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アニメ『やがて君になる』感想(ネタバレ)…百合傑作をアロマンティックに考察する

やがて君になる

百合傑作をアロマンティックに考察する…アニメシリーズ『やがて君になる』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Bloom Into You
製作国:日本(2018年)
シーズン1:2018年に各サービスで配信
監督:加藤誠
恋愛描写

やがて君になる

やがてきみになる
やがて君になる

『やがて君になる』あらすじ

遠見東高校の1年生である小糸侑は、誰かを特別に思う気持ちが理解できないという悩みを抱えていた。1学期のある日、部活を決められずにいる侑は偶然にも生徒会役員の七海燈子と知り合う。侑は燈子が多くの生徒から告白され、そのいずれにも心を動かされたことがないと知り、彼女に悩みを打ち明ける。しかし、その直後、侑は燈子からの突然の思わぬ言葉を受け取ることに…。

『やがて君になる』感想(ネタバレなし)

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百合漫画の覇者を見たか?

ここ最近はこの映画を中心とした私の感想ブログでも海外アニメシリーズを取り上げることが増えました。そうなってくると日本のアニメシリーズもピックアップしたいなと思うようになり、あれこれ検討した結果、現時点から過去3年くらいの間に放送&配信された中から何作かチョイスしようと…。そこまで私は日本のアニメシリーズを観る方ではないのですけど、自分なりに気になったものを選別して…。
とはいっても日本はアニメ大国。アニメシリーズの感想や批評なんて星の数もある。ということで、私は自分のジェンダーやセクシュアリティ(詳細は以下)をここでは基軸にして感想を語ることにします(これならオリジナリティがちょっとでるでしょう)。

で、今回紹介するのが本作、2018年に放送・配信された『やがて君になる』です。このアニメシリーズである『やがて君になる』をアロマンティックな視点で語りたいと思います。

本作(愛称は「やが君」)は“仲谷鳰”による漫画が原作。そして本作はいわゆる「百合」と呼ばれるジャンルになります。

「百合」は辞書的に用語説明するなら「女性同士の恋愛」を指すものです。ただそれが意味する範囲は想像以上に広く、とても一言では述べられません。真っ向から同性愛(レズビアン)を描くものもあれば、友達以上恋人未満な関係性を描くものもあるし、ただ女の子同士が和気あいあいと戯れているだけでも百合と言ったりすることも(どちらにせよ男性は極力排除されるというのが共通なのかもしれない)。性別が反転したものは「BL(ボーイズラブ)」と言われますが、「百合」はカバー範囲が全然違います。

どうしても「百合」をあまり知らない世間一般からは「百合=オタク的なコンテンツ」と思われがちですが、そういう一面を持つ作品もあるにはありますけど、実際は全てはそう言いきれません。そもそも「百合」は歴史を辿れば、1920年代から活躍した小説家「吉屋信子」などが土台を築いた「エス」と呼ばれる「少女小説」まで遡れ、れっきとした文学の流れがあります。今では女の子同士のイチャイチャを男性が見て楽しむという「男向け」みたいな印象がデカい顔をしている部分もあるにはありますが、元は「女性の女性による女性のための居場所」でした。

なのでちょっと低俗に外野から見ている人がいるかもしれませんが、それは大間違いです。まあ、私もそのへんは素人なので、専門家や批評家の百合文化の論評などをぜひとも参考にしてほしいのですが…。

そんな100年以上続く日本の百合文化。すでに海外でも認知されており、LGBTQ作品を扱う専門メディアでも「Yuri」として堂々取り上げられています。海外の場合は「日本のコンテンツ」という側面に重点が置かれているようですけど。

その百合文化の最前線、2010年代以降を先頭で突っ走っている作品のひとつが本作の原作である「やがて君になる」でした。その評価は大絶賛で、例えば「百合ナビ」が開催している「百合漫画総選挙」では第1回(2017年)から第4回(2020年)まで1位を連続獲得。原作は2015年4月に始まり、2019年9月で区切りがついたので、事実上、ずっと覇者の座にいたことに。もう百合漫画界の「ゲーム・オブ・スローンズ」なのです(この例え、違うような…)。

百合ファンという広範なコミュニティからだけではなく、同性愛者(レズビアン)というピンポイントな当事者層からの人気も高いようで、その点でも信頼を証明しています。

原作者の“仲谷鳰”にとって連載漫画としては初の本格的作品であるにもかかわらず、この高評価は文句なしに才能ですね。

その原作をアニメシリーズ化した本作は、原作の空気をそのままに反映しており、もちろんアニメ制作者の皆さんの実力もありますが、それ以上にやはり原作のパワーが凄すぎるのだろうと思います。

