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『ストレイ 犬が見た世界』感想(ネタバレ)…ドキュメンタリーに映らないトルコと犬の事情

ストレイ 犬が見た世界

このドキュメンタリーに映らないトルコと犬の事情…ドキュメンタリー映画『ストレイ 犬が見た世界』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Stray
製作国:アメリカ(2020年)
日本公開日:2022年3月18日
監督:エリザベス・ロー

ストレイ 犬が見た世界

すとれい いぬがみたせかい
ストレイ 犬が見た世界

『ストレイ 犬が見た世界』あらすじ

動物愛護に関する国民の意識が非常に高く、野良犬が普通に街を歩いているトルコ。イスタンブールでは犬たちが自由に街を歩き、人間との共存社会を自由に築いている。2017年にトルコを旅した際に、とある犬と出会ったエリザベス・ロー監督が、半年間にわたり犬たちに密着。犬の目線と同じローアングルで間近で撮影し、犬たちの視点を通して、人間社会が抱える様々な問題と愛に満ちた世界を映し出す。

『ストレイ 犬が見た世界』感想(ネタバレなし)

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犬を追いかけているだけのドキュメンタリーだけど…

日本で野良犬を見かけたことはありますか? 今はあまりないと思います。その理由としては、日本では「狂犬病予防法」などに基づき、公衆衛生の観点からかなり犬の管理が行政の責任として実施されてきた歴史があるということも挙げられます。野良犬がほっつき歩いていると連絡を受ければ、行政は何かしらの対応をしないといけません。ここが野良猫とは違うところです。

以前は捕まえられた野良犬の多くは殺処分となってしまっていましたが、最近はその殺処分数も大幅に激減。環境省の統計によれば、犬の殺処分数は平成16年度は155870匹でしたが、令和2年度は4059匹にまで減りました。これは動物愛護の関心が高まり、行政も単に捕まえるだけでなく、野良犬や野良猫の譲渡に力を入れ始めているからです。また、そもそも引き取り数も大きく減少しており、飼育放棄される犬の数も減っているのではないかと思われます。

令和4年6月1日からブリーダーやペットショップ等で販売される犬や猫についてマイクロチップの装着が義務化されましたので、今度はさらに犬の管理は徹底されるはずです。この調子でいけば野良犬の数自体を減らして犬の殺処分もゼロにすることも夢ではありません。野良犬がいなくなれば殺処分する犬もいないも同然ですから。犬は誰かに飼われるべきなのです。

もちろんこれは日本の話。国が違えば野良犬を取り巻く状況も違ってくるもの。

今回紹介するドキュメンタリーはトルコの野良犬を題材にした作品。それが本作『ストレイ 犬が見た世界』です。

トルコは野良犬が多いことで有名で、普通に街を歩いています。なんでもトルコでは犬を殺処分をしないことになっているそうで(ただし注釈がいる;詳細は後半の感想で)、それが野良犬たちの歩行者天国のような状況を生み出す土台のひとつになっています。

『ストレイ 犬が見た世界』はトルコ最大の都市であるイスタンブールに暮らす野良犬たちにカメラを向けたドキュメンタリーです。

しかし、通常のドキュメンタリーとは少し毛色が違います。本作は可愛い犬の映像をただ満喫させるためだけのバラエティ番組みたいなノリではありません。犬が可哀想な目に遭っているところを映して動物愛護感情を刺激するものでもありません。犬の面白映像を流すウケ狙いでもない。犬に人間の言葉で会話をつけて擬人化風にすることも無しです。

じゃあ、何なのかというと、本作は冒頭に説明文がある程度で、後は一切のナレーターも解説もない。本当にただただ文字どおり「イスタンブールに暮らす野良犬たちにカメラを向けているだけ」…そんなドキュメンタリーです。雰囲気から本作を語ると、カメラが犬の視点でずっと展開するので、犬を中心にイスタンブールの街並みを映しているような、そんな映像がひたすら続きます。犬のドキュメンタリーとしてはだいぶ異色です。

