時々ランチをしない?…Netflix映画『不都合な自由』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2017年)
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信
監督:リン・シェルトン
不都合な自由
ふつごうなじゆう
『不都合な自由』あらすじ
無実の罪で刑期を務めた38歳の男と、彼の早期出所を訴え続けた女。仮釈放というかたちで久しぶりの自由を手に入れた男にとって、その長年にわたって支えてくれた女の存在は今も大きかった。2人の間に芽生えた複雑な絆は、自由の身になったことでどう変化するのか。
『不都合な自由』感想(ネタバレなし)
仮釈放になったのは…優しそうな男
最近でも刑務所から脱走した犯罪人のニュースが話題になってもいましたが、基本的に一度刑務所で収監されるようなことになれば自力で出ることは当然できません。刑期の確定した受刑者は、入所した際に自分の刑期が満期になる日を教えられ、その日付を忘れずにずっと過ごすことになるそうです。
しかし、「仮釈放」という概念があります。これはわかっているようでわかっていない専門用語の筆頭だと思います。「仮釈放」・「釈放」・「保釈」・「執行猶予」の似ているようで違う言葉の意味を正しく説明できる人は、その分野で働いている人でない限り、難しいと思うのです。詳細はネットで調べてほしいのですが、掻い摘んで私なりに調べた範囲で説明すると、「釈放」は刑期を満了した後に刑務所から解放されること。普通ですね。「仮釈放」は受刑者が刑期を終える前に(一般的に刑期の3分の2程度)、仮の釈放というかたちで制約付きで刑務所から出られる仕組みで、その後に良くないことをすればまた刑務所に戻されます。「保釈」は刑事裁判中の被告人の身体拘束を一時的に解く手続のことで、まだ刑期を言い渡されていない状態の話。「執行猶予」は懲役刑を言い渡す判決の際、一定の期間中に他の犯罪行為に及ばなければ懲役刑を免除するというもの。真っ当に過ごせば刑期自体がなくなります。
なんでこんなことを突然説明しだしたのかと言えば、本作『不都合な自由』はまさに仮釈放になった男の話だからです。
その刑務所にいた期間は20年。仮釈放になったとはいえ、それだけの刑期であれば相当な犯罪に手を染めたらしいということがわかります。となれば、その男の顔はかなり怖い形相なんだろうな(イメージ的には悪役の顔)と思うわけですが、その男はなんだか大人しそうで明らかに良い人オーラが漂っています。演じているのは“ジェイ・デュプラス”。兄弟で監督もしている人ですね。画像検索してもらえればわかるとおり、すごくにこやかで人好きな顔なんですよ。なんでそんな人が?と思っていると、なんだか秘密がありそうで…というちょっと裏のある物語。
雰囲気的には『マンチェスター・バイ・ザ・シー』に似ています。静かだけど痛みを隠せないでいる大人のドラマです。
監督は“リン・シェルトン”。あまり有名ではないのですが、それもそのはず日本では劇場未公開作品がほとんど。2011年の『ラブ・トライアングル(Your Sister’s Sister)』はビデオスルー。エミリー・ブラント、ローズマリー・デウィット、マーク・デュプラスと出演者は豪華。2013年の『Touchy Feely』は日本未公開で、エリオット・ペイジが監督予定でしたが、変更になって“リン・シェルトン”に。2014年の『アラサー女子の恋愛事情(Laggies)』はビデオスルー。キーラ・ナイトレイ、クロエ・グレース・モレッツ、サム・ロックウェルとこちらも顔ぶれはなかなかのもの。
これだけ出演俳優陣はそれなりに揃っているのに、今まで日本での扱いが低いのは可哀想ですが、幸いなことにこの『不都合な自由』はNetflixで配信されました。といっても、オリジナル作品ではないので、全然目立たないですが…。
本作は出演陣が“リン・シェルトン”過去作の中でもかなり地味め。あまり特筆できる人はいないです。メイン出演者のひとりでもっとも若い“ケイトリン・ディーヴァー”は『デトロイト』にでていました。あの警察に尋問されることになる白人女性のひとりです。
俳優陣は目立たなくても、本作の批評家からの評価は非常に高いので、ぜひとも鑑賞してみてください。
『不都合な自由』感想(ネタバレあり)
俺を覚えてくれていてありがとう
走る車の中から窓の“外”を見つめる男。
この髭面の男、クリスは20年間いた刑務所から仮釈放されたばかり。弟のテッドが運転する車で家に帰ると“サプライズ”で大勢の人が彼の帰宅を歓迎してくれます。いくぶん20年ぶりなので顔も知らない人を含むいろいろな人とハグをしながら、「俺を覚えてくれていてありがとう」とジョークを飛ばし、温かい祝福を受け止めるクリス。
この時点で観客はどう考えたってクリスが凶悪犯とは思えないと感じます。20年も刑務所にいた人に対する対応としてはあまりに不自然。まるで久しぶりに会った旧友、それもみんなから愛されるような存在であったとしか思えない歓迎です。
歓迎も束の間、38歳の前科者として人生を再スタートすることになったクリスは、自転車で軽快にこぎだし、“外”の世界を満喫、自由を謳歌します。一方で、そう気楽にもいられません。仮釈放なので郡を出られないなど規制があるし、なにより犯罪歴がネックになって職探しは難航。スマホ時代になったことなど、時代の進化にも困惑しながら、ひとつずつ適応していこうと必死。
この姿からも彼の徹底した真面目さと優しさが伝わってきます。尻軽な女からの股間を刺激する誘いにも丁重にスルーするなど、真面目過ぎるくらいです。いくら前科者とはいえ、もっと「自由だー! イヤッホゥーー!!」とハジケてもいい気がしますが、なぜこうも堅物なのか。
