そんな彼と信用できない街を彷徨う…「Netflix」ドラマシリーズ『エリック』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス・アメリカ(2024年)
シーズン1:2024年にNetflixで配信
原案:アビ・モーガン
セクハラ描写 自死・自傷描写 児童虐待描写 LGBTQ差別描写 人種差別描写 恋愛描写
えりっく
『エリック』物語 簡単紹介
『エリック』感想(ネタバレなし)
その街は綺麗なことばかりですか?
街の素晴らしさを伝える映像は、観光PRキャンペーンでいくらでも見れるので、もういいでしょう。何かと街というものは美化されて映されがちです。行政も企業も住民も街を綺麗にみせたいですから。
では街の醜さと言いますか、負の側面を映す役割を果たすのは何か。それはやはり映画やドラマなどの映像作品なのだと思います。
ノスタルジックに浸るだけではない、街が歴史的に辿ってきた薄暗い経過を、多角的な視点で物語に変えていく。そんなことができるかはクリエイティブな腕前しだい。
今回紹介するドラマシリーズは、そうした姿勢で陰に隠れている街の一部を彷徨わせてくれる作品です。
それが本作『エリック』。
本作は、1985年のニューヨーク・シティを舞台にしています。1980年代のニューヨークは大きく揺れ動いていた時期でした。当時のニューヨーク市長であった”エド・コッチ”は、街をクリーンにするためにジェントリフィケーションに力を入れる政策を推し進めました。
具体的には、治安改善として犯罪取り締まりを強化し、ホームレスの排除も徹底しました。インフラの再建を最優先課題とし、結果、今に繋がるビジネスと富裕層の都市への土台を作りました。
それは実績として評価されていますが(ニューヨークのイースト川に架かるクイーンズボロ橋は正式には「エド・コッチ・クイーンズボロ橋」という名称になっています)、同時に、そのニューヨークの街の影で生き抜いてきた人たちの生存権を脅かしたのも別の事実。一部の上層の豊かさのために、下層の者たちが排除される。その構造は1980年代にもそこにあったのです。
本作『エリック』はそんな1980年代のニューヨーク事情を頭の片隅に入れながら鑑賞すると良いでしょう。作中では、まさにそんな街の変化に翻弄される姿が描かれます。
貧困、人種差別、同性愛差別…当時のニューヨークで起きていたさまざまな社会問題を広く手を付けながら、この本作は進行していきます。
そんな中で、本作の主軸となるのは、子どもの行方不明事件です。ある日、9歳の少年が忽然と姿を消してしまい、その父親と母親が心配して追い詰められていきます。そして、ひとりの刑事がその事件を担当し、情報を収集していくと、思わぬ街の闇が浮かび上がってきます。
『エリック』はミステリー・サスペンスのジャンルで、基になった事件は存在しない、完全なフィクションです。ただ、「(直接的な事件の)真相はどこか?」というところに最大の観客の注目を集めるタイプというよりは、先ほどから言及しているように、当時のニューヨークの街の変化の歪みという一面に光をあてる作品ですね。
本作『エリック』のもうひとつの特徴は、失踪する子どもの父親が操り人形師(パペッティア)だということ。事件のせいで精神的に滅入っていくこの父親は、だんだんと息子が創造した架空のキャラクターが見えるようになっていきます。
この複雑な父親のキャラクターを熱演するのが、“ベネディクト・カンバーバッチ”です。『ドクター・ストレンジ』や『パワー・オブ・ザ・ドッグ』など強欲で嫌な成人男性を演じさせるとピカイチですが、今回はことさら嫌悪感を与える役なんじゃないでしょうか。でも“ベネディクト・カンバーバッチ”の名演が発揮されていて、とても味わい深く葛藤が滲みだすキャラになっています。ちなみに、本作ではエグゼクティブプロデューサーも兼任してます。
共演は、『カモン カモン』の“ギャビー・ホフマン”、ドラマ『The Passage』の“マッキンリー・ベルチャー3世”、『ファンタスティック・ビースト』シリーズの“ダン・フォグラー”、『ザ・ファイブ・ブラッズ』の“クラーク・ピータース”、ドラマ『POWER/パワー ブックII:ゴースト』の“ジェフ・ヘフナー”、『アリーケの詩』の”アデペロ・オデュイエ”など。
群像劇なので、最初は登場人物の整理が大変かもですが、役回りはハッキリ分かれているので、観ているうちにわかるでしょう。失踪した子ども、その子の親たち、刑事と警察関係者、政治家、人形劇職場の同僚、隣人、クラブの関係者、ホームレス…ざっとそんな感じの人間模様です。
