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『孤独なふりした世界で』感想(ネタバレ)…この二人と一緒なら孤独じゃない

孤独なふりした世界で

この二人と一緒なら孤独じゃない…映画『孤独なふりした世界で』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:I Think We’re Alone Now
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年4月5日
監督:リード・モラーノ

孤独なふりした世界で

こどくなふりしたせかいで
孤独なふりした世界で

『孤独なふりした世界で』あらすじ

人類が死に絶えた地球で生き残ったデルは、誰もいなくなった町で死体を片づけ、空き家を整理しながら、自分だけの空間を築いてずっと生活していた。平穏なルーチンワークを繰り返していたデルだったが、そこへもうひとりの生存者で風変わりな少女グレースが現れて事態は動いていく。全く性格の違う二人。それでも今はこれが唯一のご近所付き合いになることに…。

『孤独なふりした世界で』感想(ネタバレなし)

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小人症俳優の活躍をご存知?

SNSなんかを見ているとたまに「え?それ、本気で言っているの?」と思うコメントを見かけることが往々にしてあるものですけど、ある時、こんな感じのことが話題になっていました。

それは「ポリコレのせいで小人症の俳優が活躍する機会が減った」…というもの。おそらくよくありがちなデマである「人権擁護派のせいで小人症のプロレスが衰退した」という言説の変化形版と思われます。でもこんな小人症の俳優の活躍が最近減少した…なんて迂闊に言っちゃうのは、昨今の業界動向に無知だと白状しているようなものです。

「小人症」…これは著明な低身長を示す病態のことを指すざっくりした用語で、その原因は色々ですが、主要なものは軟骨発育不全が背景にあるそうです。ちなみに“小人症の人たち”のことは、差別にならないように配慮した英語表現だと「little people(略して“LPs”)」もしくは「Dwarf」と呼びます(小人症を意味する「dwarf」の複数形は「dwarfs」で、ファンタジーに出てくるドワーフを意味する「dwarf」の複数形は「dwarves」なので注意)。なお「Midget(ミゼット)」という呼称も昔から使われていましたが、今は当事者の間では侮蔑的な意味合いで捉えることも多いそうで、使用しない方がいいとのこと。

古くは見世物にされたLPs。LP俳優も長らく映画業界では低待遇を受けてきた歴史があり、特殊な役柄しか与えられてきませんでしたし、給料も低いものでした。そのLP俳優の苦難の史実が簡単にまとめられた有益な記事を以下に載せておくので良かったら読んでみてください。

しかし、LPsコミュニティに激震が走る革命的出来事が2010年代に起こります。LP俳優の“ピーター・ディンクレイジ”が、空前の大ヒットで社会現象になったドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2009年~2019年)に出演。演じたのはエルフやレプラコーンでもない、物語を大きく動かす主要人物の一人「ティリオン・ラニスター」。しかも、本当に見事な熱演。私も『GoT』の俳優陣の中でベストは間違いなく“ピーター・ディンクレイジ”だと思っていますが、世間も絶賛でエミー賞やゴールデングローブ賞など各賞を総なめにしました

これは本当にLP俳優の世界では偉業。1939年に『風と共に去りぬ』にて黒人でオスカーを初めて受賞したハティ・マクダニエルに例える人もいるくらいです。アフリカ系アメリカ人では1940年間際に起きたことが、LPsコミュニティではやっと2010年代に起きたんですね。スタートラインに立てたのです。

その後も“ピーター・ディンクレイジ”は『スリー・ビルボード』『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』に出演するなど、LPsコミュニティを牽引するトップスターとなっています。もちろんまだまだLP俳優への差別や偏見、職業上の不利は残存しています。でも時代は変わっているのも確かです。

その先陣で切り開いている“ピーター・ディンクレイジ”ですが、映画のプロデュースもするようになっています。今回紹介する映画も彼が製作&主演をしている作品です。それが本作『孤独なふりした世界で』

本作はディストピアSFであり、人類はほぼ死滅した町でひとり生存する主人公を淡々と描いています。会話すらも少ない、かなり硬派なSFなのですが、もともとこういうのが好きなマニアは大好物なはず。

“ピーター・ディンクレイジ”と肩を並べて共演しているのは、若手女優として大活躍中の“エル・ファニング”。それにしても彼女も有名スターなんだから大作オンリーで厳選して出演もできるだろうに、こんな小規模作にもいまだに出てくれるんですね。相変わらずマイペースで掴めない人です。

本作は基本この二人だけを満喫できる世界。私にとっても大好きな俳優二人が共演しているのですから、こんなご褒美はそうそうありません。これだけで幸せです。

監督はドラマ『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』でおなじみの“リード・モラーノ”。『孤独なふりした世界で』以降は『リズム・セクション』(2020年)というアクションサスペンスも手がけるなど、ジャンル幅の広い監督です。もともと撮影キャリアから出発した人で、『孤独なふりした世界で』でも撮影を兼任しており、非常に美しい撮影が堪能できるのでそこも注目。

