実話を元にした“創造”の物語…映画『マーウェン』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年7月19日
監督:ロバート・ゼメキス
マーウェン
まーうぇん
『マーウェン』あらすじ
男たちから暴行を受け、瀕死の重症を負ったマーク・ホーガンキャンプ。昏睡状態から目覚めた彼は、自分の名前も覚えておらず、歩くこともままならない状態だった。脳に障害を抱え、PTSDにも苦しむマークは、小さなフィギュアの撮影に夢中になり始め、自分や友人たち、そして自分を襲った男たちを模した人形を使って空想の世界「マーウェン」を作り上げるが…。
『マーウェン』感想(ネタバレなし)
オモチャで遊びませんでしたか?
突然ですが、私の子どもの頃の好きだった遊びの話。
世の中にはいろいろなオモチャが満ち溢れているものですが、子ども時代の私が大好きだったのは“世界を作る系”の遊び。要するに、「レゴ」とか、「シルバニアファミリー」とか、ああいう単にフィギュアとして楽しむ以上に、世界観を自ら作り上げることができるタイプのものを好んで遊んでいました。ノリにノッテくると、本来は関係のないオモチャもその世界に投入しながら、自分だけのワールドを構築する。その自分の好きなように広がる無限大の楽しさが面白くて面白くて。
こういうのは年齢とかジェンダーとか関係なく、好きな人はいつまでも好きなレクリエーションですよね。『レゴ ムービー2』なんかはまさにそれがテーマの映画でした。
今の子どもたちにも、デジタルゲームの「マインクラフト」などを始めとするサンドボックスゲームが流行していることからもわかるように、やっぱりこの“世界を作る系”の遊びの心を掴む力は、時代を超えても永遠に不滅なんだなと思います。
映画作りのクリエイティブな職業もそれと同類と言えますけど、こちらは利権も絡んできますから、なかなかそうは行きません。
“世界を作る系”の遊びの何がいいかって、言ってしまえば“究極の自己満足”だということ。誰かの目も気にしない、ルールも固定観念も無視する、何をしてもいい…そういうフィールドが用意されることで、遊んでいる側の者は自分の全てを解放できます。
だから他人には理解されないものも多いです。でもそれでいいんです。自己満足なのですから。別に他者にアピールしたくてやっているわけではありません。その一見すれば“遊び”に見える行為が、実はその人にしかわからない固有の価値がある…そんなことも。
前置きが長くなりましたが、本作『マーウェン』はまさにひとりの人間の人生における“世界を作る系”の遊びの唯一無二の価値を描いた映画です。
実話をベースにした物語で、マーク・ホーガンキャンプという実在の人が主役です。彼は38歳だった2000年にバーで複数の男性に突然激しい暴行を受け、そのまま9日間も昏睡状態になります。しかも、目覚めた時は重度の記憶障害に陥り、成人してからの記憶がなく、生活は非常に困窮しました。そんな過酷な人生のリハビリの中で、マークはG.Iジョーのフィギュアやバービー人形を使って、自分だけのミニチュアワールドを作るようになりました。自分のリアルをイマジネーションで投影するかのように…。
「芸術療法」という概念がありますが、マークの行為も類似したものでした。この一風変わったマークの創作が、ある写真家の目にとまり、2005年にレポートされます。その後、2010年にマークを題材にした『Marwencol』というドキュメンタリー作品が制作され、一気に世間に認知されるようになりました。
本作『マーウェン』はその実話を劇映画にしたものです。しかも、マークの作ったミニチュア世界がアニメーション風に動くという、虚実に入り乱れた独特な視覚表現で演出されているのが特徴。
監督はご存知、名匠“ロバート・ゼメキス”。“ロバート・ゼメキス”監督といえば、一時はアニメーション映画に力を入れていた時期もありましたが(そしてどれも上手くいかなかった)、その後は『フライト』、『ザ・ウォーク』、『マリアンヌ』と堅実に実写映画に舞い戻っていました。そんな“ロバート・ゼメキス”監督が次の題材に選んだのが、これ。なんといいますか、非常に“ロバート・ゼメキス”監督にうってつけだなと思いますよね。
ところが、アメリカでは強気に12月公開だったのですが、いざ公開されると、批評的にも興行的にも大コケしてしまい、完全に失敗作の烙印を捺されてしまう不名誉な結果に。ちなみに同時期に公開されて同じく大コケした『移動都市 モータル・エンジン』も視覚表現に凝った映画だったので、そういうジンクスでもあるのか…。
