覚悟で決まる…映画『PHANTOM/ユリョンと呼ばれたスパイ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2023年)
日本公開日:2023年11月17日
監督:イ・ヘヨン
ふぁんとむ ゆりょんとよばれたすぱい
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』物語 簡単紹介
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』感想(ネタバレなし)
最高に女たちがカッコいいスパイ映画
「血縁」という言葉がありますが、なぜ「血」なんでしょうかね。
そもそも「血」自体は代々受け継がれるわけでもなく、それはただの血管を流れる体液にすぎません。血は体を維持するうえでの使い捨ての道具です。輸血なんてものがあるように、赤の他人の血だって(衛生面や免疫に気を付けつつ)普通に取り込めます。血液はそんな祖先の繋がりを示すものではないです。
それでも「DNA」というものが発見されるまで、私たち人間社会において「血」こそがその人のルーツを表す確固たる代物だと信じられてきました。
だからこそ「汚らわしい血だ」とか言って特定の血を忌み嫌う風習もあったり…。
現在もこの古風で頓珍漢な血縁主義を振りかざして排外主義を掲げる政治家が日本に現れたりしているので、そういう人こそ、自分のDNAを調べて、自分が想像以上に多様なルーツを持ち合わせていることに気づいたほうがいいと思うのですけど…。
今回紹介する映画はそんな血の概念に囚われ、血を嫌悪し、血にまみれていく…そんな苛烈なスパイ・サスペンス・アクションです。
それが本作『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』。
本作は韓国映画で、1933年の植民地主義による日本の統治下にある京城(今のソウル)を舞台にしています。「日鮮同祖」を掲げて同化政策を推し進める軍国主義の日本、その日本に迎合する朝鮮人もいる中、民族迫害に対抗して朝鮮独立を目指そうと裏で動く抗日組織も存在した時代です。
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』は、その邦題にあるとおり、抗日組織のスパイが主役であり、日本による統治の要である朝鮮総督府に潜入している正体不明のスパイを見つけようとする日本側との激しい戦いが描かれます。
こういう抗日組織を描く韓国映画は『暗殺』(2015年)など珍しくないですが、本作は非常にケレン味が濃く、ド派手にぶちかましてくれるので痛快です。
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』を監督するのは、あの『毒戦 BELIEVER』を手がけた“イ・ヘヨン”で、そっちの映画もなかなかに強烈だったので観た人はわかると思いますが、今作もそのノリだと思ってもらえれば…。
俳優陣は、『キングメーカー 大統領を作った男』の“ソル・ギョング”がベテランとしてデンと中央に腰を据える中、その周辺を、ドラマ『熱血司祭』の“イ・ハニ”、『パーフェクト・ドライバー/成功確率100%の女』の“パク・ソダム”、ドラマ『悪縁』の“パク・ヘス”、『ロ・ギワン』の“ソ・ヒョヌ”、ドラマ『人間レッスン』の“キム・ドンヒ”などが囲み、どこを見渡しても面白いです。
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』をオススメする際に声を大にして言いたいのは、とにかく「女たちがカッコいい」スパイ映画です。男の添え物ではもちろんありません。これを観てしまったら、他のスパイ映画の女性キャラクターがかすみます。
そして、明示的ではないけれど、本作はクィア映画として余裕で受容できる内容があると思います。
最高の女たちに血を沸かせてください。
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 拷問の描写があります。 |
キッズ | 殺人など暴力の描写が多いです。 |
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1933年、日本統治下の朝鮮半島。その日本の支配に抗おうと朝鮮半島の独立を目指す抗日組織「黒色団」が暗躍していました。とくにそのスパイ「ユリョン」が上海の情報部で蠢いており、日本側は内偵を見つけるべく取り締まりを強化し、根絶やしにしました。
