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『最後の追跡 Hell or High Water』感想(ネタバレ)…俺たちの真似はしないでくれ

最後の追跡

俺たちの真似はしないでくれ…映画『最後の追跡』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Hell or High Water
製作国:アメリカ(2016年)
日本では劇場未公開:2016年にNetflixで配信
監督:デヴィッド・マッケンジー
最後の追跡

さいごのついせき
最後の追跡

『最後の追跡』物語 簡単紹介

ウェスト・テキサスの砂にまみれた廃れた町。ここにチャンスはまず存在しない。離婚したばかりのトビーと、刑務所から出所したばかりのタナーは、貧しく希望のない生活から脱するために完全にその場の勢いで銀行強盗を計画する。それは富を手に入れる手段として思いつく精一杯の案だった。そんな無謀で大胆な彼らを、定年間際のテキサスレンジャーであるマーカスが淡々と長年の勘で追いつめていく。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『最後の追跡』の感想です。

『最後の追跡』感想(ネタバレなし)

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これが今のアメリカの姿

ビジネスが活気づく摩天楼のニューヨーク、華やかな観光都市のロサンゼルス、穏やかな気候のサンフランシスコ、夢のテーマパークがあるフロリダ…。

普通の日本人が真っ先に連想するアメリカのイメージはこんな感じだと思いますが、これらの都市はアメリカのほんの一部に過ぎません。アメリカは本当に広いです。広ければ当然、地域によってその風景も人々の暮らしも180度変わってきます。

アメリカの輝かしい成功を象徴するこれらの都市とは対照的に、アメリカの現実の姿を表す場所といえば、本作『最後の追跡』の舞台となるウェスト・テキサス。

あらゆる意味で時代に乗り遅れたホワイト・トラッシュ(白人の低所得者層)がたむろするこれらの地域は表舞台になることはなくても、アメリカにとって重要な場所です。最近で印象が強いのは、やはりアメリカ大統領選挙におけるトランプ勝利。この歴史的衝撃の原動力となったのは、これらの地域に住む人々でした。政治的な良し悪しの評価は置いておいて、これらの地域に暮らす人々が劣勢に立たされ、経済発展からこぼれ落ちていき、誰も助けようとしなかったのは事実。社会への不満が既存の権力者ではない新しいリーダーを求める力に繋がるのは必然。

しかし、その一方でやはり多くの人は社会への不満を抱く気力すらなく、絶望感を感じているのかもしれません。

『最後の追跡』では、この取り残された地域で暮らす人々の実態が的確に映し出されています。こんな現代アメリカの切実な現実を丁寧に描いた作品はなかなかありません。今のアメリカを知ることのできる貴重な作品といえるでしょう。時代を切り取るの映画の役割のひとつなら、本作は見事にその仕事を果たしています。

物語のメインで描かれるのは、銀行強盗をする男たちと、その二人を捜査するレンジャーの追跡劇ですが、クライムサスペンスという感じではありません。どちらかとえば、哀愁漂うドラマが全面に出ています。原題は「Hell or High Water」というのですが、これは「どんなことが起ころうとも」という表現を意味する言葉に由来しています。登場人物たちの“やるせなさ”を感じるものですね。

似た作品といえば、『グラン・トリノ』(2008年)やネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(2013年)といった感じでしょうか。「取り残された人たち」が肝の名作映画たちのなかに本作も仲間入りです。

『最後の追跡』は監督ではなく脚本家の注目度が高い映画であるということも特筆できます。本作の脚本を手がけたのは“テイラー・シェリダン”。メキシコ麻薬戦争というこれまたアメリカの闇を描いた『ボーダーライン』の脚本家でもあります。確かに『最後の追跡』も『ボーダーライン』的な“やるせなさ”の残るストーリーで共通点がしっかりありました。今後も期待の脚本家です。

役者陣も素晴らしく、主人公を演じた“クリス・パイン”は最近の出演作『スター・トレック BEYOND』の主人公らしい前向きさとはまるで違う、渋い演技が魅力的。その“クリス・パイン”とコンビ的に活躍するキャラを演じる“ベン・フォスター”はこちらも渋い。さらにその二人を追いかけるテキサス・レンジャーを演じるのは“ジェフ・ブリッジス”。渋すぎますよ。

『最後の追跡』は批評家からの評価も非常に高いのですが、それも頷けます。アカデミー賞では作品賞、脚本賞、助演男優賞、編集賞にノミネート。惜しくも受賞はできませんでしたが、他にも無数の映画賞で評価を記録しており、まさに総なめ状態。

日本では見られないのかなと思っていたら、本作は日本ではNetflixオリジナル配信となっています。これについて勘違いされがちですが、Netflixオリジナル作品というのは動画配信サービスではNetflixでのみ取り扱っていますよという意味。Netflixが映画製作を1から行ったわけではありません。しかも、本作の場合、アメリカでは普通に劇場公開している映画です。結構、そのあたりを誤解している人もいるので注意。

なにはともあれ、Netflixも、こういう名作を独占配信してくることが目立ち始めており、なかなか映画ファンに見逃せないサービスになってきました。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『最後の追跡』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):俺はバカじゃない

テキサス・ミッドランズ銀行に2人組の強盗が侵入。女性を脅しながら金庫を開けろと命令します。しかし、金庫の暗証番号がわからないので開けられません。「あんたたち慣れてないね。こんなことをするなんてバカだよ」…そう言われた強盗のひとりは「俺がバカだって?」と女性を睨みます。

