ボーイズ・イン・ザ・バンド
Netflix映画『ボーイズ・イン・ザ・バンド』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Boys in the Band
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:ジョー・マンテロ

ボーイズ・イン・ザ・バンド

あらすじ

1968年のニューヨーク。誕生日パーティとして夜中のビルの一室に集まった男たち。彼らは全員がゲイであり、ここではいつものように周りを気にすることなく、自由気ままに仲間たちと語り合うことができる。しかし、この開放的なひとときを味わうための空間に思わぬ来訪者が現れたことで、明るかった空気は変わり始める。そしてずっと隠してきた秘密と感情をさらけ出すことに…。

『ボーイズ・イン・ザ・バンド』感想(ネタバレなし)

同性愛映画はここから始まった

現在、同性愛を題材にした映画は他の優勢な満開の花畑に負けてなるものかとあちこちで咲き誇っています。それは日本でも開花してきており、LGBTQの理解の輪が少しずつ広がっているのを感じます(もちろんまだまだ現実社会では問題は山積みなのですが)。

そんな同性愛(ゲイ)映画の歴史を知っているでしょうか。都合がいいことにその映画史を整理してくれている文献はいくつもあって、例えば、1995年の『セルロイド・クローゼット』というドキュメンタリーは資料的に役に立ちます。

ではゲイを薄っすらとではなく、真正面から当事者に向き合って描いた最初の映画は何なのでしょうか。その記念すべき初期作としてよく取り上げられるのが1970年の『真夜中のパーティー』(原題「The Boys in the Band」)という映画です。

これはそもそも“マート・クロウリー”原作による1968年に初演されたオフ・ブロードウェイ舞台劇がベースになっています。いや、ベースというか、ほとんどそのまま映画化したようなものです。

この『真夜中のパーティー』はニューヨークを舞台に誕生日パーティに集まった数人のゲイたちを主役にした物語で、会話劇で構成され、ほぼゲイしか登場しません。完全にゲイコミュニティの日常を描いています。原作者も演出家もプロデューサーもゲイであり、まさしく当事者の想いが詰まった作品です。

これは当時としてはとにかく異例です。なぜならその公開の十数年前、1940~1950年代のアメリカでは同性愛者には対する迫害が凄まじく、社会全体が弾圧をしてきているような状態でした(ドキュメンタリー『シークレット・ラブ 65年後のカミングアウト』を参照)。


1960年代になって徐々に改善の兆しが見え始めたものの、それでも依然として状況は当事者にはキツイです。LGBTQがついに真っ向から立ち上がった転換点となった事件が1969年の「ストーンウォールの反乱」ですから、ちょうどその1年前に初演されたものなんですね。それを映画化するのも相当な覚悟があったということが伝わると思います。『真夜中のパーティー』はその最悪の迫害の時代を経験してきた世代が、煮えたぎる感情と闘魂を刻み込んで作った映画なのです。

その同性愛映画の記念碑となった『真夜中のパーティー』が2020年になってリメイクされました。それが本作『ボーイズ・イン・ザ・バンド』です。

まず2018年にブロードウェイでリメイクされ、それがキャスト・スタッフほぼそのままに映画化になったかたちで、完全に原点の再現ですね。やっぱり今回も映画にしないと話にならないでしょ!と思ったのでしょうかね。

しかし、今回は明らかに前作と比べてパワーアップした部分があります。それはキャスト全員がゲイ当事者だということ。9人のキャラクターが登場するのですが、全員がゲイをオープンにしている人ばかり。この構成で実現できてしまうことがひとつの時代の変化の象徴ですよね。オリジナルのブロードウェイから約52年。半世紀です。一歩一歩前に進んでついにここまで来たのです。長かった、でも頑張った…。

出演しているゲイ・オープンリーな俳優陣は、“ジム・パーソンズ”、“マット・ボマー”、“アンドルー・レイノルズ”、“ブライアン・ハッチソン”など。2009年からの『スター・トレック』ではスポック役ですっかりおなじみの“ザカリー・クイント”も登場。今作でもすっごくスポックっぽいです。

