同性愛が無性愛を「発見されない化石」に変えてしまう?…映画『アンモナイトの目覚め』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2020年)
日本公開日:2021年4月9日
監督:フランシス・リー
性描写 恋愛描写
アンモナイトの目覚め
あんもないとのめざめ
『アンモナイトの目覚め』あらすじ
1840年代、イギリス南西部の海沿いの町。古生物に詳しいメアリー・アニングは、世間とのつながりを絶ち、この町でひっそり暮らしている。かつて彼女の発掘した化石が大発見として世間をにぎわせ、大英博物館に展示されたが、女性であるメアリーの名はすぐに世の中から忘れ去られた。しかし、ひょんなことから裕福な化石収集家の妻シャーロットを数週間預かることになる。最初はよそよそしい関係性だった2人だが…。
『アンモナイトの目覚め』感想(ネタバレなし)
メアリー・アニングの伝記映画…ではない
「イクチオサウルス」という生き物をご存知でしょうか。
三畳紀からジュラ紀あたりの年代に地球に生息していた昔の生物です。「サウルス」と名前がついていますが、恐竜ではありません。「魚竜」と呼ばれる存在です。
魚竜は絶滅した海棲爬虫類であり、見た目はイルカにそっくりです。イクチオサウルスはとくに似ていたと想像されており、尾びれがあって、背びれがあって、胸びれがあったと考えられています。でもイルカの仲間ではありません。水中生活に適応していく中で、自然と同じような水泳に特化した姿に進化したと推測されています(いわゆる収斂進化)。
残念ながら白亜紀には絶滅してしまったと思われ、イクチオサウルスは化石としてしか残っていません。
そんな貴重な生物であるイクチオサウルスの発見に貢献した人物がいます。その人とは「メアリー・アニング」というイングランドで暮らしていた女性です。
そのような大発見をしたのだからさぞかし専門家として尊敬を集めたのだろうなと思うものですが、現実は違いました。
メアリー・アニングはとにかく不幸なのか幸運なのかわからないような境遇でした。1799年に海岸沿いの小さな町で生まれますが、生まれて間もなく雷が直撃するという事態に遭います。しかし、生きていました(この事故はあくまで伝承なのですが)。けれどもとても子だくさんな家庭だったものの、他の子は亡くなることが多く、メアリーはたまたま生き延びます。
しかしそれで終わりません。1810年に父が結核で亡くなり、家族の柱を失ったことで、一家は路頭に迷います。そこで化石を発掘してはそれを売っていくことでなんとか収入を得ていたそうです。
このイクチオサウルスもそんな必死の化石掘りの中で偶然に発見できたものでした。学術的な好奇心以前に生活に困窮しての発掘だったというのが、なんとも複雑な気分にさせられます。
ところがメアリーはそれで実績を手に入れてめでたく生活は楽になった…ことになりませんでした。当時の学会は男性が当然のように支配的です。メアリーは女性であるという理由だけで、本や論文を出版することは許されず、男性と同様のキャリアアップはできないまま…。
今回紹介する映画はそのメアリー・アニングを描いた作品です。それが本作『アンモナイトの目覚め』。
ただし、本作はメアリー・アニングの伝記映画だと思わないほうがいいです。史実とはかなり違っており、実在の人物を素材に使った二次創作と考えて差し支えないかと。
何よりも『アンモナイトの目覚め』の大きな改変ポイントはメアリー・アニングをレズビアンとして描いていることです。本作はレズビアン・ロマンスが主題になっています(“普遍的な愛”で誤魔化さないで!)。薄っすらと…ではなく、明確に同性愛を真正面から設定しているドラマです。
なにせ監督はあの『ゴッズ・オウン・カントリー』の“フランシス・リー”です。もともと俳優としても活躍していたイギリス人の男性。しかし、映画製作を学んだこともないにもかかわらず、いきなりの長編監督デビュー作『ゴッズ・オウン・カントリー』(2017年)が称賛の嵐。一気に大注目の監督としてリストアップされるようになりました。
そんな“フランシス・リー”監督の最新作である『アンモナイトの目覚め』。監督自身も同性愛者であり、同性愛を題材にまたもしたことは、選んだのではなく自然な結果なのでしょう。
そして気になるカップルを演じるのが、“ケイト・ウィンスレット”と“シアーシャ・ローナン”。この二大女優の共演ならば絵になるのは必然。絶対に素晴らしい演技が保証されますね。