もちろん犬は人の言葉を喋りません。ナレーションもないのです。この映像の中に出てくる犬たちは何を思って今ここを歩いているんだろう…という感じで、観客は想像を膨らましていく必要があります。

一方、この『ストレイ 犬が見た世界』は別の楽しみ方もあって、それは犬の視線でカメラを置くことで、イスタンブールの街並みや行き交う人々が犬感覚で見渡せる…ような気がする…そういう気分にさせるところ。つまり、本作は犬のドキュメンタリーですが、同時に「人間観察映画」でもあるんですね。

この人間観察映画としてどう本作を活用するかはかなり人それぞれの着眼点があると思います。別に本作を観ても私たちは犬になれません。犬目線になった錯覚になるだけです。でもそこから何を感じ取るかはこのドキュメンタリーならではの切り口を見つけられるかもしれない。そこも観客に委ねられ、なんとも全部を観客と犬に丸投げしているような気もしないでもないドキュメンタリーですよ。

なので本作を観ていても正直、トルコの野良犬がどういう事情に置かれているのかとか、そういう背景は全く見えてこないんですね。社会派の問題を詳細に整理してくれているわけではないので。もしかしたトルコの野良犬をめぐるあれこれを学べるのではないかと思って本作を観ようとしたかもしれませんが、それだと肩透かしに終わるかも…。

一応、「もっといろいろ知りたいなぁ」という人のために、この感想記事の後半では、『ストレイ 犬が見た世界』の舞台となったトルコの野良犬について、ニュースや文献をこちらで軽くですがリサーチしておきました。それらを知っていくと案外とこのドキュメンタリーが映し出していない側見というのがかなりあることがわかりますし、それによって本作の印象もガラっと変わる部分もあると思います。『ストレイ 犬が見た世界』はなんというか…情報操作は言い過ぎですが、情報の見せ方をわりと恣意的にコントロールしている作品なのです、実は。少なくとも私はそう思います。

『ストレイ 犬が見た世界』は犬好きには安心してオススメできるドキュメンタリーです。犬が酷い虐待を受けるとか、殺されるとか、死体が映るとか、そういうシーンは一切ありません。しかしながら、犬を愛でるだけの映像でもなく、作品の読み解きが問われていく。なかなかに推薦しづらいドキュメンタリーではあるのですが、その捉えどころのなさも本作の面白さなのかな。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:トルコ好きも犬好きも
友人 3.5:犬が好きな人同士で
恋人 3.5:デート気分な盛り上げはないけど
キッズ 3.5:犬が好きなら
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ストレイ 犬が見た世界』感想(ネタバレあり)

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これが普通の風景

『ストレイ 犬が見た世界』ではイスタンブールの街をうろつくいろんな野良犬が映し出されていきます。

そのうち名前を挙げられて大きくピックアップされるのは3匹の犬。

1匹は「ゼイティン」。大型犬ですが、顔つきは優しそうで、愛嬌があります。推定2歳前後のメス犬だそうで、意外に幼いので無邪気な姿もよく見られます。猫を追いかけたり、他の犬と戯れたり、年相応のやんちゃです。イスタンブールの野良猫もこんな野良犬がいたら落ち着かないだろうなぁ…。

ただ、人との距離感はやっぱりしっかり保っているのか、カメラがものすごく接写で撮っていても全然気にしないですが、ゼイティンの方からじゃれつくような場面は全然ありませんでした。店の中で眠っていて邪魔なので椅子で追い出されても大人しく従います。反抗はしません。この絶妙な距離の取り方はおそらくこのイスタンブールの野良犬たちが生きていくうえでは必須なのでしょう。

次の1匹は「ナザール」。ゼイティンと一緒に行動していることも多い、顔に黒色部分が多めの大型犬。ゼイティンとゴミを漁ることもあれば、ただじっと座っているだけのときも。こちらも相当に人馴れしており、後ろからついていって撮影もできるし、前に回り込んで顔をアップでも撮れるほど。ストレスもないようです。

