ヘイリー・スタインフェルドがエミリ・ディキンスンを熱演…「Apple TV+」ドラマシリーズ『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2019年~2021年)
シーズン1:2019年にApple TV+で配信
シーズン2:2021年にApple TV+で配信
シーズン3:2021年にApple TV+で配信
原案:アリーナ・スミス
性描写 恋愛描写
ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱
でぃきんすん わかきじょせいしじんのゆううつ
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』あらすじ
1830年、アメリカのマサチューセッツ州。アマーストという町に誕生したエミリ・ディキンスンは、政治や教育の世界で有名な家庭で育ち、経済的には不便をしているわけではない。しかし、彼女は時代になじめない新進気鋭の詩人でもあり、その創作意欲は他者に理解されていなかった。性差別、恋愛や結婚の規範、友人関係、家族関係、そしてキャリア。さまざまなものがエミリの心を憂鬱にさせていく。
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』感想(ネタバレなし)
詩をバカにするなかれ
大統領執務室にダイエットコーラを運んでもらうための呼び出しボタンを設置していたアメリカ前大統領が去った2021年1月20日、ワシントンでジョー・バイデンの大統領就任式が開催されました。
この歴史的なイベントで話題になった人は2人います。ひとりは温かそうなミトン手袋を身に着けて座るバーニー・サンダース上院議員。そしてもうひとりが新時代を象徴するパワフルな詩を朗読して聴衆を虜にさせた22歳という若さの詩人のアマンダ・ゴーマンです。
詩(ポエム)というのはときに小馬鹿にするために持ち出されます。相手の発言を「ポエムかよ」と嘲笑するなど…。しかし、このアマンダ・ゴーマンが示してくれたように、詩というものはどんな政治家の施策よりも雄弁で、音楽や映画よりも人を感動させることがあります。ただ言葉が並んでいるだけなのに…。あらためて詩の価値を再発見する出来事でした。
今回紹介するドラマシリーズもそんな詩を生み出した偉人の物語です。それが本作『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』。
本作はタイトルにあるとおり、あの有名な詩人「エミリ・ディキンスン(エミリー・ディキンソン)」を主人公にした作品です。エミリ・ディキンスンは1830年に生まれたアメリカ人でしたが、今や世界の文学史上で最も評価される詩人のひとりとして不動の存在です。当然、彼女を取り扱った関連書籍や研究文献は山ほどあります。
しかし、その著名性のわりには実は本人のことはほとんど知られていません。死後に見つかった大量の詩が主な彼女を知るうえでの情報の欠片です。
そんな中、この『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』はエミリ・ディキンスンの伝記…とは簡単に呼べないくらい、あまりにも大胆でエッジの効いた映像化を実現しています。もともと真実がよくわかっていない人物だからこそ、これほどの脚色をできたのでしょうけど、にしてはかなりのアバンギャルド。
ネタバレにならない程度にサラっと説明すると…。
まず、本作ではエミリ・ディキンスンは詩人としてわりと周囲には公になっています。実際は友人も家族も知らず、生前は仮名でほんのわずかだけ詩を発表しただけで、ほとんどは死後に妹が詩を発見して知られるようになりました。たぶん完全に無名だとさすがに物語が地味で味気ないと思ったのでしょう。その代わり、本作はエミリが女性として詩人になれるのかというフェミニズム的なキャリアの物語として思う存分に構成できるようになりました。
さらに、エミリは史実では独身だったのですが、交際関係については諸説ありました。中には友人と同性愛関係にあったという説もあるくらい。そして、本作ではこの同性愛説も採用し、エミリを堂々とクィア的に描いています。
また、全体がかなり現代的な語り口にもなっており、なかなかにトリッキーな演出も多数。歴史的な正確性にあえて縛られない自由スタイルです。ノリとしてはほぼ現代の学園青春ドラマと変わりません。
むしろ今の時代はこれくらいやらないとこの古風な舞台の物語はZ世代の若者にはウケないってことですかね。『EMMA エマ』とか他の作品もそうですが、これは完全にトレンドですね。
