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『片袖の魚』感想(ネタバレ)…日本のトランスジェンダー映画史の流れを変える

片袖の魚

日本のトランスジェンダー映画史の流れを変える…映画『片袖の魚』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:片袖の魚
製作国:日本(2021年)
日本公開日:2021年7月10日
監督:東海林毅
LGBTQ差別描写

片袖の魚

かたそでのさかな
片袖の魚

『片袖の魚』あらすじ

新谷ひかりは、実直に働く真面目な女性だったが、ときおり周囲との間に言葉にできない壁を感じることもある。それでも自分のことを理解してくれている友人や上司、同僚たちに恵まれ、東京で一人暮らしを送っていた。そんなある日、出張で故郷の街を訪れることになったひかりは、高校時代の同級生・久田敬に現在の自分の姿を見て欲しいと考え、不安がいろいろと頭をよぎりつつも勇気を出して連絡するが…。

『片袖の魚』感想(ネタバレなし)

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このままではダメだ…と

「どうしてトランスジェンダーの役はトランスジェンダー当事者じゃないとダメなんですか? 別に誰が演じようと上手い人が演じればそれでいいじゃないですか。役者ってそういうものでしょう?」

この質問はしばらくずっと付きまとってくるのかもしれないと、私も映画好きとしてこの界隈に浸っている立場にあると、そう覚悟してしまう。それくらいにこの言葉はしつこく聞かれます。

その不遜な問いについて私がああだこうだと説明するつもりはありませんし、すでに『トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして』という素晴らしいドキュメンタリーがあり、それに関して当事者がこれ以上ないくらいにわかりやすく解説しているので、これをオススメしておこう…というのが最近の日本のLGBTQ界隈の常識人の間で定式となりつつある対応なのですが…。

まあ、ただなんというか、そのドキュメンタリーありきなのもいかがなものかと最近は思うし…。

冒頭の質問に関して、トランスジェンダー当事者だって「トランスジェンダーの役はトランスジェンダー当事者じゃないと絶対にダメ」とは強く主張しないと思うのですが、論点はそこではなく、やはりその意見が平然と出てきてしまう言動の背景にあって…。つまり、「トランスジェンダーの役はトランスジェンダー当事者じゃなくてもいいでしょ?」なんて言っちゃう人は、トランスジェンダーが社会で受ける差別や偏見の構造を根本的に理解していないじゃないかという証左になる。だから「ちょっとちょっと…」とその言葉を制止されるわけで…。

日本では2020年にトランスジェンダーではない男性俳優がトランスジェンダー女性を演じた『ミッドナイトスワン』が話題作となり、この問題意識をあらためて突きつけることになりました。その詳細な批判点などは以下のメディア記事を参考にしてもらうとして、あの映画がマジョリティ観客の間で絶賛される光景を見てしまったことでLGBTQ表象にそれなりに意識のある人たちの間で「あ、これはやっぱりダメだ」と危機感が確定したのだと思います。この流れのままだと大変なことになるぞ…と。

事実、今の日本社会のトランスフォビアは凄まじく酷いもので、年々バッシングは過激になっている気もします。この私にさえもトランスフォビアなコメントが飛んできたりしますからね。

こんなありさまである以上、映画におけるトランスジェンダー表象も「ただの娯楽」ではとてもじゃないですけど片付けられません。前述した『ミッドなんちゃら』を始め、既存のトランスジェンダーっぽい人が登場する邦画はほとんどがトランスジェンダーではなく“異性装演技”にとどまっており、こうしたイメージが現実社会のトランスフォビアを助長しているのは否定しようがないでしょう。

そんな中、こうした日本映画界の誤ったトランスジェンダー表象の氾濫に果敢に抵抗するような一作が2021年に登場しました。それが本作『片袖の魚』です。

『片袖の魚』は約34分の短編映画なのですが、公開時から話題となり、少ない上映規模にもかかわらず観客を集めました。

この映画の特色は何と言っても、主人公のトランスジェンダー女性の役をトランスジェンダー女性当事者に演じてもらっているということ。演じているのはモデルなど多方面で活躍する“イシヅカユウ”で、本格的な演技も初めてなくらいで映画初出演。もちろんこの「当事者が演じた」ことを売りにするというのは、当人にとってもあまり素直に喜んでいいのか悩むような虚しい話ではあります。でもそれが今の日本の映画界の現実として希少なのは紛れもないことです。

また、『片袖の魚』はそれだけでなく、製作の初期段階からトランスジェンダー当事者で専門性を持つ活動家の人たちに脚本監修に関わってもらったそうで、とても専門的見地を反映した作りとなっています(以下のメディア記事を参照)。これも今の日本映画界では非常に稀有です(後付けの監修チェック程度なら他にもありましたが製作初期の時点で密接に関わる作品は珍しい)。

