台湾の話題騒然のホラーゲームを実写化…映画『返校 言葉が消えた日』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:台湾(2019年)
日本公開日:2021年7月30日
監督:ジョン・スー
DV-家庭内暴力-描写
返校 言葉が消えた日
へんこう ことばがきえたひ
『返校 言葉が消えた日』あらすじ
1962年、台湾では中国国民党による独裁政権が支配力を強め、市民に相互監視と密告が強制された社会が確立されていた。ある日、翠華高校の女子生徒ファンが放課後の教室で眠りから目を覚ますと、いつもは生徒たちが規則正しく学んでいたはずなのに周囲から人の気配が消えていた。誰もいない校内を彷徨う彼女は、政府によって禁じられた本を読む読書会メンバーである男子生徒ウェイに遭遇するが、外に出ることはできず…。
『返校 言葉が消えた日』感想(ネタバレなし)
ホラーゲームの映画がなぜ賞に輝いたのか
2021年6月、香港最大の民主派新聞「蘋果日報(アップルデイリー)」が最終号の発行とともに26年にわたって発行を続けた歴史を、業務停止というかたちで終了したことは、香港の報道の自由にとって大きな打撃として各所に響きました。今や香港はほぼ限りなく中国の支配下に置かれてしまい、その抵抗の手段は続々と絶たれてしまっています。
こうした支配を強める中国の存在は映画業界にも影を落としています。「アジアのアカデミー賞」とも言われ、中華圏の映画を対象とする「金馬奨」。この映画賞で評価された作品はこれまで世界でも話題となっていったものも多く、アジアで最も世界的関心の高い賞でもあります。
そんな金馬奨ですが2019年は状況が変わりました。その前年、『我們的青春(Our Youth in Taiwan)』で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した台湾のフー・ユー監督が受賞スピーチにおいて「いつか私たちの国が真の独立した存在としてみなされることを心から願っています。これは台湾人である私の最大の願いです」と発言。これが中国勢から反感を買い、翌年となる2019年は中国からの作品がボイコットで全然出品されなくなり、事実上、中国除外のようになってしまったのです。審査委員長に就任していたジョニー・トーも急遽辞退するなど、金馬奨をめぐる環境は一瞬でピリピリしたものに。2020年は2作ほど中国作品がノミネートされましたが、中国政府を批判する映画が受賞したこともあり、やはり緊張状態は変わりません。
金馬奨はその立ち位置上、政治から独立するのはほぼ不可能だとは思いますが、今後も中国の反応は賞の在り方を左右していくでしょう。
そんな波乱の2019年の金馬奨で最多12部門にノミネートされた話題の映画がありました。それが本作『返校 言葉が消えた日』です。
金馬奨では作品賞は惜しくも逃しましたが(受賞したのは『ひとつの太陽』)、脚色賞など5部門を受賞。
この『返校 言葉が消えた日』が特徴的なのは、原作がゲームだということ。2017年に発売されたホラーゲームなのです。ゲームなんて大衆的なエンタメ物は金馬奨のような硬派な芸術を評価する世界とは無縁な感じもしますが、この『返校 言葉が消えた日』の原作となったゲームはひと味違いました。このゲームは台湾の歴史において陰惨な時代として語り継がれる「白色テロ」を題材としているのです。
まず本作を満喫するならばこの「白色テロ」の知識はざっくりとでいいので頭に入れておくとよいでしょう。
『幸福路のチー』の感想でも説明したのですが、やや繰り返しになりますけど概説すると…。第2次世界大戦中、台湾を含むアジアの多くの地域は日本の植民地支配となっていました。しかし、戦争に敗れた日本は台湾の領有権を放棄。1895年から1945年まで続いた日本統治は終わりを告げます。その後は戦勝国である中華民国がその領有権を得て、日本統治時代から中華民国の統治の時代へと変わります。ところが中華民国統治時代になっても恐ろしい支配体制は続き、1947年2月28日に民衆が蜂起する二・二八事件が起きてからさらに弾圧は激化。国民政府は台湾人の抵抗意識を奪うために知識階層・共産主義者を中心に大勢を処刑する、通称「白色テロ」を実行し、生活のあらゆる面で恐怖が蔓延しました。これは1987年に戒厳令が解除されるまで継続することになります。
この「白色テロ」時代を描いた映画と言えば、侯孝賢監督の『悲情城市』(1991年)やエドワード・ヤン監督の『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)が有名です。本作『返校 言葉が消えた日』はそれに連なる系譜です。
