指揮は絶対に止まることはない…映画『TAR ター』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年5月12日
監督:トッド・フィールド
恋愛描写
TAR ター
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『TAR ター』あらすじ
『TAR ター』感想(ネタバレなし)
トッド・フィールド、再登壇
16年も監督作が見られなければ監督業を辞めたのかなと思ってもしょうがない…。
誰のことか? “トッド・フィールド”のことです。
1964年生まれの“トッド・フィールド”は10代の頃はミュージシャンでバンドをやっていました。また、映写技師としても働いていました。その後、演技を学ぶためにニューヨークに移り住み、俳優の道を進み始めます。
1987年に“ウディ・アレン”監督の『ラジオ・デイズ』に出演し、以降も“ローランド・ジョフィ”監督の『シャドー・メーカーズ』(1989年)、“カール・フランクリン”監督の『Full Fathom Five』(1990年)、“ヴィクター・ヌネッツ”監督の『ディープ・ジョパディー』(1993年)、“ヤン・デ・ボン”の『ツイスター』(1996年)、“スタンリー・キューブリック”監督の『アイズ ワイド シャット』(1999年)など続々とキャリアを重ねていきます。
そして監督の仕事にも挑戦。その船出となったのが2001年に初長編監督作である『イン・ザ・ベッドルーム』。これがアカデミー賞で作品賞を含む5部門ノミネートの快挙となり、映画監督として業界に切り込むうえで最高のスタートを飾りました。
続く監督2作目の『リトル・チルドレン』を2006年に公開。こちらもアカデミー賞で脚色賞を含む3部門にノミネート。これはもうアカデミー常連監督確定だなという存在感でした。
そして16年間、音沙汰無しとなるわけです。何が起きた?…という感じなのですが、別に何もしていなかったわけではなく、いくつかの企画が持ち上がっていたらしいのです。ただ、それらは全滅したというだけで…。
こうして“トッド・フィールド”は監督だけでなく俳優業としても仕事しなくなったので、もはや忘れ去られるのも無理はない状況。“トッド・フィリップス”と勘違いしそうになったりね…。
その“トッド・フィールド”監督の新作が2022年についに公開されました。監督の映画を待っていた人はいよいよ待機姿勢を解除するときが来ました。
それが本作『TAR ター』です。
『TAR ター』は“トッド・フィールド”監督の完全復活として申し分ない突出した輝きを放ち、アカデミー賞では6部門ノミネートの最高記録を更新。ヴェネツィア国際映画祭では主演の“ケイト・ブランシェット”が女優賞を受賞と、16年間待ったかいのある称賛の嵐です。
映画の中身も“トッド・フィールド”監督の作家性がガツーン!と響き唸ったものなんじゃないかなと思います。主人公は女性指揮者で、すでに業界では圧倒的なキャリアを獲得している頂点に立つ人物。その女性が自身の行いゆえに、キャリアを見失い始めていく姿を描くという、人生転落モノとなっています。
この主人公の女性指揮者が支配的かつ加虐的な振る舞いを常態化させているというのがポイントで、作中ではハラスメントな描写が全体的に多いです。そうやって説明すると、“デイミアン・チャゼル”監督の『セッション』を連想するかもですが、そちらとは違ってこの『TAR ター』は露骨に激しいシーンが続くわけでもなく、じんわりと嫌な抑圧的空気が流れる…みたいな感じです。
もちろん随所に“トッド・フィールド”監督らしい癖のある演出が静かに挿入され、登場人物の不安定さが巧みに表現されています。
音楽は『ジョーカー』でも話題となったアイスランドの女性チェリスト兼作曲家の“ヒドゥル・グドナドッティル”。題材的にもぴったりな抜擢です。
主演は先ほども書いたように、『オーシャンズ8』『ナイトメア・アリー』の“ケイト・ブランシェット”。共演は『燃ゆる女の肖像』の“ノエミ・メルラン”、『東ベルリンから来た女』の“ニーナ・ホス”、『007/ユア・アイズ・オンリー』の“アラン・コーデュナー”、『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』の“ジュリアン・グローヴァー”など。また、“マーク・ストロング”も少しでているのですが、演じるキャラの髪の毛がふさふさなので、私は一瞬彼だとわからなかった…。
繰り返しますが『TAR ター』は業界ハラスメント的な描写が漫然とあるので、その点は留意してください。また、直接的ではないですが、間接的な自死に言及する展開もあります。
なお、『TAR ター』の主人公はレズビアンでもあるのですが、だからといってエンパワーメントな作品かというと…。あまりそういう方向ではオススメできる映画ではない…かなと。とにかく主人公がインモラルな振る舞いをするので、この行動を観客としてどう受け止めきれるかでこの映画の印象もだいぶ変わってくると思います。
やや単調な出だしながら、上映時間が158分もあるので、そこが一番のネックかもしれないですね。
『TAR ター』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :監督作好きなら |