そんな中、京城の朝鮮総督府では、保安情報受信係の監督官の村山淳次が職場を規律正しくまとめていました。何人もの暗号記録係が働いており、そのひとりがパク・チャギョンで、傍にはイ・ベッコという雑用の若い男もいます。
ここで扱われているのは軍事上の機密ばかり。当然、情報は慎重に管理されています。暗号解読係長のチョン・ウノは電報に隠されたメッセージを慣れた手つきで変換。その文書を粛々と政務総監秘書室に届けに行きますが、秘書の佑璃子は冷たい態度です。
その仕事の終わり、チャギョンは『上海特急』が上映される劇場「黄金館」にいつものように足を運びます。少し離れた隣の席に、もうひとりの女が座っており、雨降る外でさりげなく対面。タバコの火をかしてもらうその帽子の女は意味深に見つめ、チャギョンはその肩を止め、黄金喫茶店のマッチ箱を渡します。
3日後。南山朝鮮神宮に新しい総督が来ることになり、村山やチャギョンら職員は集められ整列します。警護隊に見張られつつ、外でただ待機させられるだけです。
総督と重鎮たちが部屋で食事をする中、食事を運んでいたひとりの若い女性が突然銃を取り出し、総督に向けて発砲。外の職員は銃声に大混乱。一方の逃げた巫女装束の暗殺者を警護隊が追います。
チャギョンもその逃走する女性を独自に追いかけ、彼女の目の前まで追いつくも「ナニョン…」と小声で呼びかけたところでその暗殺者の女性は背後から撃たれて絶命。チャギョンは悲しむも、追っ手の声が聞こえて姿をくらまします。
気づかれずにもとの集合していた場に戻るも、ベッコはそのチャギョンの首に血がついているのに勘付いた気配をみせ、襟元を正してくれます。
血の痕でもうひとりそこにいたと警備隊長の高原海人は把握。警備隊長の高原は顔見知りの村山に声をかけつつ、職員の中を進み、暗殺者の協力者を必ず捕まえることを心に誓います。やみくもに尋問するのでは時間がかかりすぎるので、手がかりから疑いのある者を絞ることに…。
そして、チャギョンは突然、あるホテルの屋敷に集められます。それは断崖絶壁に建っており、貸切状態です。
その場には、チャギョンの他に、監督官で警務局復帰を希望した村山、政務総監秘書の佑璃子、暗号解読係長のウノ、そしてベッコと、5人が揃っていました。
高原が現れ、朝鮮総督府内にもユリョンはいると説明し、あろうことかこの中の誰かがそのユリョンだと言い放ちます。
そしてまずは自分たちで怪しい奴を見極めるように指示するのでした…。
血を嫌悪する男たち

ここから『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』のネタバレありの感想本文です。
『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』は、まず何よりもビジュアル・デザインが素晴らしかったですね。赤です。赤。血の真紅。日本に染め上げられることのない、朝鮮半島の独立心を体現するかのような赤色でした。
主な舞台となるあのホテルも古風な屋敷で、まるで赤が似合う怪奇小説から飛び出してきたような世界です。そこで盗聴や拷問など人間の闇が血生臭く蔓延り、後半は実際に血祭りになっていきますからね…。
そこで緊迫した人間模様が展開されるわけですが、まずは男たちから注目すると…やはり何と言っても、“パク・ヘス”演じる警備隊長の高原海人と、“ソル・ギョング”演じる監督官(後に警務局復帰)の村山淳次の2人です。
高原は典型的な軍国主義の日本の犬という感じで、手柄をあげるためなら情け容赦しません。ただ、それ以上にちょっと(いや、ちょっとどころではない)サディスティックな一面が濃いです。そもそもわざわざこうやって容疑者をホテルに集めて心理的にも嫌がらせしているあたりからして、嗜虐性が滲みでています。拷問も半分は趣味なんじゃないだろうか…。
対する村山は超がつく真面目一辺倒な男で、どんな仕事にも忠実で、事実上の左遷による保安情報受信係の仕事も黙々とこなしていますし、振る舞いすべてがお堅いです。
しかし、村山は母が朝鮮人だったというその血縁を何よりも自身の汚点をみなしており、それが今回のユリョン捜索への執念に繋がっています。村山にとっては日本への忠誠すらも二の次で、むしろ血の嫌悪にだけ突き動かされている実態があり、これはこれでかなり怖いです。血に呪われたというよりは、自分で自分を呪ってます。
前半は高原は村山をいたぶることに脱線しがちで、この男2人の因縁が迸っています。協力すればもっと円滑に上手くいきそうなものなのに、この朝鮮人差別の憎悪に憑りつかれた男2人にはそんな冷静な判断はできません。互いの足を引っ張り合う男2人の姿をとおして、いかに憎悪が自滅を招くかを物語っていました。