“ケイト・ウィンスレット”(たまにケイト・ブランシェットと混同しがち)は、『タイタニック』『エターナル・サンシャイン』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』『女と男の観覧車』などなど恋愛作品なら経験はじゅうぶんすぎるほどですが、同性愛にここまでガッツリ関わるのは初めてなのかな。
“シアーシャ・ローナン”は『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』で抜群の名演を披露したばかり。私はそっちの映画も結構クィアな作品だと受け取っているので、『アンモナイトの目覚め』での同性愛もすんなり腑に落ちる感じでした。
他の俳優陣は、“ジェマ・ジョーンズ”や“フィオナ・ショウ”などが出演していますが、ほぼ主演の2人で世界は構築されていると思ってください。
静かな作品ですので、じっくり落ち着いて映画館で堪能してみてほしいです。
なお、後半の感想では私なりの本作への大きな不満についても語っています。
オススメ度のチェック
ひとり | :監督前作も合わせて |
友人 | :俳優ファン同士で |
恋人 | :同性愛表象は大事 |
キッズ | :性描写がガッツリあり |
『アンモナイトの目覚め』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):2人の共同作業
ヴィクトリア女王の即位によって新たな繁栄を迎えようとしていた1840年代のイングランド。しかし、このライム・レジスという海岸沿いの小さな町はそんなに社会の変化とは無縁でした。
この町で細々と暮らしていたメアリー・アニングは母の呼ぶ声でベッドから起きます。高齢の母は行動もおぼつかなくなり、世話をするのも大変です。しかし、自分以外にそれができる者はいません。母との生活は言葉も少なく、ひたすらに刺激のない世界…蝋燭の薄明りのもと、母と過ごす何もない日々…。
家の稼ぎの頼みは、メアリーが拾ってくる化石を売り払ったことで得られる収益だけ。風吹きすさぶ海岸で、激しい波も気にせず、籠を手に石を見てまわるメアリー。実はメアリーは古生物学の知識があり、子どもの頃から化石発掘に夢中でした。大きな発見をして話題になったこともあります。それでも今はそんなことすら忘れられ、メアリーはこの地で暮らすしかないのです。
岩肌を素手で登り、ある岩に目をつけます。滑る岩も何のそので、大きな石のようなものを引っ張り出すと、自分も滑り落ちてしまい、石も割れます。それは化石でした。しかし、もう自分には化石にロマンを抱く余裕もなく…。
ある日、地質学者であり、ロンドン地質学会の創立者のひとりとして業界では権威のあるロデリック・マーチソンがふいに訪れてきます。学会に見捨てられているメアリーは当然無愛想に迎えるだけ。ロデリックの妻・シャーロットも一緒です。
なんでもシャーロットの体調がよろしくないらしく、ロデリックが海外旅行に行っている間にそばに置いておけないかということでした。メアリーにしてみれば母で精いっぱいなのであり、受け入れる意味もありません。けれども結局は断れませんでした。
シャーロットと一緒に過ごすことになりますが、海岸に連れてきても会話無し。表情も読み取れず、何を考えているのかもわかりません。
それでも健康は気を遣います。体調が悪化したシャーロットをメアリーは支え、医者に見せることも。メアリーは交流のあるエリザベス・フィルポットを訪ねることもありました。そうしてシャーロットの看病を続け、なんとか回復。
再び一緒に海岸へ。隣り合って座り、心なしか表情が柔らかくなったシャーロット。距離は縮まり、向こうも信頼してくれたようです。
メアリーが料理をしているとシャーロットが「手伝うことは?」と聞いてきます。しかし、刃物を持つ手は明らかに不慣れで、見かねたメアリーは違う仕事を頼みます。炭を運ぶシャーロット。重さによろめき、服も顔も煤まみれ。
すると急に崩れて泣き出すシャーロット。彼女の中ではいろいろなストレスが蓄積しているようです。
メアリーは自分の寝床を譲っていましたが、シャーロットはベッドに入ってきていいとメアリーを誘います。また、お洒落なドレスを身に着けたシャーロットはメアリーと交流会に出席。シャーロットは楽しそうですが、その場にいると疎外感を感じたメアリーはひとり雨が降る中、外に出ていきます。