なので人によってはこんな映像化は冒涜だと受け入れられない人もいるかもです。でも私は、現代的価値観にアップデートされたというよりはまさに現代がディキンスンに追いついたのではないかという気さえしてくるなとも。こういう過去の人物と現代の時代性が調和するのは興味深いです。
そんな現代にも通じるエミリ・ディキンスンを熱演するのが、『スウィート17モンスター』『バンブルビー』などで活躍し、今度はMCUドラマの『ホークアイ』でも抜擢されている、絶好調の“ヘイリー・スタインフェルド”です。この『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』も“ヘイリー・スタインフェルド”らしさ全開ですのでファンも大満足でしょう。
共演は、『アンブレイカブル・キミー・シュミット』の“ジェーン・クラコウスキー”、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の“アンナ・バリシニコフ”、『アナと世界の終わり』の“エラ・ハント”など。
原案&脚本を手がけるのは“アリーナ・スミス”。エピソード監督は、『ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた』の“デヴィッド・ゴードン・グリーン”、『トランスペアレント』の“サイラス・ハワード”や“ステイシー・パッソン”、『不都合な自由』の“リン・シェルトン”(2020年に亡くなりました)など。
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』は「Apple TV+」のオリジナルドラマシリーズ。1話30分と観やすいです。「Apple TV+」を利用し始めたら真っ先に観たいドラマシリーズのひとつです。
オススメ度のチェック
ひとり | :愛やキャリアを見つめ直す |
友人 | :Apple TV+に誘う? |
恋人 | :恋愛観や結婚観を語ろう |
キッズ | :ティーンならオススメ |
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):悲劇的なことに私は女だった
朝の4時、頭に浮かんできた詩のイメージを文字にしようと自室で机に向かっているのはエミリ・ディキンスンです。しかし、その貴重な創作の時間はすぐに邪魔されます。ドアをノックしたのは妹のラヴィニア(ヴィニー)。水くみを頼まれます。「オースティンは?」と兄の名を出しますが「男の子だもの」と一言。「やってられない」…エミリは女としての自分に課せられた理不尽さに悪態をつきます。
ディキンスン家はアマーストでは最も有名な家柄。家も裕福で、父のエドワード ・ディキンスンは法律の仕事。母(名前は同じエミリ)はお手本のような良妻。でも家にメイドはいません。「あなたもいつかいい主婦になる」と母は純粋に信じています。
ある日、オースティンと文芸部で一緒のジョージが訪ねてきます。エミリにとっては顔なじみなので彼女は気楽に横柄に椅子に座ります。2人で外で話すことに。エミリは「私は結婚しない、目標は偉大な詩人になることで、夫は妨げになる」と断固主張。一方でジョージはエミリに熱心に求婚してきます。しかし、エミリは「私には相手はいる、死よ」と自分の世界を崩しません。
兄のオースティンは逆でした。スー(スーザン)にプロポーズしたと報告してきたのです。「私の親友なのに!」とエミリはショックを隠せません。
けれどもオースティンの未来設計も父に阻まれます。デトロイトに行く計画でしたが、父はそれを許さずに法律事務所を継いで隣に住めと命令。
そんな中、果樹園でスーと会うエミリ。「2人で結婚せずに詩人になろうと約束したのに」と訴えますが、スーは「私はもう身寄りもなくて結婚しないと死んでしまう」と切実。「兄よりも私を愛して」と約束し、2人は人知れずキスを交わします。
エミリは食事の席で詩が大学の文芸紙に掲載されると口にしました。父はかつてないほどに激昂。「女性がおおっぴらにものを書くなど絶対に認めん」と言い放ち、「ディキンスンの名に泥を!」「一族の200年の歴史の恥」「ちゃんと家事だけをしてろ」と言葉を浴びせまくり、エミリは黙って耐えるしかなく…。
父はエミリに結婚しろと要求することはしませんが、男と女は別物であるという認識は根深い人間でした。
その日の夜、父が部屋にやってきます。「お前を失いたくない」と涙する父。「どこにも行かないと約束してくれ」と言われ、その代わりで私にも約束をしてほしいとエミリも要求。
「メイドを雇って」
家事に追われることは減り、エミリの詩人としての時間は充実。こうしてエミリはまた創作の世界へと自由気ままに彷徨っていくことに…。
シーズン1:女はわきまえて、つつましく?
