スパイになりませんか?…映画『クーリエ 最高機密の運び屋』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2020年)
日本公開日:2021年9月23日
監督:ドミニク・クック
クーリエ 最高機密の運び屋
くーりえ さいこうきみつのはこびや
『クーリエ 最高機密の運び屋』あらすじ
1960年代、アメリカとソ連の対立はどんどんと果てしなく高まっていくばかりだった。敵国の戦略をいち早く知ることがこの冷戦の勝負の分かれ目になることは見えていた。そこで米英の諜報機関であるCIAとMI6は英国人の平凡なセールスマンであるグレヴィル・ウィンに着目する。彼はスパイの経験など一切ないがカモフラージュになると考え、モスクワで協力者と接触させ、密かにソ連の極秘情報を運んでもらうことにするが…。
『クーリエ 最高機密の運び屋』感想(ネタバレなし)
ジェームズ・ボンド(派遣)
ビジネスをしている者、とくに商談の多い職業であれば、相手方の無茶ぶりに答えないといけないこともあります。加えて自社側の要望も満たさないといけないので、そこで上手い具合に妥協点を見い出したりするのが腕の見せ所です。
「きみ、○○○やってよ!」…なんてお願いあれば、ビジネス・スマイルを浮かべて「検討させていただきます」とか「ご機会をいただきありがとうございます」とか、とりあえずポジティブなことを言って場の空気を壊さないようにしないといけません。もちろんハラスメントな内容は論外ですけどね。
しかし、こう言われることはなかなかないでしょう。
「きみ、スパイやってよ!」
え? スパイ? 確かに私は『007』や『ミッションインポッシブル』は大好きだし、『キングスマン』みたいなノリも最高だと思いますけど…本物のスパイですか? それはちょっと…。どこをスパイするんですか? えっ、ソ連? 危険ですよね? 捕まったら処刑もありうる? いやいや、私にはとてもじゃないけど…。
まあ、こうなるのが普通の反応だと思います。でもそんなお願いに受け答えて本当にスパイになってしまったセールスマンがいたのです。その実在の人物を描く映画が本作『クーリエ 最高機密の運び屋』。
タイトルの「クーリエ(courier)」というのは、配達人や案内人のことですが、この単語自体が密偵を意味することもあります。情報を運んでいるわけですからね。ちなみに類似のタイトルの映画が他にもいくつかあるので間違えないようにしてください。
『クーリエ 最高機密の運び屋』は冷戦真っ最中の1960年代にアメリカ&イギリスの諜報機関に命じられて、ソ連へのスパイ活動に従事することになった「グレヴィル・ウィン」というイギリス人を描いた作品です。この人、本当にただのセールスマンでした。秘密のスパイ養成学校で10代から訓練を積んできたエリートというわけでもなく、高層ビルを秘密道具で生身で登っていくとかもできないし、車をカッコよく運転してカーチェイスすることもできません。得意技はひとつ、ビジネスマンの同業者と交流を深めること。それだけの男なのです。
こんな男でいいのかという感じですが、米英も人手不足なのか、駒に過ぎないのでリクルートしやすいのか。現実的にはジェームズ・ボンドは派遣みたいなものなんですかね。夢が壊れる…。
その主人公を演じるのは“ベネディクト・カンバーバッチ”。今回は魔術は使いませんよ。それにしても『裏切りのサーカス』(2011年)、『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)に続いてまたイギリスの諜報機関関係の役柄ですね。すっかり定番だなぁ…。
他の俳優陣は、ドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』や『アイム・ユア・ウーマン』でも独特な存在感を発揮していた“レイチェル・ブロズナハン”、『ワイルド・ローズ』の“ジェシー・バックリー”、『名もなきアフリカの地で』の“メラーブ・ニニッゼ”など。
監督は、劇作家として主に活躍し、2017年には『追想』という映画も手がけたばかりの“ドミニク・クック”。今後は映画のキャリアも増えてくるのかな。もともと『ホロウ・クラウン 嘆きの王冠』というテレビ映画シリーズで監督もしており、“ベネディクト・カンバーバッチ”がリチャード3世を演じるエピソードも手がけているので、またも再タッグではあるんですけどね。
そんな大勢の登場人物が絡み合う複雑なストーリーではないので身構えなくても大丈夫です。しかし、映画自体はエンターテインメント要素はほぼなく、硬派なリアル志向の社会派スパイ・サスペンスになっていますので、あなたにマッチするかどうかは趣味しだいです。