なぜここまで評価が低いのか、それは後半の感想で語るとして、でもだから観ないと判断するのはもったいない映画だと思います。なにより映像へのこだわりは特筆できるほどの見ごたえはありますから。“世界を作る系”の遊びにドハマりした大人には必見のレベルです。
ツラいときこそ、想像の世界に浸る。それは“逃げ”ではありません。だから何も恥じることなく、映画を観てください。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(好きな人はハマるはず) |
友人 | ◯(趣味が合う同士で) |
恋人 | ◯(変わった映画好きなら) |
キッズ | ◯(オモチャ好きなら) |
『マーウェン』感想(ネタバレあり)
現実を反映する空想の世界
今、まさに墜落しかけている戦闘機。それを操縦する男は、派手に泥の中に不時着した戦闘機から降り立ちます。足が燃えていますが、全く意に介することなく、泥で消火。靴はダメになりましたが、無傷なようです。そのまま単身で陸地を進むと、横転した車を発見。その車両のケースの中には女性ものの衣服が。そこからハイヒールを拝借し、再び歩行を続けていると、今度は草むらから現れた銃を向けたナチス兵士に囲まれます。ハイヒールを履いていたことを笑われ、なすすべもなく兵士たちに集団で暴行されていく例の男。しかし、突如、撃たれる兵士たち。助けてくれたのは、それぞれ姿も異なる6人の勇ましい女。そのうちのひとりの女が男に近づき…。
ここで停止。
カメラのファインダー越しの映像に。これは男がミニチュアで撮影していた風景なのでした。
この冒頭のシーンはすでに鑑賞した人ならわかるように、この『マーウェン』の主人公であるマークが過去に受けた暴行被害を反映したものです。彼は「クロスドレッサー(女装が趣味ということ)」であり、とくにハイヒールに並々ならぬこだわりがある人物でした。しかし、それを嘲笑されて暴力を受けるという理不尽な結果に。冒頭のシーンは、本作の世界観スタンスの提示であり、疑似的な回想場面でもある、なかなかにトリッキーな構成です。
ここから映画の物語は、マークの現実世界での日常と、「Marwen」というミニチュア世界での想像が、交互に、ときにはクロスオーバーするように展開されていきます。
ちゃんとマークの“遊び”の中として描かれるものもあれば、マークが普通に日常を送っていると、突然に現実を浸食するように、ミニチュア世界での想像にスライドする演出もあって、何が起こるかわからないハラハラドキドキがあります。マークは外出にするにしてもフィギュア人形を連れて歩いているので、どこでもミニチュア世界が割り込んできます。とは言っても極端なメリハリのある2つの世界なので、観ていて混乱することはないです。
一方で、現実ではマークは向かいの家の「ニコル」という女性(最初の登場では黄色い服で、重要な要素となる)が気になる様子。双眼鏡で覗くなど、若干怪しいですが、想いは一途。このニコルという存在も、マークのミニチュア世界に反映され、彼女を模した人形が登場人物として顔を出すようになります。ちなみにニコルを演じるのは『ブロッカーズ』などコメディ映画で活躍する“レスリー・マン”。マークを演じるのは“スティーヴ・カレル”ですから、俳優陣だけ見ると普通にコメディですね。
そのロマンス関係も挟みながら、物語の本筋はマークが「被害影響陳述(Victim impact statement)」のために法廷に出廷して、しっかり意見を述べられるか…そこのゴールにフォーカスしていきます。
オモチャを使った物語の映画ですが、その中身は全然子ども向けではないですね。
オモチャが動くのは楽しい(絶対)
『マーウェン』は法廷劇というほどの激論は皆無ですが、PTSDによる心理的トラウマを心に負ったマークにとっては、この自分の被害と現実で向き合うことが究極の難問。ミニチュア世界からリアル世界へ、自分のステージを踏み出せるかという、とてもプライベートで、外側からは見えない葛藤を、独特の視覚表現で映し出したアイディアが特徴なのは言うまでもありません。
「芸術療法」という呼ぶにしても、言い方が悪いですが、人から見れば“子どもじみている”と思われかねないマークの創作。
この孤独な人生を生きる男が他者には“ちょっと珍妙に思える”独自のやりかたで自分の心の苦悩と向き合おうとする…という構成。他にもいろいろな類似の映画がありますが(ラブドールと恋をする男を描く『ラースと、その彼女』とか)、それが豪勢な視覚表現で表されるとなると、私が思いつくのはザック・スナイダー監督の『エンジェル ウォーズ』(2011年)です。
あれもただのエンタメに見えて実は非常にメタ的な構造になっており、しかも『マーウェン』との類似性は、(あえてこの言い方をしますけど)一種の“男性的願望”を強く投影したフェチシズムが色濃いこと。両作ともに、女性が反逆のパワーの象徴になっています。女性の造形も似ていますしね。
