白人女性は矢面に立たされる!…映画『レイトナイト 私の素敵なボス』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2020年にDVDスルー
監督:ニーシャ・ガナトラ
レイトナイト 私の素敵なボス
れいとないと わたしのすてきなぼす
『レイトナイト 私の素敵なボス』あらすじ
トークショーの司会を長年務めるキャサリンは、業界のパイオニアであり、有名な賞をいくつも受賞した著名人。しかし、最近は不調だった。ある日、女性なのに女性を嫌っていると批判されると、ライター未経験の黒人女性のモリーを男性ばかりのチームに雇った。モリーは、自分が単なる多様化枠の採用ではないと証明するため、番組とキャサリンのキャリアを再び盛り上げようと努力する。
『レイトナイト 私の素敵なボス』感想(ネタバレなし)
コーポレート・フェミニズム映画
「フェミニストってすぐ文句を言いだす女のことでしょ?」というバカ丸出しは論外として、私も無知は恥なので少しずつフェミニズムの勉強をあれこれしているわけですが、学べば学ぶほどそれは単純なものではなく、複雑かつ多様に富んでいることを実感しています。
例えば「コーポレート・フェミニズム」という言葉。
これは、ミドルクラスの白人女性を主体に既存の資本主義的な社会&組織にそこまで事を荒立てることなく迎合するようなフェミニズムに対する俗称…とのこと。これだけの説明だと「どういうこと?」と思うかもしれませんが、要するに「フェミニズムって言っても中流白人女性のものじゃん!それって不公平じゃない?」という感じでしょうか。もともとFacebookの最高執行責任者で、かつてはキャリア女性リーダーのアイコンであったシェリル・サンドバーグに対する、女性だけれども人種的マイノリティである層などからの批判に端を発するようです。
確かに従来は仕事で成功をおさめる女性は白人で、彼女たちがキャリア論を発信してきました。映画でもキャリアウーマンとして登場するのはそういうカテゴリの女性でした。でもそれはあくまでミドルクラスな白人の目線。他の人種や貧困層には通用しないものがいっぱいあります。ゆえに文句が出るのも無理はありません。
一方でその矢面に立たされる白人女性も自分なりに努力してきたのも事実。マジョリティ(白人)でもあり、マイノリティ(女性)でもある今の中流白人女性はそれはそれで板挟みなのでしょう(日本にはこれに相当する立場の女性っているのかな? 学歴や英語能力のある女性?)。
そして、この極めてイマドキなトピックを見逃さないのが映画業界。社会の問題は映画のネタです。最近も「コーポレート・フェミニズム」をど真ん中で貫くようなビジネス・コメディ映画が生まれていました。それが本作『レイトナイト 私の素敵なボス』です。
舞台はテレビ番組の制作企業。番組司会者として成功をおさめたキャリアウーマン(もちろん白人)な主人公。男だらけの職場でも勇ましく働き、憧れの存在…だったはずでしたがすっかり古臭い存在になりつつあり…。そこでインド系女性を部下に雇い、いかにも“多様性に配慮しています”アピールをした感じに表面上はなるも、そこからあれやこれやとトラブルが…。さあ、どうなる!?…そんな物語です。
マスメディア業界のジェンダー問題(女性の働きづらさ)を描いた作品として最近は『スキャンダル』がありました。あちらはセクハラという性被害の重たいテーマであり、『レイトナイト 私の素敵なボス』とはまるで作品トーンが違いますが、でも今のアメリカ社会(とくにリベラルな風が吹き始めた大企業)を映しているという意味ではとても近似した作品だと思います。いや、どんな組織でも右とか左とか関係なしにこういう壁は立ちはだかるものですよね。
この『レイトナイト 私の素敵なボス』、製作と脚本を手がけるのが、『オーシャンズ8』でも印象的に活躍していたインド系アメリカ人女優&コメディエンヌの“ミンディ・カリング”だというのがまずは特筆したいところ。彼女は本作にも例の主人公が雇うマイノリティ女性役としてW主人公的に出演しています。マルチな才能が輝いており、これはキャリアアップしないのはオカシイくらいの上手さです。
