覗かれるぐらいなら罵声をぶつけてやる…ドラマシリーズ『レイン・ドッグス / フツウじゃない家族』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:イギリス(2023年)
シーズン1:2023年にU-NEXTで配信(日本)
原案:キャッシュ・キャラウェイ
自死・自傷描写 性描写 恋愛描写
レイン・ドッグス フツウじゃない家族
れいんどっくす ふつうじゃないかぞく
『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』あらすじ
『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』感想(ネタバレなし)
支援にモノ言えるのはお前じゃない
世の中にはいろいろな「支援」を行う団体があります。とくに社会的に弱者とされている人たちを支援する団体です。その対象は、例えば、貧困で街中を彷徨う若い女性だったり、難民として地域に根を張るのが難しい人たちだったり…。
もちろんそれらの「支援」は完璧ではないでしょう。不十分で行き届いていないことが多いのは支援をしている関係者が一番よく実感していることです。「この支援はここが問題だから、こう改善するべきではないか」と専門家が指摘することもありますし、それも大切な視点です。
ただ、残念というか、愚かしいことに、当事者に何の気持ちもなく、単に「支援」をしている人や団体にケチつけて“いい気分”に浸りたいだけの野次馬的な有象無象が、そうした「支援」に「あいつらは不正をしている。ズルをしている。正義のふりをしている」と難癖をつける光景も目立ちます。
こうした自己満足とイジメ発散による「支援」潰しは、今や日本でもインターネット上の定番のお遊びネタになりつつあります。そんなことすれば社会はますます崩壊し、結果的に大衆の税負担など生活がまわりまわって悪化するだけなのですけど、「支援」潰しに“楽しさ”を見い出している人たちはそんな将来など微塵も考えていません。潰せればそれでいいのです。
「支援」にモノを言っていいのは何よりも対象の当事者だろうし、その本人の声を聞くべきだろうに…。
今回紹介するドラマシリーズは、社会の中で理不尽に苦境に立たされている当事者が、誰よりも思う存分にモノ言う、そんな作品です。
それが『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』。
原題は「Rain Dogs」。この邦題の副題はどうかと思うのですが…(こういうセリフが作中にあるとは言え、タイトルに使うのでは文脈も全く違うだろうに)。
『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』はイギリスのドラマシリーズで、「BBC」と「HBO」の共同リリースとなっています(日本だと「U-NEXT」で取り扱っている)。
原案は“キャッシュ・キャラウェイ”という作家。日本では全然有名ではないですが、この“キャッシュ・キャラウェイ”は2019年に自身の回顧録「Skint Estate」を出版してデビューし、高い評価を受けました。
“キャッシュ・キャラウェイ”はロンドン生まれで、10代の頃は通称「クリップ・ジョイント(フレッシュポット)」と呼ばれる、高額を支払わされる質の低い風俗店で働き、決して裕福とは言えない人生を送っていました。その経験を書き綴ったのが「Skint Estate」だったわけですが、映像化の企画が持ち上がるも、“キャッシュ・キャラウェイ”自身はあまり意欲が持続しなかったようで、おまけに回顧録の捏造疑惑まで噂されてうんざりし、降りてしまいます。
しかし、“キャッシュ・キャラウェイ”は創作に舞い戻り、そこで生み出されたのがこの『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』で、原案・脚本・製作総指揮に関与しています。
本作は“キャッシュ・キャラウェイ”の人生そのものを描いているわけではないですが、経験を材料している要素はあると本人も語っており、前述した「Skint Estate」騒動も皮肉るような語り口になっています。“キャッシュ・キャラウェイ”にしかできない技ですね。
主人公はひとり娘を抱えるシングルマザー。定住できる場所が見つからず、仕事もセックスワーカーになったり、シェルターに世話になったりと、転々とすることになってしまう…そんな立場です。
一応はコメディになっており、過酷な生活の様子をシニカルに映し出すと同時に、本人の切実な生の声も届けています。
主演するのは、『どん底作家の人生に幸あれ!』の“デイジー・メイ・クーパー”。他には、『スペンサー ダイアナの決意』の“ジャック・ファーシング”、ドラマ『アレックス・ライダー』の“ロンケ・アデコルージョ”、ドラマ『A Spy Among Friends』の“エイドリアン・エドモンドソン”、『ミセス・ハリス、パリへ行く』の“アンナ・チャンセラー”、ドラマ『THE INNOCENTS/イノセンツ』の“サム・ヘイゼルダイン”など。
癖の強めなドラマシリーズですが、全8話で1話あたり約30分と短いので、視聴するのに時間はそんなにかかりません。
『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :関心があるなら |
友人 | :エンタメ要素は薄い |
恋人 | :恋愛にも皮肉的 |
キッズ | :大人のドラマです |
『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』予告動画
『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):何見てるの!?
