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『ナンシー Nancy』感想(ネタバレ)…真実ではなくても家族になれる

ナンシー

アジア系監督がみせる真偽を問わない家族のカタチ…映画『ナンシー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Nancy
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2020年3月6日
監督:クリスティーナ・チョー

ナンシー

なんしー
ナンシー

『ナンシー』あらすじ

人付き合いが苦手なナンシーは、他人の関心を集めるためによく嘘をついていた。それが彼女にできる精一杯のコミュニケーションだった。そんなある日、5歳で行方不明になった娘を30年も捜し続けている夫婦をテレビで見たナンシーは、その娘の30年後を推定して作成された似顔絵が自分と瓜二つなことに気づく。そしてナンシーのとった行動は…。

『ナンシー』感想(ネタバレなし)

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新たに注目したいアジア系女性監督

「嘘をつく」ということは悪いことだとされています。確かに政治家とか企業が私利私欲のために嘘をつくのは大問題であり、擁護する余地はないでしょう。まあ、何度も虚偽の説明をしていた総理大臣がつい最近の日本にいたのですが…。

でも日常的な庶民レベルに話のスケールを下げれば、嘘もまた大事なコミュニケーションになったりすることもあります。相手をわざと騙してやろうという悪意であれば論外ですが、そうではない、例えば、思いやりをもってつく嘘や、自分の身を守るための嘘。そういったものは必要な嘘です。「嘘も方便」ってやつですね。

誰だってそんな嘘をつきながら生きているはずです。私なんかはリアルで会う人にはジェンダーやセクシュアリティについてたいていはずっと嘘をついていますし、嘘に頼らなければいけないやむを得ない立場にいる人もいると思います。

だから嘘をつくことに過度に罪悪感を抱くべきではないのかもしれませんが、全く抵抗もなくなってしまうのも問題で…。このさじ加減が本当に厄介なものです。

今回紹介する映画は、そんな嘘によるコミュニケーションについつい頼る人間のお話。それが本作『ナンシー』です。

明らかに不気味に見えるポスターの雰囲気からホラーやスリラーのような空気をプンプンと漂わせていますが、全然そういう中身の作品ではありません。いわゆるヒューマンドラマ。ひとりの女性のささやかな人生の物語。何か大事件が起きるわけでもなく、血生臭い殺戮も、心霊現象もなしで、社会を巻き込むポリティカルな展開に発展することもない。小さな小さなストーリーです。

主人公は孤独に暮らす女性で、対人関係を上手く構築できないゆえに寂しげな人生を送っています。そしてよく嘘に頼ってしまうことが多い人間です。そんなある日、これまでにない大きな行動に出ることに…。ほんと、序盤も序盤しか説明していませんが、これ以降は観てのお楽しみ。ネタバレをするとガッカリにしかならないですからね。

一応、変に期待を煽らせないために言っておくと、衝撃のサプライズが待っている!とかではありません。前述しましたが、ひとりの女性のささやかな人生の物語なのです。たったそれだけのこと。もしかしたら大多数の人は見向きもしないかもしれない、でもある人には大事な人生の出来事になる。そんな瞬間を捉える映画もあるじゃないですか。

『ナンシー』はインディペンデント映画ではありますが、批評家から高く評価され、2018年のサンダンス映画祭で脚本賞を受賞しました。日本では2020年に「未体験ゾーンの映画たち2020」の企画の一作としてやっと日の目を浴びたかたちに。

監督は“クリスティーナ・チョー”という人で、本作で長編映画デビューとのこと。“クリスティーナ・チョー”はアジア系アメリカ人で、過去には『Welcome to the DPRK』という北朝鮮を訪れた際の記録をまとめたシリーズを製作もしています(『ナンシー』にもその要素がちょっと使われています)。アジア系の女性監督はまだまだ少数ですが、昨今は『フェアウェル』のルル・ワン監督や、『ノマドランド』のクロエ・ジャオ監督など世界的な舞台での活躍が目立ち始めているので、“クリスティーナ・チョー”も今後に期待したくなります。

俳優陣は、主演は“アンドレア・ライズボロー”。『スターリンの葬送狂騒曲』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』『ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷』など幅広いジャンルで活躍しており、毎度違った顔を見せる芸達者な俳優です。

同じく『スターリンの葬送狂騒曲』でフルシチョフを熱演していた“スティーヴ・ブシェミ”も共演。さらにドラマ『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』で強烈な印象を残す“おば”を演じた“アン・ダウド”、ドラマ『サクセッション(キング・オブ・メディア)』の“J・スミス・キャメロン”など。少人数ですが、なかなかにマニアックなキャスティングでシネフィルが喜びそうな顔ぶれになっているんじゃないでしょうか。

万人受けするタイプの映画では『ナンシー』はないのですけど、個人的には大好きな一作です。もしかしたらお気に入りになる人がいるかもです。試しに鑑賞してみてはどうでしょうか。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(孤独な気持ちの人に)
友人 ◯(盛り上がるタイプではない)
恋人 ◯(恋愛とは全然関係ない)
キッズ ◯(子ども向けのドラマではない)
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『ナンシー』予告動画