時代背景もそんなに知識を求められるものではありません。冷戦とキューバ危機くらいは最小限は理解しておいてください(というかそれさえもわからないと大半のこの時代を描く映画に苦労すると思うけど)。
“ベネディクト・カンバーバッチ”のファンの人は必見ですね。
オススメ度のチェック
ひとり | :硬派な作品が好きなら |
友人 | :趣味が合う者同士で |
恋人 | :あなたの相手もスパイ? |
キッズ | :大人のドラマです |
『クーリエ 最高機密の運び屋』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):セールスマン、スパイになる
1960年。核兵器開発と宇宙開発競争を軸に互いの軍備拡張で牽制し合い、アメリカとソ連の間でいつ世界大戦が勃発してもおかしくない状況だった緊張の時代。ソ連の最高指導者であったニキータ・フルシチョフは、東西冷戦に揺るがされることのないように盤石な体制作りに腐心していました。モスクワでは今日もソ連の偉大な体制を讃え、政治家たちが喝采とともに全員一丸で国家に尽くしています。
ひとりの例外を除いて…。
オレグ・ペンコフスキーはソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の職員であり、普段は当然のように国家への忠誠心を持つ模範として振舞っていました。しかし、内側は違いました。ソ連の在り方そのものへの疑念は膨らみ、やがて体制に反旗を翻すという決断をします。
けれどもこのソ連ではそんな素振りを見せればたちまちKGBに捕らえられ、拘束されるか、処刑です。そこでアメリカ側に協力を求めるべく、ペンコフスキーは密かにサインを送りました。伝わることを願って…。
一方、CIAのエミリー・ドノヴァンは重大な情報をMI6のディッキー・フランクスとともに提示します。それは「Ironbark」というコードネームで呼ばれている、ソ連にいるらしいある男の情報です。なんでもこの人物はソ連の中枢の情報にアクセスできる立場であり、しかもこちら側にそれを提供する用意があるというのです。つまりスパイになってくれるということ。信用できるかわかりません。しかし、これは千載一遇のチャンスであり、大きな武器になります。見逃すわけにはいきませんでした。
問題はどうやってこの男と接触するのか…。CIAやMI6のエージェントでは絶対に怪しまれます。適任の仲介者が必要になる…情報の運び屋が…。
セールスマンのグレヴィル・ウィンは頻繫に東欧を訪れては商談をまとめる、よく働く男でした。交流を築くのも上手く、積極的です。今日も新しい人物と食事をする予定がありました。
そこで出会ったのは2人の男女。エミリーとディッキーです。いつものように陽気にお喋りして場を和ませるグレヴィル。しかし、2人が本題に入ったとき、さすがの熟練のセールスマンの顔も曇りました。
「スパイになってほしい」
「ただのセールスマンですよ。スパイなんて…」と躊躇するグレヴィル。けれども「だからいいんだ」と言われて、グレヴィルは人生最大の提案に悩みます。
結局、承諾したグレヴィル。ソ連へなるべく普通に向かいます。いつもの仕事。多くの取引相手と握手。その中にペンコフスキーがいました。話し合いも終わったとき、ペンコフスキーが近寄ってきてさりげなく食事の約束をします。
その席、「酒には強いか」と聞かれ、「唯一の取り柄です」と明快に答えて見せるグレヴィル。こうして2人の仲は深まっていきました。表向きはビジネス相手として…。
夜の帰り道。グレヴィルとペンコフスキーは本当の目的について語り合います。バレれば一巻の終わりだということ。ペンコフスキーはアレックスと呼んでほしいとのことでした。関係は秘密です。誰にも話せません。たとえ家族でも…。
やがて2人は家族を紹介し合う仲にもなります。ペンコフスキーを家に招くグレヴィル。妻のシーラと息子アンドリューと一緒に夕食。でも真実は口にできません。
そして事態はグレヴィルが思っていた以上に深刻な世界問題へと直面していき…。
オレグ・ペンコフスキーの裏切りの理由
『クーリエ 最高機密の運び屋』は娯楽性低めのリアル寄りなスパイ・サスペンスです。ではどこまでが史実どおりなのか。
そもそもなぜオレグ・ペンコフスキーはソ連を裏切ってスパイになるという命も危ない道を選んだのか。彼の父親はロシア内戦中に白軍側についており、戦死しています。白軍は、革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊の総称であり、共産主義とは距離を置いている立場です。そんな出自ゆえなのか、ペンコフスキーはあまり出世の道が切り開けずに、内心では不満を抱いていたとか。