ということで『返校 言葉が消えた日』は歴史映画でありつつ、ホラーというフィクションな要素もあるわけで…。これはハリウッドなどではすでに主流になっているスタイルですね(黒人差別とホラーを織り交ぜるのが巧みなジョーダン・ピール監督とか)。
監督はこれが長編映画デビュー作である“ジョン・スー”。凄い躍進ですね。
俳優陣は、14歳で小説家としても活躍中の“ワン・ジン”、これで映画デビューとなった“ツォン・ジンファ”(後に『君の心に刻んだ名前』でも高評価)。この2人を主役に置きつつ、“フー・モンボー”、“チョイ・シーワン”、“リー・グァンイー”、“パン・チンユー”、“チュウ・ホンジャン”などが並んでいます。
『返校 言葉が消えた日』はホラー映画ではありますけど、グロテスクな映像やショッキングな演出でワっと驚かせるタイプではなく、あくまで史実に基づいた権力支配の恐怖を伝える寓話です。でもなんとなく今の権力圧力が増しつつあることを日々実感できる日本と重なる空気を感じられるのではないでしょうか。
なお、ドラマシリーズがNetflixで配信されているのですが、時代設定もやや異なる別物なので気にしないでください。
オススメ度のチェック
ひとり | :ホラー映画好きなら |
友人 | :エンタメっぽさは薄いけど |
恋人 | :歴史を語れる相手と |
キッズ | :暴力描写あり |
『返校 言葉が消えた日』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):国は君に感謝している
1962年。台湾中部に位置するごく普通の翠華高校。今日もいつもと変わらない登校日。校門の入口では男女に別れ、列をなしてぞろぞろと校内へ入っていく生徒たちをひとりの教官が睨みつけるように見張っています。これも日常です。
その厳格そうな教官は、ある男子生徒の腕を掴み、引き留めます。帽子を深く被っている男子生徒のアソンに対して、きちんと帽子を被るようキツく注意。目を合わせず俯きながら指示に従うアソン。さらに教官は鞄の中を見せるように指示します。一瞬の躊躇いを見せるアソン。その時、即座にやって来た2年の男子生徒のウェイ・ジョンティンは「持って来るなと言ったのに」とフォローするように言いながら、アソンの鞄の中からささっと人形を取り出して教官に見せました。納得をされて2人は通されます。
その様子をチラっと見ながら、ファン・レイシンという3年の女子生徒が横を通り過ぎました。
足音を規則正しく鳴らしながら行進して校庭に整列する生徒たち。朝礼です。男子女子ともに敬礼をしながら、いつものように歌唱、国旗を掲げます。
その日の放課後。ウェイは誰にも見られないように警戒しながら、学校の倉庫へ。その奥の部屋では音楽担当のイン・ツイハン先生と生徒たちが集まり、秘密の読書会が開かれていました。それは国によって禁書となっている本を読み、好きなように自由を語れる場。当然こんなことが公にバレれば逮捕です。
場面は変わり、水責めの拷問を受けるウェイ。それでも何も口にすることはなく、そのまま牢屋に投げ入れられます。息も絶え絶えなウェイはあの読書会のこと。そしてファンを思い出します。
ファンは目を覚まします。ここは…教室です。でも誰もいません。雷鳴が轟き、外はもう夜なのか。なぜここに…。蝋燭に火をつけて教室から廊下に出たファンは様子を窺うようにゆっくりと歩きます。まるで別世界のような校内。すると女性のすすり泣く声が聞こえ、不安を振り払うように無視します。
そんなファンの歩く先の奥に、美術担当で生活指導教員でもあったチャン・ミンホイ先生がいるのを発見。しかし、チャン先生はこちらに気づいていないのか、講堂の中へ。さらにファンは自分に似た服装と長い前髪で顔が判断しづらい女子学生が蝋燭を持ったまま後ろから近付いて来るのを感じ、恐怖にパニック。講堂の扉をなんとかこじ開けて、びくびく怯えて様子を窺います。講堂の舞台には、おなじみの台湾の国旗と蒋介石総統の肖像画。
その時、異様な光景がファンの脳裏をよぎります。首を吊った生徒、理路整然とした拍手、国家からの感謝…。
私はどうなっているのか…。
学校は常にホラーな場所
『返校 言葉が消えた日』は『悲情城市』や『牯嶺街少年殺人事件』などと比べたら歴史を描くという意味では内容としても深く切り込むこともなく、表面的ではあると思います。こういうただでさえ陰惨な歴史というものをジャンル的なフィクションの題材にすることに、不謹慎ではないかと抵抗がある人もいるでしょう。その気持ちもよくわかります。
ただ、こうしたアプローチもあることの意義も無視できないと思います。歴史に関心を持ちにくい若い世代に興味を抱かせる入り口になるのは間違いありません。事実、この原作のゲームは若い人たちを中心に大ヒットし、この映画も幅広く受け要られているのですから、明らかに『悲情城市』や『牯嶺街少年殺人事件』では成し得なかった貢献をしているでしょう。昨今の香港もそうですし、若い世代の力は馬鹿にできるものではありません。
