事件を映画にする意味を問いながら…映画『ニトラム NITRAM』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:オーストラリア(2021年)
日本公開日:2022年3月25日
監督:ジャスティン・カーゼル
DV-家庭内暴力-描写 交通事故描写(車)
ニトラム NITRAM
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『ニトラム NITRAM』あらすじ
『ニトラム NITRAM』感想(ネタバレなし)
タスマニアで大論争を巻き起こした映画
近年になって発生した凄惨な大量殺人事件を映画化しようとすれば、それはほぼ確実に論争を巻き起こします。何よりも「そもそもそんな事件を映画にしていいのか?」という倫理的な疑問が呈されるでしょう。
数百年前に起きた歴史の教科書に載っているような事件ならば、それが何人殺されたものであったとしても、今さら映像化すること自体に大きな反発はないでしょうが(もちろん歴史的整合性とかは論点になるけど)、まだ記憶に新しい事件となれば、そんな冷静でもいられません。まだ生存者や被害者の遺族も存命である中で、事件が映画作品として蘇ってしまうのは、人によっては相当にショックなことです。「嫌なら見なければいい」という意見もありますが、そんな映画の宣伝素材を目にするのも辛いでしょうし、街中でその作品の感想が飛び交うのだってキツイでしょう。立場の弱い人がことさら不利になる状況がそこにはあります。
最近もそんなコントラバーシャルな映画がいくつかありました。例えば、2011年にノルウェーで起きた銃乱射事件を題材にした『7月22日』と『ウトヤ島、7月22日』。いずれも2018年製作の映画ですが、事件の生々しい当時の様子が再現されており、強烈な嫌悪感と衝撃を観客に与えます。
上記のような銃乱射事件は世界各地で残念ながら起きているためか、題材になりやすいです。被害者に視点を置いたものも多いですが、中には加害者視点で構成されたものもあります。有名どころだと、2003年の“ガス・ヴァン・サント”監督作の『エレファント』でしょうか。
加害者を主人公にすることは「加害者に同情を誘いすぎではないか」「事件の被害者を軽視していないか」とことさら批判を招きやすいです。それでもクリエイターが加害者を軸に映画を作りたがるのは、それだけ創作意欲を駆り立てる“何か”があるんでしょうね。
今回紹介する映画も非常に激しい論争を現地で引き起こした問題作です。
それが本作『ニトラム NITRAM』。
なんだかヘンテコなタイトルですが、これは加害者の名前「マーティン(MARTIN)」を逆さにしたもので、実際にそういう蔑称で小さい頃に揶揄われていたのだとか。
『ニトラム NITRAM』は1996年4月28日にオーストラリアのタスマニア島の観光地で起こった銃乱射による大量殺人事件、通称「ポート・アーサー事件」を題材にしており、それを引き起こした犯人の男の生い立ちを描きつつ、いかにして事件当日に行き着いたのかを浮き彫りにしています。
舞台のタスマニア島はオーストラリアの南の東側にポツンとある島で、島といっても北海道の面積の8割くらいの広さがあるので大きいです。事件はそのタスマニア島の「オーストラリアの囚人遺跡群」として世界遺産になっているポート・アーサーという町で起きました。ひとりの男が無差別に銃を乱射し、観光客を含む35人が死亡し、15人が負傷。オーストラリアの犯罪史の中でも最も凶悪な事件として刻まれています。
その事件を題材にした『ニトラム NITRAM』が2021年に製作されたわけですが、現地のタスマニア島の人たちは激しい非難の反応を示しました。政府も被害者遺族団体も揃って本作を批判。本作を上映する映画館もわずかでした。
事件から約25年経過しても地元の人々の心に深いトラウマを残しているのがよくわかる出来事です。
そんな大論争となった『ニトラム NITRAM』でしたが、オーストラリア映画界は高評価で迎え、オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など8部門を受賞する大絶賛。カンヌ国際映画祭でも男優賞に輝き、世間の反応とは裏腹に映画としては成功しました。
『ニトラム NITRAM』の監督は、2011年の『スノータウン』で高い評価を受け、2016年に『アサシン クリード』を、2019年に『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』を手がけたオーストラリア出身の“ジャスティン・カーゼル”。
そして主人公である犯人という難しい役に挑んだのは、『ラスト・エクソシズム』『アンチヴァイラル』『スリー・ビルボード』などいつも癖のある役をやっている印象がある“ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ”。『ニトラム NITRAM』はベストアクトな凄まじい演技力を引き出しています。
他には、“ジャスティン・カーゼル”監督の実のパートナーでもあり、『ベイビーティース』にも出演していた“エッシー・デイヴィス”。さらに『夫たち、妻たち』の“ジュディ・デイヴィス”、『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』の“アンソニー・ラパーリア”など。
『ニトラム NITRAM』を鑑賞するのは覚悟がいると思いますけど(ただし、事件の直接的な暴力描写はないです)、感情を引きずり込むような恐ろしい誘引力のあるドラマを見たい人はぜひどうぞ。
