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『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』感想(ネタバレ)…少女が北極へ向かう意味

ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん

少女が北極へ向かう意味…映画『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』(ロングウェイノース)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Tout en haut du monde(Long Way North)
製作国:フランス・デンマーク(2015年)
日本公開日:2019年9月6日
監督:レミ・シャイエ

ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん

ろんぐうぇいのーす ちきゅうのてっぺん
ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』あらすじ

19世紀のロシア、サンクトペテルブルグ。そこで暮らす14歳の貴族の子女サーシャは、大好きな祖父が1年前に北極航路の探検に出たきり行方不明となり、意気消沈していた。そんな状況の中で、サーシャは祖父の部屋で航路のメモを発見し、祖父の捜索を懇願するも、誰の理解も得られず、不興を買ってしまう。父からも叱責を受けたサーシャは、自ら祖父の居場所を突き止めることを決意し、地球のてっぺんを目指すが…。

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』感想(ネタバレなし)

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Flashは今もアニメの芸術を支えている

私のようなアニメーションに素人な人間からしてみれば、アニメ映画は「2D(絵)」か「3D(CG)」の2種類でしか分けて見ていないのが基本だと思います。でも、実際、アニメーションはそんな二分類にとどまらず、多彩な手法が存在します。

そのひとつに「Flashアニメ」というものがあります。

この概念を聞いたことがあるかどうかで年齢がバレかねない面もあるのですが、アニメ業界で働いていなくとも「Flashアニメ」という言葉を知っている人はいるはず。1998年から2002年頃のインターネット黎明期。まだ通信技術等が大容量データを取り扱えなかったので、今のような動画サイトなんて主流ではなかった時代です。「Flashアニメ」は当時のネット住民にとって格好のエンタメであり、ネタでした。

そもそも「Flashアニメ」とは「Flash」で動くアニメーションのことです。「Flash」というのはMacromedia社(現Adobe社)が開発したソフトのこと。詳しい技術面での解説は私にはできないので割愛しますが、要はそれだけの話。

ただ、最近、Adobe社が2020年末に「Flash Player」の開発と配布を終了する予定であると発表し、各社ブラウザも「Flash」の対応を続々と終了させている現状があり、そのせいでなんだか「Flashアニメ=過去の遺物」みたいに扱われがちです。「Adobe Flash」というソフトも「Adobe Animate」に名前が変わってしまいました。

でも「Flashアニメ」は過去の手法ではなく全然現役なのです。あくまでネットのブラウザでは使われなくなっただけ。アニメ制作ではバリバリ活用されています。近年だと『夜明け告げるルーのうた』にも「Flash」は利用されているとか。まあ、だからといって「Flashアニメ」だと宣言するほどでも今の時代はないのでしょうけど。手法のひとつに過ぎないのですから。

とにかく「Flashアニメ」は“昔のもの”とか“チープなもの”みたいには思わないでね…そういう着地。

で、長々と書いてしまいましたけど、今回紹介するアニメ映画も「Flash」が使われています。それが本作『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』です。

この映画はフランスとデンマーク製作のアニメーション映画で、非常に評価が高く、アヌシー国際アニメーション映画祭では観客賞を受賞しました

海外のインディペンデント系のアニメーション映画業界(とくにヨーロッパ)は、アート性と物語性を内包した素晴らしい作品の宝庫であり、私もそこまでマニアではないものの、とても好きな作品に出会えることが多く、関心を持っています。

『生きのびるために』や『ぼくの名前はズッキーニ』などは最近のお気に入り。

2019年もありがたいことに日本で多数の海外インディペンデント系のアニメーション映画が劇場公開されています(ただし公開規模は非常に少ないですけど、まあ、公開されるだけラッキーですよね)。

基本的にこれらの作品を見ることを趣味にしている層くらいしか足を運ばないのですが、なるべくひとりでも多くの人に観てほしい…それくらいの価値があると断言できます。

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』の素晴らしい魅力は、やはり御多分に漏れず「アート性と物語性の融合」です。

絵については非常にフラットでアウトラインのないベタ塗りのようなタッチなのですが、それが不思議なことに生き生きと動く動く。『かぐや姫の物語』でおなじみ巨匠である高畑勲監督が絶賛したという話も大納得の、“動かす”ことへの気持ちよさ。絵本の挿絵がそのまま動いているみたいです。