結局、あの屋敷に君臨するのは村山です。ここで村山が見事な統率力で、その場の戦力を指揮しだすのですが、高原というサディストよりも、こういう村山のような「優れた統治力のある」差別主義者のほうがよほど恐ろしいというのが、このシーンでも印象づけられますね。
そして公会堂での最終決戦。あそこで村山は残虐非道な吊し上げをするのですが、高原と違ってサディスティックに楽しもうとはしていない…ただただ敵をおびき寄せるにはこれが最大の効率の良さであると判断しての行動を実行していて…。ここでついに村山のゾっとする恐怖が全開になります。
ただのつまらない官僚のような人間でも、その内に差別主義が根を張っていると、実は一番ヤバいことになる…。現実社会だと悪目立ちする差別主義者ばかり注目されやすいですけど、見逃されやすい村山みたいな地味ながら怖い人間は結構いますよね。
作中でしだいに強烈な変貌をみせていく村山ですが、“ソル・ギョング”という名俳優のキャスティングあってこそでした。場を掌握するパワーのある俳優としてこれを上回る適任はいません。
血を沸かせる女たち
そして『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』の女たち。はい、彼女たちについて語ることはいくらでもあります。全部、名シーンです。
最初は…チャギョンとナニョンが劇場前で相対して顔合わせするシーンから。ここのシーンは要するにスパイ同士の密かな情報交換が行われ、指令が下っているという、言ってしまえばそれだけの場面です。しかし、何ですか、この言葉にしなくともそれ以上の感情が渦巻く濃密さは…。
ここのチャギョンとナニョン、ファッションの対比もまた印象的ですけど、あからさまにこの2人の女の間に特別な感情があるように感じさせます。ご丁寧にタバコでの間接キスまでサービスしますし、背景にある上映中の看板映画が“マレーネ・ディートリヒ”主演の『上海特急』なんですね。“マレーネ・ディートリヒ”はバイセクシュアルだったと言われており、クィア・アイコンとして親しまれています。さらに指令暗号は『魔人ドラキュラ』のポスターの下に記されていて、この映画もまた「男が女を襲う」という形式的な物語の奥にクィアネスが隠れている作品として知られてもいます。
製作陣がどこまで意図しているかは知りませんけど、あまりにもこの短いシーンの中に、クィア・コードが多すぎるんですよ。そんなに露骨に盛り込む?ってくらいに。
私はこのシーンを観ていて、「あれ、恋愛映画が始まるのか?」とスパイ映画だということを忘れてしまいました。
やや話が逸れますが、女性キャラ以外にも、例えばとくに暗号解読係長のウノもどことなくクィアネスな存在感ではありました。佑璃子の色っぽい仕掛けがどうも空振りしている感じといい、それよりも猫のハナちゃんをこよなく愛する傾倒といい、全然異性愛規範に染まっていません。それを言ったらあの村山と高原もそう見えてくるし、本作、もうほぼクィア・キャラクターなんじゃないか…。
ともあれチャギョンとナニョンに話を戻しますけど、この女2人は本心を明かさぬままに壮絶な別れを経験し、クィアに飢えた観客も喪失感に沈んでいたところ、中盤で一気に心を鷲掴みにする女が現れてくれます。
佑璃子(アン・ガンオク)です。彼女があの食事の席で正体を現し、圧倒的な身体能力で場を一変させたとき、クィアな観客も大歓喜ですよ。女2人に撃ち抜かれのは、村山だけじゃない…クィアな観客もなんです…。
あとのシスターフッドな連携戦闘は公会堂のシーンも含めてお見事で、ラストの切れ味といい、贅沢すぎるご褒美でした。こんなに美味しい料理をごちそうしてもらってよかったんですか?と言いたい…。
「成功するまで放棄してはならない」は人生の標語にしようかな…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023 CJ ENM Co., Ltd., THE LAMP.ltd ALL RIGHTS RESERVED ファントムユリョンとよばれたスパイ
以上、『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』の感想でした。
Phantom (2023) [Japanese Review] 『PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ』考察・評価レビュー
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