『ニトラム NITRAM』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :迫真の演技を堪能するなら |
友人 | :関心ある者同士で |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :残酷な事件が題材なので注意 |
『ニトラム NITRAM』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):なぜこの男だったのか
家の裏庭で花火を何発も遠慮なしに打ち上げるひとりの長髪の青年。「うるさいぞ!」と近隣住民から罵声が飛んできてもお構いなしです。その青年をとくに叱りつけることもなく、家からじっと見つめていた母は「夕食よ」と声をかけます。食卓では言葉少なげな父がおり、パンツ1枚になって席に着く青年は自由気ままです。
翌日、青年はサーフボードを欲しがっていました。しかし、おカネは足りません。「サーフィンをしたこともないのになぜあれが欲しいの?」と母は怪訝な顔。
青年は近くの海辺にいましたが、そこにいた女性に声をかけるも、その女性はジェイミーという男性と仲睦まじく去っていきました。
今度は青年は学校の外で花火をして、子どもたちが面白がって集まります。教員が駆け付けて怒り、父は謝ります。しかし、青年は家の車を蹴り、クラクションを盛大に鳴らすだけ。父は「やめろ」と言いますが、やめる気配は無し。全身を激しく動かして暴れる青年は、母に何かしろと言われたムシャクシャを手当たり次第にぶつけているようでした。
その息子を連れて父はあるゲストハウスの近くまで案内してくれます。父はそのゲストハウスを買うのが長年の夢で、いつかそれが叶ったら息子に譲り渡そうと温かく言ってくれます。
一方、母は息子のためにいつものように薬を求めていました。年金支給の身では大変ですが、抗不安薬が必要だと母は考えていました。息子にとっても、自分にとっても…。
ある日、おカネが欲しい青年は芝刈りの訪問営業を始めることにし、広い敷地がある家のドアを叩きます。でてきたのは、ギルバートという名の猫を抱えた女性、ヘレンでした。その女性は意外と警戒もせずに青年を受け入れ、仕事をさせてくれます。
なかなか動かない芝刈り機に苦戦し、結局動かなかったのですが、ヘレンは嫌な顔もしません。「犬の散歩はどう?」と提案され、次の日は8~9匹の犬をいっぺんに散歩させることに。
ヘレンに優しく、ピアノを教えてくれたりもしました。ある時は買い物に行こうと誘われ、服まで貸してくれて、車売り場に。
試し乗りをしている最中、青年はハンドルを横から急にいじる癖がやめられず、車は危なっかしく蛇行。販売員はぶちきれ、青年はなおも挑発を続けますが、「今度来たらただじゃおかない」と脅されました。
それでもヘレンに青年に車をプレゼントするという豪勢なことをしてくれます。ヘレンは裕福なようです。
母は息子がよくわからない女との付き合っている事実に複雑な表情を浮かべますが、青年は「友達だ」と言い張り、イラついて荷物をまとめて家を出ていってしまいます。
そしてサーフボードを積んだ車で出発し、ヘレンの家に押しかけます。それもヘレンは受け入れてくれました。
そんな共同生活も進む中、父と母にヘレンを紹介することに。母は「どういうことなの? 次は結婚?」と容赦なく厳しい口調を崩さず、「この子は夫と思っているの? 息子と思っているの?」とヘレンの真意を聞き出そうとしますが、ヘレンは「特別な人です。親密な友人です」と平然としていました。
父が欲しかったゲストハウスが他人に売れてしまったらしく、落ち込んでいました。
青年はヘレンに「本物の銃を買ってくれない?」とお願いしますが、ヘレンは「家に銃を持ち込まないで」とそれだけは拒否します。
そうこうしているうちに、ある悲劇が起き…。
共感するのは簡単だけど…
さて、本作『ニトラム NITRAM』が事件を映画化した意味はあったのでしょうか。
「ふ~ん、加害者にもいろいろ可哀想で不幸な事情があったんだね」「この気持ち、私もわかるかもな~」
そんな陳腐な感想を引き出すためなのか。そもそも意味を問うことに意味はあるのか。
この手の映画は基本は観客に「共感」を引き出させることを狙いにしている傾向があります。なので「この映画を観て、なんだか犯人に共感してしまった」と思った人はまんまと映画の術中にハマっていると言えます。正直、非倫理的な物事や人物に対して「映画」というフィルターを挟むと安易に共感できてしまう体質の人間はそれはそれで非常に危ういということは自覚するべきだとは思いますが、まず忘れるべきではないのは本作はかなり事実を改変して脚色を加えているということです。
起きた事実をそのまま淡々と描くだけの映画のような雰囲気を漂わせていますが、そうではないのです。とくに主人公であるニトラムは完全に共感しやすいフォーマットに置き換えられています。
まずニトラムは非定型発達の傾向がある存在として描かれています。これについては実際に逮捕後に受けた知能テストで平均を下回る結果がでたそうですが、計画的犯行を企てていたとして責任能力は認められています。
なのでニトラムをあからさまに非定型発達っぽく描こうとしているのも、やっぱり観客からの同情を引き出す効果を狙っていると受け取らざるを得ないでしょうし(現にそういう効果はある)、仮に本人が本当に非定型発達だったとしても、それを強調するのは他の当事者への偏見を煽るだけではないかなど、問題点は多大にあると思います。
女性からの愛さえあれば?
