確かに最も2020年のアカデミー賞にふさわしい一作だった…映画『ノマドランド』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2020年)
日本公開日:2021年3月26日
監督:クロエ・ジャオ
ノマドランド
のまどらんど
『ノマドランド』あらすじ
ネバダ州の企業に頼り切った町で暮らしていた60代の女性・ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。ひとり暮らし。頼れる人はいない。自分の車に全てを詰め込んだ彼女は、「現代のノマド(遊牧民)」として、季節労働の現場を転々と渡り歩きながら車上生活を送ることになる。行く先々で出会うノマドたちと交流を重ね、しだいに慣れていきつつ、彼女の旅は果てしなく続いていく。
『ノマドランド』感想(ネタバレなし)
コロナ禍のアカデミー賞を制すのは?
今年もアカデミー賞のシーズンがやってきました。
しかし、2020年は全く状況が違います。説明するまでもないですが、新型コロナウイルスの世界的パンデミックによって映画館業界は壊滅的打撃を受け、劇場がシャットダウンしてしまう事態に。こんなことは映画史において前代未聞。世界大戦が起きていた時期でさえ、映画館はやっていたのですから。
さすがにこんな緊急事態ですからアカデミー賞も今年は中止なのかと議論もされましたが、なんとか開催することに。もちろん通常どおりとはいきません。作品の条件も緩和し、ストリーミング作品(ネット配信)も選考対象となるという例外措置を設けました。劇場が開いてないのですからどうしようもないですね。
そんなこんなの異例づくしの1年を飾る映画は何なのか。間違いなくそういう意味でも歴史に残る受賞になるでしょうけど、個人的にはコロナ禍の副作用で良かったことがひとつ。
それは今年はインディペンデント映画の注目が増したということです。大手企業が相次いで大作公開を見送ったことで、必然的に普段はアカデミー賞の舞台に上がりづらい小規模作品にチャンスがやってきました。なのでいつも有名な話題作しか観ない人に、インディペンデントの世界の入り口を覗いてもらうベストタイミング到来なのです。
2020年のアカデミー賞作品賞のラインナップは以下のとおり。
・『Judas and the Black Messiah』
・『ファーザー』
・『Mank マンク』
・『ミナリ』
・『プロミシング・ヤング・ウーマン』
・『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』
・『シカゴ7裁判』
・『ノマドランド』
この中で最有力候補とされているのが本作『ノマドランド』です。
トロント国際映画祭で観客賞を受賞し、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、全米映画批評家協会賞で作品賞を受賞し、ゴールデン・グローブ賞で作品賞(ドラマ部門)を受賞し…それ以外でも山ほど。とにかく絶賛の絶賛であり、ここまで埋め尽くすほどの称賛の嵐を得る作品もそうそうありません。
何よりも監督への評価が桁外れです。
『ノマドランド』の監督、それは“クロエ・ジャオ”という人物。中国・北京出身ながら、ロンドンの寄宿学校に通い、ロサンゼルスの高校を出て、アメリカの地で活動することになったアジア系アメリカ人です。映画製作を始めたのも2008年頃からですが、実はとんでもない才能の持ち主でした。2015年の初の長編映画『Songs My Brothers Taught Me』からして高評価。続く2017年の『ザ・ライダー』はその年のベストに選出する批評家も連発するほどの好評で、もはや2作目のキャリアの時点で只者じゃないことが明らかでした。
そして2020年の本作『ノマドランド』。監督作としては3作目。本当はMCU映画『Eternals』が先に公開される予定でしたが、コロナ禍のせいでズレたので『ノマドランド』が3作目に。
それにしても賞レースでトップを独走できる批評家ウケのいい映画を軽々作りつつ、『Eternals』のようなブロックバスター映画も作れてしまうなんて、どういうスキルをしているのか…。一般的にはどっちかに作家性が偏るのですけどね。
“クロエ・ジャオ”監督、まだ30代後半の若さですよ。それでアカデミー賞監督賞にアジア系女性初のノミネートを飾り、ダントツの有力となれているんですから。本物の天才ですね。私も『ザ・ライダー』でその存在を遅ればせながら知ったのですが、いや、もう凄すぎて感嘆です。
