(あえてそういう言い方をしましょう)にとって、1998年の『メタルギアソリッド』の誕生に次ぐ、新しいマイルストーンになる作品なのは間違いないでしょう。そして、これは普段から映画を観ている人間にとっても無視できない一作です。

その理由は、ひとつ。さらにゲームと映画の境界を破壊しているから。

例えば本作に登場する主要キャラクターたちはほとんどが実在の俳優を含むリアルの人物の顔をキャプチャーして作られています。なのでゲームですけど、俳優をキャスティングして演技させる映画とベースは何も変わりません

主人公のサムを演じるのは、ドラマ『ウォーキング・デッド』で一躍人気となった“ノーマン・リーダス”。他にも、北欧の至宝の異名で有名な“マッツ・ミケルセン”。『アデル、ブルーは熱い色』など高い評価を受けるフランス女優“レア・セドゥ”。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも印象的な演技を披露した“マーガレット・クアリー”。そして、“リンゼイ・ワグナー”は現在の姿に加えて、若い時の姿でも登場するという、ファンなら大興奮な使われ方も。

俳優だけでなく、『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞を受賞した“ギレルモ・デル・トロ”監督や、『ネオン・デーモン』など奇抜なセンスの映画を生み出す“ニコラス・ウィンディング・レフン”監督も、キャストとして出演しています。ゲームならではの遊び心ですね。

これらのチョイスは“小島秀夫”監督のこだわりでしょうし、以前から映画業界とも積極的に繋がりを築いてきた賜物。“ニコラス・ウィンディング・レフン”監督なんかは彼のドラマ『Too Old to Die Young』に“小島秀夫”が友情出演しているくらいです。

他にもゲームと映画の境界の消失を思わせる要素はたっぷりあります。

ただ、明確に言っておくべきは、もう「映画は映画」「ドラマはドラマ」「ゲームはゲーム」…そういう区分けが通用する時代ではなくなってきているということ。今は「Netflixなどのネット配信作品は映画と認めるか」という議論がシネフィルの間で盛んですが、そんな議題もすぐに過去のものになるでしょう。これからは“形態”は歴史的もしくは商業的な視点での価値しかなくなり、映画もドラマもゲームも入り乱れた独自の“何か”に進化するはずです。その“何か”を何と呼称するのかはお偉い人にお任せしますが、その新時代のクリエイティブ・コンテンツを開拓していけるのは誰なのか。

おそらく今もっともその開拓者としてパワーを持っているのはMCUを展開するマーベルでしょうけど、他にも“おっ!”と目につくクリエイターは何人も見かけてきました。そして、この“小島秀夫”監督もそのひとりだと私は思っています。エンタメ業界もガラパゴス化が著しい日本という小さな島で、こんな素晴らしい才能が生まれたことはDNAの突然変異か何かなのか…。とにかく嬉しいですね。

長々語りましたが「ゲームなんて全然触ったことがない…」という人ほど最高の体験ができます。だって全てが新鮮なのですから。気になる難易度も「Very Eazy Mode」があるのでゲーム初心者も安心。エンターテインメントの未来に想いを馳せながらプレイしてみてください。

※以下では普段ならネタバレありで感想を続けて書くのですが、今回はより多くに人にプレイしてもらいたいのでネタバレなしでさらに書き連ねています。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(最高の体験を)
友人 ◎(友達とも共有しよう)
恋人 ◯(どんなジェンダーでも楽しめる)
キッズ ◯(子どもでも面白い)

『デス・ストランディング』感想(後半)

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博識な監督だから作れる世界観

“小島秀夫”監督は、以前より「ポリティカル」「SF」の要素を組み合わせた壮大な世界観を構築するのが得意な人でした。『メタルギアソリッド』シリーズは、冷戦などの歴史&政治というリアルと地続きの中に、クローンやAIなどの近未来的に起こり得るSFテーマを混ぜ合わせて展開していました。

『デス・ストランディング』も「ポリティカル」と「SF」のミックスは相変わらず同じです。しかし、世界観の雰囲気は『メタルギアソリッド』シリーズとはガラッと変わりました。

