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『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』感想(ネタバレ)…ライカはまだ進化の途中です

ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒

スタジオ・ライカはどこまで進化する?…映画『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Missing Link
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年11月13日
監督:クリス・バトラー

ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒

みっしんぐりんく えいこくしんしとひみつのあいぼう
ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』あらすじ

神話や未確認生物の研究において第一人者を自称するライオネル卿は、伝説の生き物を発見して自らの才能を世に示そうと熱意に燃えていたが、いつも上手くいかない。ある日、ビックフットの手がかりを知っているという何者からの手紙をもらい、これで他の者たちを驚かせられると考え、自信満々に旅に出る。しかし、たどり着いた先に待っていたのは予想外の存在だった。

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』感想(ネタバレなし)

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待ってました、ライカ最新作!

「ミッシングリンク」という科学用語をご存知でしょうか。私はてっきりこれは義務教育として学校で習う言葉だと思っていたのですけど、どうやらそうじゃないのかも…。

「ミッシングリンク」とは「Missing-link」、直訳すると「失われた“結びつけるもの”」という意味になりますが、生物の進化を語る際に用いられる概念です。例えば、サルからヒトへの進化が起きました。ならばきっとサルとヒトの中間的な生物がいたのでは?と考えられ、その中間にあたる生物を「ミッシングリンク」と言います。この進化の中間期にあたる生物の化石が見つかっていないため、“失われた”なんて言い方をしているわけです。

しかし、これはオチがあってそもそも「ミッシングリンク」なんて見つかるわけがないというのが研究者の大半の考えです。なぜなら進化というのはポケモンみたいに順々にステップアップして起きるわけではないので、そもそも中間なんて概念はありません。自然淘汰の中で上手い具合に生存できた生物が次の種の存続に繋がっただけ。「ミッシングリンク」なんてナッシングなのです(全然上手くない)。

そんなことを頭に入れながら今回紹介する映画を観ると良いと思います。それが本作『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』です。

本作はアニメーション業界ではゼロ年代後半から話題のスタジオへと急成長したあの「ライカ(Laika)」というアニメスタジオの最新作です。ライカは従来的な2次元の絵ではなく、主流の3DCGでもなく、「ストップモーション・アニメーション」で存在感を発揮するパイオニアです。スタジオ長編映画第1弾となった2009年の『コララインとボタンの魔女』で世界を驚かせ、以降も2012年の『パラノーマン ブライス・ホローの謎』、2014年の『ボックストロール』、2016年の『KUBO クボ 二本の弦の秘密』と、その圧倒的なクリエイティブを全開に。賞を多数受賞し、今や業界で最も評価を集める存在となりました。

ちなみに「ストップモーション・アニメーション」がなんなのかわからない人向けに軽く説明すると、絵やCGで作るのではなく、キャラクターや小物、背景などを実際にミニチュアサイズで作成し、その実物に動かしては撮影を繰り返し、パラパラ漫画みたいにして映像化することです。想像してもらえばわかるとおり、とにかく気の遠くなるような膨大な時間と労力を要する作業です。しかし、ライカの生み出す完成した映画を観ると「これは本当にストップモーションなの?」と疑うほどに滑らかに多彩に動き回っていて感動します。

最新作『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』も、当然のようにゴールデングローブ賞で最優秀長編アニメーション映画賞を受賞するなど称賛を受けました。

前作の『KUBO クボ 二本の弦の秘密』が日本を舞台にしていたこともあって日本国内の映画ファンの間でも注目を集めたのが良かったのか、この『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』も割とすんなりと劇場公開されました。よかった。不遇にスルーされる最悪の事態は避けられて…。

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』はこれまでのライカらしさを継承しつつ、新しいアプローチにも挑戦しているのでぜひ楽しみにしてください。今作では『インディ・ジョーンズ』的な大人のアドベンチャーになっています。

監督は『パラノーマン ブライス・ホローの謎』の“クリス・バトラー”

オリジナルで声を担当しているのは、みんなに大人気の“ヒュー・ジャックマン”。そして『ハングオーバー!』シリーズで突出したバカっぷりを披露して印象に刻み込んできた“ザック・ガリフィアナキス”。さらに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でおなじみの“ゾーイ・サルダナ”、これまた何でもこなせるベテラン女優の“エマ・トンプソン”、『アリス・イン・ワンダーランド』でチェシャ猫の声もやっていた“スティーヴン・フライ”など。

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』でライカ作品に初めて浸かるという人でも大歓迎です。ついつい好きになってしまう世界観が待っています。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(新規でファンになれる)
友人 ◯(好きな人同士で盛り上がる)
恋人 ◯(豊かな映像に浸かりたいなら)
キッズ ◯(子どもも興味津々の世界)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』感想(ネタバレあり)

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人類の歴史を覆す旅?

