そうだろ? スウィートハート?…映画『マルタの鷹』(1931年)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(1931年)
日本では劇場未公開
監督:ロイ・デル・ルース
恋愛描写
まるたのたか

『マルタの鷹』物語 簡単紹介
『マルタの鷹』感想(ネタバレなし)
ハードボイルドの推理モノにゲイが隠れている
「ハードボイルドの推理小説」を確立した作家の代表として名の知れた“ダシール・ハメット”。その有名な小説と言えば、1930年の『マルタの鷹』です。
正直、「ハードボイルド」と聞いて何を想像するかは、各個人がどんな作品を土台にしているかで変わってくると思うのですが、“ダシール・ハメット”も寄稿していたパルプマガジン『ブラック・マスク』の1920年代~1930年代頃は、「犯罪にも制度にも冷笑的なアンチヒーロー」という感じで、社会の腐敗を背景にしていたと思います。
“ダシール・ハメット”作の『マルタの鷹』の主人公の私立探偵「サム・スペード」もまさにそんな男でした。
そんな“ダシール・ハメット”作の『マルタの鷹』ですが、実はクィア批評もされている作品でもあったりします。「ハードボイルドの推理小説」の原点にクィアネスがあるなんて意外に思えるかもしれません。
この小説は映画化もされており、今回はその映画を土台にしてクィア表象を探ってみることにしたいと思います。
でも映画化と言えば、1941年の“ジョン・ヒューストン”監督の『マルタの鷹』は何よりも傑作として語られやすいのですが、今回はあえてそっちじゃなく、初映画化となった1931年の“ロイ・デル・ルース”監督の『マルタの鷹』を取り上げることにしましょう。
なぜか? それは“ロイ・デル・ルース”監督の『マルタの鷹』が公開された1931年はプレコードの時代に該当し、クィア表象の規制がそれほど厳しくなかったという背景もあるので…。
ただ、この1931年の『マルタの鷹』をちゃんと観た人、どれくらいいますか? なんか1941年の『マルタの鷹』を崇める中でこき下ろすために使われる映画みたいになってるところもなきにしもあらずじゃないですか?
主人公を演じる“リカルド・コルテス”はハードボイルドっぽくない!とか言われたり…。これに関してはさっきもちょっと触れましたけど、人によって何をハードボイルドとみなすかの価値観が違っていて、ヘイズ・コードの真っ只中で製作された1941年の『マルタの鷹』でハードボイルドのイメージを固定化させると、それ以前のハードボイルド作品がハードボイルドにみえなくなる先入観に繋がりやすいのだとも思いますが…。
ともかく今回はハードボイルド云々は置いておきましょう。本題はクィア表象です。具体的には、ゲイを匂わせるキャラクターが散りばめられているのですが、それらを読み取っていくことで、1930年代前半当時のゲイ文化を感じることもできます。原作小説にもあったゲイのサブテキストを映画製作者は映像でどう表現したのか。それはどんな演出的な効果をもたらしているのか。
気になる人は後半の感想を読み進めてみてください。
『マルタの鷹』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 古い映画なので子どもにはわかりにくいです。 |
『マルタの鷹』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
アメリカのサンフランシスコ。私立探偵のサム・スペードは相棒のマイルズ・アーチャーは探偵事務所で働いていました。しかし、当のスペードは、スーツ姿で身なりの整え、いつも若い女性とあらば親しく接するのが恒例。秘書のエフィ・ペリンにも馴れ馴れしいですが、エフィはその仕草にも順応していました。
ある日、ルス・ワンダリーという女性が訪ねてきて、何やら相談があるようです。彼女は言いづらそうに言葉に詰まりながら、あることを話します。妹がフロイド・サーズビーという男に連れ去られたというのです。
女性の頼みとあらば、断る理由もありません。相棒のアーチャーも揃い、とりあえずこのサーズビーを尾行して調査することにしました。ワンダリーも安心したのか、納得して事務所を去っていきます。
ところが夜中に電話が鳴り、スペードが寝ぼけながら電話に出ると、それは刑事のトム・ポルハウスからでした。なんとアーチャーが射殺されたというのです。