その“クロエ・ジャオ”監督の作風は初期から一貫していて、非常にドキュメンタリー的に対象を撮ります。その対象もアメリカの乾いた部分と言いましょうか、アメリカンドリームの陰でじっと生きる人たちのような存在にカメラを向けるんですね。『Songs My Brothers Taught Me』ではネイティブアメリカンのコミュニティを、『ザ・ライダー』では僻地で暮らすカウボーイを撮影し、しかも当事者をそのまま起用するという、かなり大胆なスタイルです。
本作『ノマドランド』もその手法は変わらずで、今回は家や家族を失い、放浪生活をする「ノマド」と呼ばれる人たちを題材にしています。実際の当事者も多数出演しており、フィクションだけど極めてリアルそのものという雰囲気です。
確かにハリウッドの世界でこういうクリエイティブを発揮する監督はあまりいません。最も近いのは『ウィンターズ・ボーン』や『足跡はかき消して』の“デブラ・グラニック”監督かな。
『ノマドランド』は主演俳優も大絶賛を受けています。その人とは“フランシス・マクドーマンド”。『ファーゴ』(1996年)と『スリー・ビルボード』(2017年)でアカデミー主演女優賞を獲得済みですが、またも獲っちゃうのでしょうか。
ということで2020年の象徴的一本になることは確実な『ノマドランド』。映画ファンなら必見でしょう。
淡々とした物語ながら、没入感のある映像なのでぜひ劇場で体験を。
『ノマドランド』を観る前のQ&A
A:主人公は2008年に起きたアメリカの経済危機(リーマン・ショック)によって人生を滅茶苦茶にされた状態から物語が始まります。なのでこの経済危機についてある程度知っておくといいです。『マネー・ショート 華麗なる大逆転』『キャピタリズム マネーは踊る』といった作品が参考になります。
オススメ度のチェック
ひとり | :映画ファンは必見 |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :地味な作品だけど |
キッズ | :大人のドラマです |
『ノマドランド』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):放浪生活が始まった
2008年9月15日。アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻しました。カネが湧いて降ってきていた富裕層の高笑いと喧騒で渦巻くウォール街は一瞬でお通夜のように沈黙。同時にかつてない世界規模の金融危機が発生し、それは金融だけではない、あらゆる業界へと波及していきました。
この通称「リーマン・ショック」と呼ばれる歴史に残る大事件は、世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込みまで連鎖的に巻き起こします。そしていつも損をするのは底辺にいる人間です。ウォール街を支配していたトップは莫大な退職金をもらえますが、経済危機の巻き添えを受けた庶民に与えられるものは何もなし。
この物語はそんな自分のあずかり知らぬところで起きた事件によって人生を破滅させられた最底辺の人たちが主役。
ファーンはネバダ州のエンパイアという町に住んでいました。この町は人口が200人程度の小さな場所。その大半が町にあるアメリカ最大級の石膏メーカーである「USG Corporation」という建築企業によって雇用を支えられていました。
しかし、リーマン・ショックによって工場は2011年に閉鎖。町は一瞬でゴーストタウンになりました。当然、そこで働いていたファーンも行き場を失います。職を失い、家も住めなくなり、生活の基盤は消えました。夫は昔に亡くしていたこともあり、高齢者の一歩手前の年齢となっていたファーンにはそばにいる人間もいません。
やむを得ずファーンは売れるものは全て売却し、バンに乗せられる必要なものだけを乗せ、車で放浪しながら生活することになります。
ファーンは日雇いの職を求めてアメリカ各地を転々とします。あるときはAmazonの倉庫で働き、荷物を入れ、梱包する作業に従事。そこでは同じ境遇の人が大勢働いていました。高齢者もいます。
ある日、店でブランディという知り合いに話かけられます。「元気?」と聞かれ、「ええ」といたって普通に答えるファーン。今の自分が置かれている状況など他人が知るはずもありません。
