だからいるんですよ…映画『熊は、いない』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イラン(2022年)
日本公開日:2023年9月15日
監督:ジャファル・パナヒ
自死・自傷描写
熊は、いない
くまはいない
『熊は、いない』あらすじ
『熊は、いない』感想(ネタバレなし)
表現の自由とはこういうもの
最近は「広告などで性的な表現を何の規制もなく扱うこと」こそが「表現の自由」だと言い切って憚らない人が一部でいますが(朝日新聞)、本来「表現の自由」はそういうものではありません。
もともと「表現の自由」とは公権力に対する対抗の手段です。政府などの権力者が都合の悪い表現を抑圧しようとすることへに抵抗するためのものです。
そんな「表現の自由」の意義が形骸化している日本に生きる身として、この遠く離れたイランの地にいる“とある人物”の戦う姿は「表現の自由」の価値を常に思い出させてくれます。
その人とは“ジャファル・パナヒ”(ジャファール・パナヒ)。
中東のイランで1960年に生まれ、『オリーブの林をぬけて』(1994年)などで有名なイランの映画監督“アッバス・キアロスタミ”のもとで助監督を務めた“ジャファル・パナヒ”。1995年に『白い風船』で監督デビューし、一気に国際的に注目されます。その後も『鏡』(1997年)、『チャドルと生きる』(2000年)、『クリムゾン・ゴールド』(2003年)、『オフサイド・ガールズ』(2006年)と作品を意欲的に生み出し、高評価を獲得。イランを代表する国際的な映画監督としての立ち位置を確立します。
ところが、2010年3月、“ジャファル・パナヒ”監督は逮捕され、イラン政府に対するプロパガンダの罪で起訴されてしまいます。そして刑罰として6年の懲役刑と20年間の映画制作禁止が宣告されることに…。
それでも“ジャファル・パナヒ”監督は屈しません。2011年には『これは映画ではない』を制作し、世界に公開。この作品はその名のとおり、自分を撮ったビデオログのようになっており、「映画ではない」という名目になっていますが、でもどんなものでも映画になりえます。そういう「常に表現は存在し、それは政治的なんだ」という強い姿勢が示されている…“ジャファル・パナヒ”監督はこうしてその存在自体が「表現の自由」そのものの体現者になっていったんですね。
こうして“ジャファル・パナヒ”監督はなおも「表現の自由」として戦い続け、『閉ざされたカーテン』(2013年;カンボジヤ・パルトヴィと共同監督)、『人生タクシー』(2015年)、『ある女優の不在』(2018年)と、映画はなおも世界で絶賛を積み重ねていき…。
しかし、2022年7月11日、治安関連の容疑で逮捕された他の映画監督2人(モハマド・ラスロフ含む)について調べるためテヘランの検察庁を訪れた際、当局によって拘束され、収監されてしまいます。2023年2月に釈放されたようですが(Vulture)、あらためて表現者が脅かされていることがよくわかる出来事でした。
その“ジャファル・パナヒ”監督の再逮捕前に直近で監督していた最新作、それが『熊は、いない』です。
例によって例の如し、またも“ジャファル・パナヒ”監督自身が主人公なのですが、今回もリアルとフィクションが曖昧に交差する物語が展開し、観客をふと気づけば現実に立たせます。
今回もタイトルが意味深ですね。「熊は、いない」(英題は「No Bears」)。なんか最近、クマがやたらでてくる映画をいくつも見ている気がするけど、この本作にはクマはでてくるのか、でてこないのか…。
そこも含めて注目してみてください。“ジャファル・パナヒ”監督作を初めて観る人も、本作からでも大丈夫です。ちゃんと前述した監督の背景を知っておく必要はありますけどね。
『熊は、いない』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :表現を考える |
友人 | :語り合える人と |
恋人 | :恋愛気分ではない |
キッズ | :やや難しい |
『熊は、いない』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):とある村で監督は…
トルコの賑やかな通り。その一角のカフェでウェイトレスの女性が電話にでます。上着をとって店の外へ。傍で男性と出会い、その男はパスポートを見せます。
この2人、ザラとバクティアールは偽造パスポートを使って国外逃亡しようとしているのでした。ところが、ザラのぶんだけしかパスポートを手に入れることができず、ザラは怒って店に戻ってしまいます。バクティアールはその場で煙草を吸い、帰っていき…。