ヴィクトリア朝時代のロンドン。探検家のライオネル・フロスト卿は広大な湖の浮かぶボートの上で興奮していました。よく意味をわかっていない助手なんてお構いなしで、バグパイプを吹きだし、水中にいる“それ”をおびき出します。

そして次の瞬間、水の中からザバッと出現したのは、見上げるのも大変なくらいに首の長い巨大生物。ライオネル卿の趣味にして生きがいは地球に隠れ潜む未確認生物を捕まえることなのでした。

さっそく今回のターゲットである巨大な首長怪物を捕獲するべく、縄を投げるライオネル卿。証拠として呑気に写真を撮ろうとするも、同行者の助手は食べられ、水中へ引きずり込まれます。すかさず潜るライオネル卿は、水中で縄を掴み、その勢いよく泳ぐ怪物をコントロールしようとします。ド派手に水しぶきをあげて泳ぐ怪物は凄まじいパワーです。なんとか助手は助けたものの、船は突き飛ばされ、陸上にぶざまに座礁してしまいました。

こんな感じでいつも失敗をし、成果を出せないのがライオネル卿です。助手もこんな無鉄砲な人間にはついていけないと辞めてしまいました。

孤立するライオネル卿でしたが、そこに思わぬ吉報がやってきます。手紙です。そこには「ビックフットの居場所を教える」と書いてありました。あの幻の生物として誰もが追い求めているビックフットの有力な手がかりへの道。これに飛びつかないわけにはいきません。

大興奮で貴族クラブへと走ったライオネル卿は、ビックフットの存在を高らかに力説します。しかし、一同はそんなライオネル卿の言葉を全く信じていません。組織を束ねるトップのピゴット=ダンスビー卿は「ビッグフットの存在を発見できたなら、お前の実力を認めてやる」と言い放ちます。

こうしてライオネル卿は本物を捕えて証明するべく、旅に出ました。

船、そして馬を乗り継ぎ、ワシントン州の森の奥地に到着。手紙によれば差出人はここのはずですが、小屋の骨組みと土台しかなく、人が住んでいるようには見えません。

混乱していると、謎の走り去る影を発見。素早く追うと、それは巨大な足、毛むくじゃらの体を持った、二足歩行の生き物。間違いなくビックフットです。唐突な遭遇に立ち尽くしているとさらなる驚きが…。

「Excuse me」

喋りました。それも饒舌に。やけに小粋なジョークも交えながら。

茫然とするライオネル卿は我に返り、「話せるのか」と声を絞り出します。なんとあの手紙を出したのはビックフット本人で、なんでも自分の仲間に会いたいからだったとのこと。このビックフットはずっと独りで暮らしていたようで、新聞や本で人間の言葉を独学したらしいです。

頭の整理が追い付かないですが、とにかくこのビックフットを「Mr・リンク」と名付けて、ヒマラヤまで連れていくことになってしまいます。たぶんヒマラヤには仲間がいるはずですが、確証は何もないです。

バーで落ち着いているとステンクという男が話しかけてきて、乱闘になります。実はステンクは動物ハンターであり、進化論を否定したいダンスビー卿に雇われていました。

その場を逃げ切ったライオネル卿とMr・リンクは、ライオネル卿の元カノであるアデリーナ・フォートライトがヒマラヤへの地図を持っていることを思い出し、彼女の邸宅を訪れますが、面前で拒絶。こうなったら夜中に侵入するしかないと、こっそり忍び込みます。

結局、アデリーナを旅に同伴させるさせることになり、3人は電車に飛び乗り、船に乗り込み、伝説の谷「シャングリラ」を目指します。

はるか絶壁の山脈、そのゴールには何が待っているのか…。

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現代でも存在する否定主義という悪役

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』はストップモーションの映像センスはいつものライカ作品らしさがところ狭しと詰め込まれています。

一方で、ストーリーはちょっとこれまでのライカ作品と異なっており、実は結構捻った展開になっていると思います。

これまでの過去作では全部が子どもを主役にしていました。しかし、今作では大人しかでてこないんですね。なのでファミリー映画としてはやや入り込みづらい世界観だと思います。またキャラクターの立ち位置も定番を外すような感じで、少し注釈を入れたくなるものばかりです。ただ、これらの理由にはしっかり明確な狙いがあると私は受け取りました。

例えば、本作の悪役であるダンスビー卿。彼は進化論を否定するべく、ビックフットの存在を抹消しようとします。敵として設定するならそのダンスビー卿に雇われるハンターのステンクでもじゅうぶんのはずです。なのにこのダンスビー卿を悪役の中央に配置しているのは、これは察しがつくように、今、世界で蔓延している歴史否定主義・科学否定主義という「ポスト・トゥルース」への風刺でしょう。つい最近も「私の地域にLGBT差別はない!」と豪語する政治家も日本にいましたし…。

残念ながらこの現在深刻化しているポスト真実の動きというのは何も今になって突然湧いて出てきたわけではありません。昔からありました。それこそガリレオ・ガリレイの地動説、チャールズ・ダーウィンの進化論と、歴史的にたびたび起きていることでした。