物語性についてはネタバレになるので後半の感想で。簡潔に言ってしまえば「貴族の少女、北極へ行く」という単純明快な話なので、誰でもわかりやすいはず。

たまにはこういうアニメーション映画を観るのも良いものですよ。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(海外アニメ好きは必見)
友人 ◯(アートに興味ある者同士で)
恋人 ◯(アート鑑賞感覚で)
キッズ ◯(子どもでも難しくない)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』感想(ネタバレあり)

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ロシア貴族はフランスがお好き

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』は何も知らずに鑑賞しても、波乱万丈の展開が続くストーリーなのでハラハラしながら普通に楽しめるのですが、その物語の背景を知っておくと面白さも深みがでると思います。

本作はフランス・デンマーク製作ですが、観た人ならおわかりのとおり、舞台は19世紀のロシア、サンクトペテルブルグ。でも、吹替ではなくオリジナル言語がわかる字幕で鑑賞すると気づくと思いますが、主人公であるサーシャはフランス語で喋ります。なぜなのか。

作中の年代は1882年。この当時のロシアは、今の私たちが知っている社会主義全開のロシアとは全く違います。「ロシア帝国」と呼ばれ、皇帝による専制政治が行われていました。このロシア帝国の首都がまさにサンクトペテルブルクだったんですね(ちなみにソビエト連邦時代になるとサンクトペテルブルクは「レニングラード」に名前を変えます)。

そのロシア帝国で暮らす人々は階級社会で構成されており、その上位にいるのは「貴族」でした(全体の約1.5%が貴族だったとか)。そしてここからが肝心ですが、ロシア帝国を統べるピョートル大帝はロシアの目指すべき理想を当時に世界を牽引していたヨーロッパとし、西欧化を推進しました。とくに欧州でも勢いのあった国がフランスです。そして、フランス大革命でフランス貴族がロシアに流入してきたという出来事もありました。これら諸々の理由のため、当時のロシア貴族の間ではフランス語が日常的に使われるようになった…らしいです。要するに「フランス語ってなんか高貴な感じでおしゃれよね~」という貴族たちの流行りでもあるのでしょう。当時の国際語であったフランス語を話し、それらの文化的備品に囲まれることこそが先進国としてのステータス…そんな感じだったのでしょうか。

現在に至ってもロシア語の中にはフランス語の単語が残っているあたりに歴史の名残を感じさせます。

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』に話を戻すと、サーシャたちがフランス語を話すのはこういう理由であり、ちゃんとリアルなんですね。

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北極は大国も勝てない最強の存在

続いて、北極周辺の探検事情の話。

当時、世界中のそれなりに力のある国々は北極航路探査に力を入れていました。その航路開拓に必死な理由は商業的に使えるからです。新航路を発見すれば、流通コストを劇的に減らして、貿易を格段に発展させられます。飛行機も電波もない時代。海こそが世界をつなぐネットワークです。

ロシアも例外でありませんでした。1720年代にはピョートル大帝が命令した「カムチャツカ探検」(大北方探検)と呼ばれる大きな探検計画が始まり、国家の後押しで探索船がどんどん未知の世界へ挑んでいきます。1728年には、アジアとアメリカの間に海峡があることを発見し、ベーリング海峡と名付けられました。

自然学や地理学も盛んになりました。作中でサーシャが友人と一緒に忍び込む「ロシア科学アカデミー」(たぶん当時は「帝国サンクトペテルブルク科学アカデミー」という名称だったはず)。このロシアの最高学術機関を構想したのもまたピョートル大帝であり、彼の亡き後に開設されました。ロシア科学アカデミーは今も健在で、ロシアの科学を支えています。

ともかく、新天地の開拓と科学の発展は比例する。そういう時代が作中の世界です。

航路の探査は各地で進んでいきますが、問題となるのは北極点の探査。これがとにかく高難易度のミッションです。なにせ当時は砕氷船すらなく(作中では砕氷船という言葉が使われていた気もするけど)、あの巨大な氷に追われた海に踏み入れるのは狂気の沙汰。何人もの探検家がその過酷な世界に挑んでは失敗し、中には死亡する人も実際にいました(1879年から1881年にかけてはアメリカ海軍のジョージ・W・デロング率いるチームが北極点を目指したがあえなく遭難し、19名が死亡したという事例も)。結局、北極点に徒歩で到達した初めての公式記録は、無線通信、蒸気船、砕氷船の発明が充実してもなかなか達成できず、1969年にならないと生まれません。