もちろんこれは憶測でしかなく、真実は不明です。ペンコフスキーに関しては諸説あります。ソ連への裏切り自体がフェイクに過ぎないという分析もありました。しかし、ソ連側にとってペンコフスキーの一件はKGBの最大の失敗と語られるほどショックを与えたという話もあります。
本作で描かれるペンコフスキーは、特別な正義に燃える男でもなく、ひとりの平凡な等身大の人間として描かれている感じでした。
それでもペンコフスキー&グレヴィルがもたらした情報が、キューバにおけるミサイル発射場の計画案を明らかにし、偵察航空機「U-2」がその発射場を実際に撮影して証明されたというのは紛れもない事実。キューバ危機から世界を救ったという言い方はちょっと片側に偏った視点ですが、まあ、アメリカ側を優勢にして東西バランスが保たれたという感じですかね。なんだかんだで当時のアメリカは押され気味でしたから、これでソ連に一発反撃できて交渉材料にもなったのでしょう。
ペンコフスキーの最期は史実でも曖昧です。処刑されたという話もあれば、自殺という話もある。どちらにせよ無事でいられるような状況ではないでしょう。
ペンコフスキー、謎めいた人物ですよね。ロシア側で映画化されることはないでしょうから、今後も彼の存在を掘り下げる映画はどこかで生まれるのかな…。
セールスマンの意地
『クーリエ 最高機密の運び屋』のもうひとりの実在の人物にしてキーパーソン、それはグレヴィル・ウィン。
ちなみにエミリー・ドノヴァンは架空の人物で、“アンガス・ライト”演じるディッキー・フランクスもモデルになった人物はいますがこの事件にそこまで関与していないそうです。
なのでグレヴィル・ウィンだけが実話として浮かび上がってきます。彼は何度も言いますが本当にただのセールスマン。電気技師だったそうで、東ヨーロッパをビジネスで旅行することも多かったとか。
本作はそんなグレヴィルといういわば素人がスパイの世界に入っていくという面白さがあり、そこを主軸にしています。見たこともないスパイグッズ的なアイテムにちょっと興奮したりするのは、庶民的な素の反応なのか、それとも彼が電気技師という職業ゆえの好奇心なのか。超小型カメラとかをあの時代に目にしたら私でもワクワクするけど…。
でもそれ以外は本当の一般人。だから観ていると心配になってきます。セールスマンのスキルだけでやっていけるのかと。それでも序盤はいかにもビジネスマン的なお付き合いで上手く馴染んでおり、これなら目論見どおりにいけるという気がしてきます。
そもそもこっちも疑問ですが、グレヴィルはなぜスパイになろうとしたのか。別に自分の商売だけやっているのでもいいはずなのに。それも理由は不明ですが、本作を観ているとセールスマンとしての挑戦心というか、“やれるならやります”的なビジネス根性が働いているだけにも思えてきます。
しかし、これはお遊びではない。下手をすれば核戦争。世界を揺るがしかねない行為。それをしだいに自覚し始めたグレヴィルの心境は、ニュースで伝わるショッキングな世界的情勢変化に動揺し、それでも仕事はきっちりこなす。
刑務所に収監されてからは映画のトーンが変わり、ややパーソナルな精神的自問自答を映像化するようなスタイルになります。そこでもグレヴィルはソ連側の美味しい食事の誘惑も拒否し、交渉に乗りません。あそこも彼のビジネスマンとしての意地を感じるシーンでした。
“ベネディクト・カンバーバッチ”はこういう多少はおちゃらけていても最終的には自分のプロフェッショナルを貫くタイプの役柄が得意ですね。なお、グレヴィル本人と“ベネディクト・カンバーバッチ”はそんなに似てないと思う…(エンディングで本人が映っていましたが)。
でもまさか映画のラストは“ベネディクト・カンバーバッチ”のシャワーシーンからのケツ・カットで終わっていくとは思いませんでしたよ。その後の家族の再会シーンよりもケツに印象を持っていかれてしまった…。
私はスパイになりませんかと勧誘されても100%断る人間なので、CIAやMI6の皆さん、私に話しかけないでください(たぶん絶対にない)。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 86% Audience 95%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2020 IRONBARK, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
以上、『クーリエ 最高機密の運び屋』の感想でした。
The Courier (2020) [Japanese Review] 『クーリエ 最高機密の運び屋』考察・評価レビュー