黒沢清の復讐は2024年も再生中…映画『蛇の道(2024)』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス・日本・ベルギー・ルクセンブルグ(2024年)
日本公開日:2024年6月14日
監督:黒沢清
自死・自傷描写 児童虐待描写
へびのみち
『蛇の道』物語 簡単紹介
『蛇の道』感想(ネタバレなし)
黒沢清セルフリメイク
映画がリメイクされることは頻繁にありますが、元の映画を監督した人がリメイク映画も手がける、いわゆる「セルフリメイク」は珍しいです。
例を挙げると、“セシル・B・デミル”は1923年に監督した『十誡』を1956年に『十戒』として自ら監督してリメイク。”アルフレッド・ヒッチコック”は1934年に監督した『暗殺者の家』を1956年に『知りすぎていた男』として自ら監督してリメイク。
短編を長編化するなどの事例を除けば、わざわざセルフリメイクするのは相当にその監督がどうしてもやりたいことがあるときでしょう(たまに続編が実質的にセルフリメイク化していることもあるけど)。それにかなり長年のキャリアのある監督じゃないとできないことでもあります。やっぱりまだキャリアが浅いときは作品のバリエーションを増やす方向に注力しますから。
そう考えると2024年になってこの監督がこの映画でセルフリメイクを生み出したのは納得かもしれません。
それが本作『蛇の道』です。
主役のフィルムメーカーはもちろんこの人、“黒沢清”。1980年代にピンク映画やロマンポルノで映画業界から芽を出し、1989年のメジャー作品『スウィートホーム』でホラーの奇才として本性を発揮。以降は幅広い才能をみせつつも、やはりホラー&スリラーのジャンルで独自に輝き続けました。
“黒沢清”監督が凄いのは海外での評価の高さで、もはや“デヴィッド・リンチ”と並ぶオリジナルな作家性を持ったクリエイターとして認知されており、熱烈なファンを抱え、世界中のアートハウスで“黒沢清”監督は愛されてきました。
そんな“黒沢清”監督にフランスのプロデューサーから「自身の映画の中でフランスでリメイクしたい作品はありますか?」と提案され、“黒沢清”監督は『蛇の道』をすぐに挙げたそうです。
『蛇の道』は“黒沢清”監督代表作の『CURE』の翌年である1998年に公開されましたが、ほとんどVシネマ扱いで、“黒沢清”監督のフィルモグラフィーにおいてもあまり知られていない映画です。
でもその映画をわざわざ「リメイクしたい!」と監督自身で名前をだすくらいなのですから、よほどやってみたかったのでしょうね。
邦題も同一となった今回の『蛇の道』のセルフリメイク。でも全く同じではありません。その最大の特徴はフランスが舞台になったことです。“黒沢清”監督は2016年にフランスで撮影した『ダゲレオタイプの女』を手がけていますし、フランスはもう慣れたものなんじゃないかと思います。『真実』の“是枝裕和”監督もですけど、キャリアが世界へ突き進んだ日本人監督はフランスに行くもんなんだなぁ…。
“黒沢清”監督が面白いのはこのリメイク版『蛇の道』でもフランスが舞台なのに日本人俳優を混ぜ合わせるという味付けです。どう考えても変になりそうですし、危うそうな配合ですが、それでもむしろそれを癖のある味に変えてしまうのが“黒沢清”監督の職人技。
今作で主演することになったのは、『沈黙のパレード』や『Dr.コトー診療所』など近年も活躍を積み重ねている“柴咲コウ”。『バトル・ロワイアル』メンバーからついに“黒沢清”監督組に上り詰めました。キャリア的にも今作は目立った実績になりそうです。なにせ“黒沢清”監督作なので世界に知られますからね。今回はフランス語をメインで演じています。私はフランス語は全然わからないのですけど、製作者のフランス人も褒めていたらしいので、もとから語学力に長けていたのだろうな…。
共演は、『レ・ミゼラブル』の“ダミアン・ボナール”、『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』の“マチュー・アマルリック”、『ネネットとボニ』の“グレゴワール・コラン”など。地味に豪華な顔ぶれです。
リメイク版『蛇の道』を観れば、この約27年で“黒沢清”監督がどこまで熟練度を高めたのかが伝わってきます。
『蛇の道』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 子どもの死が主題となっています。また、自死を示唆する描写があります。 |
