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『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』感想(ネタバレ)…Netflix;アリス・ウー監督の再来

ハーフ・オブ・イット

アリス・ウー監督の再来…Netflix映画『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Half of It
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:アリス・ウー
恋愛描写

ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから

はーふおぶいっと おもしろいのはこれから
ハーフ・オブ・イット

『ハーフ・オブ・イット』あらすじ

アメリカの息苦しい田舎の町。アジア系のエリーは成績優秀だったが、周りに馴染めているとはいえず、孤独な学校生活を送っていた。そんなエリーは学校の課題の代筆をして小銭を稼ぐのが日課。ある日、ひとりの男子に頼まれてラブレターを代筆することになる。しかし、その彼が好きな女の子に、愛に無関心だったエリーの心も揺れ動いていく…。

『ハーフ・オブ・イット』感想(ネタバレなし)

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アリス・ウー監督の待望の再来

「ゲイ・フレンド」という概念があります。その名のとおり、ゲイの友達を意味するわけですが、映画やドラマなどの創作物語、とくにラブコメではこの「ゲイ・フレンド」が主人公の友達ポジションで登場することが多々あるのを見た人もいるはずです。

この「ゲイ・フレンド」は往々にしてヘテロセクシュアルな主人公にとって一方的に都合の良いキャラとして描かれ、それがゲイのステレオタイプになってしまっているという批判があります。ゲイは恋愛はしないとでも言うのか、主人公の恋のライバルにはなりませんし、サポート役として機能するうえでこれ以上ない便利な存在。その「ゲイ・フレンド」側の葛藤などは全く描かれず、極めて画一的な描写です。

「ゲイ・フレンド」の作品例や歴史については以下の記事が詳しいです。

もちろん多様性が尊重され始めた昨今ですから「ゲイ・フレンド」のクリシェにあえて逆らった作品も最近は生み出されています。ドラマ『セックス・エデュケーション』では主人公の唯一の親友がゲイですが、ちゃんと彼なりの恋や性の苦悩が映し出され、ただの支援者にはとどまらない存在感でした。

そんな中、その「ゲイ・フレンド」の定番に当事者側から真正面にぶつかっていくような映画が出現しました。それが本作『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』です。

本作の物語は、女子高生が主人公で、ある男子高校生の恋の悩みを助ける流れになってしまいます。ところがその男子高校生が好意を寄せている女子は、実はその主人公も好きな人だった…という構図。つまり、ヘテロセクシュアルな男子高校生は当然その主人公もヘテロセクシュアルで「女」だから「男」が好きなのだろうと決めつけてヘルプを求めるわけですが、主人公はレズビアンだったのです。無自覚な偏見のせいでうっかり恋のライバルを引っ張りこんでしまう…痛恨のミス。

でもこういうシチュエーション、実際のところは普通にあるはずです。むしろ「ゲイ・フレンド」のような都合のいい友人の方が幻想です。そして、同じ異性同士だから無問題でアシストしてくれるよね?という期待こそ、人に言えないセクシュアリティを抱える当事者を苦しめるわけで…。

しかも、『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』はアジア系アメリカ人を主人公にしているという部分も特筆できます。白人社会の中でアジア系でも恋をできる!と高らかに謳った『好きだった君へのラブレター』などの作品が注目されている昨今、『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』はさらにその上をいく新しい世界に手を伸ばしています。

このエポックメイキングな作品を生み出した監督の名はぜひとも覚えてほしい人です。それが“アリス・ウー”という台湾系アメリカ人の女性監督。彼女は大注目の新鋭監督でした。それは2005年のこと。『素顔の私を見つめて…』(原題は「Saving Face」)という作品でデビューし、これがレズビアンのアジア系アメリカ人を描くという新規性もあって高評価。1993年の『ジョイ・ラック・クラブ』以降、アジア系アメリカ人を描く映画すら全然なかった当時、“アリス・ウー”監督自身もレズビアンであり、自分のアイデンティティを強く反映した『素顔の私を見つめて…』は特異な存在でした。

多くの批評家にとって注目の人になった“アリス・ウー”監督でしたが、残念なことにそれ以降に監督作が作られることなく、年月が経過(母の世話のために業界を離れたらしいですね)。そして、15~16年ぶりの監督作として『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』の登場です。

これはちょっと注視していた人にしてみれば大興奮な事件です。あの“アリス・ウー”監督が帰ってきたのですから。時代は15~16年前とは大きく変わり、LGBTQを社会がより強く認識し始めた中、“アリス・ウー”監督は何を描くのか。私もワクワクしていました。そして、これまた素晴らしい作品をもたらしてくれたのです。

俳優陣は、“リーア・ルイス”、“ダニエル・ディーマー”、“アレクシス・レミール”、“ウォルフガング・ノヴォグラッツ”、“コリン・チョウ”、“ベッキー・アン・ベイカー”など。主演の“リーア・ルイス”を私はあまり意識したことはなかったのですけど、素晴らしい役者だなと強く認識させる一作になりました。

百聞は一見に如かず、とにかく観てください。レズビアン映画という枠で語るのはあれですが、でもその歴代の中でも格別な一作として語りたい作品です。静かなトーンで進行する物語に身を委ねながら…。

『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』はNetflixオリジナル作品として2020年5月1日から配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(ひとりでじっくり鑑賞に最適)
友人 ◯(映画ファン同士で)
恋人 ◎(恋愛モノとしてお気軽に)
キッズ ◯(ティーン向けですが)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ハーフ・オブ・イット』感想(ネタバレあり)

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片割れを探すのは無駄な努力?