製作陣は最近は『POSE ポーズ』など革新的なLGBTQ作品を次々とプロデュースして信頼感抜群の“ライアン・マーフィー”(彼もゲイです)。


そしてこちらも“ライアン・マーフィー”製作であるドラマ『ハリウッド』でも活躍した“ジョー・マンテロ”が監督を手がけています(監督もまたゲイです)。

こうやって見るとオール・ゲイですよ。あらためて凄いです。なんかもうストレート(ヘテロセクシュアル)の人がここに交じったら異質に見えます。この製作現場では異性愛者の方がマイノリティです。

基本的にストーリーはオリジナルと同じであり、新鮮さはないのですが、あの名作がどう蘇るのかという視点で噛みしめることができる一作でしょう。それにあのオリジナルを知らない若い世代に、当時の第一線で奮闘した先輩たちの雄姿を見せるという意味でも貴重な一作になると思います。

『ボーイズ・イン・ザ・バンド』はNetflixオリジナル作品として2020年9月30日より配信中です。

オススメ度のチェック
ひとり◎(映画史を知る大事な一作)
友人◯(映画好き同士で)
恋人◯(同性恋人と観たい)
キッズ△(大人のドラマです)

『ボーイズ・イン・ザ・バンド』予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『ボーイズ・イン・ザ・バンド』感想(ネタバレあり)

ここだけは解放的になれる…はずだった

ニューヨーク。マイケルのアパートの一室には恋人のドナルドがいます。二人でバタバタと各々したいことをしつつ、今日のための準備に取り掛かっていました。それは仲間であるハロルドの誕生日パーティです。今夜はこの部屋に仲間を合わせて7人が揃うことになっています。

髪の毛を気にするマイケルは抜け毛を心配しますが、そんなマイケルをドナルドは揶揄います。ドナルドは安月給な清掃の仕事ですが、マイケルは失業手当でそれなりに優雅な暮らしをしており、この部屋にもモノが溢れています。

すると電話がかかってきます。相手はマイケルの昔の友人だったアランです。ニューヨークにいるらしく、出張だそうで、一杯飲まないかと誘ってきます。久々の会話に驚きつつ、マイケルは「今日はパーティで、君にはこの仲間とは…」とやんわり断ります。アランは気軽に納得したように聞こえましたが、急に泣きだし、「今すぐ会って話したいんだ」とこぼします。とりあえずその場は電話を切ります。

さっぱりわからないマイケル。彼がアランがこの今から行われるパーティに来るべきじゃないと思った理由はアランがストレートだからです。実は今回のパーティ参加者はマイケルも含めて全員がゲイです。大学を出るまではマイケルもゲイを隠して過ごしており、そのときは女子ともデートしました。アランはそのときの友人です。

そんな雑談をしつつも準備を進めていると、チャイムが鳴り、調子の良さそうなエモリーが料理を持ってやってきました。続いてハンクラリーも。しかし、ラリーはドナルドと気まずそうな空気で視線を交わします。どこかで会った仲なのか…それ以上は今は言及しないでおきました。

次にバーナードが来ます。だいぶ賑やかになってきました。

一方、アランからまた電話がかかってきて、やっぱり行かないと言います。「自分が恥ずかしい、今夜のことは忘れてくれ」と口にし、明日にランチの約束をします。

ところがノリノリでマイケルたちがゲイ全開のトークをしながら開放的に踊っていると、なんとあろうことかアランが訪問してきます。アランを前に固まる一同。場をなんとか取り繕い、“普通”に振る舞うも時はすでに遅し。なによりエモリーが全開すぎてバレバレです。