友人 | :俳優ファンなら |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :大人のドラマです |
『TAR ター』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):頂点から指揮する
リディア・ターは暗がりで息を吐き、自分を落ち着かせていました。
この女性は今や業界の頂点に立っています。レナード・バーンスタインの指導を受け、アメリカの5大オーケストラを渡り歩き、現在はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団における女性初の首席指揮者になりました。音楽界を牽引する女性初めてのマエストロというだけではありません。エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞の全てを制した作曲家としても一流。自伝「Tár on Tár」の出版も控えており、グスタフ・マーラーの交響曲第5番をライブ録音するというベルリン・フィルハーモニー管弦楽団では初の試みも間近に迫っています。
その経歴・功績は語ればいくらでも長くなるものですが、そんなリディアはステージで対面で語りながら、「私は批評を読みません」とその唯一無二の自信を誇示。ジェンダーバイアスの話をしながら、現代には素晴らしい女性指揮家が最前線にいるとも述べます。「いまだに指揮者は人間メトロノームだと思われていませんか」と質問されますが、「時間は重要です。指揮者は時間を刻むのです、この針が止まってしまえば時間も止まる」と指揮者の歴史を交えながら饒舌に語ります。
その後はエリオット・カプランと優雅に会食。彼は若手女性指揮者に教育と公演のチャンスを平等に与えるアコーディオン財団を共同設立した投資銀行家でアマチュアオーケストラの指揮者でもあります。リディアは副指揮者であるセバスチャンをそんなに気に入っていないようです。
また、多忙の中、リディアはジュリアード音楽院で指導もしています。教室でマックスという指揮者志望の若者にここでも熱弁で教えます。マックスはバッハに興味ないらしく、バッハの白人優位な生き方に難色を示していました。しかし、リディアはそうした考え方よりも音楽を評価するべきだと饒舌。バッハに向き合わせるために、隣で弾き始めますが、マックスはロボットだと言われ、侮辱を受けて去っていきます。
そのリディアの仕事を支えているのはアシスタントのフランチェスカ。車での移動中、「クリスタから変なメールが、どう対応すれば?」と聞き、リディアは無視するように指示します。
そのクリスタから小説「Challenge」の初版がなぜか届いており、リディアはそのページを引き裂き、本ごと捨てます。
続いてパートナーが所有する家へ。リディアの妻はコンサートマスターでヴァイオリン奏者でもあるシャロン。2人で養女のペトラを育てていますが、シャロンは今は気が滅入っており、もっぱら外に出るのはリディアです。
ペトラを学校でいじめてくる子がいるらしく、ペトラを学校におくる最中、学校前でペトラをいじめている子の前に立ち、鋭い眼光と共に脅しの発言をします。
チェロを決めるブラインド・オーディションが行われることになり、事前にリディアはトイレで候補のオルガ・メトキナに目をつけ、オーディションでも足元が見えるので彼女を認識。あえて贔屓して採点します。
そんなリディアは時折幻聴が聞こえているのか、家の中でもその現象に悩まされ、ランニング中に女性の悲鳴のようなものが聞こえたこともありました。
ある日、滅入ったフランチェスカが部屋に来ます。なんでもクリスタが自殺したとのこと。彼女を止めることはできなかったとリディアはフランチェスカを抱きしめますが、それでは済まない事態に陥ることに…。
リディアに支配権がある
ここから『TAR ター』のネタバレありの感想本文です。
“トッド・フィールド”監督は過去のフィルモグラフィーでもそうなのですが、描き出す大人はいつも完璧ではなく、自身の欠陥が隠しようがなくなっていきます。その子ども以上に浮き出る大人の未成熟さを映し出すのが上手い監督だなと思います。
『TAR ター』の主人公のリディア・ターの業界での世間的な評価は映画冒頭で高らかに解説されるとおり。誰から見ても成功者です。
本作はステージ上でのリディアのパブリックなイメージをまず映し出しながら、しだいに業界内部での素顔へとカメラが入り込んでいきます。そこで浮かび上がるのは、リディアの極めて支配的かつ加虐的な振る舞いの日常風景です。
これが男性であったらもっとビジュアル的に暴力的な存在感になっていたかもですけど、リディアはそういう面は表に出さず、一見すると理性的で知性的。当然ながら音楽の見識と実力は言うまでもなく持っています。
しかし、それらが支配や加虐の武器にもなるということ。例えば、自分より格下相手には非常にグルーミング的とも言っていい振る舞いをします。
ジュリアード音楽院でのマックスという教え子への態度はまさにその典型例。あの場ではリディアは圧倒的強者であり、マックスは絶対にリディアに敵うわけがないとわかっているので、自分の音楽性を対等に話せません(指揮棒と異なる時間を刻む貧乏ゆすりが象徴的)。その空気を感じつつ、リディアは愉悦に浸っています。