私も原作とアニメ双方を見たのですけど、ちょっと圧倒されますね。これは随所で指摘されていることですけど、青春学園モノでありながら、文学の大作でも読んだかのような…そんな見ごたえがあります。なんというか、こうただ女の子同士をイチャイチャさせていればいいという枠におさまらず、人と人とがどう恋愛を成していくのかという、恋愛論そのものを実に巧みなストーリーテリングで語る。文才としても素晴らしいの一言ですし、キャラクター描写としても本当に奥深く、魅入ります。

百合好きの人は当然チェックしているでしょうし、今さらなのでこんな私の感想なんて読まなくていいのですが、ぜひ百合なんていうコンテンツに触れたことのない(もしくはほとんど触れない)人に観てほしい作品です。心のどこかで「百合っていうのはさすがに…」と躊躇しているなら、騙されたと思って踏み込んでみてください。

同性愛者でも異性愛者でも、いやアセクシュアルやアロマンティックでさえも、見て損はない作品です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(百合に親しんでいない人にも)
友人 ◯(友達に紹介するのもいい)
恋人 ◎(恋愛について見つめ直せる)
キッズ ◯(恋愛モノとして推薦したい)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『やがて君になる』感想(ネタバレあり)

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「この人は、やっぱり、ズルい」

「少女漫画もラブソングの歌詞も私にはキラキラとまぶしくて、でも、どうしても届かなくて…。意味なら辞書を引かなくてもわかるけど、私のものになってはくれない」

遠見東高校の1年生である小糸侑は1学期も始まり、学校生活に慣れ始めたにも関わらず、部活を決められずにいました。気になるものはあるし、友達からいろいろ誘われますが、どうもこれだという決心がつきません。

そんなとき、先生から生徒会に勧誘されます。「部活みたいで楽しいと思うぞ」という調子のいい言葉で上手く乗せられた感じですが、「興味はあるからいいか」と気軽にまずは見てみることにしました。

雑な地図をもとに生徒会室を探す小糸侑。そこは校舎とは少し離れた場所のようです。校舎裏をうろついていると、誰か女子が男子に愛の告白をされている現場に出くわしてしまいます。

「七海さん、俺と付き合ってください!」…そう勇気を振り絞って言ったであろう男子に対して、その告白された側の女子はあっさりと断ってしまいました。けれども「むやみに自分を落とさないの」「私は誰に告白されても付き合うつもりないだけだから」と優しいフォローも一緒です。

隠れて見ていた小糸侑でしたが、男子が立ち去った後、その女子は自分に気づいていたらしく、大人しく小糸侑も姿を現します。「今の内緒にしといてね」と言われ、その女子を観察するとどうやら2年生っぽいようです。それどころか自分に関係ある人でした。

「私は生徒会の七海燈子、よろしくね」

生徒会室は少し離れた場所にある元書道室のようです。その場はそんな感じのただ何気ない出会い。

そんな経験をした後、いつも一緒の友達に「かっこいい先輩がいた」と説明する小糸侑。侑にも男か!と浮足立つ友人に「女の先輩だけど」と言い放ち、侑から恋バナなんてないかと友人は呆れ顔。友人のひとり日向朱里はバスケ部で先輩男を追いかけて入ったそうで、叶こよみは年上がいいとぼやいていました。「侑は?」と聞かれますが、「私は…どうだろう?」と言葉が出てきません。

実は小糸侑は中学の卒業式の日に告白されており、返事はまだできていません。友達にも相談していません。

小糸侑は生徒会のお手伝いとなり、生徒会メンバーの七海先輩と佐伯先輩にお茶を出します。肝心の生徒会長は滅多に現れないずぼらな人間で、ほとんどこの二人。この七海はモテるらしく、10人以上をふっているそうで、女の子にも告白されたことがあるとか。それを聞いて「へ~そんなの本当にあるんですね」と相槌を打ちます。当の七海は「興味はわかない」「だって今まで好きと言われてドキドキしたことがないもの」と言い、その言葉に小糸侑は引っかかります。この人は…私と同じなのか。