急いで現場に駆け付けると、確かにアーチャーが息絶えていました。サーズビーも殺されています。スペードは慌てることなく、状況をすぐに頭の中で整理し、その事態の対処の動き出します。
警察はあまり動揺している様子のないスペードを容疑者として疑いだします。もちろん証拠はないです。
実はスペードには目星がついていました。事の発端はあの女性、ワンダリーです。当然、彼女はもっと秘密を隠しているはずです。
翌日、スペードはワンダリーを訪ね、彼女が自分たちを雇った本当の理由を探ろうとしますが、やはりワンダリーの以前の話は嘘が混じったものだったようです。しかし、サーズビーがアーチャーを殺したとしても、サーズビーが誰に殺されたのかはわかりません。つまり、この事件はまだ見えぬ複雑な裏があるはずです。ワンダリーはなおも真剣な眼差しで何かふざけているようにも思えません。
そして探偵事務所に今度はジョエル・カイロ(ドクター・カイロ)と名乗る男が訪問してきます。なんでも「黒い鳥の彫刻」を取り戻してくれれば5000ドルを提供するという、とんでもない高額の依頼でした。よほど価値のあるものらしいのは明白でした。
これらの出来事がだんだんと接点が見え始め…。

ここから『マルタの鷹』のネタバレありの感想本文です。
ゲイと暗示される登場人物たち
映画『マルタの鷹』をクィア表象の視点でみていきましょう!なんて掲げておいてなんですが、正直、1931年版と1941年版ではどっちもほのめかし程度なので、どっこいどっこいです。とくに1931年版のほうが優れているというわけでもないと思います。
ただし、プレコードの時代だったこともあり、1931年版のほうが女性に絡んだ性的な描写が多いです。冒頭の女性の足のクローズアップ、ルス・ワンダリー(原作小説では偽名で本名はブリジット・オショーネシーですが、1931年版だとその設定は無し)がバスタブで湯に使っているシーン、さらに身体検査で服を脱がされるシーン…。極めつけは、冒頭で、スペードが謎の女性を事務所から送り出した後にソファをなおす仕草からここで普段から女性と性的関係を持っていることが示唆されます。
このように異性的な関係は視覚的に提示されるぶん、同性愛の示唆はもっと言語的にコード化されているので、1931年版はよりその対比が際立っています。
本作は、ゲイであることを暗示させるキャラクターが少なくとも3人いるとされています。それは、ジョエル・カイロ、キャスパー・ガットマン、ウィルマー・クックです。
カイロについては、最初に探偵事務所に訪問してきた際に、エフィがスペードにカイロを「gorgeous(ゴージャス)」と冗談めかして表現して紹介しながらドアを通します。これは性的に魅力のある男性に対しても使われる単語なので、暗示的な響きがあります。
そして続いて登場するガットマンとその手下の若いクックの描写はもっとわかりやすく、ガットマンがクックの顔の頬を愛おしそうに片手でポンポンと優しく撫でる仕草は、2人の性的関係を匂わせます。
これら3人は作中における悪役であるのですが、そんな凶悪!って感じでもないし、サイコパス!って感じでもなく、人間味のあるキャラクター性です。なので「Predatory Gay」のような型とも少しズレます。後のヘイズ・コードの時代はゲイネスをまとう悪役がステレオタイプな表象として確立することを踏まえると、その先駆けなのかもしれませんが…。
一方、スペードのセリフも対峙する男性のセクシュアリティをまるでやんわり指摘して弄ぶかのようなものがいくつもあります。
終盤にクックが独りで逃げ出した際は、ガットマンに対してスペードは「きみのボーイフレンドは出ていったよ」と言い放ちますし、ポルハウス刑事の傍にいるダンディ警部補にさえも「Goodbye, sweetheart」と揶揄うような言葉を投げかけて去ります。
小説では「queer」や「fairy」といった同性愛者を暗示する言葉がさらに散りばめられ、さらに有名なのが「gunsel」というスラングです。
「gunsel」は今では若い犯罪者のチンピラを指すと思われていますが、同性愛関係の若い男を意味することもありました。本作ではガットマンにとってのクックが「gunsel」と表現されます。
とくにこれらのセリフはスペードのホモフォビアな態度の一部に思えなくもありません。ただでさえ彼は女性関係が強調される異性愛者を体現していますし…。言い換えれば、スペードのハードボイルドとしての存在感をゲイの男たちを背景にすることでより浮き上がらせる効果を狙っている感じでしょうか。