別の日、シャーロットは大きな化石を見つけますが、メアリーは大きすぎると諦めぎみ。それでもシャーロットは泥まみれになるのみ気にせず掘っていき、メアリーも加わります。力いっぱい持ち上げ、石を取り出し、木の板に乗せ、紐で固定。2人の共同作業。
そんなこともあり、ある夜、おやすみなさいと頬にキスするシャーロット。2人は一瞬顔を向け合い、そのまま口づけします。そして自分の欲望を素直に解放するのでした。
史実との違い
『アンモナイトの目覚め』は作品のルックとしては、最近の話題沸騰となった傑作レズビアン・ロマンス『燃ゆる女の肖像』に似ています。
まず2人の女性の立場の違いと、そこからしだいに親密さを見い出していく過程がそっくりです。メアリーは明らかに貧困層で“持たざる者”。せっかくの学術者としての才能も埋もれています。一方、シャーロットは裕福な生活を送っているはずですが、夫との暮らしにズレを感じており、孤独を抱えています。その2人が互いを埋め合わせる物語です。
しかし、これは史実とは全く異なる完全な創作。メアリーが比較的貧しかったのは事実ですが、中年の頃は学術振興協会から収入を得ていたそうですし、あそこまで生活がキツかったとは言えない気も。また、シャーロットに関しては彼女も実在の人物なのですが、実際は夫とは仲が良く、性格も人のウケがいいと評判で、彼女自身も地質学者で一緒に研究をしていたそうです。晩年は病弱だったみたいですが、シャーロットが亡くなった80歳なのでかなり後の話(メアリーは47歳で亡くなりました)。
ちなみに、実際はシャーロットの方がメアリーよりも11歳年上です(作中の“ケイト・ウィンスレット”と“シアーシャ・ローナン”は真逆で、しかも19歳も年の差がある)。
つまり、相当に作為的に虚偽の設定を混ぜ込んであり、全てはレズビアン・ロマンスを成立させるためのお膳立てになっています。
そんな史実を歪に分解した構成であるにもかかわらず、それなりのクオリティにまとまっているのはやはり監督と俳優の才能ですね。
インティマシー・コーディネートも万全
“フランシス・リー”監督が上手いなと思うのは、史実の活用のしかた。
例えば、あの2人の女性のいわば「敵」と言えなくもないロデリック・マーチソン。彼は著名な研究者なのですが、実は進化論に否定的な人物でもありました。そこにある種の「同性愛を否定しうる奴」としての立ち回りも担わせている感じがします。
絵作りも非常に巧みです。前作との共通で、きっとこれは監督の好きなスタイルなんでしょう、冷たさのある場所を舞台に設定しがちですね。
ラストの博物館での、自分の化石を間に挟んでの、メアリーとシャーロットのガラス越しに向き合う構図。“見る見られる”の関係性というのも定番ながらお見事。
また、“フランシス・リー”監督の特色と言えば、とても動物的とも言えるくらいのセックスシーン。今作にもあります。“ケイト・ウィンスレット”と“シアーシャ・ローナン”もボディダブルなしで演じているそうです。
ただ、しっかり忘れずに言及しておきたいのは、その性描写においても配慮が効いているということです。基本的に女性スタッフだけで撮っているらしいですし、あの性行為の流れも全部台本どおり。なんでも“ケイト・ウィンスレット”自身が“シアーシャ・ローナン”に対して事前に何をするかということを入念に説明し、心のケアまでしていたとのこと。さすが“ケイト・ウィンスレット”、惚れるのも無理ない…(ちなみに“シアーシャ・ローナン”は子どものときに『タイタニック』のファンだったらしく、まさかその女優とキスできるとはと興奮していたとのこと)。
こういうインティマシー・コーディネートは今や当然。でも日本映画界を見ると、俳優とかがうっかりな無自覚コメントをしていたりしてガックリきたりもするので、日本も見習ってほしいところ…。
本作に対する大きな不満
そんな感じで『アンモナイトの目覚め』も諸手を上げて「良作です!」と言いたいところなのですが、個人的には立場上手放しに喜べない部分が根幹にはあって…。
それは何といってもメアリー・アニングをレズビアンとして描写して良かったのかということ。
メアリーとシャーロットは交友があったのは事実ですが、同性愛関係にあったという証拠はありません。前述したとおり、シャーロットは夫と仲睦まじく暮らしていましたし、メアリーは生涯独身でした。
それでもレズビアンとして改変したのは“フランシス・リー”監督の独自の解釈によるアイディアです。インタビューではこう語っています。
「女であれ男であれ、メアリーが誰かと関係を持ったという証拠は一つも残っていないけれど、彼女に相応しい関係を描きたいと思ったんだ」