そこで「カット!」の声。急に男が割り込んで入ってきます。これは撮影です。
さらにその様子をノートパソコンの画面で見つめて、リモートで助監督レザに指示を出しているのはパナヒ監督。けれども通信が切断し、呼びかけても反応なし。窓を開けるも効果はない様子です。ここはトルコとの国境付近にあるイランの小さな村。
パナヒ監督はノートパソコン片手に外をうろつくもあまり上手くいきません。梯子をだしてもらい、別の男性に屋根へと上がらせ、電波の接続を試すもダメです。
現在、ここに滞在中のパナヒ監督は空いている時間はこの村の風景を思い思いにカメラで撮っていました。子どもたちなど、その対象はごく普通のものばかり。
夜、撮った動画を確認。結婚の祝いの風景で、大勢が盛り上がっています。
そんな夜、助監督レザが来たので車で道路の途中でピックアップ。レザは自身も含めたキャストとスタッフはパナヒ監督の不在で困っていると素直に語ります。なのでトルコまで来てほしいとのこと。
真っ暗な夜道は街灯もなく、車のヘッドライトだけを頼りに塗装されていない道をゆっくり進み、横を他の車が通り抜ければ、砂埃が舞います。
レザはパナヒをイランとトルコの国境まで連れて行こうとし、密航業者も手配をしたと言います。何もない殺風景な場所。遠くに明かりが見えるのは街です。しかし、今、パナヒがまさにいる場所が国境だと教えられ、パナヒは怖くなって村に車で戻りました。
その帰り、村の直前でいきなり車の前にひとりの女性が慌てたように現れます。若い女性ゴザルはボーイフレンドのソルデューズと一緒に映った写真を撮ったかどうかを必死に尋ねてきます。それを他人に見られるのはマズいというのです。
翌日、パナヒのもとに3人の村人が訪れます。彼らも撮った写真について質問してきます。
この村には「女の子が生まれると、将来の夫がその時点で決められる」という伝統があるらしいです。しかし、ゴザルはヤグーブ(ジェイコブ)と結婚する取り決めなのに、ソルデューズという男が邪魔をしているとのkとおで、その介入に関連して証拠写真を探しているようでした。
パナヒは一緒の写真を撮ったことはないと否定して、一旦は彼らは帰っていきますが、状況はどんどん悪化していくことに…。
見た目以上に緊迫感のある撮影現場
ここから『熊は、いない』のネタバレありの感想本文です。
『熊は、いない』はリアルとフィクションが曖昧に交差する物語が展開されるので、どこまで真実なのかわかりにくいです。結局、リアル風に見せたフィクションなのだろうとこちらも気を緩めてみてしまいがちですけど(映像も揉め事が描かれているわけですがのんびりしてはいるので余計に)、実際、かなり緊迫した現場でもあったそうです。
例えば、パナヒ監督がいる村での撮影。とあるシーンでは、トルコの撮影現場に来てほしいと言われて、流されるままにパナヒ監督が国境付近まで足を踏み入れるという場面があります。
当然、実際の“ジャファル・パナヒ”監督はイランから出国できません。あのシーンは本当に国境付近で撮っているので非常にヒヤヒヤしていたそうで、緊張感は間違いなく本物です。
そして村においても、撮影中に当局の人たちが撮影中止を一方的に求めてきてしまい、しかたないので他の村で再開するも、やっぱりこの村に戻ってきて再度極秘に撮影するという、かなり危険な状況にあったのだとか(Universal Cinema)。
これらの撮影裏話は、“ジャファル・パナヒ”監督は逮捕されてしまったので、その多くがキャストや他の製作陣の口から語られたものですが、「撮る」というだけでもこんなにも過酷さをともなう…その現状は鑑賞するうえでしっかり踏まえておきたいところですね。
恋愛もまた自己表現の自由
『熊は、いない』はイラン社会における抑圧された女性の苦しさに焦点をあてており、これは従来の“ジャファル・パナヒ”監督のテーマ性と同じです。
“ジャファル・パナヒ”監督は、例えば、サッカーのイラン代表を応援したい女性たちがスタジアムへ潜り込もうとする姿を映した(当時イランでは女性がスタジアムでスポーツ観戦することが禁止されていた)『オフサイド・ガールズ』を作ったりしてきました。
2022年9月13日、イランのテヘランにおいてヘジャブの着け方を理由に道徳警察に拘束されたイラン国籍のクルド人女性の“マフサ・アミニ”が、3日後に死亡した事件を引き金に、イラン各地での女性を中心とした大規模な抗議デモとその弾圧に発展しました。これは現在進行形の問題です。
今回の映画では生まれた時から結婚相手を決められてしまっている村の女性が主題にあります。出生時に割り当てられた性別に苦しむ人もいれば、出生時に割り当てられた婚約者に苦しむ人もいる。ほんと、出生時に何かを割り当てるって暴力的ですよね。