肝心の誕生日会の主役であるハロルドはまだ来ていません。

場違いさを感じつつもアランは世間話として一番話しやすそうな雰囲気のハンクに「既婚者ですか」と訊ねます。子どもがいると互いに言い合い、アランは結婚して9年。一方のハンクは離婚調停中で、ラリーはルームメイトですと説明。気まずい空気。すっかりテンションが冷めた一同。

耐えかねたマイケルはアランを部屋に連れ出します。アランはみんないい人だと語るも、「エモリーはちょっと気が障る、ああいう話し方は嫌いで、いかにもオカマって感じだよ」と発言。それに苛立ちつつもマイケルはグッとこらえ、「なんで泣いてたんだ、なんでニューヨークに来た?」とさりげなく問いただします。しかし、誤魔化して答えないアランはトイレへ引っ込みました。

トイレからアランが出てくると、相変わらずゲイを隠す感じもないエモリーと口論になり、アランは罵詈雑言を浴びせながらエモリーを殴りつけました。慌てて止める一同。

騒然とする中、ついに今夜の主人公であるハロルドがずいぶん遅れて登場します。

ゲイたちの夜はまだまだ続く…。

ボーイズ・イン・ザ・バンド

ゲイだっていろいろです

2020年に再誕した『ボーイズ・イン・ザ・バンド』の見どころは、繰り返しになりますが、何よりも登場人物を演じる全員がゲイだということです。

構造的問題が生じるトランスジェンダーと違って(詳しくは『トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして』を見てください)、別に同性愛の場合はゲイ当事者がゲイ・キャラクターを演じなきゃいけないわけでもありません。異性愛者の俳優でもゲイを演じてもOKです。ただ、やっぱり当事者が演じるからこその価値というのも軽視はできません。

なにせ本作の俳優はゲイになろうと演じなくていいのです。ただそのまま自分のセクシュアリティを演技に反映させて、あとは個別のキャラクターの細かい性格を演じることに集中すればいいだけ。

その影響力は計り知れないもので、本作はそのおかげだと言ってもいいでしょう、本当に素晴らしい演技合戦が堪能できます。

本作を観ればマジョリティ観客だってわかると思います。ひとくちにゲイと言っても、いろいろなゲイがいるんだという当たり前の事実が。本作には9人の登場人物がいて、実質8人は最初からゲイだと示されています。しかし、みんながバラバラの個性を持っており、ステレオタイプなんぞは存在しません。

ハンクのように世間的にかなりストレート風に見える人もいて、実際のところ、彼はバイセクシュアルだったりします。一方のエモリーはかなりゲイであることをどこでも隠そうとはしていません。ラリーのように複数の相手と関係を持ちたがる人もいますし、バーナードのようにあるひとりを一途に想い続ける人もいます。ハロルドは相当にクセがあり、なんだかアート思考な感じです。

個人的には本作の中では男娼としてプレゼント役でやってくる名前もわからないカウボーイ男がいいなと思います。オリジナルと同様に棒読み「ハッピーバースデーソング」を歌うのですが、今作ではチャーミングさがさらに増している気がする…。

まあ、ともかく本作はあらためて現代社会において「ゲイだからって単純なイメージで先入観を持たないでね!」というメッセージをガツンとぶつける勢いがあったのではないでしょうか。

自分が嫌いになる瞬間

『ボーイズ・イン・ザ・バンド』の物語は会話劇であり、しだいにマイケルが暴走していくような顛末を迎えます。人によってはなぜ彼があそこまで取り乱して、周囲を傷つけるまでのことをしたのか、わからないかもしれません。

そもそも忘れてはならないのですが、本作の時代は1960年代。前述したとおり、同性愛迫害を経験してきた世代が彼らです。そんな中でマイケルの人生もかなりズタズタにされてきました。他のゲイ仲間は一応はそんな社会に妥協しながらなんとか生きていけているのですが、マイケルは実際は相当に追い込まれています。

