アンソニー・マッキー出演…Netflix映画『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:ジョナサン・ヘルパート
ユピテルとイオ 地球上最後の少女
ゆぴてるといお ちきゅうじょうさいごのしょうじょ
『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』あらすじ
愚かな人類の行いによって滅びゆく地球に残ることに決め、生存へのわずかな希望を模索し続ける若き女性科学者。努力を重ねていけば、きっと打開策が見つかると信じていた。しかし、宇宙行きシャトルの発射場へと急ぐ男と出会ったことで、その決意が揺らぎ始める。
『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』感想(ネタバレなし)
「イオ」とは?
私たちの住む地球が存在する太陽系の中で最も大きい惑星は「木星」です。直径は地球の約11倍、体積は約1300倍もあり、とてつもないスケール(でも自転周期は約10時間だったりします)。
それだけ巨大であれば観測もそこまで難しくなく、条件さえ整えば目視でも可能。なので、木星の存在が人類に認知されたのは古代ローマの時代だったとも言われています。また、公転周期が約12年なので、なにかと「12」に絡めた語られ方をすることも歴史的にありました。例えば、「十二辰」というのがありますが、その「12」も元を辿れば木星に由来しているとか。
そんな私たち人間社会にとっても関わりの深い木星は、英語で「Jupiter(ジュピター)」と言って、これは古代ローマ神話の神「ユーピテル」を語源とするものです。ユーピテルはギリシア神話のゼウスと同一視されています。要するに神の中の神。まさに木星にふさわしいですね。
その木星には衛星がいくつも存在していて、その数は2018年7月時点で79個。つい最近も発見されていたりしてたぶんきっと数は増えるでしょう。でも、古くから知られている衛星もあって、その代表格が大きな4つの衛星である「イオ」、「エウロパ」、「ガニメデ」、「カリスト」です。この4つの衛星を最初に観測したのが誰であろうあのイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイであり、なので4つ合わせて「ガリレオ衛星」と呼ばれています。ただし、「イオ」、「エウロパ」、「ガニメデ」、「カリスト」と名前を付けたのはドイツの天文学者であるシモン・マリウスです。この名前は木星の名前であるゼウスの愛人からとられています。ということは、木星の周りには愛人がいっぱい回っているんですね。冷静に考えると修羅場ですよね…。
はい、で、なんでこんな宇宙話をしたのかと言えば、それはもちろん今回紹介する映画と関連があるからです。その映画が本作『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』。
前述した木星の話を読んでくれていれば、タイトルの「ユピテルとイオ」でピンときてくれたと思います。原題は「IO」です。日本の某精密機器メーカーとは全然関係ないことはわかりますよね。
本作はSF。とはいっても、『インターステラー』みたいな超大作ではないので、あしからず。相当低予算で作られていると思われ(ただ映像はチープではないです)、なんと主要登場人物は2人だけという超ミニマムな構成。
主演のひとりは“マーガレット・クアリー”という若手女優。シェーン・ブラック監督の『ナイスガイズ!』で物語の謎となる失踪した少女の役でした、覚えているでしょうか。他だとハリウッド版の『Death Note デスノート』にも出演。今後公開予定のクエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にも出演予定だとか。どんどん目立ち始めた若手のひとりといった感じ。
その彼女と肩を並べるもうひとりの主演が“アンソニー・マッキー”。この男はご存知の方も多いでしょう。我らがファルコン…マーベルのアメコミヒーローで人気を集めたあの男です。すっかりファルコンの人というイメージしかないですが、実は結構いろいろな映画に顔を出しているのです。でも日本では公開していない映画だったりして影が薄いんですよね。その彼がほぼ主役級の映画が『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』ですから、“アンソニー・マッキー”ファンには見逃せない一作でしょう。空も飛びます!(翼ではない)
監督の“ジョナサン・ヘルパート”は、フランス出身の人みたいですが、本作以外の長編作だと2015年に『House of Time』という映画を監督しただけのようです。
肩肘張らずに観る映画ですし、Netflixオリジナルなので、時間の空いているときに気軽にどうぞ。ただし、ちょっとだけ頭をSF思考にしてね。
『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』感想(ネタバレあり)
「エクソダス」と本作の関係
『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』はいわゆる「終末モノ」であり、「Apocalyptic fiction」。地球に取り残された男女の話といえば、もう何百回と聞いたパターン。ただし、エンタメ寄りではなく、完全に詩的なサイレントな映像と語り口であり、観客のSF的な読み解く力を求めるタイプのものです。
なので、人によってはものすごく退屈だし、一方でこの手のSF好きはふむふむと新聞のコラムを読むかのごとく暇つぶしで観られる…そんな映画。
冒頭、これまでの地球における人類史が語られます。大気汚染か何かによって地球の環境は激変、大気の組成が予期せぬ変化を起こして、大勢の人間が死を遂げた悲惨な出来事が起こりました。そして、ある日、100機の宇宙船が飛び立って、木星の軌道を通る衛星イオを中心に発電所をコロニーとして、人類の一時的な生活場所とする「エクソダス計画」が始動したのでした。こうして地球に生き残っていた人類の大半は宇宙の新天地に去ったものの、まだ地球の復活を信じる者は地球に残って暮らしている…それが本作の世界観です。
