それともわかった気になっただけ?…映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2024年7月12日
監督:トッド・ヘインズ
性暴力描写 性描写
めいでぃせんばー ゆれるしんじつ
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』物語 簡単紹介
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』感想(ネタバレなし)
簡単に「理解し合える」と言えますか?
2024年7月に日本で公開された”ある日本映画”をめぐって、女優から「インティマシー・コーディネーター」を入れて欲しいという要望があったにもかかわらず、監督が「間に人を入れたくなかった。理解しあってやりたかった」との理由で、それを拒否したという事実が発覚し、大きく批判が起きました。
インティマシー・コーディネーターは映画などで性的なシーンを撮影する際に、そのコーディネートをする専門職であり、演じる俳優の心理的負担を和らげたりと、重要な役割を果たします。現在、インティマシー・コーディネーターの関与はセラピストによるメンタルケアも合わせてハリウッドでも一般化しつつあります。
そのインティマシー・コーディネーターを自身の都合で受け入れなかった某監督やプロデューサーは批判されて当然ですが、浮き彫りになるのは「映画で性描写を撮るうえで生じる構造」への認識の低さです。
俳優は監督の指示を聞かないといけない立場なので上下関係が発生します。対等ではありません。「理解し合える」なんて簡単に言い放てるものではないです。立場の弱い俳優なら常に監督に忖度することを求められます。
一方、構造はこれだけに留まりません。もしそのシーンが実在の事件を基にしていたら? 今度は”誰”と”誰”の間にどんな関係性が生じるのか。
そんな幾重にも複雑化する「性と表象」の人間関係を観客に否応なしに考えさせてしまう映画が今回紹介する作品です。
それが本作『メイ・ディセンバー ゆれる真実』。
原題は「May December」で、なんだか変わったタイトルですが、これは「年齢差の開いた関係」を意味するスラングなんだそうです。5月(May)と12月(December)は時期が開いているからか…なんで6月じゃないんだ…。
本作は、23歳差の夫婦を描いています。それだけなら、「ああ、そうなんですか」って感じですけども、その2人の性的関係が問題で…。妻である女性が36歳のときに、後に夫となる男性は13歳でした。その年齢時に性的関係を持ち、子どもまで出産した…ということになっています。女性は未成年への性行為で有罪となり、服役するも、出所後に結婚して夫妻として現在も仲睦まじく暮らしている…そういう夫婦なのです。
これだけでもこちらとしては処理に大変ですが、もっとややこしいのは、そんなスキャンダラスな夫婦を主題にした映画が製作されることになり、その妻を演じるためにある女優が接近してくる…という物語が展開されること。
じゅうぶん察せると思いますが、本作は非常にメタな構造をともなうストーリー・テリングで、答えなき空間で観客を揺さぶります。ジャンルとしては、心理サスペンスドラマで、”イングマール・ベルイマン”監督作を彷彿とさせる味わいがあります。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』の企画立ち上げで脚本を作り上げたのは“サミー・バーチ”というこれが長編初仕事となる若手脚本家。その脚本を“ナタリー・ポートマン”が気に入って、製作で主導してくれたようです。
“ナタリー・ポートマン”と言えば、デビュー作の『レオン』といい、『スター・ウォーズ』プリクエル3部作といい、歪な年齢差のある男女関係にやたら縁のある俳優で、この脚本にもビビッとくるものがあったのだろうか…。
その“ナタリー・ポートマン”が監督に打診したのが、“トッド・ヘインズ”。『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』のような社会派なトーンの強い作品も手がけますが、“トッド・ヘインズ”監督は絡まった人間関係を映すのが得意な人ですし、ぴったりな人選です。
“ナタリー・ポートマン”は作中で女優を演じ、渦中の妻の役で抜擢されたのが、大ベテランの“ジュリアン・ムーア”。さすがの貫禄で、難しい役柄でもなんなく演じています。
もうひとり注目に俳優がいて、渦中の妻の夫役である“チャールズ・メルトン”。ドラマ『リバーデイル』で話題になった若手でしたが、この『メイ・ディセンバー ゆれる真実』の名演を機に、一気にシネフィル界隈でも注目の新鋭となったでしょうね。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』はアカデミー賞では脚本賞にノミネートされるに留まりましたが、余裕で俳優賞も狙えると思ったのですけど…。とくに“チャールズ・メルトン”は助演男優賞は確実級の演技でしたよ。
