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『エマ、愛の罠』感想(ネタバレ)…燃やし尽くした後に残るラストの意味

エマ、愛の罠

燃やし尽くした後に残るラストの意味…映画『エマ、愛の罠』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Ema
製作国:チリ(2019年)
日本公開日:2020年10月2日
監督:パブロ・ラライン

エマ、愛の罠

えまあいのわな
エマ、愛の罠

『エマ、愛の罠』あらすじ

ダンサーとして活動するエマは、ある事件をきっかけに心の拠り所を失ってしまった。 振付師である夫との結婚生活は破綻した彼女は、身近にいたいろいろな人に近づき、肉体的関係を持っていく。不可解なまでに奔放なエマの行動は、燃え広がる炎のように勢いが延焼していくようだった。その意図のわからない行動の裏には衝撃的なある秘密が隠されていた。

『エマ、愛の罠』感想(ネタバレなし)

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前知識なしで観るのが良いかも

チリには「バルパライソ」という都市があります。

チリにとっては主要な街であり、歴史的に港として貢献してきたので賑やかです。それ以上にこのバルパライソの特徴はなんといっても街並みの風景。世界遺産にも登録されているバルパライソの都市景観は歴史的建造物がカラフルに並んでおり、まるで街全体が精巧にデザインされたセットみたいです。夜はキラキラとイルミネーションのように街全体が輝き、素晴らしい夜景です。

バルパライソという地名は「天国の谷」を意味するのだとか(“パライソ”は英語でいうところのパラダイス)。私も一度は行ってみたいなと思います。

そして今回紹介する映画はそんな現代のバルパライソを舞台にした一作であり、街並みをたっぷり背景に楽しめると思います。それが本作『エマ、愛の罠』です。

本作は舞台がバルパライソなだけあってチリ映画であり、監督は“パブロ・ラライン”というチリ出身の人です。2006年に『Fuga』という映画で長編監督デビューし、2012年の『NO』という映画はチリの政治をテーマにした社会派作品で、アカデミー外国語映画賞にノミネートされるなど世界的に高い評価を獲得。その後も2015年の『ザ・クラブ』でベルリン国際映画祭審査員グランプリを受賞し、完全にチリを代表する国際的な監督として地位を確立しています。

最近はトランスジェンダーを描いた傑作として名高いチリ映画『ナチュラルウーマン』(2017年)の製作も務めていました。

“パブロ・ラライン”のここ近年の監督作は2016年の『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』といった伝記映画であり、そちらの方向にシフトチェンジしたのかなと思っていましたが、ここに来てまたしても新しい才能を見せつけてきた感じです。

本作『エマ、愛の罠』はなかなかに異色です。まず伝記映画ではありませんし、過去の歴史を扱った映画でもありません。現代がテーマのオリジナルなフィクションです。

そしてこれが、まあ、なんとも説明しづらい内容であり…。ざっくり言えばひとりのダンサーの女性を主人公にした人間模様を描いているのですが…。ネタバレなしだと言及しにくい…。最初、映画が始まってもこの主人公の行動の意図が全然観客にはわかりません。一体この女性は何をしたいんだろう…? そんなクエスチョンマークをずっとぶらさげつつ、不規則に揺れる物語を眺めることになります。この感覚、ちょっとポール・ヴァーホーヴェン監督の『エル ELLE』に近いかもしれない…。

とにかく本作はアート志向というか、前衛的にデザインされた映画であり、観客の解釈に大きく委ねる部分が大きいです。

私もあまり前情報なしに鑑賞してびっくりしたので、事前知識ゼロで観た方がいいかもですね。鑑賞後にいろいろな考察や知見に触れて自分の解釈を固めていくといいと思います(後半の感想ではその助けになるように私なりのあれこれを書いています)。

主人公を演じるのは本作が初主演となる“マリアーナ・ディ・ジローラモ”。ほとんど彼女の漲るパワーで引っ張っている映画ですし、“パブロ・ラライン”監督も良い女優をピックアップしてきましたね。全身から溢れ出る熱いエネルギーが凄いです。

共演は、“パブロ・ラライン”監督作にもよく出ており、信頼関係を構築済みの“ガエル・ガルシア・ベルナル”。最近だと『WASP ネットワーク』に出演していました。

他にもドラマ『スタートレック ピカード』でも活躍する“サンティアゴ・カブレラ”も出演。

ジェンダーレスなキャラクターが好きな人、アーティスティックな演出が好みな人はぜひ『エマ、愛の罠』を鑑賞する候補に入れておいてください。人によっては世界観に夢中になってしまう、カルト作になりえるでしょうから。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(アート映画好きは必見)
友人 ◯(趣味の合う同士で)
恋人 ◯(互いにシネフィルなら)
キッズ △(大人のドラマが濃厚です)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『エマ、愛の罠』感想(ネタバレあり)