舞台は「デス・ストランディング」という謎の大規模現象によってそれまでの文明も経済も崩壊したアメリカ大陸です。一見すると自然が広がる雄大な原生の大地に見えますが、その地には「BT」と呼ばれる幽霊的な存在が徘徊しており、人間を引きずりこもうとします。この「BT」は特異体質の一部の人間(DOOMS)にしか目視できませんが、「BB(ブリッジ・ベイビー)」という容器に入った特殊な赤ん坊を装備することで、視覚的な認識がしやすくなります。他にも設定があれこれありますが割愛。

つまり、世界観的にはアポカリプティック・フィクション(終末モノ)なんですね。そこに得体のしれない化物が絡んできて科学的に探究することになる展開といえば、最近だと『アナイアレイション 全滅領域』を連想します。また、資源の乏しい世界で血液などを意外なかたちで利用する展開は『マッドマックス 怒りのデスロード』を思いだします。

詳細を語るとネタバレになるので控えますが、死生観も重要なポイントで、プレイしているとわかりますが、いろいろな国や文化の死生観を匂わす要素が盛り込まれており、特定の宗教に偏らない、かなりカオスな世界が存在しています。ゆえにプレイヤーはこの世界の全貌が掴めず、ハラハラドキドキすることになるわけです。

一方で衰退したアメリカのナショナリズムやイデオロギーの残骸を感じさせるものもあり、決してファンタジー一辺倒ではありません。このバランスが絶妙ですね。この「ポリティカル」を遠慮なく的確に入れられるクリエイターがあまり日本にはいないのですよね(国内市場がそういうのをタブー視しがちというのもありますが)。

よくこれほど複雑で膨大な世界観を思いつけるなと関心するのですが、“小島秀夫”監督は映画はもちろん、本や博物館も趣味で、そこからの知識のインストール量が凄まじく、それらを分解しては自分なりに複合してオリジナルを生み出す快感が大好きなんでしょうね。

とにかく世の中には「終末モノSF」がそれこそピンからキリまで無数にあるのに、『デス・ストランディング』はこんな世界観は観たことがない!と驚嘆できる…これだけでもじゅうぶん特筆に値します。加えてその世界を自分で操作して歩けるんですからね…。

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「分断の時代」に求められる主人公

『デス・ストランディング』の世界では政治や国という概念が消失しかけている状況であり、そこで「ポリティカル」の要素として登場するのが「分断」というテーマです。無論、これは移民・性・宗教などへの排外主義やヘイトが渦巻く現代社会の喫緊の姿をトレースしたものです。

面白いのは具体的な問題例は提示しないんですね。私たちのリアル社会に通じる要素は基本「アメリカ」という国だけ。それ以上の踏み込んだ要素は出てきません。

下手をすれば具体的な問題例を提示しないのは“逃げ”に見られるかもしれません。でも『デス・ストランディング』はあえて具体的な問題例は提示しないことで特定の主義や思想に肩入れすることなく、それでいて誰にでも普遍的にこの問題を考えさせる、上手い立ち回りをしています。

じゃあ、何を見せるのか? 漠然と「分断」を象徴する「非常に謎めいた世界観(デス・ストランディング)」をデンとプレイヤーの目の前に示して「さあ、どうする?」と投げかけてきます。

そして主人公は「配達人」という誰でも連想できる職業で、各所から各所でモノを運ぶことになります。この「モノを運ぶ」という行為で「分断」への対抗を見せるというのは斬新なアイディアだと思います。

普通、「分断」への対抗を示す方法として真っ先に上がるのはエンパワーメントなのですが、これもやっぱり主義や思想の色が濃く出るもの。人によってはこういうのに対して過剰にアレルギーを示すことも多々あり(それを風刺したような要素もゲーム内にある)、「分断」への対抗を示したいのになかなか幅広く共感してもらえないという皮肉な結果になることだってあります。

でも「モノを運ぶ」のは身近だし、抵抗感もない。それ以上に現代のSNSの可視化(SNSは言葉を運ぶツール)であり、私たちが日々やっていることの延長であるものです。

ゲームというのは主人公とプレイヤーが極めて同一視しやすい特性があります。だから感情移入は必須です。それを妨げるものは極力排除しつつ、ストーリー上の必要な個性を主人公に与える…この配分が難しいです。