ナザールで印象深いシーンは、廃墟となった建設現場の瓦礫の中で、アレッポからはるばるたどり着いたというシリア難民の少年たちと寝床を共にするという場面。少年たちの持ち物(どこかで拾ったのかもしれない)である古びた毛布に一緒に包まり、これだけ見ると野良犬というよりは飼い犬です。ナザールはもしかしたらもとは飼育されていた犬で捨てられたのでしょうか。犬は過去を語りません。健康状態はそこまで悪くなさそうで、かといって肥満でもないので、エサはそんなに贅沢なものは貰っていない様子。このへんは犬と関わる人の経済状況が察せられますが…。

3匹目が「カルタル」。幼いブチ犬で、すごく愛くるしい…。さすがに子どもなので野良犬として生きる術はまた持っていないはずです。母犬と兄弟犬と行動し、建設現場の人たちの庇護があるおかげで生きられているようなものです。野良犬といっても全てが自由奔放に歩き回って暮らしているわけではなく、事実上の庭飼いみたいな状態にある野良犬もいるということですね。

そんな犬たちの目線で人間活動も垣間見えます。何気ない世間話から、2月14日の女性の日に合わせて路上で女性たちのデモが行われる傍らで交尾する野良犬とか(「合意を得てね」という言葉の投げかけもシュール)。観光客に驚かれ、呆れられることもある。

人間社会の傍に当たり前に野良犬がいる。イスタンブールの普通の風景でした。

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トルコは野良犬の楽園?

『ストレイ 犬が見た世界』を“どう見るか”…それは観客に委ねられます。千差万別の感想があると思います。

ただ、私がひとつ言及しておきたいのは「トルコは野良犬の楽園なんだね」という感想は少し表面的すぎるかもしれないということ。確かにこのドキュメンタリー自体、そして宣伝や配給のされ方を見ると「トルコは殺処分もなく、動物愛護の先進国で、野良犬と人間が共存している理想の世界があります」という非常に憧れを抱かせるような雰囲気を醸し出しています。

でもそれはちょっとミスリードで、現実はもっと複雑です。トルコでは野良犬は社会問題…というよりはむしろ政治対立の火種になるくらいには深刻な論争のまとになっているんですね。

私は動物学を学んでいるので一般の人よりはこのテーマに多少は詳しいのですが、人間と動物が同所していればそこにはたいてい軋轢が発生します。それはトルコの野良犬も同じでした。なにせこんな野良犬がうようよいるんですよ。問題が起こらないわけがありません。

調べてみると、野良犬が子どもを襲ったという被害事例も定期的に起きていますし、当然ながら公衆衛生上の問題も起きます。人獣共通感染症なんてコロナ禍でますます考えないといけない問題になりました。

トルコで飼われている犬の52%は小型犬で、大型犬は19%。日本と同様に小型犬が人気です。野良犬は大型犬ばかりですから、おそらくこれらの野良犬のほとんどは飼育放棄個体なのではないでしょうか。積極的に自然繁殖しているとはちょっと考えにくいかな。

政府はさすがに危険性の高いとくに獰猛な大型犬は規制を強めることにしており、対策も行っています。多くの野良犬をそのまま野放しにしているわけではなく、マイクロチップを含めた管理下においてある程度の安全性を維持しようとしています。作中でも野良犬の耳にタグがついている個体も確認できたでしょう。

一方で動物愛護団体を含む人たちの反発もあり、野良犬を減らす(殺処分はしなくても譲渡の取り組みを強化するでもいいのですが)という方向にはなかなか至らない。要するに手をこまねいており、野良犬の数はこの状態のままということに。だからイスタンブールの街が野良犬だらけなのは理想郷だからということではなく、行政の野良犬管理(市民の飼育意識含む)が上手く機能しきれていない証左でもあります。