↓ここからネタバレが含まれます↓

『ナンシー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):私は私がわからない

母親と暮らすひとりの女性、ナンシー・フリーマン。ナンシーの母・ベティは片腕が震えて使えないために介護が必要で、ナンシーはトイレも風呂も一緒にいないといけません。

そんな母は娘のナンシーに感謝している雰囲気はなく、いつも冷たくあたってきます。「生活保護はおりた?」と聞いてきますが、「申請はした」とこちらが答えるも不服そうです。「インターネットばかりするな」と小言も常に飛び出し、ナンシーに自由気ままな時間が家ではありませんでした。

唯一の息抜きになる相手はネコのポール。ナンシー自身は髪はボサボサで、人生は真っ暗です。

それでもナンシーはこの生活から抜け出すチャンスを夢見ていました。素晴らしいキャリアを手に入れるきっかけさえあれば…。しかし、それは叶わないもので、車の中にはその失意の連続を示すように残念なお知らせを伝える手紙がぐしゃぐしゃと束にしまわれているだけ。

ある日、職場の歯科で働く同僚から「休暇はどうしてたの?」と聞かれ、「北朝鮮に」ときっぱり答えるナンシー。これは嘘です。「魅力的な国で楽しかった」と感想を語るも「外交官しか入れないんじゃないの?」と質問され、とりあえずスマホで得意げに写真を見せて回避します。

ナンシーはどうも他人と話すときについ嘘に頼ってしまうクセがありました。

家に帰るとインターネットで、ベッカというハンドルネームでジェフ14という人とやりとりをします。ここでもナンシーは自分は妊娠しているという前提で会話をしていました。「もしよければ会わないか?」と聞かれ、「じゃあ明日」と返信します。

翌日、ナンシーは自分ができる精一杯のオシャレをして車で出かけます。

ダイナーで例のネットで知り合った男と会います。初対面ゆえの探り探りの会話。「2か月後に産む」と相変わらずデタラメを言いながら、ナンシーはなぜ自分のブログに惹かれたのかと問います。男は「娘が死んだ後に妻とも仲が悪くなり、それでネットに逃げた。娘の名前はジョリーンで…」と答えます。想像してなかった事情があることに面食らうナンシー。

スシを買って帰ってくると母は「水銀がある」とやっぱり小言です。自分が何をしても不満を言う母にナンシーは嫌気がさしていました。

ところがある日のこと、突然、母はベッドで亡くなっていました。脳梗塞で、パーキンソン病だとそういうこともあると医者は説明します。葬儀の手続きを済ませるも、放心から抜け出せないナンシー。あれだけ嫌だっだ母だけど、この喪失感、そして自分の人生はこれからどうなるのかという不安…。

そんなぐちゃぐちゃの中、買い物中にあのネットで知り合った男が話しかけてきます。ナンシーは話したくないと出ていきますが、男は「何があった?」と訊ねてきます。「赤ん坊は死んだ。会う前に」と言い放つナンシー。「なぜ妊婦のふりをしたんだ?」と困惑する男。「あなたが好き」とナンシーはつぶやきますが、「イカレている」と男は言い去るのみです。

茫然自失のまま、家でテレビのニュースを見ていると、ある特集をやっていました。それは5歳のブルック・リンチという少女が地元の商業施設で行方不明になった事件で、30年経過しましたが発見ならずに今に至るというもの。両親のインタビュー映像が流れ、「娘は5歳のまま私の心の中にいます」と切なそうに語っています。娘を探し続けるリンチ夫妻は奨学金の資金集めの会を開催しており、慈善活動にも熱心なようです。

そして、そのニュース番組では最新のCGを使い、生きていれば35歳になったであろう行方不明のブルックの顔を再現した写真を公開しました。

それを見て驚愕するナンシー。すぐに引き出しを探して自分の出生証明書を確認しますが、見当たりません。なぜこうも焦るのか。それはその再現写真がナンシーの顔にそっくりだったからでした。

その写真を印刷し、半分に折り、自分の顔に当てます。奇妙な一致。これがナンシーの頭にある考えを生みだします。

ナンシーはそのリンチ夫妻に電話します。「どなた?」「突然で不審に思うだろうけど、あなたの娘のことで話が…もしかすると私がブルックかも」

こうしてナンシーはその“家族”のもとへ行くことに…。

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それは嘘か、願望か

私は『ナンシー』のように、こういう孤独な人間が幻想でもいいから温もりを求めようと小さな足掻きをみせる物語が好きです。他の映画だと『トレジャーハンター・クミコ』とか『ウィリー ナンバー1』とか…。

私自身の共感するところが多いせいなのか、ほっとけない気持ちになります。これらの映画の主人公は世間から見れば普通から逸脱しており、倫理的にも危うい線を越えそうになっている(もしくは越えてしまっている)わけです。でもそうでもしないとこの社会で生きられない。それくらいの追い込まれ方をしている存在です。『万引き家族』なんてものはそんな存在が寄り集まって家族を疑似的に形成している物語でした。