そんな村のゴザルと並列して描かれるのがトルコで男性と出国を考えるザラの人生です。この2人の女性の共通点は「自由恋愛」が禁じられていること。これは表現の自由を制限された“ジャファル・パナヒ”監督自身の投影とも言えます。好きな人と恋愛するのだって表現ですからね。
本作でザラを演じた“ミナ・カヴァーニ”は、2014年に“セピデ・ファルシ”監督の『Red Rose』でヌードシーンを撮影したことでイラン政府に睨まれ、「イラン初のポルノ女優」と呼ばれて侮辱されるなどしつつ、約10年間亡命生活を送る状態になっている俳優です(Time)。
つまり、“ジャファル・パナヒ”監督と対比的です。“ジャファル・パナヒ”監督はイランから出れず、“ミナ・カヴァーニ”はイランに戻れないのです。
こんなふうに本作は、イラン社会における女性の苦しさと“ジャファル・パナヒ”監督の苦しさが折り重なるように物語内に組み込んであるのが特徴的でした。
巻き込まれ主人公・パナヒ
政治的背景は一旦置いておいて、この『熊は、いない』のジャンル的な面白さについて語ると、本作含めて“ジャファル・パナヒ”監督の逮捕以降のフィルモグラフィーの多くは、監督自身を被写体として登場人物化させています。
それらを観ていると、巻き込まれ型のドキュメンタリーの体裁のようになっているのですが、作中にでている“ジャファル・パナヒ”監督自身が巻き込まれ型の主人公にもなっているストーリーでもあります。
これは一般人がスパイ・サスペンスに巻き込まれてしまうジャンルによくある構図です。たまたま観光地で撮ってしまったor手にしてしまったものが陰謀の鍵となる代物だった…とか、はたまた潜入中のエージェントと出会ってしまって騒動に飲み込まれる…とか。
『熊は、いない』のパナヒ監督も本当にただただ巻き込まれているだけです。小さな村の慣習によって苦しむ男女とその周りの村民たちの人間関係…そこにパナヒ監督は直接関係ありませんし、積極的な関与もしていません。何も悪くありません。
でも「写真を持っているだろう?」と詰め寄られる。もちろんこれは“ジャファル・パナヒ”監督がイラン政府に文句をつけられている図式と重ねているのでしょう。政府にせよ村にせよ、やっぱり相手を責めるときは口実が必要なんですよね。
ユニークなのが、作中のパナヒ監督は主人公属性ながらも「普通の人」だということ。凄い推理能力があるわけでも、圧倒的な格闘スキルがあるわけでもないです。どこにでもいる平凡な人間です。
しかし、だからこそ巻き込まれてしまったとき、自分はどうするべきかという倫理観を問うような内容として誰にとっても切実になってきます。無視することもできる、無かったことにもできる、黙殺してしまうこともできる…けれどもそれでいいのか…。
『熊は、いない』はまさにその「さあ、どうする?」を問うかたちでラストは終わるのですが、私たち全員がこういう瞬間をきっと一度は経験しているのではないでしょうか。
藪をつついて熊を出す
そこで本作で印象的に登場する言葉が「熊」です。作中のパナヒ監督は「その道は熊が出るから」という理由である村人に呼び止められます。実はこれは嘘です(イランにはシリアヒグマみたいな野生の熊は生息しているけど、遭遇を本当に心配しているわけではない)。「熊がでる」という名目で自分の行動を変えるという建前が大事だという話。
イラン社会におけるコミュニティの体質が窺えますね。結構日本に近いものがあると思いますが、これはちょっとニュアンスは違いますが「藪をつついて蛇を出す」という成句に通じる感じもあります。要するに「余計なことをするな」ってことです。こういうときに危険動物を持ち出すのはおそらくどこの国も一緒なんでしょう。
「熊」がいるのだから余計な行動はやめておこう…そう自分に言い聞かせて既存のしきたりに従属する。
でも実際はタイトルのとおり、熊はいない。本当に危険なのは「熊」ではなくて、監視や暴力で支配する世界そのもの。
“ジャファル・パナヒ”監督には「熊がいるよ」という言葉は通用しません。
私も非実在の熊に怯える暮らしはまっぴらです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 79%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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作品ポスター・画像 (C)2022_JP Production_all rights reserved ノー・ベアーズ
以上、『熊は、いない』の感想でした。
No Bears (2022) [Japanese Review] 『熊は、いない』考察・評価レビュー