ある日、七海と二人きりになったとき、小糸侑は例の告白されている件を相談しました。「答えは決めているんです、好きです、でも断ろうと思ってます」…自分は告白されてもフワフワしないし、「どうして私と付き合いと思ったの?」と聞いたときの相手の「そんなの普通だよ」という答えにも納得がいかず…。でも大丈夫、私は他の人より羽が生えるのが遅いだけで、きっともうすぐ…そう自分に言い聞かせて…。

「私には特別って気持ちがわからないんです。七海先輩ならわかってくれるかもって」…そう言うと、七海は「大丈夫、そのままを伝えればいい、君はそのままでいいんだよ」と手を握り肯定してくれました。

無事、ちゃんと断るメッセージを送り、ほっとしますが、七海の手はまだ小糸侑の手を握っています。

「誰のことも特別に思わない?」…そう急に雰囲気の変わった七海は、小糸侑を近くに寄せ、こう告げました。

「君のこと好きになりそう」

小糸侑は頭の中で混乱します。「わからない、この人が何を言っているか、わからない」

こうして「付き合わなくてもいいから小糸侑を好きでいたい七海」と「七海を好きにならないけどその好意を受け止める小糸侑」と、なんとも言えない関係性が始まり…。

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「小糸侑」は理想の存在

『やがて君になる』でまず面白いなと思ったのは、主役である小糸侑と七海燈子の関係性

これが同性愛を自認する者同士であれば、あとはその関係性をどうやって社会の中で育んでいくかという部分にスポットがあたるのですが、そうはなっていません。なお、その点に関しては教員である箱崎理子とその恋人で同棲している児玉都の二人が脇で代弁しており、決してその視点が抜け落ちているわけでもありません。七海の親友である佐伯沙弥香の方にその要素は引き継がれている感じです。

小糸侑と七海燈子の関係性については「プラトニック」とか「ピュア」とかそんな生易しい言葉では表せません。ちょっと一言では説明しづらい複雑な糸が絡み合っており、その糸をひとつひとつ解きほぐすような過程が本作の主軸で描かれます。

小糸侑は当初「恋愛がわからない」という悩みを抱えており、それが本当に恋愛感情がないのか、はたまた好きな人に出会っていないだけなのか、モヤモヤしています。一般的には「同性同士で恋をするのはちょっと…」という異性愛規範が障害になる展開を用意しそうですけど、そうしなかったのはおそらく原作者も「同性愛が疑問視される」という要素を目立たせたくなかったのではないかなと察します。ここに原作者である“仲谷鳰”の同性愛に対する真っすぐな優しい眼差しが感じられて、安心感を与えてくれますね。

よく同性愛モノ作品まわりで残念に感じる定番の出来事として、作り手でも演者でも監督でも宣伝でも、異性愛と同性愛を天秤にかける行為を安直にやってしまうことが挙げられると思います。「これはただの同性愛じゃない」とか「普通の純愛です」とか。悪気はないのでしょうけど、でも変に相対化するくらいなら、初めからその論点を持ち出さない方がいいのであって…。

本作の主人公である小糸侑はそういう論点をいちいち取り上げないので、同性愛当事者には極めて心地いい理想的な存在ですよね。なんというか、同性愛当事者とアライ(ally;LGBTQを理解して支えてくれる人)の中間みたいな存在感だと思います。同性愛当事者だったらそのまま恋愛に発展できるかもだし、アライだったとしても身を任せられるし…。

まあ、小糸侑自身が圧倒的に頼りがいありすぎて包容力もありすぎるし、無意識な言動で七海の心にキューピッドの矢を機銃掃射してくるので、七海のような案外と防御力の低い人間はハマってしまえばひとまりもないのでしょうけど…。

結果、「好きって言われても好きって返せない私のことが好き」という何とも絶妙なバランスの関係性に着地してしまうことに…。

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恋や性別に対して素直にフラット

一方でずっとその理想におんぶ抱っこでもいられません。小糸侑には小糸侑の成長が、七海燈子には七海燈子の成長が待っています。

そのキーパーツになってくるのが叶こよみ脚本の生徒会劇。記憶喪失の少女が周囲の人から聞く自分像の食い違いに悩みながら自分を探す物語。この劇のシナリオが、実にメタ的に七海に突き刺さり、そして『やがて君になる』の本質そのものを体現しています(叶こよみ、才能ありありじゃないか…)。

交通事故で亡くなった姉の澪になろうとする自分、学校で世間に見せる優等生の自分、小糸侑にだけ見せる自分。いずれの人物性を良しとすべきか、七海は混乱しながらやがて自分を見つけていく。