つまり、当時のロシアを始めとするいかなる大国も敵わない最強の敵が「北極」なのです。ユートピアとはまるで異なる、文明も何もない、命を奪うだけのディストピアですね。

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理想の社会を探して

以上、当時の理想の環境とされた「貴族社会」と、当時の絶望の環境と思われていた「北極」。この2つのロケーションの象徴するものを理解しておくと、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』でのサーシャの行動は別の意味を暗示するように解釈もできるのでないでしょうか。

序盤でのサーシャは貴族社会の真っ只中にいます。家名をあげるために政略結婚を勝手気ままに進める親に囲まれ、舞踏会という華やかに見えて裏では互いに見栄を張ることに忙しい人たちの集まりの中、まさに出自どおりの人生を歩かされようとする瞬間。

彼女へどこからともなく風が吹き、祖父から受け継いだ探求の心が再燃します。サーシャの祖父は、アカデミーの図書館にその名を冠する予定になるほどでしたし、きっと相当なアカデミーで功績を認められた人物だったと思われます。そして、何よりも権力ではなく科学に情熱を注いだ人間でした(科学大臣に任命されたけど知への探求心がまるでないトムスキー王子とは対比的)。

まず序盤、旅立つという選択をするサーシャは、つまり貴族社会という当時の理想郷を否定します。宝石を渡すシーンで完全な決別をしていますね。そのまま今度は酒場で社会の底辺階級である労働者層の暮らしへと身を投じます。

そして次に移るのは船の世界。そこは男だけの環境でサーシャには肩身が狭いですが、自分の力を証明して認められていきます。

最後にたどり着くのは北極の世界。サーシャの目的はもちろん祖父の行方を追うことなのですが、深読みするなら、偽りの理想である貴族社会とは異なる、真の理想の社会を探求しているとも解釈できます。「北」という漠然とした方向、ロシアより北に国はないですが、でもそこには実態はなくとも、本当に幸せのある社会が見えてくるのではないか、と。

しかし、現実は過酷です。命を脅かす寒さ、自然の暴力、飢えによるパニック。そんな生まれたての社会が真っ先に直面するであろう危機を経験しながら、やがてサーシャの探索団は階級も性別も年齢も越えた調和とともにひとつの“社会”を形成する姿がありました。だからきっとサーシャは地球のてっぺんで理想の社会を見つけられたわけであり、素晴らしい収穫とともに帰国するのです。

少女が北極へ行く『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』に近似した日本のアニメがあって、『宇宙よりも遠い場所』というテレビアニメ作品で、こちらは少女たちが南極に行く物語。ニューヨークタイムズが選ぶ2018年の「The Best International Shows」にも選ばれ、海外からも評価する声のある作品です。類似点は多く、新しいコミュニティの中での青春ロードムービー(船)という大枠は同じ(消息を絶った家族を探すという目的も共通)。

でも決定的に違うのは、『宇宙よりも遠い場所』は「自分探し」という個人中心の話であるのに対し、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』はもっとスケールが大きく「社会探し」の旅路だという点。これはやはりロシア帝国の時代という舞台設定の影響も大きいと思われ、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』は少女に代弁させる歴史ドラマなんだなとも思います。

まあ、この後、ロシアは社会主義国となり、世界は戦乱に包まれていくわけで、そういう意味では、サーシャが見つけた理想の社会は北の吹雪の中にチラリと見えただけで実現はしなかったという、切ない「マッチ売りの少女」的な物語だとも言えるかもしれません。もしくはこの理想を追い求める姿こそ今の私たちに託されたものだと受け止めることも可能でしょう。

こういう社会とか国の歴史を背負っていることが多いのが、海外インディペンデント系アニメーション映画の特徴でもあるので、知識が深まるという意味でも、本当に魅力的な作品です。

今度はどんな国や歴史の作品が見られるのか、私の乗る船は今も探索中です。

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 76%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2015 SACREBLEU PRODUCTIONS / MAYBE MOVIES / 2 MINUTES / FRANCE 3 CINEMA / NORLUM

以上、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』の感想でした。

Long Way North (2015) [Japanese Review] 『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』考察・評価レビュー