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私は燃やす、踊る、そして手に入れる

夜の街。燃える信号機が不気味に火の粉を垂らしています。人っ子ひとりいません。いや、ひとりだけいます。その燃え盛る信号機を見ている人間が。その人は普通のいでたちではありません。奇妙な装備をつけており、背中にガスボンベを背負い、それは間違いなく火炎放射器です。そしてまるでそれが当然であるかのように佇んでいるのでした。

エマはダンサーです。広い楽屋では大勢のダンサーで溢れかえっており、その中にエマも混じっています。ステージに立つとみんなでパフォーマンスを始めます。背景には巨大な赤い球体があり、それはまるで灼熱の太陽のようです。その球体は色が青に変わっていったりしながら、ダンサーたちはコンテンポラリーダンスを一体となって踊っていきます。

エマはこのダンスの演出家であるガストンを夫に持っていました。しかし、この夫婦は今、とても大きな壁に直面しています。実は養子縁組としてポロという少年を家族に迎え入れたのですが、その子がエマの妹の顔半分を燃やすという衝撃の事件を引き起こしてしまい、非常にマズい状況にあったのです。

危険行為を行ったポロはひとまずエマ&ガストン夫妻のもとから引き離され、ホームに戻されます。そしてその事件によって関係が完全にこじれた夫婦はどちらが悪いのか、終わりなき口論に突入し、グチャグチャな惨状でした。

エマは子どもたち相手に踊りを熱心に教えるくらいに子ども想いであり、ポロも愛していました。その子を奪われたことはショックですが、ガストンはそんなエマの苦しみを分かち合ってくれません。冷めきって会話する2人は今や他人以上によそよそしいです。

エマは中年の女性弁護士ラケルに相談し、離婚を計画します。こうなったらどんな手段を使ってもいい。しかし、それはしだいに目的すらも曖昧になり、やがてエマはラケルと肉体関係を持つようにまでなっていきます

しかもそれで終わりません。今度はラケルの夫で消防士のアニバルとさえも関係を持ち、どんどんと状況を複雑化させているような始末です。

エマは新しいパートナーを求めているのか。それともがむしゃらに欲望を満たしたいだけなのか。

ところがガストンには他の女性との関係を持つことを提案しながらも、いざガストンが別の女性と寝ているとその女性の髪を引っ張って強引に引き離し、今度は自分自身がガストンと性行為に興じ始めます。夫との関係は終わりではなかったのか。復縁をしたいのか。

真意の読めないエマは仲間とあちこちで踊りまくり、そして火炎放射器であらゆるモノを燃やし尽くしていきます。それは無作為な破壊行為なのか、ストレス発散なのか。

やがてエマはあの離れ離れになってしまったポロと遭遇。そこでついに彼女は本当に欲しいものを手に入れていくことに…。

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この映画が描くものは何か

『エマ、愛の罠』は冒頭から「なんじゃこりゃあ…」と絶句する映像からスタート。なんでこの女は火炎放射器で信号機を燃やしているんだろう…このアナーキーさ、あれ、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』の続編でも観ているのかな…。そんな気分にもなります。

でもこの「ハーレイ・クイン」っぽいという印象、この『エマ、愛の罠』を理解するうえであながち間違っていないと思うのです。

本作は表面だけを受け取ると、ある女性がいろいろな男女と肉体関係を持ちまくるという、あまり世間一般ではよろしくないことをしている、それこそ本作のポスターに描かれている「きわめて不道徳」と評されてもおかしくない内容です。

しかし、あのエマは単に悪いことをしている人間なのか、もしくは周囲を破滅させるファム・ファタールなのか…そう問われれば私はもう少し深く読み解いていけると思います。ましてや本作を「なんか怖い女」みたいなステレオタイプに当てはめるのは不適切でしょう。

例えば、本作をセクシュアリティの観点から観ていくこともできます。エマはバイセクシュアル的に男女を気にせずに性的関係を持ちますし、そもそもエマ自身もそんなに固定的なジェンダーを表そうとせず、ジェンダーレスな存在感を放っています。

けれどももっとスケールを広げて社会的な映画として本作を捉えることもできるでしょう。これは“パブロ・ラライン”監督の得意分野である政治社会をシンボリックに扱った一作なんだ、と。

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「燃やす」と「踊る」…2つの意味

どういうことかというと、まずチリの歴史を少しだけ知っておく必要がありますが、チリはかつて1970年代からアウグスト・ピノチェトによる軍事独裁政権下にありました。しかし、1990年にチリは民主的な政権へと覆されていきます。以降は同国初の女性大統領が生まれたりと、ずいぶん進歩的な発展を遂げていきます。
ところが2010年代後半になるとチリは右傾化を強めていき、またあのかつてのピノチェト軍事独裁政権に逆戻りするのではという不穏さがあります(南米の各地で極右の勢力が強まっていますが)。

