海ばかり見て私のことは見ない…Netflix映画『アトランティックス』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:フランス・セネガル・ベルギー(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:マティ・ディオップ
アトランティックス
あとらんてぃっくす
『アトランティックス』あらすじ
セネガルのダカールで暮らすエイダには好きな人がいた。しかし、親は別の裕福な男性との結婚を決めており、それはもう間近だった。しかも、エイダが愛を捧げていた人は外国を目指して船で海を渡ったきり連絡が途絶える。愛する人の身を案じる中、ついに望まない婚約を果たしてしまうが、その夜、普通ではあり得ない事件が起こる。
『アトランティックス』感想(ネタバレなし)
セネガルの男女の愛を描く異色作
日本人の多くはアフリカのことをよく知らないかもしれません。「アフリカ」という言葉は知っていますけど、それを聞いてパッと思い浮かべるのはキリンやシマウマがたくさんいるサバンナとか、ピョンピョン飛び跳ねるマサイ族だったり…。本当はそんなイメージはステレオタイプでしかなく、実際はアフリカと一口に言っても国ごと民族ごとにいろいろな個性があるというのに。しかし、かく言う私も、アフリカを構成するすべての国の名を挙げ、その特徴を羅列してみろと言われたら、片手で数えられる国名でさえもギアアップでしょう。アフリカ系の人種を題材にした映画の感想を小生意気に書いているのに、こんな無知では本当にダメですね…反省してもっと勉強に熱を入れないと…。
今回紹介する映画 『アトランティックス』は「セネガル」を舞台にした作品です。
そう言われてさっそくの問いかけになりますが、セネガルをどこまで理解しているでしょうか。まず場所さえも指させなかったら意味はない…ということで地理関係から説明しますが、セネガルは西アフリカに位置し、具体的にはサハラ砂漠の西、大西洋の海沿いにある国です。
首都は「ダカール」。「パリ・ダカール・ラリー」という車の競技大会の名を耳にしたことのある人はいると思いますが、もともとそれはフランスのパリを出発し、このセネガルのダカールをゴールとする超長距離過酷コースでした(今は違います)。
ここでフランスの名が登場しましたが、セネガルの歴史を語るならフランスは外せません。なぜならセネガルは1815年からフランスの植民地とされていたからです。それ以前にもこの地にはヨーロッパ人がやってきて奴隷など好き勝手に荒らしまくっていましたが、1800年代になるとフランスは本格的に西アフリカの広範な地域を植民地化して勢力を強めます。結局、セネガルが独立できたのは1960年になってからです。
そんなセネガルとフランスという昔からの関係性を持つ2国を今、繋いでいるのは「移民」の話題です。ヨーロッパでは移民問題が大きなトピックになっていることは世界ニュースに目を向ける人ならご存知のとおり。セネガルからもフランスを目指して移民たちが危険な船旅を敢行しています。その実態はドキュメンタリー『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』などを見てもらえれば視覚的に痛感できるでしょう。
「大西洋」の名を冠する本作『アトランティックス』はまさにその海を渡ってやってくる移民にスポットをあてた映画なのです。ただし、ユニークなのが、ヨーロッパにやってきた移民の姿を描く作品はこれまでもありましたが、本作は違って、残された者たちを描いているということ。具体的にはセネガルの男たちが移民として出ていってしまい、母国に取り残された女たちが主役になっています。
そしてさらに『アトランティックス』を特殊なものにしているのがジャンル。最初はいかにも恋愛映画らしい感じです。現実によって離れ離れになってしまった女と男。ところがしだいに物語はミステリーに変わり始め、あげくにホラーの空気さえも漂い…。詳細は感想後半で語るとして、とにかく掴みどころのない蜃気楼のようなストーリーです。普通のロマンスを予想しているとびっくりですよ。
この唯一無二の特殊性が評価を獲得し、2019年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門ではグランプリを受賞しました(パルム・ドールは『パラサイト 半地下の家族』)。ちなみに審査員の中にはセネガルの女優兼映画監督であるマイモウナ・エヌジャイエがいました(審査員長はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)。
『アトランティックス』の監督も注目を集めています。“マティ・ディオップ”というまだ37歳の若めの女性なのですが、カンヌ国際映画祭ではこうした賞に輝いた初の黒人女性監督として話題です。ただ、本人はあまりその見られ方を素直に受け入れづらいところもあるようですが…(確かに今さら「初の黒人女性監督!」なんて言われても)。でも凄いことには変わらない。
“マティ・ディオップ”監督はそもそもセネガルのジャズ・ミュージシャンの“ワシス・ディオップ”の娘なのですが、叔父は映画監督“ジブリル・ディオップ・マンベティ”で、結構映画業界に以前から身を投じており、女優でもありました。これまでは短編作品を手がけ続け、満を持しての本作で長編映画デビューというかたち。
“マティ・ディオップ”監督自身はフランス生まれですが、家族はセネガルの家系であり、自分のアイデンティティへの想いがこもった作品なのでしょう。
多角的な視点で観られる作品です。恋愛映画として、社会派ドラマとして、ホラージャンルとして、各々の興味に少しでも引っかかるなら、ぜひ鑑賞してみてください。
日本ではNetflixオリジナル作品として2019年11月29日より配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(隠れた名作を観たい人に) |
友人 | ◯(コアな映画好き同士で) |
恋人 | ◯(少し変わった恋愛映画を) |
キッズ | △(大人向けで、やや理解が難) |
『アトランティックス』感想(ネタバレあり)
恋人は海に消え、戻ってきた?
