ラストの先に待つ未来…映画『囚われた国家』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年3月14日
監督:ルパート・ワイアット
囚われた国家
とらわれたこっか
『囚われた国家』あらすじ
地球外生命体に侵略された2027年の地球。「統治者」と呼ばれるエイリアンの管理下に置かれ、支配されたアメリカでは、全市民が監視され、ルールを破った者は地球外に追放されるなど、過酷な監視社会が到来していた。それでも自由を取り戻すため密かに結成されたレジスタンスグループが、この世界の流れを変える一手を打とうと行動に出るが…。
『囚われた国家』感想(ネタバレなし)
侵略はすでに完了しています
今日が平穏だったとしてもそれが明日も同じとは限らない。
そういうことを身に染みて実感できる情勢の真っ只中にいる今の私たちなのですが、それでも悪化する状況の渦中にいてもやっぱり「明日こそ今日よりは悪くならないのでは…」「上手い具合に好転するだろう…」と希望的観測を捨てきれずにいるものです。
人間は本能的に現実逃避したくなる生き物なのかもしれません。そうやって思っている以上に壊れやすい自分の繊細な心を保護しているのか。
でもその個人の弱さが仇になって、なおかつ集団化することで社会そのものの脆弱性につながる。そして現実では確かに起こってしまうのです。感染症のパンデミックや差別思想の拡大、テロリズム、紛争や戦争の勃発、エイリアンの侵略がね…。ん? エイリアンの侵略?
ということで今回紹介する映画はエイリアンの侵略が題材の作品です。それが本作『囚われた国家』です。
と言っても「エイリアンどもが来やがった!ぶっ倒してやるぜ!」という『インデペンデンス・デイ』みたいな好戦的映画ではありません。むしろ正反対と言うべきでしょう。
『囚われた国家』は“すでにエイリアンに侵略されてしまった”アメリカを舞台にしています。なので侵略シーンはほぼ描かれません。侵略されてエイリアンの統治下になったアメリカがいきなり映し出されます。なぜ侵略されちゃったのだろう…あれかな、『マーズ・アタック!』のように鳩を放したのがきっかけだったのかな…。
それはともかく『囚われた国家』に関して事前にハッキリと言わなくてはいけないことは、本作はエンターテインメント作品としてのわかりやすさ、親しみやすさはゼロに近いということ。要するには完全なるド直球なSFであり、マニアのための映画という狭いニッチに向けられているのです。硬派なSF…と断言していいのかな。
ポスターとかを見るとなんか巨大ロボット風な物体が映っているじゃないですか。でっかいガンキャノンみたいなのを装着した。アレは背景に映るだけです。『トランスフォーマー』みたいな大バトルが繰り広げられませんので勘違いしないでください。
そういうこともあってか本作はわからない人には「何が面白いの?」映画なのですが、大好物な人には「良いじゃないですか(ニヤニヤ)」映画なのです。あなたはそのどちらなのかで本作の評価は決定的に分かれるでしょうね。
幸い(?)なことに私は「気持ち悪いSFオタク」に分類されてしまう人間なので『囚われた国家』もすっかり堪能してしまったのですが、まあ、全然わからん!という人が出てくるのも納得できます。私も魅力を語れと言われても、たぶん興味ない人にはどうでもいいことを楽しそうに語っているだけの人間になってしまうだろうし…(それでも後半の感想で書いてますけどね)。
監督は、正直誰も期待をしていなかった「猿の惑星」のリメイク『猿の惑星 創世記』を見事に打ち上げ成功させた“ルパート・ワイアット”です。今見ても奇跡の成功例なリメイクシリーズだなと思うのですが、“ルパート・ワイアット”監督はかなりSFに対するこだわりが強い人らしく、『囚われた国家』はオリジナル企画であり、パートナーである“エリカ・ビーネイ”と共同で脚本も手がけたという、気合いの入った一作です。
そんなに超大作ではないこともあって、俳優陣もそこまで有名な人が揃っているわけではないのですが、個人的には主人公級のひとりを語らずにはいれません。その人とは“ジョン・グッドマン”。これまでのフィルモグラフィーだと脇役で活躍する俳優でした。今回も脇役なんだと思うでしょう。私も思ってました。ところが信じられないことに、主人公です。かつてない目立った印象を残す大役です。なんだ、これ、私得?