そんな硬直化する社会の中でこの『エマ、愛の罠』はチリに対して「社会を変えてやろう」とする新しい若い原動力をそのまま映像化したような一作だとも受け取れます。

例えば、随所に登場する「燃やす」という要素。

これは反ピノチェト派なんかがデモをこれまでしてきたときに火炎瓶で応戦していたような、抵抗の象徴を連想させます。信号という規律を作るものを燃やし、作中ではチリの国民的英雄であるアルトゥーロ・プラットの彫刻すらも燃やしています。とにかくチリの社会の中にある“保守的に正しい”とされたものを炎上させまくっているんですね。あのポロも放火癖があるみたいですけど、とくだん悪い事として糾弾もされていないし。

そしてもうひとつの要素が「音楽とダンス」です。

作中ではもうどこでも踊りまくっています。ちょっとしたバスケットゴールとサッカーゴールのある運動場でもみんなで踊るし、街を一望できる場所でバックにひとり踊ることもあります。ちなみにロープウェイみたいな狭い空間で踊っているシーンがありましたけど、あれは「アセンソール」というバルパライソの市街地にあるケーブルカー風の歴史ある乗り物らしいです。

とにかく踊りまくっており、なぜこうも踊るのか不思議です。いや、演出なのですけど、でもミュージカル映画にするわけでもないし…。

これは「ヌエバ・カンシオン」という言葉で説明できる面もあると思います。チリを含む南米では音楽を通した社会変革運動というのが発達してきた歴史があり、それをヌエバ・カンシオンと呼ぶそうです。

ピノチェト軍事政権の時代ではこのヌエバ・カンシオンも弾圧を受け、ミュージシャンは追放されたりしました。日本から見るとラテンアメリカでは楽しげに踊っているイメージがありますが、「音楽=革命」でもあるんですね。この腐りきった政治を変えるぞー!という想いを音楽にしているわけです。

『エマ、愛の罠』は「レゲトン」という今のチリで若者の間で流行っている音楽を踊ります。これぞまさに若者たちの革命のヌエバ・カンシオン…ということかもしれません。

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権力社会に反逆する若い世代

そして『エマ、愛の罠』の中心にいるエマ。彼女こそが次なる新時代のリーダーになるべく立ち上がった存在。

最初は大勢のダンサーの中で混ざって踊っており、全然目立っていません。ところがどんどんいつのまにかダンスでも中心に君臨するようになります。エマは太陽のような存在で、物事の絶対的な中心にいるのです。

そのエマに同調して踊っていく多数の若者たち。この一連の現象はSNSによるコネクションやムーブメントのようです。本作ではSNSは直接的には登場しませんが、こうやって「炎」と「音楽」で比喩的に同様のうねりが描かれているとも言えます。

エマは無差別に行動しているように見えて実はしっかり目的を持っていました。エマがやろうとしていることは新しい家族を手に入れること。すなわち社会の構築です。自分の手で社会を作る。養子縁組の失敗(実際にチリでは簡単に養子を持ててしまい、失敗する家庭もいるらしい)を機にリベンジを果たしていくことになります。

やがてエンディングではエマは欲しいものを全て揃えることができました。そこにある家族のかたちは既存のモノとは合致しません。男が家長となり、女が妻として従い…そんなものではない。ポリアモリーにすら見える、もはや規範すらも凌駕した家族の未来像なのか

そうやってあのエマは次の新しい社会を形成する。本作が提示したのはそんな次世代像だったのではないでしょうか。だから「ハーレイ・クイン」とやっていることは同じです。

しかも偶然か、チリでは2019年10月に貧富の格差に不満を持つ学生がデモを起こし、大きな騒動となりました。抗議活動参加者と機動隊が衝突し、ピノチェト軍事政権時代以来の緊迫した空気に包まれた一件。まさにエマのような若者たちはそこらじゅうにいるのです。そして政治を実際に動かしています。

もちろんこれはチリだけでなく、今、世界中で起きていること。現代の10代~20代の若者たちはお利口さんに社会に従うことをしません。腐った大人には容赦なく声を上げます。火炎放射器だって与えればぶっ放すでしょう。

“パブロ・ラライン”監督はこうしたチリ含めた世界の「今」をしっかり映画に反映させているのでしょう。それをまさかここまで映画芸術に組み込んで表現してくるとは思いませんでしたけど。

“パブロ・ラライン”監督の親は実は政治家で、しかも保守的な政治信念を持っており、ピノチェト軍事政権すらも支持しているそうです。でもその子である“パブロ・ラライン”監督自身は親の思想とは真逆の思想をもとに生きており、政治活動でもそう示しています。つまり、監督自身がいわば反逆の若い世代みたいなものなんでしょうね。だからこそこういう映画も作れてしまう。そのメラメラ燃えるパワーにやっぱり圧倒されます。

権力者の皆さん、若い世代は火炎放射器を持っています。どんなに権力で自分の基盤をベタベタ固めてもあっけなく燃やされますよ。

『エマ、愛の罠』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience –%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Fabula, Santiago de Chile, 2019

以上、『エマ、愛の罠』の感想でした。

Ema (2019) [Japanese Review] 『エマ、愛の罠』考察・評価レビュー