「エクソダス計画」の「エクソダス」とは、旧約聖書の「出エジプト記」のことで、これはモーセがユダヤ人を率いてエジプトから脱出するという物語が綴られており、“大量の人間がある地点から大移動すること”を指す言葉としてよく使われます。
つまり、なんとなくこの時点で察することができると思いますが、本作は旧約聖書で描かれるような人類文明誕生の物語を再度なぞるような、新しい人類史を見せるSFです。
SFとは言いますが、実際はかなり神話寄りな語り口になっており、そのつもりで観ていくと興味深いことの多い作品だと思います。
サムとイーロンとマイカの選ぶ道
『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』の主人公は、サム・ウォールデン。まだ若い彼女は、自分の父親であり、偉大な研究者で、エクソダス計画が始動した時も最後まで「地球は再び復活する」と信じていた人物…ハリー・ウォールデン博士&その妻(サムの母)とともに地球に残って研究を続けていました。しかし、実際は、ハリーは地球の復活という希望を失い、その失意のままに妻のあとを追うように死んでいたのでした。本作開始の時点でサムはハリー博士が生きていると周囲には見せながら、孤独に研究(品種改良でミツバチを毒性のある大気に順応させる実験)に腐心する日々。
一方で、サムが好意を寄せている相手であるイーロンはすでにイオで暮らしており、地球の再生はできないと諦めて、イオの火山エネルギーを利用した新世界探査船に乗船して新しい開拓に向かってしまいます。帰ってくるのは何十年と先。もちろん、危険もたくさんで、帰ってこれないかもしれない。でも、この場所にいたいとは思っておらず、もっと理想的な新天地があると夢見ている…。
好きな人にも見捨てられる形で、完全に孤立するサム。研究を積み重ねてきたハチも嵐で消えてしまい、ラボもボロボロ。
その状況でフラッと文字どおり舞い降りてきたのが、マイカという男。気球で移動する彼は、ハリー博士に会いに来ましたが、死んでいることが発覚。サムに、一緒に最後のエクソダス宇宙船に乗って地球を出ようと提案します。妻を見殺しにしてしまったことを後悔するマイカにとって、サムは唯一の救えそうな存在。
ところが二人が乗ろうとしていたエクソダスシャトルは欠航が決まり、別の地点に変更。そこまでの燃料がないために焦っていると、街に燃料があるとサムが提案。二人が街へ行き、サムだけ別行動で行きたかった美術館へ。そこでライターの火を確認し、地球の大気が大丈夫であることを信じ、意を決したようにヘルメットマスクをマイカの前で外したサム。
最後は、宇宙船に乗るために気球で発つマイカと、地球に残ることにしたサムのメッセージ。マスクも身につけずに浜辺に立つサムと、その隣には子ども。私たちは待っている…そう言葉を残して。
サムはどうやって生き延びたのか。子どもの親は? そんな理屈的なことは本作に関しては深くツッコんではいけないかな。先にも言ったように、神話的な物語ですから。
ちなみに邦題の「地球上最後の少女」についてはさすがに言いすぎな気もしますが、まあ、言わんとしたいことはわかるし、“アダムとイヴ”的なテーマ的空気感とサバイバル系のジャンルっぽさ(そんな要素はないけど)を出したかったのでしょう。
神の誘惑を拒む
『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』の始まりから終わりまでたいして劇的な展開もないため、非常に淡々としていますし、主軸となるのはほぼサムの葛藤…地球に残るか、残らないかです。
サムと数少ない他の登場キャラクターの関係性を見ていると、サムの心理がわかるような気がします。彼女は衛星みたいな存在です。最初は父親の周囲をくるくる回っていたサムが、父の亡き後はイオにいるイーロンの周囲を回り始め、続いてイーロンに捨てられた後はマイカに近づいて回ることにしかけますが、最後は自ら地球に残る(=衛星ではなく、母なる大地の惑星として生きる)決断をする。
もうひとつ作中で印象的に登場するのが「ギリシャ神話」を示す存在の数々。「イオ」もそうですし、美術館に興味を持つサムが見つける「アガメムノン」や「レダと白鳥」。また、コレッジョというルネサンス期のイタリアの画家は、「レダと白鳥」の絵の他にも、「Jupiter and Io」という完全に本作の邦題まんまの絵を描いています。ちなみにサムが終盤の美術館で見ていた絵はセザンヌの「レダと白鳥」。
このギリシャ神話の特徴は、略奪やレイプといった現代人の倫理観で言えば「それどうなの?」と思うような関係性で成り立つ男女観。多くの場合、男の神に誘惑されて、結構雑に扱われる女性が登場します。とくに衛星「イオ」の名の由来となった「イオ(イーオー)」は、ゼウスの愛人となり、存在をバレないようにゼウスに牝牛に姿を変えられて各地を彷徨うという、かなり可哀想な立場です。そんなイオはやがてエジプトにたどり着き、そこで子孫が繁栄していきます。これは先にも説明した「エクソダス計画」の“エクソダス(出エジプト記)”と関連させると、本作の物語を示すように深く結びつきます。
作中ではまさにサムは誘惑を乗り越えて、母なる大地に残り、子孫を成すようなラストなのですから。
サムは最後に父の好きだった「T・S・エリオット」の詩を紹介します。「全ての探求の目的地は、探求を始めた出発点を、新しく知ることである」…地球の魅力をあらためて知ったサム。
愛国心や信仰心も良いですが、たまに私たち全員の故郷であるこの星の素晴らしさを実感するのもいいんじゃないですか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 30% Audience –%
IMDb
4.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 4/10 ★★★★
(C)Netflix
以上、『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』の感想でした。
IO (2019) [Japanese Review] 『ユピテルとイオ 地球上最後の少女』考察・評価レビュー