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』は1800年代を舞台にしていますが、まさにその時代は動物を人間よりも下等とみなし、特権階級が科学を既得権益にしていました。おそらく科学的知見に長けたアデリーナ・フォートライトが隅に追いやられているのも、当時の女性差別を反映した描写なのでしょう。

要するにこの頃の時代と今の2020年は似てしまっているということですね。

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ライオネル卿のような人間は…

では主人公のライオネル卿はどうなのか。実は彼もまた決して善人で片づけられる存在ではありません

ライオネル卿は知的好奇心で未知の生物を追っている夢想家な探検家ではあるのですが、その科学の認識はどこか間違っており、結局のところ「ロマン」だけで突っ走っているようなものです。

動物に対しても新発見をして自慢がしたい、コレクションをしたい…という自己満足が先に出てしまっています。

こういうキャラクター性も通常ではじゅうぶんに悪役として機能する素質があります。例えば、『パディントン』ではまさにライオネル卿のようなキャラクターが悪役でした。

ライオネル卿は旅を通して多少の成長を遂げて、人間としての誠実さを強めていったのは事実ですが、ラストでは「下半身は魚で上半身は猿」の剥製を手にしており(これも実在するフェイク動物)、やっぱりどこか危なっかしいままです。

ちなみにライオネル卿を演じている“ヒュー・ジャックマン”は『グレイテスト・ショーマン』でP・T・バーナムという実在の人物を演じましたが、その人はまさにライオネル卿のように変わった生き物の標本(それが人工の偽物だったりもした)を見世物にしていた人なんですね。ライオネル卿と重なるわけで、もしかしたら製作陣も皮肉を込めているのかも。

つまり、ライオネル卿のような人間、それこそ情報がフェイクかどうかも確かめずに気分よくなりたいがために踊らされる人というのも現代にはうじゃうじゃいる。そういう風刺にもなっているのだと思います。

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「中間」なんていない

こうなってくると、じゃあ観客が一番素直に感情移入できるのはどのキャラクターなのかと言えば、それはMr・リンクあらためスーザンです。

ビックフットをテーマにした映画は最近は『スモールフット』『スノーベイビー』となぜか連発しているのですが、いずれも人間と友好を深めていく異種交流映画でした。

しかし、『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』は違います。スーザンを異種として位置付ける感じではないんですね。

本作は言ってしまえばスーザンが自分のアイデンティティを見つける物語です。人語を話す他にはない存在感のスーザンは「ビックフット」なのか「ヒト」なのか。それとも「中間」なのか。その答えは出ません。いいえ、「そんなことはどうでもいい」というのが答えと言えるかもしれません。

スーザンは自分の納得できるアイデンティティを旅を通して見つけます。服を着るようになると自己表現を身につけます。名前を「スーザン」と名乗るシーンも印象的です。「スーザン」は人間にとっては女性名であり、てっきり男性として見ていたライオネル卿はその自認に少し意表をつかれるも受け入れます。これはトランスジェンダーではないですけど、いわばそういうジェンダーアイデンティティの問題として解釈もできるでしょう。

「中間」なんてものはなく、みんなそれぞれの固有のアイデンティティを持っているのだから、それを尊重して支え合っていこうというメッセージ性をそこに感じます。それは間違いなく科学的にも正しいですし、社会的にも正しいですよね。「中間」に追いやられる必要はない!という高らかなエンパワーメントでもありました。

スーザンがビックフットのコミュニティに属さず、自分の立ち位置を見つけて自立するようになるというのは、すごく現代的な着地だと私は思いました。同種同士で群れていればいいというのはさすがに乱暴すぎる結論ですからね。

ライカ作品は1作目から常に「社会の隅に追いやられた者」を描いてきました。今回の『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』は現代風刺でこれまで以上に強く裏打ちされながらも、説得力のある理想像も提示する、とても切れ味のあるアニメーションになってしました。

『ウルフウォーカー』もそうでしたが、今はどのアニメーション・スタジオもそういう現代を映す鏡としての視点を自然に作品に取り込んで創作しており、それがアニメーションというものの役割にもなっているのでしょうね。

ここでも信頼性を証明したライカですが、本作は最大規模の製作費を投入したわりには興行収入が全然出せずに大赤字となってしまいました。ちょっとスタジオの経営が心配になりますが、頑張ってほしいところです。

世間では『鬼滅の刃』やディズニー作品といった圧倒的なブランド力を持った映画がもてはやされる時代で、それは今後もさらに強まると予測されますが、だからこそライカのような作品を作りだすスタジオも大事。こういうクリエーターを中間の狭間で絶滅させるわけにはいきませんね。

『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 67%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 SHANGRILA FILMS LLC. All Rights Reserved ミッシングリンク英国紳士と秘密の相棒

以上、『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』の感想でした。

Missing Link (2019) [Japanese Review] 『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』考察・評価レビュー