続編はアクション映画に変身…映画『蜘蛛の巣を払う女』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ・スウェーデン(2018年)
日本公開日:2019年1月11日
監督:フェデ・アルバレス
蜘蛛の巣を払う女
くものすをはらうおんな
『蜘蛛の巣を払う女』あらすじ
天才ハッカーで、背中にあるドラゴンのタトゥーが特徴のリスベットは、AIの世界的権威であるバルデル教授から、図らずも開発してしまった核攻撃プログラムをアメリカ国家安全保障局(NAS)から取り戻してほしいと頼まれる。しかし、そこには罠が待ち構えていた。
『蜘蛛の巣を払う女』感想(ネタバレなし)
帰ってきたリスベット
スウェーデン・アカデミーが毎年選定しているノーベル文学賞。2018年の受賞者は誰だったか、覚えていますか?
答えは…誰も受賞していません。
その理由は、2017年にスウェーデン・アカデミー会員に所属するひとりの夫が複数の女性に性的暴行を加えていた疑惑が報道され、さらに発表前に受賞者名を漏洩するなど、散々な醜態が明らかになったためです。もともとスウェーデン文学におけるサスペンス系の小説では、お国柄なのか、移民や人種差別、ネオナチズム、性暴力など社会派な題材が扱われることも多く、そんな中で文学界を評する者たちが小説の中の悪者みたいなことをしていれば、それはもう面目丸つぶれです。
そんなスウェーデンのサスペンス小説で国民的大ヒットを記録した小説が「ミレニアム」シリーズです。
現時点で5冊が刊行されています。
・「The Girl with the Dragon Tattoo」(2005年)
・「The Girl Who Played with Fire」(2006年)
・「The Girl Who Kicked the Hornets’ Nest」(2007年)
・「The Girl in the Spider’s Web」(2015年)
・「The Girl Who Takes an Eye for an Eye」(2017年)
この小説シリーズの特徴は何と言っても、ヒロイン(実質は主人公)の「リスベット・サランデル」というキャラクターです。彼女のインパクトがとにかく強烈。天才ハッカーなのですが、そんな設定は些細なこと。目をひくのはビジュアルです。ビシっと決まった短髪ヘアに、いくつものピアス、全身に刻まれたタトゥー、黒を基調としたワイルドなファッション。性格もアグレッシブかつバイオレンス。小柄な体と相反するような攻撃性を持っています。世の中のフェミニンなヒロインの幻想をグーパンでぶん殴る、固定観念を気にも留めないキャラなのです。
私もこのリスベットの斬新なキャラクター性に惹かれて魅了されました(まあ、実際に電車とかで出会ったら隣の席には座らないかもしれませんが…)。
そのリスベットが大活躍する「ミレニアム」シリーズですが、すでに映画化もいくつかされています。
有名なのは、根強いファンを持つデヴィッド・フィンチャー監督が2011年に手がけた『ドラゴン・タトゥーの女』です。こちらは原作1巻の映画化であり、ルーニー・マーラがリスベットを大胆に演じ、好評を博しました。
この『ドラゴン・タトゥーの女』はアメリカ主導の映画化であり、実はそれ以前に本国スウェーデンで原作1巻から3巻までを3部作として2009年に映画化していました。それが『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』『ミレニアム2 火と戯れる女』『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』です。この3作が成功をおさめたので、ハリウッド映画化として『ドラゴン・タトゥーの女』が作られたという経緯です。スウェーデン版ではノオミ・ラパスがリスベットを演じていました。
『ドラゴン・タトゥーの女』は観たけど、スウェーデンの3部作は観ていないという人も多いのではないでしょうか。実のところ、原作1巻はプロローグみたいなもので、2巻・3巻で怒涛のリスベットの猛攻が描かれるので、観ていないのはもったいないですよ(かくいう私もスウェーデンの3部作が一番好き)。
そして、まさか今になって原作4巻がアメリカで映画化されることになりました。それが本作『蜘蛛の巣を払う女』です。
2巻・3巻をすっ飛ばしたのは、スウェーデン版があるからいいやと思ったのか、4巻の初映像化に手を出したかったのか、狙いはわかりませんが、ともあれリスベットが帰ってきました。製作・配給は『ドラゴン・タトゥーの女』と同じソニー・ピクチャーズ主体。
ただ、同じハリウッド版である『ドラゴン・タトゥーの女』と違って、キャストが総変わりしているんですね。リスベットを演じる俳優は“クレア・フォイ”にチェンジしています。デヴィッド・フィンチャーも監督から製作総指揮に後退。
これだけで既存の映画ファンはちょっと警戒するのも無理はないかもしれません。
しかも、これだけではないのです。実は原作も大きな変化があって、1巻から3巻までを執筆していたのはスティーグ・ラーソンで処女作だったのですが、なんと出版前に急死。4巻以降は、デヴィッド・ラーゲルクランツという別の人が執筆を引き継いでいます。なので原作からして、作品のトーンがどうしても変わらざるを得ない状況があったのです。
ということで、本作『蜘蛛の巣を払う女』は、デヴィッド・フィンチャー版『ドラゴン・タトゥーの女』とも、スウェーデン3部作とも、わりと雰囲気が変わっています。まあ、しょうがないですよね。
そのため、過去作を事前に鑑賞しておく必要はないでしょう。というか、観ない方が良いかも(観てしまったらどうしても比較してしまいますから)。ストーリーも続編というよりは、ここから新編スタートという感じです。
心機一転で楽しみましょう。
『蜘蛛の巣を払う女』感想(ネタバレあり)
あれっ、雰囲気、変わった?