そんな周囲の交流を通してクリスはなぜ刑務所に入ることになったのかという核心がしだいに明らかになります。その忌まわしき過去とは、クリスがビールを盗もうと店に入ったところ、そこにいたテッドと友人のシェーンが問題を起こし、シェーンは人を撃って殺してしまい、テッドとシェーンは逃げ出すも、クリスは被害者を救おうと処置。そのまま罪を被ったクリスは、真実を伏せたまま、罪人となったのでした。おそらく子どもの頃から人柄は良く、優しすぎるくらいだったのでしょう。言い方を悪くすれば、貧乏くじをひかされたかたち。
つまり、おそらく当時の街にいたクリスを知る人間なら、あの事件発生時、クリスが人を殺したわけがないことくらいは察することができたはずです。でも、皆、だんまりを決め込んだのでしょうね。どうりで冒頭の仮釈放お祝いに集まっている人たち(=口を閉ざした奴ら)に囲まれて、クリスの顔は堅いわけですよ。複雑な心境だったでしょう。
本作は落ち着いたドラマで、そこまで凄惨な印象は表面的には全くと言っていいほど感じないのですが、実はその裏側にはどす黒いほどの「閉鎖的な村社会」の下劣さがこびりついています。
その閉鎖的な村社会での“優しい人間”の立場の顛末を描く本作。こういう人は集団であればひとりはいます。「○○って優しい人だね」と褒め言葉のように言われることもありますが、その人が本心で優しくしているのか、単に断るのが苦手とかで流されているだけなのかは別問題。後者であればただただ残酷です。
閉鎖的な村社会を描く作品は邦画にもたくさんありますが、あからさまに暴力や残酷な関係性を映して登場人物の苦悩を示すことがありがち。本作のようにあえて表面では見せないというのはなかなか変わっていましたが、逆にその生々しさに気づくと、余計に酷く感じてしまいます。上手い見せ方です。
俺はあなたをこの上なく愛しているんだ
その闇を抱えた地元に蹂躙されたクリスにとっての唯一の光が、キャロルという、事件当時、クリスの高校の先生だった女性。今も地元で教師をしている彼女は、そのクリス逮捕のときからずっと釈放を求めて活動を地道にコツコツ続けてきたようなのでした。言い換えれば、キャロルもまたクリスと同様にこのコミュニティにおける数少ない“優しい人間”だったわけです。
そんな自分よりも当然年齢が上のキャロルに対して、クリスは特別な感情を抱き、仮釈放で地元に帰ってきてからも好意をぶつけます。一方のキャロルもクリスは私のことが好きみたいだと自覚しつつ、でも私は結婚してるし、元生徒だからと、親しくしつつも常に一定の距離を置きます。
クリスがキャロルを好きになる理由はわかりやすいですが(あれだけクソみたいな奴らに囲まれていたらね…)、キャロルがクリスを助けたいと思った動機は不明瞭です。その理由もしだいに判明し、実はキャロルは家庭に不満を感じ居場所を失っており、その自分の新しい居心地のいい椅子として、クリスを支援する仕事をしていたという側面があるのでした。
この二人は共依存の関係にあり、相思相愛とは正反対の、すれ違った支え合いで結びついた存在なのでした。それが仮釈放というかたちでステージが変化した瞬間、少なくともキャロルにとっての居心地のいい椅子は無くなってしまいました。その結果、クリスだけの片想いのような状態が残る…なんとも悲しい顛末です。
その二人の間で、どちらともいえない立場で行ったり来たりしているのが、キャロルの娘のヒルディ。彼女はまだ若く未成年のティーンですが、彼女もまたフラストレーションを抱えており、その原因が実はクリスと母の共依存のせいでもあります。家を空けがちな母(その理由はクリスの支援活動)への不満を心に秘め、テープアートというかたちでこっそり人目につかない自己表現をするヒルディ。そんな彼女も母と同様にクリスに依存するような行動をとるあたりは血なのでしょうか。
本作の原題は「Outside In」。これは外側を内にするということで「裏返し」という意味になります。まさにクリスとキャロルのように裏返しの関係で、表裏一体ゆえに互いに向き合えないジレンマをよく表しているタイトルです。
また、邦題の「不都合の自由」というネーミングセンスも素晴らしく、自由なのに自由じゃない人生そのものに言及した本作の物語にぴったりだと思います。
本作にはカタルシスはありません。あの弟や街の人間たちがギャフンということもないし、クリスの罪が晴れることもないし、想いが報われるわけでもない。でも、それが普通。映画のようなドラマチックなカタルシス展開なんて、リアルな人生にはたいていありません。
ラスト、クリスはたいしたものではないにせよやっと職にありつき、キャロルはやりがいのある仕事のために街を離れることに決め、そしてヒルディは自己表現を他人に見せる勇気をもらいます。些細な一歩。でも一歩です。
またゼロから関係構築をすることになったクリスとキャロル。その結果、「大事な存在」として「絆」が生まれるかはわかりませんが、それでもいい。
不都合な自由の中でも、時々ランチをするくらいはできるのですから。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 95% Audience 71%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C) Netflix
以上、『不都合な自由』の感想でした。
Outside In (2017) [Japanese Review] 『不都合な自由』考察・評価レビュー