スペードは本作でも序盤にアーチャー殺害の犯行現場を離れる際、中国人の商人らしき人と中国語で短い会話を交わすシーンがあるように、このサンフランシスコのさまざまなコミュニティに無知ではありません。たぶん探偵をやっている以上、精通しているはずです。当然、ゲイ・コミュニティのことも理解していると推察できます。
ちなみに当時のサンフランシスコにはクィアな人たちの交流の場が存在していました。1920年代~1930年代はLGBTQコミュニティが本格的に形成された時期でもあり、ノースビーチがその中心地だったと言われています。クィア当事者はもちろん非当事者の人たちも、クィアな文化が織りなすエンタメに触れていたのがあの時代の空気感です。
作中のスペードがそれらサンフランシスコのクィアなコミュニティにどこまで足を踏み入れたことがあるかは知りませんが、「こいつはゲイだな」とか、判断くらいはしていてもなんらおかしくないでしょう(当事者かどうかを他者が判定可能かという話ではなく、探偵のスキル的な描写の話として)。逆に言えば、作中でスペードがああいうセリフで対象がゲイだと示唆するのは、自身の探偵能力の誇示だとも言えます。
ダシール・ハメットの始めた歴史は続いて…
1931年の映画『マルタの鷹』は運よく原作の登場からすぐに製作でき、同時代的な空気のままに描けたでしょうから、クィア表象も原作に近いと言えるかもしれません。
残念ながらこの1931年の映画『マルタの鷹』は後にヘイズ・コードの規制対象となってしまい、公開できなくなって一時封印されてしまうのですが…。本当だったらもっとクィア表象がより色濃い映画化だってあっていいのに、ヘイズ・コード真っ盛りだとそんな機会は微塵もありませんでした。
ここで映画から話が逸れますが、原作者の“ダシール・ハメット”はどれくらい意図的にクィア表象を入れようと思っていたのか、想像してみることにします。
とりあえず原作小説の時点であれほど多彩なクィアのコードワードを用いているわけで、さすがに偶然でしたとは言いづらいでしょう。サンフランシスコに実際に暮らし、そこで創作のインスピレーションを得ていた“ダシール・ハメット”ならば、これらのクィアのコードワードを知っていても納得です。
とは言え、“ダシール・ハメット”はクィア・コミュニティと密接だったという証拠は何もありません。人生を左翼活動に捧げ、共産党にも入党したことで知られる“ダシール・ハメット”ですが、クィアとの接点は見当たりません。
一方で“ダシール・ハメット”が結婚した“リリアン・ヘルマン”は1934年に『The Children’s Hour』という戯曲を書いており、女子生徒が2人の教師をレズビアンだと虚偽の告発をする様子を描いた物語でした。この戯曲のアイディアは“ダシール・ハメット”が提案したものだそうで、1810年にエディンバラで実際に起きた実話を基にしています。
ちなみにこの戯曲も1936年に『この三人』というタイトルで映画化されたのですが、ヘイズ・コードのためにレズビアンではなく異性愛の三角関係のスキャンダルに話が変更されています。
これらのエピソードから、“ダシール・ハメット”はクィアネスを題材にすることにとくに抵抗もなかったことが窺えます。
ということで、「ハードボイルドの推理小説」の原点にクィアネスがあり!ってことだけ覚えてもらえれば、この感想の目的は達成されました。
「でもクィアネスって言ってもわずかだったな…」とガッカリしたそこのあなた。確かにそうですけど、ハードボイルド探偵モノのクィア表象はこの映画から40年後くらいに花開きます。
1970年代、作家の“ジョセフ・ハンセン”は「アメリカのゲイ探偵小説のダシール・ハメット」と呼ばれる功績を残しましたし、今なら『ナイブズ・アウト』シリーズみたいなゲイ探偵の映画もありますしね。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
?(匂わせ/一瞬)
以上、『マルタの鷹』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Warner Bros. Pictures
The Maltese Falcon (1931) [Japanese Review] 『マルタの鷹』考察・評価レビュー
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