スパイダー規範とカミングアウト…映画『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2023年6月16日
監督:ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン
スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース
すぱいだーまん あくろすざすぱいだーばーす
『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』あらすじ
『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』感想(ネタバレなし)
マルチバース映画の最高峰は…
「マルチバース」という言葉もすっかり映画界では聞き飽きた感じはありますが、もういろいろなマルチバース映画が作られてきましたからね。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)も本格的にマルチバースを導入し、シリーズ自体も「マルチバース・サーガ」と銘打ってきました。DCだってドラマシリーズで以前からマルチバースを積極展開。ついにはアメコミの枠に収まらず、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』というマルチバース映画がアカデミー作品賞を獲る時代になりました。
でも私としては最もマルチバース映画として評価したい、マルチバースの扱い方が最高にハマっていた映画は2018年の『スパイダーマン スパイダーバース』だと思っています。
『スパイダーマン スパイダーバース』はあらためて振り返ってもハリウッド映画史において転換点となる作品だったと痛感します。
まず主人公をアフリカ系&プエルトリコ系のミックスの少年にしたというレプリゼンテーションの点でも時代を切り開きましたが、それが単なる表象で終わらず、アイデンティティの物語としてきっちり融合させてみせたのが画期的でした。
加えてマルチバースの設定を芸術的なアニメーション表現としても活かしており、「よくこんなビジュアルを実現できたな」と感心するような世界観を実現。元がコミックだからこそできる汎用性を上手く駆使し、あっと言わせてくれました。
どうしてもマルチバースありきの作品は、『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』や『ザ・フラッシュ』といい、「あのキャラクターも、このキャラクターもでてきて、共演する!」というファンサービスに特化しがちなのですけど、『スパイダーマン スパイダーバース』は圧倒的に頭ひとつ抜きん出ていたと感じます。
その『スパイダーマン スパイダーバース』の続編がいよいよ2023年に公開。それが本作『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』です。
しかも、『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』は二部作の1作目で、次に『スパイダーマン ビヨンド・ザ・スパイダーバース』が2024年公開決定済み。
正直、私は一抹の不安もありました。第1弾の映画でマルチバースの面白さも表現も見せ尽くして、結局はいっぱいスパイダーマンをだすだけのファンサービス・ムービーに落ち着くのではないか、と。
けれども製作・脚本のあの“フィル・ロード&クリストファー・ミラー”がそんな凡庸なことするわけなかった…。
この2作目の『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』、続編として見事にやってくれました。ここまでやるとは…圧巻です。
実写のほうで集大成的な映画となった『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』がありましたが、この『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』はそれを超える最大スケールでの決定的な一作として切り込みましたね。
ネタバレ無しではこれ以上言葉にもしようがないので、続きは後半のネタバレありで。私の中でのマルチバース映画の最高峰は更新されました。
『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』を観る前のQ&A
A:前作『スパイダーマン スパイダーバース』から物語は直接的に続きます。鑑賞しておくのを推奨します。
オススメ度のチェック
ひとり | :何度も観たい |
友人 | :エンタメ性抜群 |
恋人 | :楽しさを語り合って |
キッズ | :子どもも満足 |
『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):もうこの続きは知っている