しょうがないので暗証番号を知っている男性が来るまで待機。やってきたところを襲い、殴ってカネを強奪。車で逃走します。

2人は兄弟。トビータナー。兄のタナーは勢いに乗って次の銀行に向かいます。そこでは店内にいた爺さんに思いっきり発砲されながら必死に逃げる2人。兄は「俺たちはコマンチ族みたいだ!」とノリノリですが、弟のトビーの方は危なっかしいこの綱渡りにヒヤヒヤしていました。

家に帰った2人。周囲には何もありません。痩せこけた牛だけ。「ここは最低な場所だな」

2人の母は死亡していました。母の介護ベッドが虚しく残る部屋を見つめるしか今はできません。

タナーは出所したばかりで、天然ガスの会社に勤めていたトビーは妻と離婚しており、カネが必要です。

一方、定年前のテキサスレンジャーであるマーカスはその連続銀行強盗事件の報告を聞き、捜査を開始します。犯人は白人で、話し方からこのあたりの者ではないかと推測されます。札束を狙わずに足跡がつかないようにしているので、また強盗をするに違いないとマーカスは予想。

その頃、ダイナーで食事をしていたタナーは今度は単独でフラっと強盗をしてしまいます。あまりの軽率な行動に怒るトビー。完全に予定は狂い、車を処分しないといけなくなります。コヨーテ駆除を条件に土地に居させてもらっているトレーラーハウスへと退避。生活に欠かせない銃を車のトランクに移動させます。

マーカスは相棒のアルベルトと共に次に襲われた銀行へ。ここの銀行には監視カメラがあるので証拠が残っているかもしれません。近くのダイナーに聞き込みに行くも、客も店員もどこか非協力的です。

捜査の手は近づきますが…。

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銀行は敵?

冒頭、建物の壁に「3回イラクに行ったのに支援は無い」と落書きがあるのですが、これぞこの地域の住人たちの心の叫び。でももう叫ぶ体力もありません。

大統領選でトランプを支持するような人々はさぞかし過激な人たちなんだろうななんて思ってしまいがちですが、本作で描かれるウェスト・テキサス…そこにあったのは、疲れ切ったアメリカの姿でした。人種や宗教の違いで激しくぶつかり合う気力さえない。もはや「死に体」です。

『最後の追跡』の追走劇も、何とも言えない脱力感でいっぱいです。

銀行に強盗に入ったトビーとタナーの二人は、カウボーイ親父から「メキシコ人じゃないのに強盗するのか」と言われ、あげくに発砲される始末。捜査を進めるマーカスの前には、強盗された銀行に同情なんて全くしないウェイトレスやカウボーイ姿のおっさんたちがいるだけ。なんかもう一歩間違えるとただのアホな奴らのコメディを見ている感じなのですけど、生々しさもあるので笑うに笑えないのが特徴ですね。

同類の映画だとコーエン兄弟の作品が連想できますが、あちらはまだ寓話的なフィクションの中にある感じで少し客観的に楽しめるのですけど、『最後の追跡』はリアリティ重視。私みたいな日本人でもそう思うのですから、これはアメリカ人はどう思うのでしょうか。ましてや同じ地域にいる人は、どんな感想を持つのだろうか。案外、爆笑なのかな…。

この「銀行=敵」という構図は、本作で描かれるアメリカの重要な事実です。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』(2009年)を観るとさらによくわかると思います。貧しい者を食い物にし、さらに貧しくさせる諸悪の根源…そんなイメージだから強盗しても悪びれない。でも自分がお金を預けている銀行なら襲われるのは困る。そんな仲間内で蹴りつけ合うみたいな醜い状態がまさに本作なわけで…。

もうひとつ印象的なのは先住民の描き方です。強盗のトビー&タナー側と、レンジャーのマーカス側の双方に、先住民との関わりが描かれていました。インディアン・カジノにて同じようにカジノでくすぶるコマンチ族と出会うタナーとか、先住民の血を継ぐ年下の同僚から哀れまれるマーカスとか。

歴史的に考えれば、ここの人たちはネイティブアメリカンを卑下してきたのですが、今や自分たちが衰退する側になってしまうとそんな強がりもいっていられない。そんな虚しい人間関係です。

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欲しいものを選べる人生を

本作『最後の追跡』全体で突きつけられるのはズバリ「白人の衰退」です。

挙句の果ては白人どうしで撃ち合い。終盤の銃撃戦はホワイト・トラッシュの未来を暗示しているようでした。どこへ行くでもなく、何もない荒地での、ただ撃たれたから撃ち返すという暴力の連鎖。後に残るのは死体の山。衰退は結果、自滅を招くだけなのか。

一方で本作が示すもうひとつの未来は、トビーが息子に言う「俺たちの真似をするな」 です。トビーはラストで全ての資産を離婚した妻とその子どもたちに残して、自分は雇われて働くという父の威厳も何もない残りの人生を生きることを選んでいました。ホワイト・トラッシュに長らくあった父権主義はそこにはありません。でも、それでいいという選択がなんとも切ない…。

マーカスが捜査の途中に食事をとるために入った店で言われる「いらないのはどっち」というセリフに象徴されるように、この世界は「いらないものを選ぶ」ことしかできない場所です。きっとトビーは子どもには「欲しいものを選べる」人生を送ってほしかったのでしょう。例え、自分を否定してでも…。

観ないのは惜しい隠れた名作を今年忘れずに観れて良かったなと思います。

『最後の追跡』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 88%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
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関連作品紹介

デヴィッド・マッケンジー監督の映画の感想記事です。

『アウトロー・キング スコットランドの英雄』

作品ポスター・画像 ©Netflix ヘル・オア・ハイ・ウォーター

以上、『最後の追跡』の感想でした。

Hell or High Water (2016) [Japanese Review] 『最後の追跡』考察・評価レビュー