本作『蜘蛛の巣を払う女』が、デヴィッド・フィンチャー版『ドラゴン・タトゥーの女』や、スウェーデン3部作と雰囲気がガラリと一変した理由については先述しましたが、ではどう変わったのか。観た人なら一目瞭然だったと思います。
明らかにスパイアクション映画…もっとハッキリ言うなら『007』シリーズ風になりました。もうここまで露骨だと、『007』新作の配給権を獲得できなかったソニー・ピクチャーズが「今度はこっちでその路線やるぞ」と意気込んでいるんじゃないかと邪推したくなるほどです。
冒頭のオープニングクレジットがもろに『007』です。リスベットとカミラの幼い二人がチェスをしているシーンからの生き別れを抽象的に映し出し、そこから雪原を走る幼きリスベットが大人へと変わり、CGを駆使したビジュアル重視なムービーが開始。過去作を知っている身からすれば、この明確な路線変更宣言に驚くと同時に、「ここまでやっちゃって大丈夫か…」と心配になりました。
オープニングだけではありません。例えば、アクション面。過去作にもアクションはありましたが、今回はとにかくスタイリッシュ。リスベットさん、そのドライビングテクニック、どこで習ったんですか!?くらいの常人ではできない運転を披露。いつもどおり愛用のバイクで、本作では凍った水面でも疾走しますし、なぜか高級車も乗り回す(そして似合う)。
格闘戦もパワーアップ。武器が初期のころから使っていたスタンガンからスタンロッドに進化。自分よりも一回りも二回りも大きい男であろうとひるまない性格は昔からでしたが、もう今のリスベットさんには何の心配もいりませんね。鬼に金棒、リスベットにスタンロッドです。
一番あり得ない映画的オーバー演出になったのはハッキング系のIT関連。古くからの相棒である疫病神ことプレイグを仲間に、とくに終盤にカミラを追い詰めるパートで使われる、ハイテク・スナイピングは完全に一線を超えて『ミッション・インポッシブル』レベルに。
この作風の変化をどう受け止めるかで評価は割れるでしょうけど、おそらく製作を主体的に進めるソニー・ピクチャーズは、スパイアクションのジャンルを担う自社コンテンツとしてシリーズ展開を狙っているのでしょう。
本作の監督は『ドント・ブリーズ』でその名を映画界に轟かせたウルグアイ出身監督の“フェデ・アルバレス”。『ドント・ブリーズ』も結構思い切った振り切り方をしているスリラーでしたが、その大胆さを『蜘蛛の巣を払う女』でも見せた感じでしょうか。
こういう悪役もあり
肝心のリスベットですが、演じた“クレア・フォイ”の隙を見せない威圧感といい、キャラにハマっていて良かったと思います。リスベットはキャラが濃すぎるので、演じなければいけない女優の方々は演じる幅が狭くて自分の個性を出しづらいかもしれませんが、今作の“クレア・フォイ”版リスベットは“らしさ”が出ていたのではないでしょうか。ストーリー上、今作のリスベットは自分の悲惨な過去に一応の決着をつけた後の状態なので、多少、人間的に丸くなっている様子が見た目にも表れているようでしたし。俳優を変えるタイミングとしては丁度いいのですよね。“クレア・フォイ”は、2018年は他にも『ファースト・マン』や『アンセイン 〜狂気の真実〜』と、出番が多めだったので、今後も映画で活躍するのでしょうかね。
対する『蜘蛛の巣を払う女』の悪役ポジションにいるカミラ。全身真っ赤な衣装に身を包み、あんな女がいたら目立ちすぎるだろうとツッコミたくなりますが、悪者としての存在感はじゅうぶん。まあ、「ミレニアム」シリーズでは以前にも、物理攻撃の通用しない屈強な大男が登場したり、リアリティを度外視したスーパーヴィランみたいな奴が出てくるので、その流れだと思えば違和感も低減します。その大男もリスベットの兄弟という設定なので、この家系の血は基本とんでもないってことなのでしょう。
