私たちの「名前を知ってね」計画…映画『ドリーム』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2016年)
日本公開日:2017年9月29日
監督:セオドア・メルフィ
人種差別描写
どりーむ
『ドリーム』物語 簡単紹介
『ドリーム』感想(ネタバレなし)
影の功労者「黒人女性計算手」
宇宙開発の科学史にて、功績者として名前を残して一般にも広く有名になるのは、たいていが「ユーリ・ガガーリン」や「アラン・シェパード」といった宇宙飛行士ばかりです。
でも実際の宇宙開発には数百万の人間があらゆる分野の仕事で関わっており、功績は本来はそれら全員のものだということは忘れてはなりません。
まあ、これは映画も同じなんですけど。だから、私は映画のエンドクレジットは最後まで見て、ズラッと並ぶ名前に感謝の眼差しを向けることにしています。
一方で、宇宙開発にはエンドクレジットなんてありませんから、関わった人なんて知る術が基本はないものです。
そんなとき素晴らしい働きを見せてくれるのがやっぱり映画。そして、アメリカの宇宙開発で功績を残した名も知れぬ人物たちに光をあててくれた伝記映画が本作『ドリーム』です。
舞台は1960年代の米ソ宇宙開発競争真っ只中。知らない人のためにもっと簡潔に説明すると、「なんでもNo1だと思っていたアメリカが宇宙開発でソ連に先を越されて面食らっていた」…そんな状況です。当時のアメリカの大慌てっぷりをさらに知りたい人は『ヒューストンへの伝言』などを観ると良いですよ。
それで、本作の主人公の職業はNASAで働く「計算手(human computer)」と呼ばれる仕事。今では絶滅した職業ですが、当時は今のようなコンピュータ機器はなく、手動で計算するしかありませんでした。そこで活躍したのが計算手。そもそも「コンピュータ」とはこの計算手を意味する言葉です。
この計算手は多くは女性の職業になっていました(ちなみに昔は男性の職業だったらしいですね)。そして、残念なことに女性であるゆえに差別の多い職場。しかも、本作はさらに女性計算手の黒人たちを描くもので、つまり2重の差別がのしかかる環境。当時は黒人差別も酷く、人種間結婚を認めてもらうために奮闘する男女を描いた『ラビング 愛という名前のふたり』も同じ年代でバージニア州が舞台でしたね。
本作の原題「Hidden Figures」のとおり、“黒人女性計算手”という隠された「人物」と「数字」が浮かび上がる、意義深い作品になっています。米アカデミー賞では作品賞、助演女優賞、脚色賞にノミネートされましたが、惜しくも受賞ならず。それでも、素晴らしい映画であることには変わりありません。
俳優陣は、『善き人に悪魔は訪れる』の“タラジ・P・ヘンソン”、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』の“オクタヴィア・スペンサー”、『ムーンライト』の“ジャネール・モネイ”の3人が主役。他には、“ケヴィン・コスナー”、“ジム・パーソンズ”、“キルスティン・ダンスト”、“マハーシャラ・アリ”など。
監督は、『ヴィンセントが教えてくれたこと』の“セオドア・メルフィ”。
どっちかというと社会派映画ではなく、よくある「働く女性奮闘!」映画であり、小難しさも重々しさもない見やすい映画ですので、より多くの人に本作を観てもらって「こんな人たちがいたんだな」と知ってほしいです。
『ドリーム』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):NASAで私たちは働いている
1926年のウェストバージニア州。数学の才能がある少女のキャサリン・ゴーブル・ジョンソンは寄付のおかげもあって高度な教育を学べる機会を得ます。未来を切り開くために…。
1961年のバージニア州ハンプトン。1台の車が路上で停車していました。キャサリンがエンジンをかけますが、ドロシー・ヴォーンが故障を特定し、メアリー・ジャクソンは皮肉を言います。「26キロ歩く? それともバスで後ろに座る?」…メアリーはヒッチハイクすると口にしますが、やってきたのはパトカーです。
3人は少し緊張した面持ちで立ちます。降りてきた白人警官に身分証を提示し、職場はNASAだというと、その警官は「今もロシア野郎が見下ろしてやがる。スプートニクめが…」とボヤきつつ、車で先導してくれます。3人の黒人女性が白人警官パトカーを追っているヘンテコなシチュエーションに困惑しつつ…。
NASAは焦っていました。ソ連に先を越されてしまい、なんとかこの宇宙開発競争に勝たねばと必死。宇宙研究部(スペース・タスク・グループ;STG)は大統領と長官から早く人間を打ち上げるように命令されます。
責任者のアル・ハリソンは解析ができる数学者を欲します。そこで東棟主任のヴィヴィアン・ミッチェルが西棟の隅っこにある非白人計算グループ室をまとめているドロシーに「大至急計算係が欲しい」と頼みます。適任者はキャサリンだとドロシーは答えます。一方でドロシーは自身の管理職への昇格申請の件について質問しますが、黒人には管理職を置かない規則だと言われ、失望します。
メアリーはユダヤ人エンジニアであるゼリンスキーのサポートに向かうことに。常勤の仕事なので張り切ります。ゼリンスキーはメアリーの卓越した知識を見抜き、エンジニアの才能があるならエンジニアになるべきだと後押しします。「君が白人男性ならエンジニアになりたいと思うだろう?」「いいえ、白人男性ならすでにエンジニアになっています」
キャサリンは宇宙研究部に移動。そこで黒人なのは自分だけ。さっそく居心地が悪く、清掃員だと勘違いされます。エンジニア総括のポール・スタッフォードは黒人女性だと癪に障るのか、機密事項だと言い訳をして黒塗りにした資料を渡してきます。