「彼女にふさわしい、敬意のある、平等な関係を与えたかったんだ。メアリーが同性と恋愛関係を持っていたかもしれないと示唆するのは、自然な流れのように感じられたんだ。そのうえで社会的にも地理的にも孤立し完全に心を閉ざしてきた女性が、人を愛し、愛されるために心を開き、無防備になることがどれだけ大変だったかを描きたかった」
引用:映画.com
この姿勢は理解できます。女性という理由でキャリアを潰されたことへのカウンターにもなりますし、何より世の中にはレズビアン表象が乏しいです。こういう映画は求められるでしょう。
でも私は納得できない部分があります。「アセクシュアル/アロマンティック」当事者として…。
別にメアリーがアセクシュアルだったという証拠もないですが、それも解釈の余地があるはずです。しかし、少なくとも監督の中ではその可能性は微塵も検討されていないようです。
これは典型的な「Asexual erasure」の問題です。
私は著名人ではないので気にすることもないのですが、もし有名人で実はアセクシュアルであるという人がいるとしましょう。その人はそれをカミングアウトすることなく生涯を独身で人生を終えました。すると数十年後かに「あの人、結婚とか恋愛とか全然なかったね。同性愛だったんじゃないの?」と噂され、そのまま映画で同性愛者として描かれるのです。これはアセクシュアルにとって深刻なアイデンティティの危機です。わかる人にしかわからない恐怖かもですけど…(歴史修正主義の怖さに似ていると思う)。
実際、アセクシュアルの人は同性愛だと誤解されるケースも多いですし、創作物内でアセクシュアルの存在が抹消される事例も起きています。例えば、『リバーデイル』というドラマシリーズでは、原作で無性愛者だったキャラクターがドラマ化されると異性愛者に変更されており、アセクシュアル・コミュニティは大きく失望しました。
そもそもアセクシュアルの表象はレズビアンの表象よりもはるかに不遇で数が著しく少ないのです(以下の記事でもそれをボヤいています)。
「Asexual erasure」が起きやすいのが、無自覚に異性愛と同性愛を対置させて想定しているときです。「異性愛」と「同性愛」を対義語だと捉えている思考パターンですね。もっと言えば、恋愛伴侶規範(Amatonormativity)が根底にあるときです。
何よりも独身じゃダメなのでしょうか。恋愛したくないという生き方、または私は科学に人生を捧げたいという選択は、変でしょうか。ロマンチックな恋や激しいセックスをしようともしない人間は、映画の題材にになりえないつまらない人間なんでしょうか。
『アンモナイトの目覚め』は下手すれば「女だったら恋しないと人生は充実しないよ」という価値観の強化になりかねません。それは日本の女性研究者なら多くが一度は言われたことのある嫌な言葉です。『時の面影』でも同じことを書きましたが、創作内に登場する女性研究者に無理に恋愛要素を入れる必要はないと思います。
英語圏でもアセクシュアル・コミュニティの中でこの『アンモナイトの目覚め』に異議を唱える人は出ています。まあ、でも世の中の大部分の批評家や観客はそこまで視界に入ってないんですけどね…。
もちろんレズビアン表象は必要です。決して同性愛と無性愛を争わせようという気はありません。これは両立できることです。例えば、実際にレズビアンな研究者も探せばいるのですから、そっちを映画化すれば波風を立てないで済むしょう。何も他のセクシュアリティを踏みにじることなく。恋愛伴侶規範を強化しない同性愛映画が欲しい…。
『アンモナイトの目覚め』を鑑賞しながら、まだまだアセクシュアル(A-spec)は世間的には未発見の存在なんだなと悲しくなり、なんだか絶滅したイクチオサウルスの気分になりました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 69% Audience 85%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『ハピエスト・ホリデー 私たちのカミングアウト』
・『ザ・プロム』
作品ポスター・画像 (C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
以上、『アンモナイトの目覚め』の感想でした。
Ammonite (2020) [Japanese Review] 『アンモナイトの目覚め』考察・評価レビュー