そして小糸侑も七海を支えることで自分に気づいていく。この相互作用がもしかしたら、ある言い方をすれば「恋」なのかもしれない、と。「恋」と呼ぶことはそんなに重要ではないかもだけど。

そうです、別に小糸侑はアロマンティックだと自認するわけでないですけど、この作品で描かれる小糸侑側の気持ちはとても恋愛本能ありきで直球に動かないので、アロマンティックな人でも受け入れやすいのではないですかね。

本作は恋愛を、“恋人を作ることやキスすること”といったトロフィーとしてではなく、人間関係の成熟に完全に軸足を置いて丁寧に分析されていっているので、ありきたりなステレオタイプに陥ることなく、普遍的なパートナーシップとして通用するメッセージを打ち出せており、そこが幅広い人に支持される理由じゃないでしょうか。

その作品の姿勢は作中の異性愛描写にも反映されていて、例えば、日向朱里の恋であったりとか、小糸侑の姉である怜のカレシとの交際だったりとかでも感じることです。ジェンダーロールに縛られることなく、すごくナチュラルに男女をフラットに描いています。

無論、“高田憂希”や“寿美菜子”など声優陣の演技力も物語を魅力的に輝かせていました。もともと漫画でありながら非常に文学的に優れた言葉表現も多い作品で、実際にナレーションもアニメ化の際は多用されています。それをどう読み上げるか、キャラの単純ではない裏側のあるセリフをどう放つか、ひとつひとつに役者の実力がフルに試されたでしょうけど、どれも見事でしたね。ここはやはりアニメ化されて本当に良かったと思える一番のポイントでしょう。

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アロマンティックだからこその不満点

『やがて君になる』であえて私がう~んと気になった点があるとすれば、生徒会役員となる1年の男子生徒、槙聖司の立ち位置ですかね。

彼は、恋愛に興味がなく、他人の恋愛を見るだけにとどめるという、自分で「観客に徹している」と言い切るほどの人間です。

こういうキャラクターを登場させるのは、推察するに主役の二人の関係性を安易に邪魔する(もしくは読者・視聴者が邪魔されるのではと不安に思ってしまう)異性愛男性を排除しつつも、それでいて不自然でなく男性を描くための策なのだと思います。

なのでこの槙聖司はあの小糸侑と七海燈子の二人、とくに小糸侑にとってこれまたとても理想的なアライになっています。二人の関係をばらすアウティングも絶対にしないと誓ってくれますしね。「自分と同じような人と話せて安心した」と言いつつ、「君は僕とは違うと思うけどな」とメンターとしても役割をさりげなく務めることも。

別の意味で深読みすれば百合作品をマナーよく観る男性の目線の代表とも言えますが。

ただ、この槙聖司のキャラクター像は、私事ながらアロマンティックである側からの意見として言わせてもらうならかなりご都合的に受け止められる部分でもあると言わざるを得ません。

従来、異性愛ロマンスものでは同性愛キャラの友人が都合のいいサポート役として利用されてきた歴史があり、「ゲイ・フレンド」となかば皮肉込みで呼ばれてきました。しかし、同性愛ロマンスものでは今度はアロマンティックやアセクシュアルなキャラの友人が都合のいいサポート役として利用されるなら、それは「ゲイ・フレンド」と問題構造として本質的には同じです。

「アセクシュアル男性は人畜無害である」という扱い方は(とくに女性にとって)理想的な男性として安易にセッティングされがちかもしれませんが、それは偏見でしかないことは明白な事実です。

なのでどうせアロマンティックな(もしくはそう自認してなくてもそう見える)キャラを登場させるなら、もう少し描き方を考えた方がいいかなと思うということはやっぱり表明しておこうかな、と。

そんなこっちのモヤモヤも書きましたけど、私は全然『やがて君になる』、好きですけどね。小糸侑の性格が私に似ているというのもあるし、メンダコ好きでチーズケーキ好きという趣味も一致しているので、無性に親近感を感じる…。

『やがて君になる』は素晴らしい作品なのは間違いなく、2000年代以降の百合作品の金字塔として語られても全くおかしくないクオリティでした。アニメ、原作最後まで映像化してほしいなぁ…。

『やがて君になる』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 仲谷 鳰/KADOKAWA/やがて君になる製作委員会

以上、『やがて君になる』の感想でした。

Bloom Into You (2018) [Japanese Review] 『やがて君になる』考察・評価レビュー