いや、実際の主人公は『ムーンライト』の“アシュトン・サンダース”と、『The Last Black Man in San Francisco』の“ジョナサン・メジャース”なのですけどね。ただ、物語上のエモーショナルな役割の配分がね、今回の“ジョン・グッドマン”は…あ、ダメだ、ネタバレになってしまう。
他にも『マイレージ、マイライフ』の“ヴェラ・ファーミガ”などなど。地味ながらも物語を脇でしっかり支える人に囲まれています。
一部のSF愛好家だけが満足しそうな映画ですが、気持ち悪くこの映画を嬉々として語っている人を見かけてもソっとしておいてあげてください。たぶん害はないし、あなたの世界を侵略したりとかしないので…。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(好きな人は急所に刺さる) |
友人 | ◯(SFファン同士で) |
恋人 | △(一般ウケはしない) |
キッズ | △(かなりマニアック) |
『囚われた国家』感想(ネタバレあり)
一瞬で世界は支配された
2019年、イリノイ州シカゴ。
シカゴと言えば人口が非常に多く、高層ビルも立ち並ぶほどにビジネスも盛んで、さらには人種も多様です。ブルースやジャズなどの音楽も豊かに育まれ、そういえば『ブルース・ブラザース』もこの地でした。まあ、その映画はさておき、シカゴは多様性国家としてのアメリカを象徴する場所です。
しかし、今、この街の状態はいつもとは違います。人々のエネルギーが溢れる街並みではありません。物々しい雰囲気に包まれ、あたりは異様な緊張感がただよい、あちこちで検問ができているようです。どうやら戒厳令が発動したようですが、その詳細な理由は定かではなく、住民たちは混乱をしています。
そんな街で車を運転する男。検問の警察から車を止めろと言われるも発進、発砲されながらもアクセルは全開。街からに出ようとしていました。助手席には妻らしき女性。
そしてトンネルに入ったとき、前に“何か”がいるのを察知します。何なのかはわかりません。ただ危険なことだけは理解し、急いで後退しようとしますが…謎の衝撃。一瞬で前方席にいた二人は肉片も残らない血と化すのでした。
車は無人になった…わけではありません。後部座席に子どもが二人。何が起こったのかわからず、なぜ自分たちの両親は一瞬で消し飛んだのかも理解できません。けれどもそんなことを考える暇もありませんでした。謎の存在がこちらを見るように迫ってきます。“それ”は今まで見たこともない得体の知れない存在。全身の表面を棘のように変化させながら、“それ”は威嚇するかのごとく音をあげ…。
2027年。地球はエイリアンたちの統治下にありました。そのエイリアンは突如として人間社会の前に出現し、なすすべもなく人間たちは支配されていきました。今では政治もメディアもビジネスもあらゆる面でエイリアンのコントロール下にあります。以前は権力者だった人間すらももはや権力者ではありません。世界の在り方はひっくり返ったのです。
誰かのベッドをモニター監視する男がいます。彼はシカゴ警察の特捜司令官であるウィリアム・マリガン。この大男は今、ある人物に目を付けているのでした。街の壁にペイントされた“ある模様”を写真で撮るマリガン。それはかつて「フェニックス」という名でエイリアン支配に抵抗していたレジスタンス。そのレジスタンス・グループが復活して、また何かを企てているのではないかと疑っているのでした。しかし、他の者は考えすぎくらいに思っており、マリガンだけが執念を燃やしています。
マリガンが監視対象にしているのがガブリエルです。彼は一般市民ですが、彼の兄ラファエルがレジスタンスを率いていたので、何かの接触があるのではと警戒を強めていました。
ガブリエルは働いている労働作業場で女性からタバコみたいなものをもらいます。耳にはさみますが、それは何や大事なモノのようです。そして、謎の帽子男に首輪をつけられてどこかへバンで連れていかれます。コンテナ置き場に到着し、そこで待っていたのは、懐かしい顔。兄ラファエルでした。再会に喜ぶ二人。ラファエルの発言からガブリエルは何か大きな事が動き出しているのを悟ります。