とあるアパートの一室。部屋のものを急いでゴミ袋に放りこんでいるコステロは「面白い生き方をしてると人に追われるの」とぼやきますが、娘のアイリスは「キレちゃだめ」と母をたしなめ、逆にコステロはアイリスの発した汚い言葉使いを注意し、「ママがキレそうに見える?」と返事します。
2人は部屋から出ていく準備を急いで進めます。アイリスが『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』のポスターを壁から剥がしていると、ドアを乱暴にノックする音。
「コステロ・ジョーンズ、いるな? あなたは家賃2997ポンド98ペンスを滞納している。出てこないとこじ開けるぞ」
コステロはどぎつい言葉でドアの郵便受けから怒鳴り返します。アイリスが「セルビーは?」と聞くと「看病に」とコステロは答え、「グロリアは?」と聞くと「連絡なし」と回答。
「ママの原稿は私が守るね」とノートパソコンをリュックに入れて、娘はヘッドホンで準備万端。荷物を背負って2人は堂々と外へ繰り出します。
コステロとアイリスはコインランドリーのシェイディに荷物を預けてタクシーに乗り込みます。ちょうどスマホは断酒99日目を告げます。セルビーから電話がかかってくるものの、コステロはでないことにします。
実はセルビーは看病などではなく、刑務所にいたのでした。刑務所仲間の罵声を受けながら出所したのが今日でした。
アイリスが車に酔ったふりして隙を見て走って支払わずに逃げ、学校に到着。その後、コステロはグロリアを訪ねますがいません。グロリアは公衆電話で酔いつぶれて座り込んでおり、コステロの友人である老人のレニーに発見されていました。
セルビーは学校帰りのアイリスのもとに歩み寄り、「病気のお母さんは?」と聞かれるも「大丈夫だ」と嘘に付き合います。
トイレでセルビーと久しぶりに対面したコステロ。
「執筆は?」「順調よ」「1年で一度も手紙をくれなかった」「私の人生をぶち壊した罰よ。あんたはブチ切れて人殺しになる寸前だった」「それでも親友だろ?」
カネを貸してほしいとやむを得ずセルビーにせがむことにしたコステロですが、セルビーは飄々と消えるのでした。
店でたまたま同情してくれた男ブレットから部屋を紹介され、契約無しでタダで貸すと言われます。ホームレス相談窓口に電話するも混雑中で繋がりません。グロリアはまだ家に帰っていない…。
娘がセルビーからもらったわずかなカネをスクラッチ宝くじに使い、なんとか宿代の40ポンドになればと思いましたが無理でした。しょうがないのであのブレットの世話になりますが、彼はこの服を着るのが条件だと衣装を差し出してきます。
身の危険を感じたコステロは部屋に籠ってセルビーに救援の電話。セルビーが上がり込んできて男をぶちのめし、アイリスを抱えて外へ。
辿り着いたのは元の家。空っぽです。セルビーはおカネをくれ、「僕らは家族だ」と言います。
断酒100日目の通知。とりあえず今日も生きている…。
皮肉は自分に戻ってきたときが一番つらい
ここから『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』のネタバレありの感想本文です。
居場所を失ったシングルマザーと子どもを軸に社会支援との関わりを描く作品と言えば、『わたしは、ダニエル・ブレイク』やドラマ『メイドの手帖』など、いくらでもあります。
その中でもドラマ『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』は、ズカズカと言い切っていく痛快さのある“わきまえない”物語です。
主人公のコステロは世間から差し伸べられる「支援」の不完全さをビシバシと切っていきます。アパートの立ち退きを迫られ、かといってホームレス支援には電話も繋がらず、知り合いの輪もここぞというときには不通です。
「のぞき部屋(peep show)」で働いていると記者ソフィ・フェンスターに取材を持ちかけられ、作家の夢に結ぶかもと期待しますが、「セックスワーク・イズ・リアルワーク」などと世間に見栄えのいい内容で書かれた、自分の主張が反映されていないインタビュー記事に利用されただけでした。
娘の学校の母友には「潜入取材をしている」と偽るのですが、その際に「ステイシー・ドゥーリーみたいな?」と聞かれ、「(ニュー・ジャーナリズムを代表する)トム・ウルフ的な手法に近いかな」と答えます。ステイシー・ドゥーリーというのは、発展途上国などの児童性搾取を主に取材して評価されているジャーナリストですが、その取材姿勢は「ホワイト・セイバー」的だと批判も集めている、そんな人物です。
コステロはどうやら母ドナに性的虐待を受けたらしいことを匂わせますが、15年ぶりの再会でも関係改善は無く、家族愛など役に立ちません。