それに大事な要所は押さえています。とくに本作はミステリーを軸に進み、誰があの読書会を密告したのかという謎を解き明かしていく過程がメインストーリーになるのですが、ゲームであればこれはいかにもゲーム的な仕掛けととも少しずつ少しずつ種明かしされていき、プレイヤーが考えることを要求されます。一方、映画は映像の説明力が高すぎることもあって、ファンは密告者であることはすぐにわかります。
そのぶん、ゲームでは表現できなかったキャラクターの繊細な感情の変化などを俳優の名演で満喫できるというのが面白さです。ファンを演じた“ワン・ジン”も非常に上手かったですが、個人的にはウェイを演じた“ツォン・ジンファ”が凄かったな、と。ウェイはウェイで優等生的なポジションながらあまり表には感情を出すタイプではなく、それは白色テロ時代だからというのもありますけど、もともとやや奥手な一面があったのでしょう。そのウェイの相手の真意を読み取ろうと必要以上に距離をとってしまう感じも絶妙に醸し出されていましたし…。
全体的に衆人環視による支配の怖さというのがあの学校という舞台とホラーというジャンルにとてもマッチしているんですね。これは原作のゲームのアイディア勝ちでもありますが。
言葉や文化を奪われる恐怖は最近であれば『マルモイ ことばあつめ』にも通じますね。
その愛はいいのか?
こうした映画を作りだせることだけでも大したものだと思うのですが、『返校 言葉が消えた日』について私の中では不満点もあって…。
ひとつはゲームから映画にフィールドを変えるにあたっての、ゲームならではの面白さをどうするかという点。これはゲームの映画化作品の感想では常々言ってきたことです。本作の原作ゲームは日本で言えば昔に流行ったフリーホラーゲーム(今も流行っているのかな)に近く、情報量の少なさを前提にプレイヤーが物語や世界観を解読していく面白さがありました。一方でこの映画版にはそれは薄いです。
そうなってくると手段はいくつかあります。
1つ目は全く新しい展開を用意し、既存プレイヤーさえも驚くような斬新な新設定の謎を与えること。でも本作は史実ベースということもあり、ちょっと大胆にアレンジしづらい面があります。
2つ目は映画ならではのジャンル的面白さを加えること。例えば脱出スリラーにするとか。ただ、本作はそういう映画独自の醍醐味は乏しく、あくまで白色テロ時代の雰囲気を映像にしてみせる、豪華な体験を提供するバージョンアップ程度な感じです。個人的にはもっと極端なジャンルに改変しても良かった気がします。ずっと講堂から出られないとか。
また、別の苦言としては、ファンとチャン先生の「教師と生徒の愛」についてですね。これも別の描き方はなかったのかな、と。これだと自由を奪う白色テロ時代におけるプラトニックな唯一の自由の象徴みたいじゃないですか。でも別に白色テロ時代関係なく、先生が生徒と関係を持ちすぎたらダメですし、あのチャン先生はそういう意味ではちょっと教師倫理としてアウトですよ。射殺されないにしても普通に何らかのペナルティは受けるものです。
しかも、その「教師と生徒の愛」によってもっぱらコミュニティから敵視されてしまうのが女子生徒側というのもどうなんだと思いますし…。死者として彷徨うべきはチャン先生じゃないのか…。ちょっと「大人の愛に飢えた女子生徒が罰を受ける」という構図は古すぎますよね。
これで白色テロ時代の恐ろしさだけでなく、女性差別の恐怖も内包できていれば、映画としてさらに格段に良かったのだけど…。ファンをいかにエンパワーメントできるかで本作の評価はいくらでも上昇するのになぁ…。
とまあ、惜しい面もいくつもありましたが、作品の挑戦心は良かったです。日本でも悲惨な歴史とのミックスという視点にたったホラー作品は無かったわけではないのですが、すっかりジャパニーズ・ホラーのかつての勢いは衰えており、今の安定商業重視の業界の傾向からしてそういう挑戦的なアプローチはしないでしょうね…。これはこれで残念です…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience –%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)1 Production Film Co. ALL RIGHTS RESERVED.
以上、『返校 言葉が消えた日』の感想でした。
Detention (2021) [Japanese Review] 『返校 言葉が消えた日』考察・評価レビュー