「古代ギリシャ人はかつて人間は4本ずつの手足と2つの顔があったと信じていた。幸福で完璧なものとして。神はそれを引き裂いた。地上に降りた人間は片割れを探し求めて切望した。もう半分を、半身を見つけられると結びつき最上の喜びを得られると言われている」

「私に言わせれば半身を探すのに必死過ぎだ。無意味だ」

スクアヘミッシュというアメリカの田舎町。

ここで生活する高校生のエリー・チュウは母を亡くし、今はと二人暮らし。家は鉄道の駅に密接するようにあり、父は駅関係の仕事をしています。エリーも手伝いますが、田舎なので列車は滅多に来ません。

エリーにはもうひとつある稼業がありました。それはレポートの代筆です。利用者は多く、大半の生徒はエリーの能力のおかげで成績をおさめているようなものでした。エリー自身も優秀なので、この稼業はなんなくこなせます。ただ、一方的に利用されているだけで、彼女自身は孤立気味ですが…。

この不正行為は一部の先生にもバレバレなのですが、黙認されていました。そしてその先生はエリーの進路を気にしますが、エリーは地元で進学することを考えているようです。

最上級生は学芸会に参加必須とのことで、楽器も実は上手いエリーも参加するしかありません。

学校からの帰り。ちょっとした坂を自転車で漕いでいると、ある男子に話しかけられます。いつもの下品なからかいをしてくる奴でもなく、レポートの代筆を頼んできたわけでもありませんでした。その男、ポール・マンスキーアスター・フローレスという女子生徒に書くラブレターの代筆を依頼してきたのです。そんなものを書くわけないと最初は拒絶するエリー。

次の日。うっかり物を落としてしまったエリーですが、近づいてきて拾ってくれた人がいました。アスターでした。彼女はエリーを知っているらしく「日曜礼拝でオルガンを弾いているでしょ」と語りかけ、拾った「日の名残り」を「いいよね」と話が合うかのように褒めてくれます。

エリーの家は金欠でした。電気代の支払いが滞っており、3か月遅れていて50ドルだと電話を受け、エリーは廊下に見かけたポールに「50ドルでやる」と方針転換することにします。

ポールの書いたラブレターは酷いもので、エリーは「何を言いたいわけ?」と辛辣。逆に「恋は未体験だろ?」とポールに言われ、「ラブレターのひとつやふたつ楽勝だから」と言ってやった以上、全力を出すエリー。

手紙を完成し、さっそく返事がきました。「ヴィム・ヴェンダースは好き。でも盗用はいただけない」…どうやらアスターも優秀なようで、こっちの安易な引用も見抜いています。「やるね」と燃え始めるエリーは受けて立つと文章を書きまくり、文通がどんどん続きます。

そのやり取りの中で、人気者ではあるものの、不満を溜め込んでいるアスターの心情が見えてきます。
「昔、絵の先生が言っていた。単なる良い絵と傑作の絵の違いは5つの筆触(ストローク)に表れる

「苦労の末、いい絵が描けたのに大胆な筆触を加えたことで、下手すればすべてが台無しになる」

「私はその勇気がなくて絵をやめた」

文通は互いに壁に絵を描き合うようなことにまで発展。交流は深みを増していきます。アスターを偵察し、彼女の思考を分析していくエリーに、一応は渦中にいるポールはついていくのもやっと。エリーとポールも交流を重ね、プライベートを明かし合うようにもなります。

ある日、「アスターのどこが好き?」とエリーはポールに尋ねます。「可愛くて賢い」と語彙力ゼロで答えるポール。エリーは独り言のように、自分の中でのアスターの詳細な好きなポイントを呟いていました。

「こっちを真っすぐ見つめる目、読書中に髪を触る仕草、笑いをこらえられないみたいに吹きだすところ、ほんの一瞬素を見せてくれるところ、5つの声色を使い分けられる、彼女の思考の海に身を委ねていると理解されているって感じる…」

エリーはアスターに恋心を抱いています。それを言葉にできるくらいに愛は深まっていました。

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息苦しさのあるこの世界で

「愛とは完全性に対する欲望と追求である」という古代ギリシアの哲学者プラトンの「饗宴」の引用から始まる『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』は、他にもアイルランド出身の詩人オスカー・ワイルドの「自分を欺いて始まり他人を欺いて終わる。それが恋愛だ」や、フランスの哲学者サルトルの「地獄とは他人である」など、著名な偉人の引用が連発します。

そして主人公エリーとアスターとの文通もまた、非常に知的で学問的な駆け引きの言葉遊びが展開されていきます。二人とも文学や芸術への造詣が深いので、ティーンとは思えないハイレベルのやりとりです。いや~、映画好き同士だったとしてもこういう文通の中身にはならないだろうな…だから、元気だしなよ、ポール…。