監督は、これまで『喧嘩番長』シリーズなどVシネマに関わってきた“東海林毅”。“東海林毅”監督は本人もバイセクシュアル当事者ということで、最近では『老ナルキソス』などジェンダーやLGBTQをテーマにした創作を多数手がけ、政治的・社会的観点からの問題意識を持って積極的に発信しているクリエイターです(以下のメディア記事を参照)。

つまり、制作体制や布陣からして『片袖の魚』は小規模短編映画ながら実のところハリウッド的なクィア主体型のクリエイティブ・システムに限りなく近いものになっているんですね(予算とかは全然違うけど)。こういうことが日本でもできますよというデモンストレーション的な立ち位置すらも感じる。“できない”のではない、“やろうとしていなかった”のだ…と。

こんな映画に2021年に日本の映画館で出会えるというのは本当に大切です。

『片袖の魚』は日本のトランスジェンダー映画史の流れを変えようとする小さな魚ですが、この小さな存在を待っていた人はいっぱいいるはずですから。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:題材に関心がある人に
友人 3.5:素直に語り合える人と
恋人 3.5:信頼できる相手と
キッズ 3.5:興味があるなら
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『片袖の魚』予告動画

↓ここからネタバレが含まれます↓

『片袖の魚』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):水槽の中の私

「あなたが誰かのものになっていく。触れることもせず祈るように見つめる私。彼らの暮らす水槽はあまりに澄んでいたから」

水槽をたくさんの種類の熱帯魚が泳いでいます。その水槽の水草を手入れするひとりの人。専門業者から派遣されてきた新谷ひかりです。そこに男性がやってきて、ひかりは水槽の魚たちについて説明し、健康状態を伝えます。

その会話の終わりに「お手洗い貸してもらっていいですか」とひかりが聞くと、その男性が少し戸惑ったような間を挟みつつ「2階に“誰でもトイレ”があるんで使ってください」と言って…。

会社に戻るひかり。同僚と「ネオンテトラってやっぱりデリケートなんですかね?」「完璧な水槽なんてないし…」と雑談をしていると、「新谷さん、ちょっといい? どう、外回りはもう慣れた? 向き不向きがあると思うから合わなかったらいってね」と上司から話しかけられ、日帰りの仕事として今度は見積もりをお願いされます。それを耳にした同僚は「そういえばひかり、地元そこらへんじゃなかったっけ」と発言。

帰宅。ひかりは学校時代のアルバムを開き、久田敬という男子生徒の写真を見つめます。サッカー部のその男子。その下にはぐしゃぐしゃに傷つけられて顔が判断できない新谷光輝という男子生徒の写真もあって…。

行きつけのバーで、ひかりはその店を切り盛りしている知り合いの女性に事情を話します。「へ~、同級生? めっちゃエモい。向こうは今のひかりのこと知っているの?」「たぶん知っていると思う」

ひかりはその久田敬が好きでしたが当然想いを伝えられていません。もしかしたら次の仕事で会えるかもしれないですが、今の自分を見られるのは…。

「だって女の人が好きだし」と躊躇するひかりに、友人は「あんたも女でしょ」と一言。

ひかりのスマホが鳴り、「あ、光輝?」と電話から懐かしい声が。ひかりはすぐに声を低くして「久しぶり」と返事。仕事の話をしながら「お前もたまには地元に顔を出せよ、いろいろ大変なんだろう、噂になってるぞ」と言ってくる久田敬に対して、仕事でそっちにいくことを伝えます。すると向こうも乗り気になり、会おうという約束までできました。

ついに仕事の日。スーツ姿で水槽の見積もりをします。クマノミをオススメし、「不思議な魚なんです」とその雄から雌に変わる生態を説明すると、相手の人は「変な魚だね」と言った後、おもむろに「もしかして新谷さんは男性?」と質問してきます。それに「体は男性なんですけど心は女性で…」と淡々と答えるひかり。

そして久田敬と会う時間になって…。

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トランスジェンダーは演技ではない

『片袖の魚』は「なぜトランスジェンダーの役はトランスジェンダー当事者じゃないとダメなのか」という問いへのひとつの答え合わせのような作品です。

シスジェンダーの俳優が異性を演じたマジョリティな日本のトランスジェンダー映画では、俳優にとってトランスジェンダーを演じることが演技力を試される好都合な課題となります。自分は異性になりきれるのか…ということです。