グウェン・ステイシーは孤独でした。特殊な蜘蛛に噛まれて「スパイダーウーマン」としての力に目覚め、以降はヒーロー活動に従事してきましたが、誰にも正体を明かしていませんでした。加えて友達のピーター・パーカーが力欲しさに危険な行為に及び、グウェンと戦うハメになり、結果、ピーターは死亡。その喪失感はグウェンの心にさらに蓋をします。
しかし、ある事件のせいで別次元に強制転送され、そこでマイルス・モラレスといった他のスパイダーたちと出会い、少し寂しさを埋め合わせる時間を過ごすことができました。
それでも元の自分の次元世界に戻った後は、再び孤独です。バンド仲間とも冷たく接し、スパイダーウーマンがピーターを殺害したと頑なに思っている警察署長の父親とは壁ができます。
ある日、別次元から迷い込んできたと思われる空飛ぶ敵と交戦。手こずっていると、急にポータルが開き、ミゲル・オハラという2099年の世界のスパイダーマンが出現し、バイクを乗りこなすジェシカ・ドリューというスパイダーウーマンも颯爽と現れます。どうやらこの2人はチームらしく、次元の歪みのせいで突発的に現れる敵を食い止めているようです。
なんとか空飛ぶヴァルチャーを倒したものの、疲労困憊のグウェンは父に銃を突きつけられ、顔を晒して正体を明かします。けれども父は娘を受け入れず、逮捕する行動にでようとしました。
ショックを受けて茫然とするグウェンを放置できないと判断したジェシカに説得され、ミゲルは自分たちのチームにグウェンを誘い、この世界から別次元へと脱出します。
一方、ところかわって別の世界。ブルックリンに住む高校生のマイルス・モラレスは、少し前にスパイダーマンであったピーター・パーカーが目の前で死ぬところを目撃し、跡を受け継ぐことになりました。当初は不安で混乱していましたが、別次元から現れたスパイダーたちの支えもあって、見事にスパイダーマンとして自分を確立できました。
今はまたひとりですが、ヒーロー活動にも慣れてきました。ただ、学業はやや疎かになっており、両親とも少し険悪です。親に自分がスパイダーマンだと話すべきか悩んでいますが、躊躇してしまいます。
あるとき、街でスポットという白い体に黒い穴だらけの変な敵と遭遇します。そのスポットはマイルスとの因縁を口にしますが、マイルスにはよくわかりません。
結局、スポットは取り逃がしてしまい、両親からは外出禁止をだされて、八方塞がり。
そんな瞬間、ベッドで横になっているとあのかつて共に戦ったグウェンがポータルからひょっこり現れます。マイルスは久しぶりの再会に喜びを隠せませんが、それはかつてない最大の試練と運命に直面する始まりでもありました…。
スパイダー規範とその規範を乱す存在
ここから『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』のネタバレありの感想本文です。
1作目の『スパイダーマン スパイダーバース』の物語は、人種の要素も絡めたアイデンティティの確立がテーマの中心にありました。「誰でもスパイダーマンになれる」というシンプルなメッセージです。
2作目の本作『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』はそこからさらに積み重ねて、「アイデンティティvs規範」の戦いを主軸に描いています。
前作や今作でも何度も新しいスパイダーマンが登場するたびに自分のストーリーを語り始め、「もう続きは知ってるね」と省略するという、おなじみのギャグがありましたが、これこそ本作の核心でスパイダーたちには「固定的な在り方」が定められています。つまり、「大切な人が死ぬ」とか、そういう出来事の経験(作中では「カノン・イベント」と呼んでいる)。これは言ってしまえば「スパイダーとしての規範」で、これを守るべきだというのがスパイダー・ソサエティを仕切るミゲルの考え方です。
しかも、マイルスは「本来はスパイダーマンになるはずのなかった存在」として、アイデンティティを全否定されるという、かなりキツイ展開が起きます。「望まれていないスパイダーマン」とみなされる視線は、なんだかダイバーシティなレプリゼンテーションを否定したがる人たちの視線と一致しますけどね。
マイルスは規範を乱す「異常」扱いで、ある意味ではスパイダー界におけるマイノリティです。
対するスポットは歪んだ承認欲求の成れの果てであり、これはアイデンティティとはまたベクトルの異なる存在定義ですね。
『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』では、スパイダーマン特有の例の「カノン・イベント」を経験した者たちによる、トラウマへのケアと男たちの連帯の話になっていましたが、『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』はそことはまた違う路線で進んでいます。ちゃんと方向性を変えているあたりは丁寧ですし、「マイルスだからできる物語は何か?」を突き詰めて考えているのが伝わります。
脱規範とカミングアウトの苦悩
そしてマイルスはこの「スパイダー規範」を脱せるのかという、いまだかつてない運命に立ち向かわないといけません。