LP俳優のもたらす新しい世界の創造を予感させる映画としても解釈できる、意義深い作品ではないでしょうか。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(SF好き・俳優好きは必見)
友人 ◯(静かな作品で人を選ぶけど)
恋人 ◯(相手が気にいるかは注意)
キッズ △(子ども向きではない地味な内容)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『孤独なふりした世界で』感想(ネタバレあり)

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こうしてご近所づきあいは始まった

人っ子ひとりいない町。店は「OPEN」と掲げているものの買い物をするような人影はなく、あらゆる建物は真っ暗です。道路にも誰もいない。まるで全員が突然消えたように…。

その民家と思われる建物のひとつに鍵をこじあけてひとりの人間が入ってきます。その小柄な男は、品々を物色。オモチャやらから電池を拝借したり、写真たてから写真を抜き取ったりしています。そしてひととおりの作業が終わると、その民家の前の道路にスプレーで白いバツマーク。奥を見ると他にもバツマークが複数あり、他の家でも同じことをしたようです。

男は車で移動。別の大きな建物…図書館に入っていきます。慣れ親しんだ場所に帰宅したかのように過ごし、どうやらそこで生活しているのか。地図にバツをつけ、今日の作業を整理しました。

また車で出かけます。別の家。そこにはミイラ化した遺体が2体あり、男は驚くこともなくシーツで包むと、あちこちを消毒。やっぱり写真を抜き取り、2つの遺体は車の荷台に。また道路にバツマークをつけ、車で移動。ある場所でとまり、遺体を引きずって運ぶと、穴に捨てます。そして重機で埋める男。

今日の作業は終わりなのか、後は釣りをしたり、部屋で映画鑑賞をしたりして、時間を過ごすだけ。

男が寝ているとパン!という物音に飛び起きます。外に出ると花火が打ちあがっていました。何発も…鮮やかに…。それをただ見つめる男。

翌朝、男は町を歩き、異変がないか確認します。すると路肩に乗り上げて警報音が鳴っている青い車を発見。中には拳銃が無造作に置いてあり、そして運転席には金髪の若い女性がいます。意識はなさそうです。

ベッドで若い金髪女性が目覚めます。頭に包帯が巻かれており、ここはどこかの部屋のようです。「誰か?」と部屋の鍵のかかったドアを叩きます。するとドアの向こうから「他に仲間がいるのか」との声。「誰もいない」「なぜ生きてる?」「あなたは?」…男は無言です。「トイレに行きたい」と訴えると「100から0まで数えろ、そしたら行っていい、俺が鍵を開けたら数え始めろ」と指示されます。でも女はすぐにドアを開け、男と対面。無言で立ち去る男は、「ここにいたい」と言う女を無視して去っていきました。

死体の片づけを手伝いたがる女。二人の微妙な距離感。女は気にすることなく不愛想な男に話しかけます。「突然みんなが死んだ原因は何だと思う?」…でも「興味ない」と男は冷たい反応。「何かの疾患に99.99%の人類がかかったのかな」「あの時どこに?」と聞かれ、「寝てた」と答える男。

「寂しかった?」「質問し合うのが人間でしょ」と女は退きませんが、男は「この町に1600人の人間がいた時が孤独だった」と言い返すのでした。それを聞いて女は「荷物をまとめるよ」とこぼします。

夜、車で出ていこうとする女。行先はノープラン。そこに男が現れて「どこへいくつもりだ」「お試し期間にしよう」と一緒にいることを認めるのでした。

「名前は?」…「デル」「グレース」

こうして二人は同じ町で暮らす、ご近所になりました。

ところが予想外の事態に直面することに…。

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孤独の定義は人によって違う

『孤独なふりした世界で』は典型的なポスト・アポカリプスな映画です。どうして人類が一斉死滅したのかは明らかではありません。パンデミックなのか。なんだかコロナ禍を経験した私たちにとってフィクションとして他人事になりきれない世界観ですよね。でも人だけでなくペットもいないので、何かしらの動物全般が影響を受けたようです。

世界観設定としては『地球最後の男』に近いところがあり、作中でグレースが死体に対して復活して襲ってこないか心配と口にするのも、たぶんもろにオマージュですね(いや、もしかしたらあの世界観は普通にウィル・スミスの『アイ・アム・レジェンド』が公開している世界なのかもだけど)。

本作は『地球最後の男』と同じフォーマットながら、その古典的名作以上に「孤独」に向き合っている作品になっており、そこが私もとても気に入りました。

それが主人公デルの立ち位置です。彼は人類死滅以前はこの町の図書館でスタッフとして働いていたようです。そしてグレースに対して、以前の方が孤独で今は孤独ではないと説明します。それは決して見栄っ張りなんかではなく、きっと本音なのでしょう。

その理由は明示されないとはいえ、おそらくデルがLP(小人症)であるということと無関係ではないはずです。世間から白い目で見られ、奇異な存在として浮いて生きるしかなかった昔。でも今はその視線は一切ないので解放された気分になっている。初めて味わう、自分が変だと思われていない世界。それは格別だったんでしょうね。