なお、“トッド・ヘインズ”監督というとゲイ当事者であり、『ポイズン』(1991年)、『エデンより彼方に』(2002年)、『キャロル』(2015年)と、クィアな作品でファンも多いですが、今作は明白なクィアな題材ではないです。ただ、クィアネスを各自で感じる人はいるかもだけど…。
一応、注意しておきますが、本作には直接的な性暴力の描写はありません。ただし、暗示的な描写はありますし、題材が題材なので、その点は留意してください。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり物語に向き合う |
友人 | :いろいろ語り合って |
恋人 | :デート向けではない |
キッズ | :子どもには不向き |
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
アメリカのジョージア州サバンナ。閑静な地にグレイシーとジョーの夫妻の邸宅がありました。2人はキスをし、仲睦まじいです。この2人には子どもたちがおり、ひとりは大学に通うオナー、そして高校を卒業する間近の双子のチャーリーとメアリー…この3人です。家では穏やかな時間が流れています。
しかし、この家にこれからある人物が来ることになっており、その存在が一家にほんのわずかな緊張感を生んでいました。
それは女優のエリザベス・ベリー。友人ではありません。他人です。ではなぜこの家に来るのか。その理由は、グレイシーとジョーを基にした映画が製作されることになり、エリザベスはグレイシーの役を演じることになったからです。熱心なエリザベスは役どころを正確に掴もうと、リサーチとして来訪をすることになったのでした。
実はグレイシーがジョーと出会って性的関係を持った時、グレイシーは36歳、ジョーは13歳。ジョーはグレイシーの息子であるジョージの同級生でした。当時はこの関係はスキャンダルとなり、未成年への性行為として有罪が下され、グレイシーは服役しました。しかし、獄中でグレイシーはジョーの子を出産し、出所後に2人は結婚。今に至ります。
エリザベスがついにやってきました。グレイシーは温かく迎えます。エリザベスは少し離れたところから家族の団欒に佇む夫婦を観察。身を寄せ合っていかにも愛情たっぷりです。
部屋では当時の報道など資料をあらためて目を通すと、そこにはセンセーショナルな見出しが並んでいました。
翌日、エリザベスはグレイシーの傍で対話しながら、彼女の人間性を分析しようと観察を続けます。一緒に食事しながら、夫婦に「最初に出会った時を覚えている?」と聞いてみると、2人はなんてことないように語ってくれます。
そして関係者にも聞き込みをするべく、まずグレイシーの最初の夫であるトムと会います。グレイシーとの出会いから質問しますが、トムにとっても人生の大きな事件だったようです。
さらに2人が出会って働いていたペットショップを訪れたエリザベスは、グレイシーとジョーが性行為をしているところを捕まった店の裏を見たいと申し出ます。
2人を想像し、グレイシーになりきろうとしながら…。
夫婦の関係性を再考させる
ここから『メイ・ディセンバー ゆれる真実』のネタバレありの感想本文です。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』はあのグレイシーとジョーの関係を「犯罪か?純愛か?」みたいなそんな単純な二項対立で問おうとする作品ではありません。
そもそも36歳のグレイシーが13歳のジョーと性的関係を持ったことは、性的同意年齢の観点から犯罪なのは覆しようもなく、事実、有罪となりました。本作は罪を裁定する映画ではなく、もう裁判はおろか服役すら終了しています。そういう点で、グレイシーは罪を逃れて生きているわけでもなく、罰は受けました。つまり、隠れた犯罪者を法の下に引きずり出すような物語でもないです。
では本作は今さら何をするのか。それはグレイシーとジョーの関係性を再考させるということ。
冒頭であからさまに仲睦まじい夫婦の理想のような雰囲気をだしているグレイシーとジョー。しかし、それは本当に相思相愛、もっと言えば対等の相互理解の上に成り立っているのか? 20年のときを経て2人は半ば「夫婦の倦怠期」に陥るように亀裂が生じ始めます。
本作はフィクションですが、着想のアイディアとなった実在の事件が一応はあります。それが「メアリー・ケイ・ルトーノー」の事件です。小学校教師であったメアリーは1996年に担当学級クラスにいた6年生のサモア系の少年と性的関係を持ち、妊娠。逮捕され、懲役6か月(うち3か月は執行猶予)となりました。しかし、仮釈放後にまた少年と出会って性行為を行っていたため、再逮捕。7年半の懲役刑が下ります。そして出所後の2005年に2人は結婚し…。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』はその実在の事件をより寓話化しています。