そのカミラを演じた“シルヴィア・フークス”という女優。『ブレードランナー 2049』でレプリカントのラヴを演じたときと通じる、この世の者ではない人ならざる感じを今作でもいかんなく発揮。ユニークな魅力を持つ俳優なので、これからも変わったキャスティングで印象を残してくれるといいですね。
続編で消え失せた女の執念
そんな感じでジャンル映画として割り切れば悪くはないのですが、個人的な好き好みで言えば、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」シリーズ(それを比較的忠実に映像化したスウェーデン版3部作)にあった社会派要素がバッサリなくなったのは残念でした。
そもそも原作の1~3巻は「性暴力と、それに苦しみ、社会から救われない女性」がテーマの根底にありました。1巻の原題タイトルが「Flickan som lekte med elden(「女を憎む男達」の意味)」であることからもわかるように、女性蔑視(ミソジニー)に対する強烈なカウンターが作品のメッセージでした。
過去の映画でも、リスベットが直面する野蛮で醜悪な男の姿がストレートに描かれ、性暴力描写もあえて生々しく映し出されています。『ドラゴン・タトゥーの女』ではそれで終わりでしたが、スウェーデン版3部作ではそのリスベットの悲惨な性暴力に関して、法廷劇という場で社会に告発します。
リスベットのあのインパクトのある風貌は、単に奇をてらったものではなく、わざと世間一般の感じる“女性らしさ”とは真逆の鎧をまとうことで、ミソジニーへの反抗を示しているものなんですよね。
でも、それだけでは問題は解決しない。だから、ミカエルというジャーナリストと両輪のコンビネーションで社会に巣くうミソジニーに挑む。男性恐怖を持つリスベットにとってミカエルは近寄りたくはないのですが、それでも心を開き、最終的には性暴力を受ける自分の姿を世間に晒しだす。これはバイクでカッコよくアクションを決めたり、男と殴り合ったりすることよりも、勇気がいること。
その勇気を描く作品が「ミレニアム」シリーズ…少なくとも私はそう受け止めています。たぶんジャーナリストでもある原作者のスティーグ・ラーソンもそう考えていたんじゃないかと。
女性が悪に対して社会的な断罪か私的な復讐か、その狭間で悩み抜く映画といえば、最近は『女は二度決断する』という名作がありましたが、あれに似た精神性を持ちますね。
で、『蜘蛛の巣を払う女』に話を戻しますけど、本作はそのテーマ性からだいぶ離れてしまったなと。冒頭で女性に暴力をふるう男に制裁を加えますけど、あれくらいですかね、明確なのは。
本作ではNSA絡みの国境を飛び越えた世界的危機という、ありていに言えば「ヒーローが世界を救う」話になってしまったのは、作品が積み重ねてきたエッセンスの一部を“ゴミ箱”に捨てちゃったのかな。ミカエルの存在意義も薄くなってしまいますし…。リスベットというキャラクターだけで話を拡充させようという魂胆が露骨になってしまったのは良くなかったかもです。
“ゴミ箱”からファイルを復元して、もう一度シリーズ展開を検討し直すのも良いと思うのですが…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 41% Audience 42%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 4/10 ★★★★
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以上、『蜘蛛の巣を払う女』の感想でした。
The Girl in the Spider’s Web (2018) [Japanese Review] 『蜘蛛の巣を払う女』考察・評価レビュー