この感覚はLPs特有ではないでしょう。誰かがいる時の方が孤独で、誰もいないと孤独とは思わない。なんか理解できるなと思った人もいるのでは? かくいう私も共感できました。

しかし、デルは一方でコミュニティを冷遇しているわけでもありません。写真を集めて保存し、亡くなった彼ら彼女らの記憶をしっかり引き継いでいます。でも彼ら彼女らは自分を対等には扱ってくれなかった。そういう他者に対する複雑な感情が、デルの行う雑に見える埋葬に表れているのかな、と。

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ずっと眺めていたいペア

そのデルはグレースと出会ったことで変わり始めます。

この二人の戯れは個人的にもご馳走でした。いや、“ピーター・ディンクレイジ”דエル・ファニング”なんて最高じゃないですか。

今作の“ピーター・ディンクレイジ”は悲壮感の強いキャラで、LPのステレオタイプな要素は皆無。さすが本人がプロデュースしているだけはあります。序盤の10数分は言葉を一言も発さずに淡々とシーンが流れるのですが、あれで絵を持たせられるのはやはり“ピーター・ディンクレイジ”の奥深い演技力と、“リード・モラーノ”監督の語る力のある撮影センスの賜物ですよね。私なんかはもうあの無言の序盤だけでも楽しいです。

ここに“エル・ファニング”というトッピングを加える。ご存知“エル・ファニング”は公私ともに陽キャラの象徴みたいな存在感で、いっつも元気満点なのですが、今作でも無愛想な“ピーター・ディンクレイジ”と見事な対比が完成されており、抜群のペアです。

ピザ食べたいとか、犬(名前はドッグ)を連れ回したりとか、割とどうでもいい呼び掛けを無線でしたりとか、絶妙にウザいのがなんとも。金魚のトークとか、本当に金魚を2年くらい飼育して自慢していそうだもんなぁ…。

ただその中でも単なる無邪気キャラではない、ふとした瞬間に見せる物憂げな人間の影みたいな部分が“エル・ファニング”のキャリア20年以上の役者としての只者じゃなさを感じます。実際にこのグレースというキャラクターは登場時から秘密をずっと抱えているのですが、それを上手い具合に打算的なものを感じさせない“エル・ファニング”明るいオーラで覆い隠していますからね。

私はあの世界で生きるアリとかになって、あの二人を永遠に眺めているだけでいいや…。

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私たちの世界へ

ずっとあの二人を見たかったのにそれを邪魔してくる別の二人の登場。グレースの両親を名乗る二人。この二人を演じるのが“ポール・ジアマッティ”“シャルロット・ゲンズブール”であるというキャスティングの嫌らしさを感じないでもないですが、とにかく異質なものがやってきた感が凄いです。

ここでデルは地球最後の生き残りでも何でもなかったと判明。他にコミュニティがあることもわかります。この展開も『地球最後の男』まんまなのですが、重要なのはデルにとってそれは悲劇的なことだという事実。

グレースがいなくなったことで荒れるデル。誰かがいる時の方が孤独で、誰もいないと孤独とは思わない。そう思っていたのに「誰もいない孤独」を知ってしまった。これによって二度目の孤独を体験することに。

同時に他にコミュニティがいる、しかもどうやらそれはこれまで以上に何やら排外主義や優生思想すら感じるヤバい世界だと知り、孤独を通りこして恐怖すら感じる。あのコミュニティから二人で逃走する際に見る、いかにもアメリカの理想とする富裕層住宅地の日常。あれが心底恐ろしいわけです。

それに対して世紀末は自分たちの世界なんだ!と高らかにアクセル全開&音楽熱狂で突っ走る二人。私はこういう終末世界が案外と楽しいみたいな、一般的にはバッドエンディングだけど“わかる人”にはハッピーエンド!みたいな映画が好きなので(最近だと『リトル・ジョー』とかね)、『孤独なふりした世界で』も大いに満足できました。

あえて苦言をするなら、この手の作品にありがちな男女が生き残ると恋愛や性愛を匂わせるのはやめてほしかったな、と。アダムとイブってことなのでしょうけど、それは二分されたジェンダー規範や恋愛&性愛規範の強要を色濃く感じるものであって、私みたい人間にはそれこそ嫌な世界なので…。

また、あの年齢差ペア(おそらくグレースは10代、デルは“ピーター・ディンクレイジ”本人は50代ですが)、普通であれば年齢もあって中年男性が若い女性をコントロールしている搾取感が出るのですけど、LPだからOKになっている妥協さがなくもないですよね。そこはちょっとややズルいなと思いますが…。

私にとっての孤独ではない世界はどこにあるのかな…。

『孤独なふりした世界で』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 63% Audience 42%
IMDb
5.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 MARKED LAWNS LLC.  アイ・シンク・ウィーアー・アローン・ナウ

以上、『孤独なふりした世界で』の感想でした。

I Think We’re Alone Now (2018) [Japanese Review] 『孤独なふりした世界で』考察・評価レビュー