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』は前述したようにとにかくイマドキなアレンジが遠慮なく投入された一作です。
主人公となるエミリ・ディキンスンなんて、そこらへんにいるちょっとイタイ10代の少女にしか見えないですもんね。完全に『スウィート17モンスター』と一致(友人が兄と関係を持つとこまで同じ)。そしてこういう役をやらせると“ヘイリー・スタインフェルド”はハマるハマる。男装してはしゃぐ姿とか、実に楽しそうです。
ただ、本作はコミカルなシーンも多めですが、それでも芯にあるのは「女はなぜ自由に生きられないのか」というフェミニズムなテーマです。
シーズン1では恋愛伴侶規範との向き合い方の問題提示が目立っていました。そもそもエミリは社会の規範なんてなければおそらくきっとスーと付き合っていたでしょう(結婚したいと明言していました)。でもそれは到底できない。そこで誰とも結婚しないという選択をします。もはや意地です。
ところが父の助手であるベン(ベンジャミン)・ニュートンという男性が現れます。彼は「結婚なんて古臭い」と呟き、男と女は必ず結婚がゴールではなく別のかたちで一緒になれるのではという可能性を提示してくれます。しかも詩の才能を褒めて純粋に応援してくれる。エミリにとっては理想的です。やがては「私と結婚しないでくれる?」「これで僕らは夫でも妻でもない」という一風変わったアンチ・プロポーズを交わすまでに。
このベンは実際にいた人物ですが、エミリとこんな関係だったのかは定かではありません。作中の彼は見ようによってはアセクシュアル&アロマンティックなキャラクターとも解釈でき、これは『やがて君になる』の感想でも指摘したように、女性の同性愛者に都合のいい“A-spec男性フレンド”とも言えるかもしれません。
恋愛伴侶規範を脱しようという物語は個人的には大歓迎ですが、結局は“A-spec男性フレンド”は都合よく消費されるだけですし、作中でも結核で死んでしまいますから、いささかモヤっとはするんですけどね…。
私が本作で結構気に入っているのは妹のラヴィニアです。彼女は当初は結婚願望が強く、あえてステレオタイプを求めるこっちはこっちでイタイ女子なんですが、しだいに独立心を強め、エミリとは異なるフェミニストへと進み始めます。ジョセフに裸の絵を流出させられるくだりとか、要は今でいうセクスティング騒動ですが、それすらも自分の身体を恥じないというボディポジティブを見い出していく。ラヴィニアはこういう方向性で設定したのは本作の一番の正解だったんじゃないかな、と。何よりラヴィニアは史実でもエミリの詩人としての存在に最初に気づいて世に広める人間ですからね。
それにしてもシーズン1から演出が斬新でした。“ビリー・アイリッシュ”の「bury a friend」が流れたかと思えば、「死」と会話したり(演じているのはラッパーの“ウィズ・カリファ”で、これがキマってる)、ハチとだってお喋りする(声を演じるのはコメディアンの“ジェイソン・マンツォーカス”)。こういう奇抜演出がところどころ入るので本作は飽きないですね。
シーズン2:“誰でもない”のは嫌
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』のシーズン2ではいよいよ詩人として覚悟を決めたエミリの物語が始まります。スーとオースティンの結婚以降はますます資料が乏しいということもあり、アレンジはさらに遠慮なしになっていました。これはこれで吹っ切れて面白いと思いますけどね。
女性の詩人は「変人・奇人」としてサーカスの見世物に…というシーズン1で描かれたプレッシャーからは解放されましたが、今度は具体的にどうキャリアアップできるのかという問題に直面。
そこで時代的な社会の変化が関係してきます。ひとつはメディアの発達。新聞の普及でキャリアを獲得するには報道されることが何よりの近道に。そこでメディア王と称されるサム(サミュエル)・ボウルズと親交を深め、しだいにそれがキャリアへの欲求なのか、彼への愛なのか混乱していきます。このあたりは女性がキャリアを得ることのハードルがそのまま映し出されており(例えば男と寝たんだろうと噂されやすいとか)、すごく共感性の増す内容になっていました。
一方でスーはセレブ文化に乗り遅れまいと必死になっており、一種のインフルエンサーになろうとする人たちが渦巻くSNS界でよく見る光景と同じ。こういうムーブメントは2つ目の変化です。
2人に共通するのは「名声」は女性を破壊するのか否かということ。「無名」は嫌ですし、安易な「つつましい良妻賢母」で終わりたくないけど、でも名声自体にも毒がある。何とも困った問題です。