同じ放浪生活をする人からトレーラーハウス暮らしの人たちが集まる場所がアリゾナ州の砂漠帯にあると教えられ、最初はその気がなかったのですが行ってみることにします。確かに同じような境遇の人が大勢おり、それぞれの人生の事情を抱えていました。夜は焚火を囲んで語り合い、笑い合い、歌い合い、踊り合う…。そんな一時の楽しさを現実を紛らわすかのように享受します。
ファーンは放浪生活に慣れておらず、ときおり失敗もたくさんします。そのときは同じ境遇の人に助けてもらいました。タイヤがパンクしたときはスペアを持ち歩いていないことを責められつつ、スワンキーという名の高齢者はなんだかんだでサポートしてくれました。
また、デヴィッドという高齢男性と知り合い、一緒に働きつつ、楽しく過ごすという経験もできました。そんなデヴィッドと働いていたレストラン。ある日、そこにデヴィッドの息子を名乗る男性が現れ、孫ができたことを知らせ、デヴィッドを連れていきました。
独り。ファーンの今の人生は独りがデフォルトです。ときどき、亡き夫との楽しかった過去の人生を振り返ることはあります。写真、音楽…記憶を思い出すことはできる。でも、あのひと時はもう二度と戻ってはきません。
そんな生活の中、ファーンの今の生命線とも言える車が故障。修理にはおカネがかかりますが、そんなまとまった大金は持っていません。どうしようもなくなったファーン。
途方に暮れたファーンはある場所へしかたなく足を運ぶことに…。
この生活に憧れると言えますか?
私の感想の総括を最初に書いてしまうと、この作品を「映画だから」という感覚で批評する気分にもなれないというか、そんなことできる立場じゃないという後ろめたさが真っ先に前に出てきてしまいました。
その理由を考えると、主演の“フランシス・マクドーマンド”と割と似たような動機があるからでした。“フランシス・マクドーマンド”は車上生活として自由奔放に生きるというライフスタイルにロマンを持って憧れていたそうです。しかし、本作『ノマドランド』の原作であるジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」を読んで現実の凄まじさに衝撃を受け、思わず映画化権を購入し、“クロエ・ジャオ”監督に打診した…という経緯があるとか。
それを聞いて私も同じだと思ったのです。私も世俗から離れて自由気ままに旅生活するのも悪くないと思っていたことがありました。そういうのって憧れる人は少なくないでしょう。
もう少し踏み込んで社会的に語るなら、「リバタリアン」という言葉があります。これは「保守」でも「リベラル」でもなく、個人的な自由を第一にして、権威に反発することを良しとする思想をとる人のことで、その思想を「リバタリアニズム」と呼びます。政治も社会も法律もその他の決まりもない世界こそ、究極的な自由であり、平等だと信じている人たち。
日本ではこういうリバタリアンなんて言葉をネットで見聞きしてなんとなく憧れで自分に当てはめたり、使ったりする人もいるんじゃないでしょうか。また、これはある種のアメリカンドリームの定番でもありますよね。アメリカの地に渡ってきた白人移民もまさにそういう思想があったわけですし…。
しかし、『ノマドランド』はその現実を残酷なまでに突きつけます。
ファーンの置かれている状況はまさにリバタリアンが目指す理想と一見すれば一致しているように見えます。もう社会も政治も家族もない、ポリコレやらのルールだってないです。でもどうですか、本作の世界に幸福を見い出せますか。
根無し草の生活は表面上は自由に見えますが、そこには圧倒的な不自由が覆いかぶさっています。たまたま同じ境遇の仲間との一時の触れ合いは平等ですが、そこには皆が最底辺に落ちたという不平等が無視できないかたちで横たわっています。
ファーンのようなノマドは世俗から切り離されて自由になったわけではないです。むしろ社会から見捨てられるも依然として酷使され続けている、そういう絶対的な貧困に陥っただけです。ファーンがAmazonの梱包センターで働くシーンなんか、その象徴ですよね。AmazonのCEOであるジェフ・ベゾスなんて世界一の富豪で、その資産は約20兆円なんですよ? でもそのビジネスの一番下で働くファーンには雀の涙以下の報酬しかない。Amazonはこの映画を買わないでしょうね…。
もうこんな生活にロマンがあるなんて言うのは恥にしかならないです…。
尊厳だけを養分にするシダ植物
ではなぜ『ノマドランド』のファーンはあの生活から脱出しないのか。
作中ではそのチャンスが何度か描かれています。例えば、一番のハッピーエンドが見えそうなのはデヴィッドからの誘いです。息子と孫との生活基盤を手に入れたデヴィッドは復帰できたノマドです。また、ファーンには姉妹がいて、その差し伸べた手をもっと頼ることもできなくはないです。