そして主人公の白人キャリアウーマンを演じるのは“エマ・トンプソン”です。彼女もまた絶妙にハマっていて…。“エマ・トンプソン”自身もコメディなどメディア業界で初期にキャリアを積み重ねてきたので、なんか役にシンクロしているんですよね。本作ではゴールデングローブ賞のコメディ&ミュージカル部門で主演女優賞にノミネートされました。
他の俳優陣は、『スキャンダル』でセクハラ・メディア王を演じた“ジョン・リスゴー”が今作では割と良い人で別人ですし、『リチャード・ジュエル』で大躍進した“ポール・ウォルター・ハウザー”も登場(こっちは相変わらず)。『ロストガールズ』で主演を堂々張った“エイミー・ライアン”もいます。
監督は“ニーシャ・ガナトラ”という人で、彼女自身もインド系なので、本作のキャラと一致します。私は“ニーシャ・ガナトラ”監督作をこれまで一度も観たことがなかったのであんまり作家性を語れないのですが…。
なお、企画時はポール・フェイグが監督する予定だったみたいですね。確かにフィットしそうだ…。そういえば『ラスト・クリスマス』では“エマ・トンプソン”と仕事してましたね。
あなたが上司であろうと、平社員であろうと、パートやバイトであろうと、個人事業主であろうと、その立場に関係ありません。仕事に躓いたとき、悩みを抱えたとき、きっと『レイトナイト 私の素敵なボス』から前に進むほんの些細なアドバイスをもらえると思います。
日本では劇場未公開で、ビデオスルーとなっています。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(仕事に悩む人は必見) |
友人 | ◯(ほどよく笑える) |
恋人 | ◯(気楽に映画を観るなら) |
キッズ | ◯(大人向けのコメディだけど) |
『レイトナイト 私の素敵なボス』感想(ネタバレあり)
番組改編するなら組織を改編しよう
キャサリン・ニューブリーはトークショーのホストとしてエンターテインメント・メディア業界では抜群のキャリアを持っており、今日もステージに上がり、持ち味のスピーチで大衆を掴み、拍手喝采を受けていました。まさに成功した女性の頂点です。
ところがそんな絶好調に見えるキャサリンにも陰りが…。テレビに映る若手のスタンドアップコメディをチラリと目にし、あれが今のトレンドなのかとややげんなり。そう、求められるものは時代で変わります。今や若者たちがハマっているのはYouTuberです。自分はすでに古臭いおばさん司会者としてしか見られていないのか…。
社内でもキャサリンの立場は揺らいでいました。プロデューサーからも暗に改善を指摘されるも、素直にそれを認めたくはないのですが、仕方なく女性スタッフの雇用に同意。このキャサリンが働く企業は彼女自身がリーダーポジションではあるもの、圧倒的に男性ばかりの職場で、番組ライターは全員男性でした。今の女性視聴者にウケる番組にしないと視聴率は低下するだけ。キャサリンにとっては渋々の決断です。
一方その頃。モリー・パテルはエンターテインメント・メディア業界に夢を抱いていました。そしてつに挑戦の一歩を踏み出します(ゴミ袋が直撃したけれども)。
憧れのキャサリンが働く企業にライター志望で面接に来たモリー。と言っても実は彼女はろくに実績はありません。そこで口の上手さを活かして経歴を若干盛ります。ケミカル・プラントって名前の場所が前の私の活躍の場で(ただの工場勤務)、スタンドアップコメディの経験もあります(工場のアナウンス放送でトークしただけ)。あまりにも苦し紛れすぎる自己アピール。モリーもダメもとだとわかってはいましたが、結果はなんとその場で即決の採用。予想外のあっさり採用に「信じられない!」とモリーが困惑。もちろんその裏ではキャサリンからの「さっさと何でもいいから女性を雇用しろ」という催促(命令)があったのは知る由もなく。
さっそく職場を案内されますが、事前に男っぽい世界だと言われてはいましたが、ミーティング中の会議室に顔を出すと確かに全員が男性。向こうもモリーが新しいライターであることに驚愕していました。でも嬉しいは嬉しい。やっと夢のスタートラインに立てたんだと笑みがこぼれるのでした。
かたやキャサリンはいよいよ窮地です。生番組を終えて控室に戻ると、局の社長キャロラインから自分をキャンセル(降板)するという判断を告げられます。さすがのキャサリンも顔に動揺を隠せません。