セネガルの首都ダカール。西アフリカの商業の中心都市であり、開発も進む地域。その一画の建設現場ではたくさんの働いている地元の男たちがいます。しかし、何やら揉め事の様子。「3か月分の金をよこせ」と訴える大勢の労働者が事務所に詰め寄ります。どうやら給料が支払われていないようで、タダ働きに我慢の限界が来たらしく、直談判中。「社長のンディアイは出張中だから何もできない」と事務所の人は追い払いますが、当然労働者の怒りは収まりません。このままでは生活さえも苦しくなる死活問題。その労働者の中にはスレイマンという若い男の姿もありました。
人生の行き詰まりを感じながら歩いていたスレイマンでしたが、自分を呼ぶ声が聞こえます。ふと顔をあげると列車の走る線路の向こうにはこちらをにこやかに見つめる女性の姿。この女性エイダこそスレイマンの恋人。
二人は相思相愛。「海ばかり見て私のことは見ないのね」と口をとがらせるエイダにスレイマンは優しくキス。浜辺の知覚の建物内でいちゃついていると、家主らしき人に見つかり、「ここは売春宿じゃないぞ」と激怒され、退散。でもそんなので空気が壊されるような愛ではありません。おもむろにスレイマンはエイダにアクセサリをくれ、それを受け取るエイダ。「もう帰らないと」とエイダの方から早々と別れてしまいます。このシーン、後の展開を知った後だと、もっと一緒にいれば良かったのに…と思いますよね。
家に帰ると親友のマリアマがスレイマンに夢中なエイダをたしなめます。「10日後にオマールと結婚するのよ?」と言われても愛に一直線なエイダには通用せず。
しかし、オマールという決定済みの婚約者相手の式の準備が着々と進み、家族からも「男性にそんな言葉を聞くんじゃない」「立場を自覚して」と、イマイチ身が入っていないエイダに小言が頻発。
夜、窓(ガラスではなく戸だけど)からこっそり抜けだしたエイダは、浜辺のクラブでのパーティにオシャレをした女友達を引き連れて参加。ところが、音楽がガンガン鳴って盛り上がっていそうですが、室内はなぜか女しかおらず、男は皆無。なんと男たちは船に乗ってスペインへ働きに行ったという噂が…。ごねながらも動揺が広がる女たち。エイダも居ても立っても居られずスレイマンに電話してみるも出ません。
すっかり気力がなくなったエイダは、漁師が網でスレイマンの死体を引き上げたという嫌な想像ばかりをしてしまいます。
そして心が空虚なまま、ついに迎えた結婚式。手を叩く女たちに囲まれながらベールに身を隠し歩くエイダは、オマールの家族に歓迎されます。確かにこのサングラス男、相当な金持ちなようです。自分にあてがわれた部屋にはデンとやたら目立つ白いベッドがあり、他の女友達たちは大興奮。「私なら金を使いきる」と言いたい放題いいながら、セルフィーをパシャリ。それにしてもどこの国でも若者たちは自撮りなんだなぁ…。
そんな友人の熱狂っぷりとは真逆でグッと言葉を飲み込みだんまりなエイダ。そんな彼女のもとに「スレイマンを見た」というマリアマの信じられない目撃談が飛び込んできます。そんなわけがない…混乱していると、さらなる展開。突然の火事。煙がモクモクと立ち込める中、全員が避難。
火元はあのベッドでした。警部補イッサは、侵入痕跡なしで、マットレスが自然発火したという消防の意見も信じられず、目撃情報からスレイマンを容疑者にして捜査を始めます。
しかし、これは異変の序章にすぎず…。
ロマンチックかと思えば
『アトランティックス』は序盤の序盤は本当にロマンチックな出だしです。
社会問題が根底にありながら上手く結ばれない黒人の男女を切なく描く一作と言えば、『ビール・ストリートの恋人たち』が最近も印象に残るところです。あちらも非常にピュアな恋模様が眩しいくらいでしたが、『アトランティックス』も負けてません。
エイダとスレイマンの純真な愛だけで成り立っている対等な関係性が美しく…。でも、スレイマンの心は海の向こうに行ってしまっている。それを感じ取ったエイダの「海ばかり見て私のことは見ない」というセリフがとても愛らしいと同時に、残される女性の切実な悲しさをそのまま表していて心に響きます。スレイマン側の視点はほとんど描かれませんが、彼なりの大きな葛藤があったのだろうというのはじゅうぶんに察することができます。あの世界では男は“カネを持つ”ことをしないと一人前ですらない、愛した女性とも一緒になれない、だから稼ぐために離れる…苦渋の決断だったのでしょう。