それでもそうしないファーン。彼女はこの生活が気に入っているのか。
私はそれこそが貧困というものの本質だと思います。『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『家族を想うとき』のケン・ローチ監督作などでも描かれていますが、人間の尊厳が傷つく瞬間こそが貧困の最も恐ろしいことであり…。
ファーンもそれを自覚してしまったら、たぶん自分を維持できなくなると思います。何も持ち合わせていないファーンですが、まだ尊厳だけは持っていたい。あの車以上に尊厳こそが彼女の燃料なんでしょうね。
だから脱出もできない。この生活に憧れると気軽に言える人はおそらくやろうと思えばすぐにこの生活を抜け出せると思っているでしょう。でも違う。ここは底なし沼であり、自力で抜け出せない。『希望のカタマリ』でも描かれていましたが、「助けて」と言えなくなる。ハウスレスなのだと言い張る。アメリカの古き伝統という美辞麗句に乗っかることでしか自分を保てない。
作中のセリフの中では私は「I need work. I like work」の言葉が一番刺さりました。これをあんな表情で言われてしまうとね…。
私はこの主人公の「ファーン」という名前も効果的だと思います。「Fern」と綴るのですけど、これは「シダ植物」のことです。まずシダ植物について説明しないといけないのですが、チューリップや桜などの私たちが一般によく目にする草木とは違います。それらは同じ維管束植物と呼ばれる分類ですが、シダ植物の特徴は胞子体が生活史の中心を占めるということ。つまり、種子を形成せず、性別という概念も明確にはないのです。
ファーンもまさにシダ植物のような生活状態です。家族という概念が消えると、性別も意味なくなり、胞子として漂い、どこかに着き、また胞子を飛ぶ。この繰り返しです。
シダ植物は家庭菜園で咲き乱れて愛される可憐な花々には戻れないのです。
ヒーローは映画館から飛び出さない
『ノマドランド』は当事者を多数起用するという“クロエ・ジャオ”監督の作家性がハマっています。なので原作とは全くアプローチが違います。
映画ではノマドのことなんて何もわかってなかったと痛感した“フランシス・マクドーマンド”が実際にノマド生活を体験するという、ある種の体験型ドキュメンタリーに近いとも言えます。
そんな限りなくリアルの映像の中で、フッと映し出される“ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ”撮影の映像の美しさ、そして音楽で一気に盛り上がるのかと思いきや、プツンと断絶してしまう皮肉な演出。
そう言えば、ファーンが映画館の前を歩いていくシーンでは、上映作品に『アベンジャーズ』がありましたね。このノマドの人たちにとって最もかけ離れた世界観であり、なんとも虚しい感じも…。
『ノマドランド』など“クロエ・ジャオ”監督作品もそうですし、私が2020年の映画ベスト10に選んだ『アイヌモシリ』も同様ですが、最近は当事者性を上手く活用した名作が多く、私もお気に入りです。
リーマン・ショックに続くコロナ禍という新たな経済危機に直面した世界。きっと新たなノマドが大勢増えたでしょう。何もかもを失っている、本当に何もかもを消失した存在。『ノマドランド』はそんな人々を可視化させる、今あるべき映画でした。
ちなみにシリアスに感想を書いてしまいましたが、本作を観ると傑作だけど実際の作中に登場していたノマドたち(スワンキーやリンダなど)の生活を思うと暗い気持ちになるかもしれません。でも以下の記事を読むかぎり、結構楽しそうにやっているようです(注目されて嬉しいんでしょうね)。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 81%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
2020年のアカデミー賞で作品賞にノミネートされた作品の感想記事です。
・『Mank マンク』
・『ミナリ』
・『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』
・『シカゴ7裁判』
作品ポスター・画像 (C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
以上、『ノマドランド』の感想でした。
Nomadland (2020) [Japanese Review] 『ノマドランド』考察・評価レビュー