キャリア終焉が現実味を帯びてきて意気消沈で帰宅したキャサリン。そんな彼女に対して夫のウォルターは意外にも番組の面白く無さを口にするのでした。
こうなったらここで一発逆転するしかない。翌日のライター会議ではいつも以上に焦り張り切るキャサリン。番組改善のために脚本家に檄を飛ばし、ライター各人の名前を覚えていないので全員を「1、2、3、4…」と数字呼びです。そこへ新人のモリーが入ってきて、やっぱり名前を覚える気はさらさらなく「あなたは8ね」とテキトーに命名。モリーは男でギュウギュウの中、自分の椅子がないのでゴミ箱をひっくり返して座ります。
モリーはキャサリンに「ここがダメなのでは?」と順序だててポイントを指摘。しかし“ソリューション”が欲しいキャサリンはモリーを批判ありきだと一蹴。一度は挫けて涙を見せるモリーですが、再起してもう一度、今度は改善案を提示。政治的すぎるトークは控えるべきという男性陣の無難な反論は無視し、キャサリンもモリーの案に乗ることにしました。
こうして同じ女性でも全く立場の異なる二人が連携することになり、視聴率V字回復な面白い番組は作り出せるのか。そして二人がもたらす変化とは…。
憂鬱な板挟みにモヤモヤする白人女性
こういうビジネス・コメディの魅力はいろいろな立場の登場人物がいて、観客にとって誰かしら自分にフィットする人を見つけやすいことだと思います。
まずは『レイトナイト 私の素敵なボス』の主人公のひとりキャサリン。彼女についてはすでに前述したとおり。おそらく当初はパイオニアとして誰もがうらやむ女性キャリアウーマンだったのに、今では時代の波についていけずに古臭くなってしまいました。
ゆえに旧時代的な女性の象徴になってしまい、逆に支持者であるはずの女性から批判を集める結果に。この立ち位置の人は普通にリアル社会でもいます。『スキャンダル』みたいな露骨な保守組織でなくとも、こういう女性が生じるのはある種の必然なのかもしれません。
でもキャサリンにも確かに女性としての苦労の足跡があるわけです。キャサリンの職場での振る舞いは、ときにパワハラ的でもありますが、それはこうでもしないとガラスの天井が立ちふさがる女性がキャリアアップすることはできなかったという悲しい現実でもあって…。
しかし、そのキャサリンも時代遅れになると消費期限の切れた食べ物のように容赦なく捨てられる。しかもその後釜に座るのは男性だったりする。じゃあ、今まで自分がやってきた「冠番組を持ち続けた初の女性」という努力はいよいよなんだったのかという話にもなります。
人気を回復しかけたかに見えても浮気スキャンダルであっさり追い込まれる。キャサリンのキャリアの基盤の弱さが見え隠れるするシーンです。
結局、キャサリンは表向きは誉れ高いキャリアを手に入れましたがそれでもなおも女性差別の息苦しさの渦中にいます。
なお、キャサリンはあの番組のトップではありますが、会社のトップではありません。会社のトップの座にいるキャロラインも女性であり、おそらく彼女自身も何かしらの苦労をたくさん抱えて今に至るはず。経営者としての責任と、同じ女性を応援したい板挟みがあったんだろうなと終盤のセリフから感じ取れます。
そんな迷えるキャサリンが自虐的なトークをできるようになっていく過程は、まさに「ツラいことこそ笑いのネタにして武器にしよう」というコメディの基本に立ち返ったかたち。スキルのある人間なら、それが性別の壁で邪魔されようともまだまだ前に進んでいけるし、前に進んでいい。
キャサリンがセカンドステージへと進んだことで、また新しいリーダー像に更新されたように見えました。“人はアップデートできる”っていうのは大事な認識ですね。
多様性枠でしかないマイノリティ女性
中流白人女性を象徴するキャサリンに対して、正反対に位置するのはモリーです。
彼女はそもそもブルーカラーの労働者で、ショービジネスとは無縁(趣味レベルでのコメディ活動しかない)。そして、何よりもインド系女性としてのマイノリティを抱えています。
無論、本人はそんなのを気にせずに夢に挑戦しています。そして今回憧れの職場で働けることになりました。