一方、『片袖の魚』では主演する“イシヅカユウ”は少なくともトランスジェンダー女性自体を演じる必要はありません。それはシスジェンダー女性が女性を演じる必要がないのと同じ。そのぶん“イシヅカユウ”は「ひかり」という登場人物を演じることに専念できます。これが何よりも本質的な違いです。

もちろん役者としての経験値は乏しいでしょうし、演技力という点では足りない部分もあるでしょうが、そもそもトランスジェンダーを演じるのに演技力なんていらない。それよりも登場人物を演じるのに演技力を求められる。この当然の構図がある作品は多くのマジョリティな日本のトランスジェンダー映画にはなかったものだと思います。

そして作中ではひかりは何度もマイクロアグレッション的な無意識の差別や偏見に晒されるのですが、ここでも当事者が演じているからこその残酷性があるわけで…。これがシスジェンダー俳優の演技だったら、根本的に作品自体が差別加害の側面を内包してしまい、自己矛盾を生じさせますからね。どんなに作品が正しいことを訴えても説得力がないみたいに…。

『片袖の魚』はまさにそうですが、差別に真摯に向き合う作品であればあるほど、トランスジェンダーの役はトランスジェンダー当事者でなければいけないという必然性が明白になるのではないでしょうか。

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加害者的側面を突きつけるクマノミ

『片袖の魚』は短い時間の中にトランスジェンダー当事者が社会で受ける息苦しさがそのまま描かれており、とてもポリティカルな作品でもあります。つまり、聞こえのいい多様性メッセージで終わるのではなく、社会や個人の加害者的側面を突きつけることに躊躇っていません

とくに終盤のサッカー部たちが集まる飲み会の席。あそこはこれまでの「対個人」から「対集団」、もっと言えば「対社会」的な差別を可視化しており、一番えげつないトランスフォーブな有象無象です。“東海林毅”監督は『ホモソーシャルダンス』でも文字どおり男集団の有害性を直視させる創作パワーを発揮していましたが、『片袖の魚』でもそこは容赦なく問題視する姿勢を貫いています。やっぱり日本社会の歪みは飲み会で露骨に発揮されるものなんだな、と。

そんなポリティカルなリアル描写の傍ら、『片袖の魚』は抽象的な表現の差し込み方も丁寧で、最も効果的に活用されているのは、水槽と魚たち、とくにクマノミです。

作中で説明にあるとおり、クマノミは性転換をします。なのでトランスジェンダーであるひかりと重ね合わせつつ、水槽を社会に見立てて、その理想と現実を構築することの難しさを醸し出す。シンプルながらわかりやすい演出でした。

誤解がないように補足しておきますが、クマノミなどにみられる「性転換」と、私たち人間社会にみられる「トランスジェンダー」は現象として全く別のものです。クマノミは「隣接的雌雄同体(sequential hermaphroditism)」と呼ばれ、具体的には「雄性先熟(protandry)」であり、生理的メカニズムで生物学的性別を根本から変化させます。一方のトランスジェンダーはあくまで性自認(ジェンダー・アイデンティティ)に基づきます。クマノミはトランスジェンダーではありません。
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日本も映画でプライドを取り戻したい

『片袖の魚』は最終的には「失恋」の話に行き着きますが、同時にひかりというこの日本社会でちっぽけに生きる存在が、しっかりと「トランスフォビアに付き合ってられるか!」と宣言し、自立していくそんな一歩を描く物語でした。

このあたりの構成は、同じくトランスジェンダー女性の主人公に当事者を起用して世界的に高評価を受けた『ナチュラルウーマン』と同じようなものです。

『片袖の魚』はそんな海外映画のトップクラスと比べると匹敵するクオリティとはいかない部分もありますが、日本映画はそもそもクオリティ以前に解像度が粗かったり、焦点をあてる方向自体がズレていたりしたので、この『片袖の魚』はプライドを取り戻すという当事者主体の映画としてとても真っ当な作りを見せてくれただけでも意義があります

あとは日本映画界がこの『片袖の魚』が切り開いた道に気づいてほしいものです。同じくLGBTQを描いた短編の『カランコエの花』といい、日本ではたびたび良質な短編が話題になります。それだけそんな作品を求める観客が存在するということの証です。もうマジョリティな監督と俳優がマジョリティな観客を満足させるためにLGBTQを消費するのはうんざりなのです。“お通しめっちゃ食べる”どころじゃない、私たち当事者はフルコースなバイキングでも食べ尽くしたいくらいに表象に飢えてますよ。

『片袖の魚』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
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作品ポスター・画像 (C)2021 みのむしフィルム かたそでのさかな

以上、『片袖の魚』の感想でした。

The Fish with One Sleeve (2021) [Japanese Review] 『片袖の魚』考察・評価レビュー