『デス・ストランディング』はサムという名前の主人公(もちろんこれは「someone」に由来しており、“誰か”という普遍性そのものを表しています)が、伝説の配達人になってモノを運びます。それ以外に関してあまりキャラクター性が与えられておらず、比較的プレイヤーは自分と等価に重ねやすい存在です。良い意味で脱個性的(実際は“ノーマン・リーダス”なのに…)。

結果、「分断の時代」に求められる主人公としてベストな存在、ベストな世界観が用意されました。「モノを運ぶ」ゲームですけど、ゲーム自体がプレイヤーに届かないと意味ないですからね。

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インタラクティブはゲームの必殺技

『デス・ストランディング』のように、キャラクター性が薄い主人公で、広大な自然の中、モノ(人)を運び、サバイバルして、繋がりを実感する…そんな映画が偶然最近あって、しかも“マッツ・ミケルセン”主演の『残された者 北の極地』という作品でした。

あちらは映画なので正直、映像を見ているだけであり、退屈に感じる人がいても無理はないです(私は大好きですが)。

しかし、『デス・ストランディング』は決定的に違います。「モノを運ぶ」という要素を最大限に活かして、インタラクティブな遊びを提供してくれます。まさにゲームの本領発揮ですね。

プレイヤーは主人公を操作してモノを運びます。荷物はいろいろです。基本は背中に担いで運び、テクテクと歩いて野を越え、山を越え、運ぶのです。ユニークなのがこの運ぶという作業が妙にリアルだということ。荷物の重みや重心が計算されていて、運んでいる最中にバランスを崩すと転んでしまいます。地面の岩に躓いたりして無様に転倒することも(なんかリアルで転んだ時の恥ずかしい気持ちになるのは私だけ?)。体力も低下しますし、怪我もする。

こんな仕様にしたらプレイヤーはイライラするだけなのでは?と最初は思ったのですが、これがやってみると謎の中毒性があるんですね。プレイ映像だけを見ても地味な絵です。でもやっているプレイヤー自身は言葉にしがたい充実感を感じているのです。

だんだんと荷物を運ぶだけでなく、梯子やロープをかけたり、橋や道路を作ったりもできるようになります。しかも、他のプレイヤーともつながり、誰かの荷物を運んであげたり、誰かのために橋を用意してあげたりすると、なんでしょうか、世界に貢献しているという満ち足りた気持ちになる。この感覚はプレイしないとわからないでしょう。

「分断」を繋げるのは正しいんだと説教するでもなく、そのやりがいをゲーム性で身をもって学ぶ。ああ、人を分断するよりも繋げるほうが楽しいんだ、とわかる。

私は『デス・ストランディング』はSNSの不快要素を綺麗にデリートしているから面白いんだと思います。本来、人を繋げることを期待して生まれたのがSNSだったのですが、今や逆に憎悪を拡散する道具になってしまい、うんざりしている人も多いです。でも『デス・ストランディング』は「繋げる」ことに純粋に身を捧げられる環境があるから、常に幸せでいられる…。あるべきだったSNSの姿を見た気分です。

こういうインタラクティブはゲームの特権と言えます。私もよく感想記事で書いていますが、ゲームを映画化した作品はそのゲームが本来持っていたインタラクティブやアクティブな楽しさが抜けてしまうので、なんか炭酸の抜けたコーラみたいになりがち。やっぱりゲームだからこその役割があるなとあらためて痛感させられました。

他にも語りたい話題は山ほどありますが、いつまでも終わらないので、このへんで。ストーリーをクリアしてからが本番ですよ。

“小島秀夫”監督率いる「コジマプロダクション」はこれからもどんなゲームを生み出すのか期待が膨らみます。またゲーム以外の領域にも積極的に乗り出す意思も見せているので、今後、世界にどんな革新をもたらすのやら。「映画vsゲーム」ではない、「映画=ゲーム」でもない、「映画+ゲーム」の新世界に連れていってください。

世界はあなたみたいな人を“待っていた”…。私はそんなあなたの生む作品をまだ知らぬ人に運び続けます。

『デス・ストランディング』
METACRITIC
Metascore 83
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)KOJIMA PRODUCTIONS Co., Ltd.

以上、『デス・ストランディング』の感想でした。

Death Stranding (2019) [Japanese Review] 『デス・ストランディング』考察・評価レビュー