しかし、それは多様性を推進するというどの企業も課せられている補助輪つきのエスコートに過ぎない。キャサリンも言うように、残念だけどそれが動かぬ事実であり、それが今の女性やあなたのような人種の現実。このツラさはやはり当事者にしかわからないもので…。
それでもモリーが前進できるのはやっぱりキャサリンのような人間がいるからなんですね。例え世間がキャサリンを古いとバカにしても、自分にとっては理想のひとりだった。このことからも人にはモデルケースになるようなリーダーが必要で、その力は思っている以上に偉大なんだと痛感します。
一方で本当なら同じインド系女性のリーダーに出会えればいいのに、それが白人女性だというのはこれまたひとつのリアルを証明するツラいものです。
でもこれからはたぶんモリー自身がインド系女性のリーダーの初陣を飾るのでしょう。そして今度は数十年後にモリーが古臭い女性と言われる瞬間が来るかもしれない。そのときはキャサリンと同じ葛藤をして、また別の新しい才能に助けられるのかもしれない。
こういう人の連鎖ってすごくビジネスの世界では大事だなと思います。
女に席をとられて二流になった男たち
女性ばかりがクローズアップされているように見える『レイトナイト 私の素敵なボス』ですが、私は結構男性の描写も面白いと思いました。
本作の男性陣(あのライター勢)、言ってしまえば女性にキャリアの座をとられ(それは女性活躍推進のせいとかではなく純粋に能力で負けているのですけど)、二流の席に甘んじるしかない男たちです。
ただ、滑稽なのは二流になってもまだホモソーシャルを維持しようとあれこれやっていることです。男性たちで常にたむろして、若い男を応援したり、ときにマウントを取り合ったり…。でも自分より上の立場にいる女性には全然意見が言えない。そもそも意見を言うほどの才能もない。だから裏でこそこそと「あのモリーってやつは経歴ないくせに雇用されている」「多様性枠の贔屓だ」と自分より弱いキャリアの女性を見つけて愚痴るしかできない。
こういう男たち、確かに今の時代ではざらにいます。いや、これもまた今のダイバーシティ時代ならではの象徴的存在かもしれません。
そんな情けない男たちですが、彼らの本当にやるべきことはボヤくことではなく、やはりスキルを見せることなんですよね。
『レイトナイト 私の素敵なボス』はラストですごく理想的な職場を見せてくれます。多様な人種が働き、性別も偏っていない世界。もちろん男性だっています。ちゃっかり“ポール・ウォルター・ハウザー”演じるマンクーソもいるのが笑ってしまいますが(あいつ、優秀だったんだよ、きっと)。
このエンディング自体は少しわざとらしさもあるかもしれませんが、でも本作の立ち位置もハッキリすると思うのです。つまり、過渡期を描いているんだ、と。
ジェンダー差別というのは「女vs男」という二項対立ではない。本作のキャサリンのように複雑な立場にいる者も存在している。モリーのような初挑戦すぎてオロオロしている潜在的可能性を秘めたマイノリティもいる。あの男たちのように従来の居場所をなくして何を生きがいにすればいいのか新しい道を見いだせずにくすぶっている奴らもいる。でもそんな人たちもいつかは落ち着くべきところに落ち着く。そういうラストだったんじゃないかな。
「ミッシングリンク」という言葉があり、これは生物の進化過程で中間期にあたる生物のことです。化石が見つからないのでその存在が疑われることもありました。
『レイトナイト 私の素敵なボス』はダイバーシティ時代の「ミッシングリンク」的な人を記録した映画と言えるのかもしれません。50年後に人々が本作を観た時「へぇ~こんな状況の職場が昔はあったんだね」と言われたりするのかも。
そうだといいんですが…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 77%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)FilmNation Entertainment レイト・ナイト
以上、『レイトナイト 私の素敵なボス』の感想でした。
Late Night (2019) [Japanese Reciew] 『レイトナイト 私の素敵なボス』考察・評価レビュー