結局、シェルターに頼るのですが、そのシェルターも隣の金持ちの建物の工事ミスで倒壊。ケン・ローチの映画みたいな名演説で金持ち女に不満をぶつけた動画はバズって、出版に繋がります。しかし、「子どもが可哀想だ」などのネットの誹謗中傷に動画配信で反論すると逆に出版を切られる…。ここでも世の中の理不尽さが浮きでます。
あげくにはサマセットのサンセットパークに引っ越すと債権回収業者の仕事をすることになり、自分のような貧困層からカネをむしり取る側にならなければいけなくなる…。
他人や社会にぶちまけた皮肉な言葉。その皮肉が自分に跳ね返ってくるのが一番辛かったり…。
このコステロの唯一の自尊心があの断酒記録として視覚的に演出されており、それが最後の最後で途絶えて一気に絶望に押しつぶされ、自殺的な振る舞いへと加速させる。苦しすぎる現実ですが、語り口としては上手い見せ方でした。
“デイジー・メイ・クーパー”のやさぐれた表情の中にときおりふっと見せる、人生への多彩な感情的反応のバリエーション。カットが独特に挟み込まれることの多い物語ですが、この“デイジー・メイ・クーパー”の一挙手一投足を見ているだけでも満足させてくれます。
同じことの繰り返し。でもそれも人生
ドラマ『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』は別に「支援」全てをディスっているわけではなく、しっかりそれでもやっぱり「支援」は欠かせないことも描いています。
完全に絶望に潰されてしまったコステロを最後に助けたのも、昔なじみの友人3人であるセルビー、グロリア、レニーでした。
とくにセルビーとの歪な腐れ縁は印象的です。セルビーは資産家の父を持つものの、その父が亡くなり、母グロリアとの関係は冷めているようです。セルビーが同性愛者であるということも関係しているのか、セルビー自身が家族という概念に複雑な感情を持っていることが伝わってきます。家族をときに求めたくなってアイリスを養子にするとまで言い出したかと思えば、ブルートンでの優雅な3人暮らしではコステロの貯金をギャンブルに使いきってしまったり…。
たぶんコステロにとってセルビーは何なのか、その関係性を説明するピッタリの言葉はないのだと思いますが、それでも有害とは言い切りたくない。セルビーなんて全然理想の「支援」ではないですけど、コステロにはこの穴だらけのセルビーが一番居心地としては悪くない「支援」なのかもしれません。
他の2人もパーフェクトな人間ではないです。
葬儀屋の職場で出会ったポールと関係を持って妊娠したグロリアは、出産をするか中絶するかでずるずると悩みまくり、立ち位置が定まりません。
レニーは評価されなかった芸術的才能を溜め込みつつ、ひとり寂しく老いていくことを悟っています。
こんなでも「支援」は「支援」。もうこういうのに「支援」って言葉は不適切かもしれませんね。共に人生の苦難を少しばかり分かち合ってくれる存在といいましょうか。
間違いなく世間的には「恵まれない人間」とラベルを貼られるかもしれません。でもかろうじて生きていくことが虚しいばかりではなく、その虚しさを食らって逆にハツラツと生きる姿も描くのが本作です。
シェルター仲間のジェイドに誘われてチャットレディ(カムガール)として働く姿は痛々しくシュールです。「BatteredBitc*es」というユーザー名で顔をだせば、そこにはDV被害者に興奮する嗜好を持った男たちがうじゃうじゃ。でもそれで意外なほどに景気よく儲かってしまうという現実の奇妙さ(前半の“のぞき部屋”と違って、カメラの前でいかにも苦しそうに微妙なローテンションを見せるだけでいいというのがなんとも)。
最終的にはまたセルビーとの腐れ縁に立ち返ってしまいそうな雰囲気でしたが、かの有名な作家であるチャールズ・ブコウスキーだって出版は中年以降だったのですから、焦ることもない。そう自分に言い聞かせて生きるのも悪くない。
皮肉ばかりになっちゃう世の中だけど、ときには自分の重荷を少し取り外すのもいいですよね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 71%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)BBC, HBO レインドッグス
以上、『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』の感想でした。
Rain Dogs (2023) [Japanese Review] 『レイン・ドッグス フツウじゃない家族』考察・評価レビュー