私がこの『ニトラム NITRAM』で一番に懸念を感じるのは、「女性からの愛さえあれば、この男は犯行を起こすことはなかった」と暗示させるようなストーリー展開の部分です。
まず、ニトラムの家庭は家父長的ではなく、どっちかと言えば家母長的で、母親はネグレクトをしているように描かれています。また作中では、ニトラムに同年代の女性の恋人はできようがなかったように描かれ、それと対比させるかのようにジェイミーという男性キャラクターが配置されています。つまり、「女性からの愛」が無い存在になっています。
そんなニトラムの前に現れたのがヘレンです。裕福ながら自身も孤独を抱えている感じのするヘレンはニトラムを無条件で愛してくれ、2人はプラトニックな関係を築いていきます。しかし、交通事故でヘレンは帰らぬ人となり、その喪失感がニトラムを犯行に駆り立てる…。
おそらく“ジャスティン・カーゼル”監督も「ヘレンが死ぬことなくニトラムがそのまま一緒に過ごせたら事件は起きなかった」というテイストにする意図があるんだろうなと思いますけど…。でもそれはやはり私はかなりご都合的な「女性の奉仕で男の善性が磨かれる」幻想に過ぎないだろう、と。
第一、このニトラムとヘレンの関係も大幅に脚色されているのです。実際のヘレンとの生活(ちなみに出会った当初はニトラムは19歳でヘレンは54歳)は、かなり常人離れしたもので、作中みたいに平穏な男女のひととき…みたいなフワっとしたものではありませんでした。カネの使い方がちょっと度を超えていて、作中で車を1台贈与するのも凄いと思ったかもですけど、実際は30台以上買っていたそうです。また猫は40匹ほど多頭飼育状態にあり、通報されるぐらいだったとか。ちなみにニトラムは動物には優しいみたいな描写に映画ではなっていますけど、子どもの時には動物を拷問したこともあるそうで、そのへんも都合よく書き換えられています。
だからヘレンもヘレンでどこか異常性は抱えていて、そんなヘレンと一緒に居ればニトラムは狂気に蝕まれなかったというのはさすがに事実に反しているのではないか、と。
この映画ではニトラムとヘレンの関係は御伽噺的な理想にハメ込みすぎですね。
そこに若い男を犯罪者にさせるのは母親のせいだという「母親責任論」のベタなステレオタイプ(『許された子どもたち』の感想でも書いたような)と、父親はなんかスルーされるという「父親除外論」の定番が掛け合わさり、総論としては『ニトラム NITRAM』はわりとストレートにジェンダーバイアスに陥っている気がするし…。
『ニトラム NITRAM』では社会への警句として一応は「銃が簡単に手に入ってしまう」という問題を取り上げてはいます。確かにアサルトライフルがああもサクっと買えるのは怖いです。
であるならば、銃乱射事件を起こすのはほとんどが男性であるというこの犯罪タイプの構造にもっと深く焦点をあてて、安易な救済理想論ではなく、銃社会も含めたマスキュリニティへの自己批判的な分析に繋げてもよかったのではないか。それが欠けている『ニトラム NITRAM』は、役者の演技や演出は素晴らしかったですが、映画にする意味として真に訴えるものは薄いのかなと感じました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 83%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 Good Thing Productions Company Pty Ltd, Filmfest Limited
以上、『ニトラム NITRAM』の感想でした。
Nitram (2021) [Japanese Review] 『ニトラム NITRAM』考察・評価レビュー