ラファエルのレジスタンス・グループは密かに行動を開始していました。互いにほとんど顔を会わせず、それでも連携を取る一同。その目的はスタジアムのイベントで現れるエイリアンの“重鎮”を殺害すること。
ラファエル、ダニエル、エリソン、ルヴィア、リッテンハウス、アニタ、マー。それぞれのメンバーが役割分担を持ちながら確実に計画を進めます。
そしてついに実行の日が来ました。大衆で観客席は満員。パフォーマンス・ショーに拍手喝采。“統治者”を迎えましょうと歌が歌われます。そこに透明化した爆弾を持ち込むラファエル。
この爆発は人類の復活の狼煙となるのか、それとも…。
中身は本格スパイ・スリラー
エイリアン侵略モノのSF映画は世の中に無数に存在していて、例えば『インデペンデンス・デイ』や『世界侵略 ロサンゼルス決戦』のようなエイリアンを勇ましく撃退するものもあれば、『メッセージ』のように対話を描くものもある。それに『宇宙戦争』のようにスケールは大きくとも家族を主体にして物語ることもできれば、『リム・オブ・ザ・ワールド』のように子どもたちを主体にした無邪気な作品も生み出されています。
しかし、この『囚われた国家』はそのどれにも当てはまらない、なかなかに稀有な一作です。
じゃあ、何なのかと言えば、本作は社会派スパイ・スリラーなんですね。
エイリアン侵略というところを抜きにして考えれば、戦時中の独裁者などの統制下にある国を舞台に、そこでの反乱活動を描いていく作品群と形式は同じです。例えば、アルジェリアのフランスからの独立を描く『アルジェの戦い』(1966年)、ナチス・ドイツに反抗したフランスのレジスタンスを描く『影の軍隊』(1969年)、反ナチ運動を展開した白いバラのメンバーだったゾフィー・ショルを描く『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(2005年)とか。挙げだせばいくらでも存在します。
『囚われた国家』もこの社会派スパイ・スリラーのフォーマットに想像以上にガシッとハマった作りになっていました。ラファエルたちのレジスタンス・グループが連絡を取り合い(伝達役の人、公衆電話、伝書鳩などデジタルを避けているのがリアル)、それぞれバラバラに散っていたメンバーが各々の役割を果たし、一同に揃って作戦を確認し、いよいよ行動に移す。この過程は実にスリリングで、これがエイリアン侵略のSFだということを忘れそうになります。
ただ、ここにスタジアムでの作戦の欠かせない道具になってくる透明化爆弾というアイテムなど、SF要素が不意に挿入されるのがまた良いです。このへんのジャンル・ミックスはマニアが舌鼓する本作の味わいどころですね。
一方で攻勢に出るとはいっても派手な戦闘までは展開しません。そうなっちゃうと『インデペンデンス・デイ』になるのですが、そこまでアクセルは踏んでいない。このあたりの加減のしかたもいいのではないでしょうか(もちろんそこを期待していた人もいるかもですけどね)。
共産圏連合軍に侵略されたアメリカのゲリラ戦を描くif歴史モノである、1984年の『若き勇者たち』(2012年には敵を北朝鮮に変えて『レッド・ドーン』としてリメイク)に近い部分もあり、あくまで『囚われた国家』はエイリアンだったというだけです。
アメリカの自信を打ち砕く
それでもおそらくアメリカ人的にはショッキングな世界観だと思うのです。だってエイリアンにあっけなく侵略されてしまっているのですから。
アメリカはいつも映画の中では宇宙人であろうが敵国であろうが勇ましく戦って最後は追い返す。それがセオリーであり、絶対的な着地点。
しかし、『囚われた国家』はそこになんの猶予も与えず、アメリカの敗北を描きます。