他にも未亡人で赤ん坊を育てることになったジェーンや、老いの中で旧来の女性としての価値を失っていることに危機感を抱くディキンスン夫人、さらに流産で心を病むメアリーなど、多様な女性の苦しみが描かれており、シーズン2ではカバー範囲が広がった感じです。
そんな中、人種問題も描かれており、ヘンリーたち黒人の苦悩は際立ちます。エミリはやはり相対的には裕福な家庭ですから、悩んでいるとはいえ…。本作のアフリカ系アメリカ人の描写はまだまだ弱いと思いますが、今後は南北戦争に突入しますし、もっと避けられなくなるでしょう。それよりもアジア系の描写の気楽さの方が気になる…。
斬新な演出はシーズン2でも健在。シーズン1ではルイーザ・メイ・オルコットが登場しましたが、今回はまさかのエドガー・アラン・ポー。そのせいかミステリーホラーな要素もありました。
ラストはスーとの熱い愛の交わりで終わってましたけど、今後はスーとのレズビアン・ロマンスはどこに着地させるのでしょうかね。
まだまだこの大胆な映像化を見逃せません。
シーズン3:未来へ漕ぎ出す
『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』のシーズン3は、南北戦争の時代となり、社会全体は暗い空気が漂っています。死神も鬱になるくらいに…。アメリカが2つに分断された時代ということで、ドナルド・トランプ大統領以降の世相を重なるような意図でしょうか。黒人部隊を描くなどホワイト一色にならない物語の目配せも感じます。
そんな中でエミリはこの戦時中に詩に何ができるのかと自問自答し、悩んでいきます。しかも、家族も内戦状態に陥ります。オースティンは遊び惚けるようになり、スーは妊娠・出産・育児とストレス過多で不安になり…。妹のラヴィニアは「戦争で私の未来の夫候補が大勢死んでいる!」と絶望モードに浸っていて今回も笑わせてくれます(史実では未婚のまま生涯を終えるんだよ…なんかごめんね…)。
エミリとスーとの関係はシーズン3ではやや倦怠期に入った夫婦関係と同じような感じになっていました。ちゃんと愛で答えてくれないエミリにスーは不満をもらし、エミリもエミリで子育てとかには全然興味ないので詩に集中したいけど…という。
そんな女2人の膠着した関係性の打破のきっかけとなるのが、まさかの未来へのタイムスリップ。1955年にラヴィニアと迷い込んでしまい、そこで資料館みたいに保存されている自分の家で出会ったのはシルヴィア・プラス(実在の詩人で、作中でぽろっと言ってましたけど鬱病が酷く、最期は自殺するのですが、本作ではやけにあっけらかんとした姿で描かれていて面白かった)。自分が孤独な女性として世間に認識されていて、レズビアンなんて噂もあったけど…と、未来アウティングされるくだりのシュールさ。
今回の史実からの登場人物枠は、シルヴィア・プラス以外にも、ウォルト・ホイットマンがでてきたり、さらにはソジャーナ・トゥルースという奴隷解放活動家までピックアップしてきたり…。
そしてついに登場。トーマス・ウェントワース・ヒギンソンです。エミリの詩人としての功績を残すうえで大きな貢献をした人物であり、そんな彼がエミリの詩を強く称賛するその真っ直ぐな言葉。エミリは嬉しかっただろうな…。生まれる時代を間違えた女性、でも評価してくれる人はいた。未来は良いものに変えてよね!というエミリの切実な訴えが現代を生きる私たちに突き刺さります。
今回のシーズン3で『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』は終わりです。史実ではエミリ・ディキンスンは1886年5月15日に55歳で亡くなりました(死因は腎臓炎とされる)。ラヴィニアとオースティンによって丁寧に葬儀が行われました。
実在の若き詩人女性をこれほどまでに大胆にアレンジしてみせた本作。「こういうのもあり!」とこのドラマが示してみせたことで、今後の同様の伝記ドラマの自由度も結構上がったんじゃないでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 75% Audience 90%
S2: Tomatometer 100% Audience 82%
S3: Tomatometer 100% Audience 98%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Apple
以上、『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』の感想でした。
Dickinson (2019) [Japanese Review] 『ディキンスン 若き女性詩人の憂鬱』考察・評価レビュー