でも気持ちはわかります。リアルな世界に感情を表にできないからこそ、他の表現に自分の想いを乗せようとする、重ねようとする。私も映画を観る動機にはそれがありますから。

ましてやこの本作の舞台であるスクアヘミッシュという田舎町。ワシントン州にあるみたいですが、相当に保守的な地域です。学校の様子とかを見ていればわかりますが、生徒はみんな白人で、黒人すらもおらず、アジア系であるエリーは完全に浮いています。地域コミュニティ自体もカトリックな宗教基盤が根本にあり、閉鎖的です。

エリーの父も学歴はじゅうぶんにあるのに「英語がうまくできない」という理由で除外されてしまうのは、まさにこの地域性ゆえです。

そしてエリーとアスターもまたその地域の呪いに苦しんでいます。生まれは中国の徐州市で5歳のときにこっちに来たエリーはアジア系としての疎外感。アスターはクラスの華やかグループに加わることへのミスマッチを感じつつ。加えて同性愛など言えるわけもありません。

本作の舞台がもっとリベラルな地域だったらこの物語はこうはならなかったでしょう。昨今はリベラルな学校を舞台にした青春学園モノでLGBTQを描く作品も目立つ中、あえて“アリス・ウー”監督が保守的な地域に対象を置いた理由。それはおそらく彼女の人生経験がきっと影響を与えているのかもしれません。前作『素顔の私を見つめて…』も監督のカミングアウト体験に触発されて生み出された物語でした。この『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』も、ドナルド・トランプが勝利した選挙に失望したとインタビューで語る“アリス・ウー”監督にとっては、アメリカという場所はまだまだ“苦しさ”の残る地域でしょう?という投げかけがあるのかも…とも思ったり。多様性を尊重する国です…なんて浮かれるのはまだ早いとでも言うように…。

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愛を自分の言葉で語る

『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』の主軸となる恋文の代筆。ラブコメなら割とよくある展開で、そこに目新しさはありません。恋文の代筆で三角関係が描かれると言えば、「シラノ・ド・ベルジュラック」という戯曲のように古典的ですらあります。

ただ、非常に文学的なテイストで進行する本作は、回りくどい部分もあるのですが、そうしなければいけない事情がある登場人物たちの心情が丁寧に染み込んできて、私はとても満足しました。小刻みに笑いも入るのが緊張をほぐしますし(ギャグ担当になっているポールの人柄の良さがまたナイス)。

少しずつ恋愛に冷笑的ですらあったエリーが愛を引用ではなく自分の言葉で表現できるようになるまでの過程が本当に繊細に描かれており、さすが“アリス・ウー”監督だな、と。

物語が進み、ついにエリーとアスターが偶発的ではなく真正面で向き合って直接的に交流することになる、お気に入りの場所に連れていってくれる温泉でのシーン。あそこのほんの少しのエロティックさにドキマギするエリーも良いですし、同時にアスターは「男子の話をしない女子と過ごすのは初めて」と解放感に浸っている。この保守的な地域で、あの温泉の狭い空間だけがこの二人の自由な世界になっている。

本作はこの「温泉」という要素のようにアジア感を象徴するモノの使い方が絶妙に上手いです。ヤクルトとかもそうですし、あまりアジア要素を極端に誇張せず、サラッと出しているのがいいですね。アジア名と揶揄う「チュウチュウ・ポッポー」(電車の「chug-chug」シュッシュッポッポという走る音の意味と、エリーの名字)のくだりは本当に監督自身が言われたことがあるらしいですが、それがラストの列車でこの地を離れるという伏線になり、ポジティブさと切なさに昇華させるあたりも演出が完璧。

最終的に「愛は厄介でおぞましくて利己的、それに大胆」という自分の言葉を残し、絵文字も使えるようになったエリー。愛する人にキスをして、「数年後に会おう」とたくましくなった自分を約束する彼女の旅は始まったばかり。

ポールも結果的にはフラれていますけど、可哀想な役柄でもなく、彼は彼なりに自己実現の方法…料理を評価してもらって支店を開くという夢に近づくことができました。もともとポールはあの保守的な地域では学校の人気者の女子をゲットするくらいしか自身の“男らしさ”を証明する方法がないと狭い視野で考えていたわけですが、そうではないと気づく。それもエリーの父という別の全く縁もないであろう男性に影響を受けて…というあたりの作用がまたいいですね。このコミュニケーションも薄めな男二人の交流シーンが微笑ましいです(無言の見て学べ状態)。タコス・ソーセージから魯肉(ルーロー)ソーセージへ男たちは成長したのです。

“アリス・ウー”監督の細部まで丁寧なクリエイティブの才能をあらためて実感し、堪能できた本作。これからもたくさん映画を作ってほしい、今の時代には“アリス・ウー”監督が必要だ…そう強く思いました。

『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience –%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Likely Story, Netflix ハーフオブイット

以上、『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』の感想でした。

The Half of It (2020) [Japanese Review] 『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』考察・評価レビュー