本作『エリック』の原案&脚本を務めるのは、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』『SHAME シェイム』『未来を花束にして』などの脚本を手がけてきた”アビ・モーガン”。ドラマの仕事だと、『THE HOUR 裏切りのニュース』や『ザ・スプリット 離婚弁護士』があります。
『エリック』は「Netflix」独占配信のリミテッド・シリーズで全6話(1話あたり約50~55分)。一気に鑑賞してスッキリするほうが心に負担はかからないかなと思います。
なお、直接的な描写はありませんが、児童虐待的な加害行為を示唆するシーン(加えて子どもにとっての有害な家庭環境のシーン)がありますので、留意してください。
『エリック』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :社会題材に関心ある人も |
友人 | :じっくり時間あれば |
恋人 | :少し重たいけど |
キッズ | :大人のドラマです |
『エリック』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
記者会見が行われます。9歳のエドガー・アンダーソンが行方不明となって48時間。カメラのフラッシュが点滅する中、父親のヴィンセントは「エドガー、見てるか? 私が悪かった。帰っておいで」と感情を抑えながら訴えるのでした。
その48時間前…。エドガーは人形劇のスタジオのカメラの後ろにいました。照明のあたるステージでは父がカメラの撮影範囲外で人形を陽気に操っていました。父は人形師です。今は子ども向け番組「Good Day Sunshine」の撮影中。楽しそうに歌う出演者人形にエドガーも小声で合わせます。
その後の会議では雰囲気は全く変わり、視聴率減少の対応策を議論していました。打ち切りを避けるべく変化をつけようというレニー・ウィルソンの提案に、ヴィンセントは「こんなのこの番組らしくない」と厳しく反対します。会議は紛糾して終わります。エドガーはそんな様子を黙って見守りながら、人形の体毛を一部分けてもらいます。
父に連れられてスタジオを出るエドガー。電車の中でエドガーはエリックという新しい人形のアイディアを伝えますが、父は聴いていませんでした。父は車内の市民に勝手に声をつけて、エドガーに付き合わせます。アルコール店で父は買い物をし、途中で父は「競争だ」と勝手に走り出し、家に到着。家にいた母キャシーに挨拶します。
エドガーは部屋で人形創作に没頭します。父は家でも仕事の文句ばかりです。食事中、父はワインで酔いが回り、ますます饒舌に。エドガーに人形のアイディアを話せと要求。エドガーはたどたどしく説明しますが、ヴィンセントは一方的にまくしたてるだけです。母はそれを遮ります。
その後もベッドにいたエドガーの耳に入ってくるのは、父と母の激しい口喧嘩の声だけ。母は涙を浮かべながらもエドガーの就寝を見守ってくれ、人形のアイディアを褒めてくれました。
翌朝も父はエリックの声を再現してみせ、ちょっかいをやめません。また夫婦喧嘩が始まり、エドガーは自分で準備してひとり登校します。いつも家の前にいるジョージ・ラヴェットだけがその後ろ姿を目にしました。
その日、いつものスタジオにいたヴィンセントは妻から急用の電話があったようですが、仕事に集中していました。今日はリチャード・コステロ副市長が見学。ヴィンセントはアドリブで犯罪率が増えていると政治を非難するユーモアを飛ばします。撮影後、コステロと緊張感のある会話もありつつ、キャシーに電話してとしつこくメモが差し込まれますが、無視していました。
夜に帰宅すると、取り乱した妻がエドガーがいないのだと説明。事態の深刻さをやっと理解するヴィンセントでした。
ニューヨーク警察署の失踪者捜索課のマイケル・ルドロイトが家に来て、手がかりの情報を収集します。
無事を祈りますが、血の付いたエドガーの服が見つかってしまい…。
権力の堕落が街に隠れている
ここから『エリック』のネタバレありの感想本文です。
ドラマ『エリック』の感想をネタバレしながら書こうと思いますが、まあ、でも事件の真相はもういちいち説明することもしません。いまどきNetflix側が「結末の解説」を普通に記事で紹介するくらいですからね(現状、英語のみだけど)。公式がそういうことをするのが当たり前になっていることを考えると、個人の鑑賞者ができるのは、その作品の演出とか、テーマの向き合い方を、遠慮なく評価することですかね。
『エリック』は前述したように、1980年代のニューヨークの都市の構造、それも歪んだ側面がいくつも垣間見えるプロットになっています。
リチャード・コステロ副市長を中心とする行政側の汚職と不正義、ヴィンセントの父である不動産で資産を築いたロバートの高慢な思考…そうしたホワイトカラーの権力が、このニューヨークの真の暗部です。
そうした権力の堕落のせいで、警察の機能不全、クラブが裏で行っていた売春、ドラッグの蔓延…そうしたものに波及しています。