多くが帰った後の終盤、泣き崩れるマイケルの「自分たちを嫌わないでいれればいいのに」というセリフは彼の苦悩をすごくよく表したものでした。私もLGBTQ当事者としてこのマイケルの気持ちが痛いほどわかります。自分のセクシュアリティを誇りに思いたい、思いたいのだけど、どうしてもそう言い切れない。それは社会がそうさせているのだけど、自分ではあまりに無力すぎる。そんな暗澹とした思いをときどきフッと沸き上がらせて、何もかも嫌になる瞬間というのは当事者なら多くが経験しているのではないかと。

社会に救いがないからこそ自暴自棄になる。自分の中でぐちゃぐちゃになる。本作はそういう苦しさをあの多様なゲイのやりとりに例えて描いているものでしょう。

その中で、私はあの男娼の存在は多様なゲイたちの一種の良心みたいに思えました。ゲイとしてあるがままに生きるということの…。実際、どうやらあのキャラクターは原作者“マート・クロウリー”が出会った男娼の言葉をモデルにしていることが、本作のメイキングをおさめた『制作・出演陣が語るボーイズ・イン・ザ・バンド』で語られています。

本作のゲイたちは「連帯」というものを知りません。LGBTQ当事者たちが連帯を武器にするのはまさにこの時代から数年後。連帯真っ盛りの現代の若者たちが本作を観れば「そうか、連帯という手段を確立できていなかった昔の先輩たちはこれほどまでに苦しんでいたのか…」と痛感できるはず。

同時に自分の本音を表にできない怖い世界の空気…というのも感じ取れますよね(アランの一件も含めて)。

最近は現代を象徴するLGBTQでも分け隔てなくオープンでフェアな映画も多く登場しています。それは良いことです。でも、クローゼットとして生きるしかない、選択のない世界の生きづらさ。そういう現実にあったものがひしひしと伝わる映画も大事ですね。

多様な表現についてこれない和訳

とまあ、こんな感じで『ボーイズ・イン・ザ・バンド』はすごく良かったのですが、ひとつ気になることが。映画自体ではなく翻訳の問題なのですが、ゲイを表す単語の和訳の扱いがなんか違和感ですよね。これは以前から多くの映画で気になっていることなのですが、今作はとにかくたくさんのゲイを表す単語が飛び出してくるのでなおさら気に障りました。

例えば、「homosexual」「fairy」「faggot」「pansy」「camp」「queen」…など、実にたくさんのゲイを表す単語がポンポン飛び交います。ピックアップするとマイケルとアランが部屋で二人っきりでしゃべる時、アランはエモリーのことを「pansy」と表現します。また同じ「faggot」でもそれが思いっきり罵倒の意味でぶつけられることもあれば、親しみを込めた仲間呼びになることもあるし、皮肉を込めた嫌みになることもあります。

でもたいていは和訳では「ゲイ」「ホモ」「オカマ」でざっくばらんに片づけられているんですよね。それは原文セリフのニュアンスを反映しきれていないことも多々あります。だいたい「homosexual」を「ホモ」って短縮で訳すのは変だろうとか思いますし…(「ホモ」は差別用語ですので「ホモセクシュアル」にすればいいのに)。

ただ、こればかりは日本語における「ゲイ」を表現するボキャブラリーの乏しさもあるのかもしれません。困ったジレンマです。せっかく多様なゲイの生っぽい会話を描く映画なのに…。

それはさておき『ボーイズ・イン・ザ・バンド』を観て少しスッキリしました。ここ最近はLGBTQ関連の日本の映画業界の動きで心が傷つけられることが多かったもので、落ち込んでいましたから。

LGBTQ映画はマジョリティ観客のウケを狙うエンターテインメントではない。当事者のための映画としてまずは確固たるものであるべきだと正々堂々と言い放つ、良い映画でした。

『ボーイズ・イン・ザ・バンド』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience --%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Ryan Murphy Productions  ボーイズインザバンド

以上、『ボーイズ・イン・ザ・バンド』の感想でした。