宇宙飛行士候補生「マーキュリー・セブン」がラングレーに異動してくるので何とかその前に技術を完成させないといけません。
キャサリンはお手洗いを探しますが、黒人用のものはこの棟にはないようです。キャサリンは急ぎ足で外へ出て、もといた西棟のトイレに駆け込みます。そしてまた宇宙研究部の職場に走って戻ります。息を切らして席に着くと「どこに行っていたのか!」と怒られる始末。
こうして各自で仕事と格闘する日々が始まり…。
嘘が上手いドラマ
「管理職・エンジニアになりたいガールズと出会う男すべて唸らせるガール」でお送りする本作の主人公、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ボーン、メアリー・ジャクソンの3人。女性で、かつ黒人である彼女たちの職場環境は、今の常識では考えられないものなかり。
女性が入れない会議はもちろん、強烈なのはやはり至る所にある「COLORED」の文字が並ぶ人種隔離。職場部屋、化粧室、食堂、図書館、建物の出入り口、バス席、裁判席、コーヒー…すべてが黒人と白人で分けられる世界。日本人としてはいまだに「こんなことがあったのか」とSFを見るような気分になりますが、常識だった時代があるのですよね…。私だったらあんな職場、1日足りともいられない気がする…。
ただ、一応誤解なきように言っておくと、実際は劇中のようなあそこまでギスギスしたものではありませんでした。少なくともあの年にはNASAでは人種隔離もなく、あの3人もそれなりにキャリアを得て活躍していたようです。また、彼女たちの前に立ちはだかるいわゆる“イヤな”上司・同僚として登場するビビアン・ミッチェルとポール・スタッフォードは実在した人物ではありません。
このように結構“盛っている”ドラマなんですね。
それでいて、わざとらしいドラマになりそうなところを巧みにバランスとって、物語構成上の嘘をつくのが本作は上手いです。これは、原作者であり、脚本にも参加した“アリソン・シュローダー”の功績も大きいのでしょう。なんでも祖父母がNASAでエンジニアとして働いていて、シュローダー自身も高校生のときにNASAの養成プログラムに実習生として参加したそうで。職場をわかっている人が作っただけあって、さすがのリアリティです。
原作を読んでいないので比較できないのですが、本作は地味なドラマにならず映画的なカラクリに溢れていました。とくにトイレのために遠く離れた黒人たちの職場がある建物に毎回走る展開は、その後のカタルシスにつながるようになっていて良かったです。一度目のカタルシスは上司が黒人化粧室の表示版を破壊するシーン、二度目のカタルシスは最後の直前計算にキャサリンが必要になり男性部下と一緒にあのコースを走っていくシーン。差別が破壊され、調和したことを示す素晴らしい場面でした。
また、色使いもこだわっている感じで、NASAのスーツワーカーの堅物さを示すような黒白と、黒人女性計算手のカラフルなファッションが対比的で良かったですね。
ちょっと不満を書くなら、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士となるジョン・グレンの描写について、やや完璧イケメンヒーローすぎる気も…。ここはアメリカ映画のいつものクセがでてました。
彼女たちをお手本にしよう
『ドリーム』、日本では公開前から話題になっていました。ただ、あんまりいい話題のされ方ではなくて…。
映画情報通の人は知っていると思いますが、その理由は「邦題」。本作の邦題は当初は『ドリーム 私たちのアポロ計画』でした。これに対して一部の映画ファンが「本作で描かれるのは“マーキュリー計画”なのだから“アポロ計画”とするのは何事だ!」と怒り心頭になりSNSが炎上。土壇場で邦題変更となる事態に。といっても時間がない中の苦肉の策だったのか、サブタイだけ消えて「ドリーム」だけ残るという意味不明になってしまいました…。
私も本作の邦題は変だと思いますよ。個人的には「アポロ計画」の部分よりも「ドリーム」にこそ一番問題がある気がしますが…。韓国や中国はちゃんと原題ほぼ直訳のタイトルにしているのに、日本だけなぜ…。配給側もたとえ配給であろうとも製作側の人間になるわけですから可能な限り製作側の意思を尊重した邦題を考えるべきでした。
一方で、炎上にいたってしまった一部の映画ファンにも全面賛同はできなくて。確かに邦題が変なのは正論です。でも、「正論」は正しいけど、「正論で炎上させる」のは正しいのだろうかと。そんなことを思うのです。炎上させるだけしても改善効果がないと意味はないですし。
じゃあ、どうすればいいのか。その答えは本作の中に提示されていたのではないでしょうか。
劇中の黒人女性たちは社会や組織に「不満」があるわけですけど、あの彼女たちがやったことは、淡々と実績を証明して周囲を動かす、ポジティブアクションでした。
それに倣うなら、本作の邦題論争が起こっても映画ファンは「じゃあ、ベストな邦題をみんなで考えてSNSで普及させよう!」みたいな“楽しむ”ノリがあっても良かった気がします。いや、それだけだとダメなのできちんと署名でも集めて配給会社に意志を伝えても良かったかもしれません。
映画でもなんでもSNS炎上が本当に多いこのご時世。本作は、日本の映画配給側も熱心な映画ファンも、いろいろ学ぶことの多い映画でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 93%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★
(C)2016 Twentieth Century Fox ヒドゥン・フィギュアズ
以上、『ドリーム』の感想でした。
Hidden Figures (2016) [Japanese Review] 『ドリーム』考察・評価レビュー