また、養女ペトラをイジメたという子に対しても容赦ありません。あそこで皮肉気味に「父親」だと言って自己紹介するあたりに、リディアの家父長的な立ち位置が滲み出ています。
そしてリディアはオーケストラ楽団や周辺の同僚、とくに女性たちに対してもコントロールすることに満足感を感じている様子がずっと描かれます。オルガのようにお気に入りの子がいれば自分の特権を全部駆使して傍に置くし、フランチェスカのような子は搾り取るぐらいに利用し尽くして、歯向かう気配があればさりげなく脅す。その結果、クリスタという犠牲がでてしまっているわけですが…。
前半はリディアの会話(饒舌な語り)をひたすらに見せる、人によっては単調なシーンの連続なのですが、あれぞリディアに支配権があるという実態そのものを表しているのでしょうね(誰も話を遮らずに聞いてくれるというのは特権者の証ですから)。
キャンセルカルチャーでは失わないもの
そんな中、あのリディアが支配・加害の態度を示さない相手が、年配の白人男性です。セバスチャンはキャリア的に格下なのでもう何も怖くなく切り捨てますが、その切り捨てを進めるうえでも、しっかり他の有力な白人年配男性のご機嫌をとっています。つまり、男社会での力の駆け引きを重々理解している女性そのものです。
しかし、そのリディアの支配が乱され始めます。それを演出的に見せているのがあの幻聴。自分の“時間”というものが“音”によって狂わされていく。指揮者には屈辱的な現象です。
あれは詳細は明らかにされませんが、ちょっと心霊現象のように描かれてもおり、リディアによって無念な目に遭った被害者の恨みが漂っている感じです。
そしてリディアは業界内の素行が世の中に明るみになり、キャリアも家族も失います。ここでとくに思ったのは、一部の人は「キャンセルカルチャー」という言葉を好んで使ってこうした出来事を“やりすぎ”と非難しますが、実際にキャンセルされた人は表向きは後退したものの、その構造そのものは何も失っていないということ。
居場所を失ったリディアは自分の「ルーツ」だと考えているアジアに転居するのですが、その考え方自体がまたアジア系蔑視的です。要するに「欧米では支配的に振舞えないけど、アジア人相手ならワンチャンあるのではないか」と舐め切っているとも言えます。
その無自覚な特権性を突きつける映画の仕掛けとして、“トッド・フィールド”監督はまた随分と露悪的な演出を用意していて、それがリディアが辿り着くフィリピンのマッサージ店(実際は風俗店)。あそこでズラっと並ぶ女性からひとり選ぶという行為が、これまでしてきたオーディションやオーケストラ構成と重なるようになっているのもエグい見せ方です。
正直、これはこれで演出としてやりすぎでは?という気もしないでもないですし、映画上でリディアの罪悪感を突きつけるこのやり方自体が、今度は嗜虐的なようにも思えるのですが…。
なお、本作のリディアにはモデルとなった人物はいません。ただ、著名な女性指揮者で同性愛者でもある“マリン・オールソップ”という人がいて、その人はこの映画に不快感を示していました(そりゃあそうだろうという話なんですけど)。
これは女性でレズビアンの指揮者を描く作品がそもそも少なすぎるという問題もあるでしょうし、一概にこの映画の描き方が全部ダメだとは思わないです(全部良いわけでもないけど)。誇張されたサイコパスとかではなく、権力に溺れる人物を本作は丁寧に描いていたと思います。
ただ、演じた“ケイト・ブランシェット”が同性愛者を演じるうえでの発言で若干の残念な認識を露呈したりと(The Mary Sue)、ちょっと全体的に「う~ん」となるようなノイズがあるのが何とも残念ではありますが…。
もちろんレズビアンの女性がハラスメントする側になることを描く意義はあると思います。そもそもレズビアン同士間のハラスメントは声をあげづらいという指摘もありますし…(Slate)。昨今は反トランス界隈で権力に近づくレズビアン論者もいるしね…。この『TAR ター』はそこまで深く突き詰めることはできていないと思うけど…。
なお、ゲイ男性によるハラスメントであれば、ドラマ『ホワイト・ロータス 諸事情だらけのリゾートホテル』が描いていたのが記憶に新しいところですね。
ラストの大勢のコスプレイヤーの前でゲーム(モンスターハンターかな?)の音楽をオーケストラ指揮するリディアの姿は不屈の精神の表れか、それとも無反省の成れの果てか。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(ナチスと因縁のあるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者)のようになれるのかはわかりませんが、一度指揮棒を振るう快感を得ればもう止められないのかもしれませんね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 74%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
以上、『TAR ター』の感想でした。
Tar (2022) [Japanese Review] 『TAR ター』考察・評価レビュー