この『ナンシー』の主人公もまさにそんな感じ。おそらく彼女は今の母に愛情を感じられず、他の家族的なコミュニティを欲しています。でも自分が不器用ゆえにそれを簡単に手にすることができません。

ここで大事なのは、ナンシーは悪意を持って嘘をついているわけではないということです。金儲けのために詐欺をしたいわけでもなく、自分の見栄のためにフォロワーを集めたいわけでもない。嘘八百を並べる…というほどではない、その場しのぎの嘘を積み重ねてしまいます。でもたいていはすぐに崩れるレベルの軟弱な嘘なのですが…。

ナンシーの嘘の大半は自分の容姿や能力への自信の無さに起因している感じです。自分の存在に劣等感を持っているからこそ、嘘で取り繕うという補正を加えようとする。

北朝鮮トークもそうです。ナンシーのあれは明らかに韓国と勘違いしており、すでに第一声から墓穴を掘っているのですが、当人すらもよくわかっていません。ただ、なんか凄いところに行ったと言いたいだけです。ここで北朝鮮を持ち出すあたりに、アジア系監督らしいユーモアセンスがでてますね。

ブルック・リンチではないかと考えてリンチ夫妻のもとへ向かう際もそうです。作中でも描かれるように今はDNA検査という決定的なものがあるので、簡単に白黒つきます。でも明らかにそこまで考えていなかったらしいことが、あの検査前の彼女の緊張からわかります。

しかし、ブルック・リンチの件については北朝鮮や妊娠の嘘とはわけが違うと思います。つまり、あそこでナンシーは明確に「自分はブルックではない」とわかったうえであえてリンチ夫妻にコンタクトしたのか。意図的な嘘か、それとも本気でそう思ったのか、この点が本作ではあやふやになっています。

ここにこそ本作の味わいになる仕掛けがあるのでしょう。

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真実はなくても家族になれる

要するにナンシーは「もしかしたら自分はブルックだったらいいな」という願望がある、と。たとえそれがほんのわずかな可能性であっても、そこにすがりつきたいという感情は変なことではないのではないか。

こういう妄想は誰でもあると思うのです。自分が別人だったとしたら…もっと幸せな人生のルートがあるのだとしたら…。そうやって考えてしまう気の迷い。これを考えたことがない人はよっぽど幸福全開の世界で生きているのでしょう。

本作が上手いのはこのナンシーの正体のサスペンスを観客にも提示せずに展開させていることです。最初にリンチ夫妻に会ったとき、その夫妻が予想以上に学歴の持ち主(夫は心理学者、妻は文学)で、「あれ、これは見抜かれるのでは…」とこっちには緊張感が走ります。ただでさえ、序盤でわかりきった見え透いた嘘をついていたナンシーですからね。

最初は、とくにレオは表面上は礼儀を持って迎えるもナンシーをあまり信用していません。20年前に現れた少女も偽物だったと吐露し、妻を落胆させたくないと言っているあたりを見ると、レオは娘を探すことよりも、今の妻との関係を平穏に持続させることを優先しているのでしょう。それが彼のできる今の家族のカタチ。

しかし、しだいに真実はどうでもよくなり始め、ナンシー、エレン、レオの3人の間に疑似的な家族の絆が芽生え始めます。

自分本位だったナンシーも、愛猫の失踪を経験して「大切な存在を失うことの恐怖」を味わい、リンチ夫妻の感情に寄り添えるようになります。

レオは猫アレルギーだったのに猫を家に入ることを許すようになり、また2人だった家族に3人目を受け入れることも良いようなそんな変化を窺わせます。

エレンは「君は娘だと思い込みたいんだ」というレオに言われていたとおり、こちらも願望にすがりついています。そしておそらくどこからかの電話を受け取り、真実を知り、涙します。

ここでも巧妙なのはあの電話はDNA検査機関のものであるとは示されていないこと。もしかしたら娘の遺体が発見されたのかもしれない。実際、作中では水辺だったり、猟師だったり、子どもの命を奪いかねない死亡フラグをチラつかせています。

それでも、もう真実ではなく、大切なのは今ある関係だと受け止めるエレン。レオも納得しているようです。

しかし、最後にナンシーはリンチ夫妻の家を出ていきます。これはラストの彼女の表情を見る限り、そこまで絶望な逃避ではないと思います。ナンシーは愛されることを知り、能力を認めてもらえた。これは彼女なりの親離れであり、次への一歩なのでしょう。

真実ではなくても家族は作れる。そんな温かさが人生に肯定感を与えてくれる。互いにホッとできる嘘を優しくついていきたいものです。

『ナンシー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 56%
IMDb
6.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2017 Nancy the Film, LLC

以上、『ナンシー』の感想でした。

Nancy (2018) [Japanese Review] 『ナンシー』考察・評価レビュー