一方で、街の汚さとしてスケープゴートのようにメディアに晒されるのは、ホームレスであったり、同性愛者だったりします。つまり、社会的なマイノリティです。
今作では、良心的な刑事である黒人のマイケル・ルドロイトがクローゼットなゲイとして、当時のホモフォビアな空気を体感的にみせてくれます。異性愛者として表向きは振る舞いながら、典型的なハラスメント上司の圧に怯えつつ、自分を貫く難しさ。家では共に密かに暮らす白人のウィリアム・エリオットがおり、しかし、彼はエイズ/HIVに感染しており、帰らぬ人となってしまいます。当時のエイズ危機の恐ろしさも背景にはありました。
ルドロイトは、世間に関心さえ持たれない14歳のマーロン・ロシェルの行方不明事件も捜査することになり、マーロンの母セシル、人道的弁護士クラーク、無実の児童性犯罪の容疑で長年服役したジョージ・ラヴェットなどと触れ合いながら、黒人差別の理不尽を直視することにもなって…。
こんな感じで社会問題が盛沢山のドラマだったのですが、いかんせん全6話でまとめるにはボリュームが大きすぎてとっ散らかったところはあったと思います。
とくにホームレス(地下を生活空間するいわゆる「mole people」と呼ばれる人たち)の物語介入に関しては、ユーセフとラーヤで対立がありつつも、身代金要求や人身売買に手をつけてしまうのは、ちょっと無理があった気もする…(普通に助ける方が謝礼をもらえるのでは?)。
あと、現「ザ・ラックス」のアレックス・ゲイターが6年前にクラブ「シエラ」で児童性犯罪に集団的に関与したことが発覚し、その件の報道で小児性愛者の汚名を被ったレニー・ウィルソンも最後は身を投げてしまいますが、あの過去の事件のくだりもそんなにいらなかったのでは…。ビデオテープに映った警官不正だけでもじゅうぶんインパクトあるんだし…。
ダメな父親の捨てなかった矜持
ドラマ『エリック』の最大の見ごたえは、人形師であるヴィンセントと、その息子であるエドガーの「父子」の関係性でした。
序盤のヴィンセントの荒れっぷりは本当に見苦しくて、現実と虚構が逆転し、家庭に職場の不満の捌け口を求め、加虐的に貪欲さを剥き出しにする。あんなエゴを幼い子が目にするのはツラすぎます。こういう信用できない系の“ベネディクト・カンバーバッチ”は本当に怖い…。
子どもであるエドガーは空想に逃げ場を求め、ついに突発的な暴力を向けられて、ショックで家を出てしまいました(家出というか帰宅恐怖)。逃げ場が地下にしかもう残ってないのがあのニューヨークの限界を感じます。
その空想としての「エリック」という存在を、大人であるヴィンセントは別の形で受け止め、具現化します。このプロットの仕掛けは良かったと思います。
空想上のキャラクターが現実とリンクするというプロットは、『ブルー きみは大丈夫』など、常に定番ではあるのですが、『エリック』はそれをかなり痛々しく活用していて、都合よく慰めてくれるわけでもありません。
その仕掛けは、最終話で最高潮に達し、ヴィンセントがついにエリックの着ぐるみを自ら身に着けて、公衆の面前で恥も気にせずに自分の弱さを吐露し、誠心誠意で謝罪する。このオチがつくことでやっとヴィンセントはメンタルケアのスタートラインに立ちます。
エンディングでは、ヴィンセントはアルコール依存症の更生施設に通ったようですし、キャシーとも円満に別れ(キャシーはセバスチャンと第2の満ち足りた人生を歩み始めている)、仕事に前向きに取り組めるようになっています。ケアの物語としては筋が貫かれていました。エドガーのほうにも事後ケアはめちゃくちゃ必要だろうけど、たぶん行われたのだろうと信じて…。
それに、多くの点で醜態をみせたヴィンセントですが、ひとつだけしっかりしていたのは「芸術は権力に媚びてはいけない。弱者のためにあれ」というクリエイティブ精神です。その矜持を終始手放さないので(ラストでセントラルパークの歴史を持ち出して正当化する父にも屈しない)、このヴィンセントというキャラクターはなんとか観客に見捨てられない存在として終わりまで食らいつくことができたのかな。
とは言え、人形師の職業イメージはややダウンする作品だったのは否めないですけどね。ヴィンセントの件もあれば、レニーの件もあるし、諸々で印象を悪くしてしまったかも。閉幕のスタジオ撮影シーンで好印象を取り返すには急ぎ足だった…。
そういうときは『ジム・ヘンソン:アイディアマン』とかを見て、気分転換をしてみてください。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『エリック』の感想でした。
Eric (2024) [Japanese Review] 『エリック』考察・評価レビュー
#誘拐 #警察 #ゲイ