キッズ | 児童に対する犯罪が描かれるので、子どもには不向きです。 |
『蛇の道』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
「今日はやめておく?」
フランスのパリ。街中でひとりの日本人女性が淡々と語りかけます。目の前にいるのはやや不安そうなひとりの男。その男は「いや、今日やろう」と言い、「彼で間違いないか?」と心配を口にします。
新島小夜子とアルベール・バシュレはある家の前にいました。道路に人の往来はほぼありません。今なら何をやっても目撃されなさそうです。
アルベールはすぐそばの車内に座り、ビデオカメラの幼い娘マリーがピアノを弾いている映像を再生し、自分の決心を固めます。このためにここまで来たのです。今は亡き娘のために…。
ずっと冷静な新島小夜子は「ラヴァルがいる。私が先に入る」と言って、ひとり建物へ。
パスワード施錠のドアを抜けたすぐ先で、スーツの男とすれ違い、新島小夜子が困っていると思ったのか、その男は「フランス語は話せますか?」と親切に声をかけてきます。その隙にアルベールは背後から接近。スタンガンで気絶させ、口をテープで封じて縛り上げ、急いで担いで車に運び、現場から2人で逃走。トランクの中で誘拐した男は暴れているようですが、2人は静かに事を進めます。
ある場所に到着。そこは人影のない施設です。誘拐した男を寝袋に入れたまま引きずり、建物内の殺風景な部屋で足の拘束を解きます。逃げそうになる男を2人がかりで捕まえ、壁の鎖でまた拘束。
口のテープを外すと「お前らは誰だ?」と男…ティボー・ラヴァルは怯えながら聞いてきます。
2人は何も言葉を発さず、アルベールはモニターを前に持ってきて娘の映像を見せます。「僕の娘だ。殺された」
そして無残な遺体の状態を抑揚のない声で読み上げます。
「私に何の関係がある?」「ミナール財団の会計係でしたね」「娘は財団関係者に拉致された。知らないわけはない」「私はやっていない。その子を知らない」
困惑するだけのラヴァルにアルベールは銃を突きつけ、強引にでも聞き出そうとします。新島小夜子はまだラヴァルに用があるのでその行為を止めます。
2人は一旦外に出て、新島小夜子は自転車で帰っていきます。
新島小夜子は普段は心療内科で医師をしています。今日は患者の吉村を診察。「先生は不安になることはないんですか?」「どちらのご出身ですか?」とやけに落ち着きなさそうに質問を浴びせてくる吉村。新島小夜子は淡々と対処し、その場で薬を飲むように促します。吉村は「まさかこれ毒じゃないですよね。冗談ですよ」と口数がやはり多いです。
新島小夜子は帰宅すると、とくに何もせずに床を動く掃除ロボットを見つめます。
アルベールは誘拐したラヴァルを見張るためにこの建物に寝泊まりしていました。ラヴァルは夜になると「トイレに行きたい」と喚いています。
翌日、新島小夜子がまたやってきてホースで水を浴びせて雑にラヴァルを洗います。アルベールはそんな無様な姿を横で笑います。さらに新島小夜子は食事を床にぶちまけ、ラヴァルに冷酷です。
そしてアルベールはまた娘がピアノを弾く映像をみせるのでした…。
変更点が不気味さを底上げする
ここから『蛇の道』のネタバレありの感想本文です。
リメイク版『蛇の道』は元の映画と比較するとより興味深いのですが、わかりやすい変更点としてフランスが舞台になったことと並んで、主人公がフランス舞台でありながら日本人になり、かつ女性になったことが挙げられます。
結果、作品の謎めいた不気味さが一層増しました。
まず冒頭からなぜ新島小夜子とアルベール・バシュレが手を組んでいるのか全然見えてきません。普通、男女のペアだと「夫婦なのかな」と推察できますけど、そうではないです。関係性としては心療内科の現場で出会ったことになっていますが、それにしたって協同関係になるにはチグハグな2人です。
しかも、本作は意図的にこの2人の各自の人生や家庭が観客に見えないようにベールで隠しています。なので「この日本人女性はなんなんだ?」とフランス人の観客からしても、日本人の観客からしても、全く判断できず、序盤から落ち着かない気分にさせてきます。
アルベールに関しては序盤からラヴァルとの対話の中で財団に潜っていたことも明らかになり、ここでアルベールの過去の怪しさも加わって、もはや誰も信用できない異様な空間の中でこの復讐劇が進行します。大半の登場人物が真意を掴み切れずに右往左往する、そんなありさまです。