まずグレイシーというキャラクター。典型的な白人保守家庭の生まれで、ジョーとの生活でも金銭的に不便しないほどには裕福です。そんなグレイシーはなぜジョーに惹かれたのか。
ここで本作ではジョーはアジア系に設定されているのがミソで(演じる“チャールズ・メルトン”は母が韓国移民)、白人(+女性)からアジア系男性がどう見えているのかというジェンダー&人種の重なる視野の差が意識されてきます。昨今、映画界でもセクシーなアジア系男性が持て囃されていますが、そういうムーブメントに冷や水を浴びせると言えなくもない本作の風刺。
そのアジア系の関連で、グレイシーはいわゆる「プリンセス・シンドローム」的な感情に居心地の良さを感じているようにも窺えます。これは母がひとり息子に多くを投資してそれが自身の利になるに違いないと陶酔する現象のことで、主に東アジア圏にみられる関係性だと言われています。でも本作はそれを年上の白人女性と遥かに年下のアジア系男性に当てはめているような…。
本作ではペットショップを舞台にさせることで余計に「飼い主とペット」という関係性を強調する面もあります。
対するジョーですが、ジョーは妙に精神的にも幼げで(蛹のごとく)、主体性を持てずに大人になっています。グレイシーの庇護の中で育ってきたゆえなのか…。それが自身の子どもたちとの対比から自覚させられるというのも、当人としては辛そうです。後半にかけての“チャールズ・メルトン”の演技は本当に素晴らしいのだけど、観ていてキツイ…(子の卒業式でみせる涙が、一般的な親の涙の背景とはまた違うんだろうなと思わせるところがまた…)。
ちなみに着想元の事件のほうでは年下男性側は妻が2020年に亡くなるその1年前に別居。年下男性側に近い匿名の情報源によれば「健全な関係ではなかったと気づいている」との報道もありますが、当人はどう思って今を生きているのかはわかりません。
なんにせよ、本作は「13歳相手だから」と異常事例扱いせずに、どんな夫婦にも起きる「信頼性(だと思っていたもの)」の揺らぎを描くことで、題材からは予想できない普遍的な揺さぶりをかけてくる映画だなと思いました。
リアルになってきている?
このグレイシーとジョーの物語だけでもじゅうぶん見ごたえがあるのですが、『メイ・ディセンバー ゆれる真実』はまだもうひとつのストーリーラインを用意してきます。それがエリザベスの視点。これによって本作が持つ必然的に観客の解釈を刺激するという作用を、むしろ作品自体が先手をとって風刺してくるような、複雑な構造が生まれます。
言い方を変えると、グレイシーはジョーを搾取しているとも言えますが、一方で、エリザベスもグレイシーを搾取しているようにも感じさせる、エンタメの消費構造が持ち込まれます。
グレイシーの物語軸は『イヴの総て』っぽいところもありますね。演技という行為の奇妙さを浮かび上がらせるような…。
作中で高校に招かれての質問時間でいかにも下品な感じで男子生徒が「セックスを演じるときの気分は?」と質問をしてくるのですが、そのセクハラ的なデリカシーの無さはさておき、でも「性行為」それも「実在の性行為」を演じるってあらためて考えると変な行為じゃないか、と。そう疑問を抱かせます。
そこでエリザベスは「道徳的に曖昧なキャラクターを演じるのは楽しい」みたいな発言をし、他人の実人生を「物語化」することに快楽を感じていると示唆しますが、それって結構酷いことではないだろうか…。
古今東西、実話を基にした作品はいくらでもあるし、人気ですけど、その解釈をともなう消費文化の問題性は不問でいいのだろうか…そう考えだすと観客としても途方に暮れます。
エンディングではエリザベスは映画の撮影現場で人格模倣の成果をみせるのですが、何度もリテイクします。しかも、その撮られている内容は、蛇を持った女性が若い男性を誘惑するといういかにも聖書風なベタな演出で、正直、ものすごくダサいです。このダサさも本作自体はわざと組み込んでいるのでしょうけど、解釈という行為はそんな崇高なものではなく、真実を解き明かすものでもなく、結局はこの程度だと突きつけるような感じもありました。
映画文化において製作でも鑑賞の場でも「脚色」やら「考察」やら、さまざまな解釈が乱れ飛ぶのが日常ですが、その解釈という行為に過剰に心酔しないようにしようと思ったりもした、そんな本作の私の感想。でもこれも解釈なんですけどね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved. メイディセンバー
以上、『メイ・ディセンバー ゆれる真実』の感想でした。
May December (2023) [Japanese Review] 『メイ・ディセンバー ゆれる真実』考察・評価レビュー
#トッドヘインズ #ナタリーポートマン #ジュリアンムーア #俳優 #未成年性犯罪