しかし、このドキュメンタリー『ストレイ 犬が見た世界』ではそういうトルコの野良犬に関する社会問題的な言及は一切カットしているんですね。車に轢かれる野良犬だっているだろうし、糞尿もあるだろうし…でもそういう“見たくない”部分は映さない。

これがこの作品を見た観客に対して、ある種のこの世界の過度な理想化を誘発しやすい隙を生んでいるとも言えると思います。

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「野良犬・難民・住民」の三角関係

『ストレイ 犬が見た世界』の監督は香港出身の“エリザベス・ロー”という人物で、その立場からある意味では「外国人から見たトルコのエキゾチックな風景」という切り取り方をしている…とも言えるかもしれません。

印象的なのは、野良犬と難民を重ね合わせるようなシーンの多さ。もちろん野良犬と難民はそもそも背景にある問題性は全然違うものです。なので安易に重ね合わせるべきではありません。しかしながら、この両者は結果的に同じような環境で生活しており、いっしょくたにされているわけです。

そして難民には冷たい眼差しを向けるか、無関心な人が多くても、犬は同情してくれる人も多い。考えてもみてください。もし店のテーブルが並ぶ場所に野良犬ではなく難民の子が寝ていたら…きっと穏やかに追い払われるでは済まない、もっと厳しい罵倒や暴力が飛んでくるでしょう(実際に建設現場ではこっぴどく追い出されていた)。

だからあの難民の子たちがカルタルを盗んで「サリ」と名付けて自分の仲間にしてしまうというくだりが後半にあるのですが、あそこも意味深いです。まず野良犬なので窃盗罪にはならない(不法侵入の罪にはなるかも)という、法的な保護のない世界を浮き彫りにしている点。同時にあの子たちの感情としては単に可愛いから盗んだだけかもしれませんが、自分よりも街に愛されている子犬という存在への複雑な感情もある…のかもしれない。

こうやって振り返ると、「野良犬・難民・住民」の三角関係はいろいろなトルコの社会の構造を映し出すものですね。

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ディオゲネスの言葉は皮肉

作中では紀元前360年のシノペのディオゲネス「人間の生き方は不自然で偽善的だ。犬に学ぶのが良い」という言葉が引用されます。

良い言葉だなと思った人もいるかもですが、このディオゲネスはなかなかに曲者です。彼はソクラテスの孫弟子で、古代ギリシアの哲学者。犬儒派(キュニコス派)の思想を支持していました。これはつまり自然に与えられたものだけで生きることこそが幸せであるという考え方です。

ディオゲネスは奇行でよく知られており、元は裕福な家系だったのですが、偽造紙幣の問題でビジネスが成り立たなくなり、本人はホームレス状態に。そしてあろうことか犬同然の暮らしをすることに積極的になり始めます。樽で暮らしたり、そのへんで好き勝手に振舞い、周囲からは「変な奴」として認知されていたとか。

ディオゲネスは今でいう社会に対する皮肉の体現だとも言えますが、まあ、どこまで計算なのかはわかりません。今では「ディオゲネス・シンドローム」といって、高齢者にみられるセルフネグレクトを示す用語に使われたりもしています。

それを踏まえると『ストレイ 犬が見た世界』でディオゲネスの言葉を引用するのはシャレになっていないというか、本気なのかという感じなのですが、皆さんも真に受けてディオゲネスみたいな生活しないでくださいね。

なお、ディオゲネスの最期には諸説あるのですが、一説によれば犬に噛まれて死んだという話も…。

トルコに観光に行っても野良犬に手を出すのはあまり推奨はしません。

『ストレイ 犬が見た世界』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 74%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
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関連作品紹介

犬を題材にした作品の感想記事です。

・『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』

・『トーゴー』

作品ポスター・画像 (C)2020 THIS WAS ARGOS,LLC

以上、『ストレイ 犬が見た世界』の感想でした。

Stray (2020) [Japanese Review] 『ストレイ 犬が見た世界』考察・評価レビュー