元の映画でもその面白さはあったのですけど、リメイク版はグローバルになったことで人種や国籍の違いも交えて他人不信に陥る観客の心理を上手く掴んでいました。
さらに元の映画では性ビジネス業界における児童ポルノが背景にあったものを、このリメイク版では臓器狙いの児童人身売買に変更しています。これもまたグローバルな舞台としてはより得体の知れなさが増えていました。
しかも、この映画はここはホラーなのですが、その臓器も医療目的というよりはコレクションみたいになっていることが、作中でホルマリン漬けの身体の一部が棚に並べられて登場することで怖さが増量しています。まあ、世の中には人骨をコレクションとして取り引きする人もいるくらいですし、臓器や身体の一部を観賞用にコレクションする人もどこかにいるでしょう。全然あり得ない話でもないです。
まあ、これが“黒沢清”監督の世界観だという事実を踏まえれば、どんな恐怖も想定しないといけないですけどね。
ただ、本作には直接的な残酷描写はほぼ映像で描かれず、心理スリラーだけで攻めていけるのは、“黒沢清”監督作なのだから裏ではきっと酷く痛ましい所業が行われているに違いないと勝手に想像してしまうからかもしれませんけど…。
2024年の黒沢清の到達点
リメイク版『蛇の道』は全体のオチは基本的に元映画と同一なのですけど、中心に立つ“柴咲コウ”演じる新島小夜子の存在が異彩を放ちすぎていて、別物の映画のように味わえました。
オチを言ってしまえば、今回の一連の拉致監禁は新島小夜子の私的な復讐のためであり、財団関係者を次々と特定しながら、復讐を遂行していきます。アルベールは最後まで泳がされていただけで、しっかり復讐対象のリストのひとりでした。
子を失った女性の復讐劇なんて世の中にもいくらでもありますし、『女は二度決断する』など女性主導でぐいぐい進む映画も多いですが、このリメイク版『蛇の道』の新島小夜子は感情が無に等しいです。
あえて人間性をオフにしたキャラクター像になっており、これは“黒沢清”監督流のホラーですかね。黒髪の日本人女性が呆然と漂っている感じは、まるで怨念に憑りつかれた幽霊。今作の新島小夜子は幽霊ですね。性別を入れ替えたアレンジが効いています。
家でも掃除ロボットを見つめるくらいしか生活感はなく、他の人に認知されるようなシーンがほとんどありません。唯一、誘拐事件関係者以外でまともに会話するのは、心療内科に受診する吉村という男。“西島秀俊”が演じていますが、彼は後に死んでしまうので、新島小夜子の存在は死の予兆のようになっています。
一方の、アルベール・バシュレ、ティボー・ラヴァル、ピエール・ゲラン、クリスチャン・サミーといった男たちは、置かれている状況は緊迫しているはずなのに、どこか妙にユーモアも漂っていて、変な空気です。互いに互いを利用してああだこうだと言い訳を並べている感じは、組織などで責任を押し付けあう構図と同じなので、そんな風刺としても眺められますが…。
本作のおなじみのシーンになっているシュラフをずりずりして運ぶのもどこかユーモラスです。あれ、似たような運び方をふざけてやったことが私もあるのですけど、シュラフが簡単にボロボロになるので絶対にオススメしません(床の上でやってもすぐにシュラフが痛みます)。
倒錯した心理的捻じれが最高潮に達する中で勃発するのは銃撃。“黒沢清”監督は2024年の『Cloud クラウド』でも似たようなシチュエーションで銃撃戦をやってみせているので、この年はドンパチしまくってました。
元映画は『リング』の“高橋洋”が脚本を手がけていましたが、今回は“黒沢清”監督が脚色をしていて、自分の今までの「できること」「やりたいこと」を詰め込んだのでしょう。
リメイク版『蛇の道』は全体を通して、“黒沢清”監督がこの20年以上の間に培ってきた製作力のようなものを注ぎ込んでいる映画の完成度で、「2024年の黒沢清の到達点はここだ!」と刻んでいる映画でもありました。
まだまだ私も“黒沢清”監督に監禁される日々が続きそうです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024 CINEFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA
以上、『蛇の道』の感想でした。
The Serpent’s Path (2024) [Japanese Review] 『蛇の道』考察・評価レビュー
#日本映画2024年 #リメイク #黒沢清 #柴咲コウ #誘拐 #父親