ギターを武器にするスパイダーマン「ホービー」が言っていたとおり、これはまさしくアナーキスト。別の言い方をすれば、スパイダー界の公民権運動みたいなものです。従属を強いる規範にアイデンティティを潰されない権利を求める闘いです。
そこで本作『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』では、何度か「スパイダーマンであると家族に打ち明けるべきか」というイベントが登場します。これはこれまでのスパイダーマン作品でも定番でしたが、本作の場合は脱規範の物語と絡めることで今まで以上の深みがあります。
つまるところ、脱規範を成し遂げるには、リスクを覚悟してカミングアウトしないといけなくなってしまうというジレンマです。そして常にストーリーに悲劇を背負わされてしまう。グウェンがマイルスに居心地の良さを感じられるのも、自身の体験を隠さずに語り合える仲間の存在に共鳴できるから…。
この体験感覚は、LGBTQの人たちが直面するものに非常によく似ており、ゆえに今作の物語はクィアを明確に主題にしていないにもかかわらず、とてもクィアなストーリーに重ねやすい気がします。
本作の公開直後から一部のLGBTQコミュニティでは「グウェンはトランスジェンダーでは?」という解釈で盛り上がっていました(The Mary Sue)。それはグウェンのコスチュームの色合いが「白・青・ピンク」とトランスフラッグを思わせるからとか、またはグウェンの部屋に「Protect Trans Kids」と書かれたトランスフラッグが飾ってあるとか、そういう理由からなのですが、やはりあのグウェンの二重生活やカミングアウトしても親に拒否された苦悩が、クィアの人生との真に迫ったシンクロを見せるというのも大きいでしょう。
そういう意味でも、本作は私が「スパイダーマン」作品に感じる個人的な親和性を色濃く受け取れて、そこもグっとくるところがありました。
「スパイダーマンである」ことにブレない
マイルスの場合は、終盤で母親にスパイダーマンとして正体を打ち明けた…と思ったら、まさかの別の次元世界、しかも「自分のせいでスパイダーマンがいない世界」で、ここではマイルスの父が亡くなっており、叔父アーロンとマイルスがプラウラーとして悪に染まっていると判明。
ミゲルに切り捨てられたグウェンは自分の信念を支持してくれる仲間のスパイダー・チームを組んで(スパイダーマン・ノワール、ペニー・パーカー、スパイダー・ハムもいる)、マイルスのもとへ向かいます。
テンション最高潮な絶妙すぎるクリフハンガーで続編へ続くわけですが、ここからまだ二転三転あるような一本の待っているなんてワクワクしますね。いや、それだけでなく、ソニーの「スパイダーマン」ユニバースがますます楽しみになりました。『モービウス』のときはネタ扱いで終始していたので「大丈夫か?」と不安しかなかったですが、「スパイダーバース」シリーズは完璧なんだよな…。頑張ってくれ…。
今回のを観ていてあらためて思いましたけど、この「スパイダーバース」シリーズがマルチバース映画として理想的に最高峰のものを作れている理由は、「スパイダーマンである」ということに一貫しているからだと思うのです。いろいろなキャラをいくらだしても「スパイダーマンである」ことにテーマが常にあり、ブレないでいられる。このアドバンテージはデカいです。
そして忘れてはならない、忘れることもできない、アニメーション表現の無限大の可能性を見せてくれることもたまりません。『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』でこんな表現なら次は何でくるんだ?とこちらも期待MAXです。
アニメーションとしても、レプリゼンテーションとしても、ストーリーとしても、次々と別次元の領域へと突破してくれるこのシリーズ。3作目のハードルもラクラク飛び越えるのでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 95%
IMDb
9.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
ソニーの「スパイダーマン」ユニバースの作品の感想記事です。
・『ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ』
作品ポスター・画像 (C)2023 CTMG. (C) & TM 2023 MARVEL. All Rights Reserved. スパイダーマン アクロスザスパイダーバース
以上、『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』の感想でした。
Spider-Man: Across the Spider-Verse (2023) [Japanese Review] 『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』考察・評価レビュー