しかも、このエイリアン、人間文明を滅茶苦茶に破壊する暴力行為ではなく、社会を都合よく統制するという支配行為を行います。政治も企業も全てエイリアンの意のままになり、メディアは大衆をコントロールする道具になり、しっかり国民の大多数は従っている。あのスタジアムでのシーンでそれが如実にわかり、アメリカの愛国歌である「リパブリック讃歌」がエイリアン賛歌に変えられてしまっている。この場面の衝撃は日本人にはピンとこないかもしれないですが、アメリカ人には信じられない、信じたくない光景です。
つまり、本作はアメリカ人の中にいまだにある「俺たちアメリカが屈するわけないぜ!」という自信を粉々に打ち砕いています。
世界観の描写としては、スパイ活動はしていないですけど、抑圧的な社会に静かに反発する者を題材にした映画として近年は『名もなき生涯』もありましたが、一番連想して結びつけやすいのは『未来を乗り換えた男』かなと思います。ファシズムの支配がもし今のヨーロッパで起きたら…を描く作品でしたが、あれもファシズムなんかに屈したのは過去の社会だったからだ…というヨーロッパの人々の油断の痛いところを突いていました。
社会というのはあなたが思っているよりも脆弱なんだよと教えてくれる一作ですし、皮肉にもこの作品は今のトランプ政権(映画自体はもっと前に企画されていたので意識したわけではないそうです)や、パンデミックに沈黙する社会を投影してしまっている。
ディストピアSFとしての適合性には毎度ながら驚かされるばかりです。
それでもアメリカは死なない
『囚われた国家』はエイリアンの描写もマニア心をくすぐります。
あの冒頭からインパクト大で登場するエイリアン。ヤマアラシみたいに興奮すると全身棘のようになるビジュアル(VFXを手がけたスタッフはインタビューで「spiky ‘porcupine’ state」と表現していました)。監督のインタビューによれば、あのデザインのモチーフはアントニー・ゴームリーというイギリスの彫刻家の作品だそうです。確かにこの彫刻家のアートの中には、本作のエイリアンにそっくりなものがあります。
個人的にはこのエイリアンについて、その生態系を感じられる設定が用意されているのが好みにフィットしますね。本作のエイリアンは全体的にハチに近い生態を持っています。例えば、実際にスズメバチの中には他のスズメバチの巣を乗っ取ってしまうものもいます。よく見ると作中で映る「ship」と呼ばれるエイリアンの船も、有機的な形態をしていて少しハニカムっぽいデザインになっています。
こういうリアリティはSFファンにはたまらないのです…。
そんなエイリアンに対抗するレジスタンス。多様性に富んだメンバー構成になっているのはとてもシカゴという街を象徴しています。
そして最後のオチもまた強烈。ラスト、レジスタンス騒動への対処で実績を示したマリガンは昇進し、エイリアンの仲介役という大役を担えることに。いざエイリアンの中心的存在たちがいる地下へと単独で向かうマリガン。その体にはスタジアム爆破と同じように透明化した物質で覆われ…。
このシーンでは、完全にスペースシャトルの打ち上げと同じ描写になっており、ここでまたもアメリカ的な要素がぶっこまれる。アメリカの敗北に対して実にアメリカらしい反逆。上ではなく下へと目指すアメリカン・ドリーム。それは成功するのかはわからない。でも行動はする。未来のために…。次のアメリカ独立戦争が始まるのです。
ただ黙って従っているだけでは何も将来はないということは、今の私たち全員が肝に銘じないといけないですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 43% Audience 38%
IMDb
6.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved. キャプティブ・ステート
以上、『囚われた国家』の感想でした。
Captive State (2019) [Japanese Review] 『囚われた国家』考察・評価レビュー