まあ、『エンジェル ウォーズ』はフィクション全開でしたが、『マーウェン』はそれでも実話ベースですから、まだわかりやすい部類。
そして、その欠かせないミニチュア世界の映像がとても魅力的。この手のリアルなオモチャが動き回る絵はもう最近も『トイ・ストーリー4』で散々見たのですけど、『マーウェン』の場合は、人間が動かしているという前提の動きになっているので、違った面白さがあります。
例えば、序盤にある車に乗っているシーンでは、女性人形の抱えるミルクの入った桶が車の走行振動で揺れてこぼれまくっているなど、イチイチ細かい造形がなされています。「Marwen」の世界では残酷なシーンも登場するのですけど、しょせんは作り物なので、どこか滑稽です。
この映像は実際のマーク本人の作ったミニチュア世界を結構そのまま映像化しており、実物の写真が公式サイトでも確認できますし、アートブックも出ているようなので、興味のある方はぜひ。
“ロバート・ゼメキス”監督はこういう特殊な心理的な状況下に置かれた男を主人公にした作品を作りがちですが(『フォレスト・ガンプ 一期一会』『キャスト・アウェイ』『フライト』など)、特殊効果好きな作家性も合わさって、きっと作るのもノリノリな題材だったのでしょうね。
趣味嗜好が全開だからこそ
しかし、“ロバート・ゼメキス”監督の熱意も虚しく『マーウェン』の評価はローテンション。
その理由は、実話への脚色に難があったから…かもしれません。
実は本作は実話と忠実な部分も多いですが、かなりアレンジしている部分もあります。
まずひとつに敵の設定。作中ではネオナチっぽい人に暴行を受けたことになっており、ゆえにミニチュア世界でもナチス将校が敵キャラ扱いになるという点で、関係性を持たせています。でも実際にマークに暴行したのは10代を含む若者たちだったそうです。マークがクロスドレッサーだったことが引き金になってはいるようですが、日本宣伝で書かれているようにヘイトクライムだったのかは不透明。
この明確な勧善懲悪な対立構造の追加は、少し露骨すぎると思われるのも無理はないかな、と。
また、作中ではマークとニコルの関係性に焦点を絞っていますが、当然、実際のマークの人間関係はもっと多様でした。そもそもあのミニチュア世界も作中では「Marwen」から「Marwencol」になったかのように描かれていますが、史実ではマーウェン、ウェンディ、コリーンの3名の名前からずっと「Marwencol」でした。あのロマンス要素もベタすぎる感じではあります。
あと、暴行事件は起こる前はマークは幸せだったように見える描かれ方ですが、実際は貧乏で、ゆえに暴行を受けた後も治療が続けられないなど、紆余曲折もあったそうです。
こういう風に、映画化にあたってマークのリアルな人間模様はかなり単純化された割には、ミニチュア世界のドラマはかなり盛りに盛っており、余計に浮きやすくなってしまったという一面も。
終盤のモロな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』展開も、“ロバート・ゼメキス”監督作品のファンサービス的には大いに楽しいサプライズですけど、なんか「マーク・ホーガンキャンプ」というひとりの実在する人物のあの世界を、良くも悪くも上塗りした感じは否めません。実際はあそこまで豪華な街などのセットを作ったわけではないですし…。
本当だったら最後のあの展覧会の開催に至るまでに、実際はさまざまな他者の尽力があったわけですから、それらを複合的に描いて、マークの人生のステップアップをより実情的に描くと良かったのですけど…。
ただ、擁護するなら、本作の物語は「マーク・ホーガンキャンプ」だけのものではなく、おそらく“ロバート・ゼメキス”監督自身の人生観も強く盛り込まれているのでしょう。そう考えると、あんまり史実と比べてどうこう言ってもしょうがないかな、と。
ともかく、かなり趣味嗜好全開な作品なので、人を選ぶのは不可避ですね。まあ、そういう映画もあってもいいんじゃないですか。
『マーウェン』を観たら、またオモチャで遊びたくなるなぁ…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 33% Audience 52%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 UNIVERSAL STUDIOS
以上、『マーウェン』の感想でした。
Welcome To Marwen (2018) [Japanese Review] 『マーウェン』考察・評価レビュー