しかし、運命が二人を引き裂きます。ここで新海誠監督だったらエモーショナルな超常現象でも起きて物語が劇的にひっくり返るのでしょうけど、『アトランティックス』はベクトルが違って正体不明の怪しい力が浮かび上がるような不気味な地盤変化が物語に起こります。ちょっとスティーブン・キングっぽいと私は思いましたけど。
謎の放火事件。いるはずのないスレイマンの目撃情報。イッサ警部補の汗びっしょり。そして、女たちの奇行。
ミステリーの枠を超えてまさかのスーパーナチュラルなホラームービーへ突入。白目を向いて豹変していく女たちとかを見ていると、最近観たばかりのジョーダン・ピール監督の『アス Us』を強く連想します。なんなのでしょうか、アフリカ系の人種はこのアプローチがフィットしやすいのか。『アトランティックス』の場合は、他者の代弁という性質上、余計に心霊的な意味合いが強いですけど。
ンディアイ氏宅に侵入した女たちは、移民になるべく向かった船の旅の中で海難事故で亡くなった男たちが憑依でもしたかのように、ンディアイに「4か月分の給料を払え」と要求。さもなくば火を放つと実力行使にでるので、逆らえることもなく、カネは手に入ります。そして「俺たちの墓を掘れ」と弔いを求めます。
しかも、イッサにまでその憑依現象は発生。見てはいけないものを見てしまったときのイッサのパニック具合といい、今作のイッサの独り混乱状態はちょっと哀れ…。
この映画、どうやって着地するのかなと思ったら、まさかの最終的にはロマンスに再び戻るという、なんとも豪快な舵のとり方で、ジャンル転換の荒波を突破。
こういう愛する者が死者として再び自分の元にやってくるというアイディア。『ゴースト ニューヨークの幻』とか、邦画でもいろいろあるわけですけど、どうしてもマッタリした雰囲気は避けられず、露骨なお涙頂戴ものになるか、失笑ものになるか、舵とりは本当に難しいタイプの題材です。それをしっかり一切ふざけることなくやりきったこの力量は凄いと思います。
男に憑りつかれた女が解放されるとき
『アトランティックス』がここまでブレずにジャンル的な物語を貫けたのは、ひとえに本物の社会問題をベースにしていたからというのも大きいのでしょう。
面白い視点だなと私が思うのは、男が主軸となった社会で「働き盛りの男たち」がごっそり抜けたことで、社会がどう機能するのかという部分。
セネガルでは、女の価値は全て男で決まる世界です。オマールとの結婚式でも「結婚が女性に美をもたらす」という発言があったように、男なくして女は成り立ちません(少なくともそう思われている)。自由恋愛を主義とするエイダを除く他の女たちさえもその社会の暗黙のルールに当たり前のようにを身を投じています。
当然、男たちの手段失踪後は、目的を見失った女たちは彷徨うのみ。それをあの憑依現象に重ねているのがまた上手いところ。つまり、あの女たちの行動はそのままの描写どおり海難事故で死亡した男たちに憑りつかれた結果とも言えますし、一方でジェンダー社会的な意味で「男に憑りつかれている女」の暗示でもある…とも解釈できます。
でも労働者層の男たちがいないからと言って男が中心の社会構造自体は変化しておらず、相変わらず重鎮しています。なにせ支配者層の男たちはそのままですから。親世代の男や、オマールのような富裕層は健在で、通常どおり女を男の付属品扱いにしています。
しかし、「男に憑りつかれている女たち」はそこにも一石を投じ始めるんですね。悪徳雇用主に給料を求めて金を手に入れますし、憑りつかれてはいないエイダもオマールから決別を選び、自分の道を歩みだします。
男がいないからと言って女は何もできないわけではない。むしろこれまでにない本当のパワーを発揮するようになり、社会を根底から変える因子となる。そんな物語の狙いを強く感じる描写です。これもエンパワーメントなのか。それにしてもハリウッド的な「女=とにかく物理的に強い!」みたいな一辺倒にならない、こういう描き方があったのかと個人的には感心してしまいました。
私としては『アトランティックス』はゾンビ映画的でもあり、ゾンビでエンパワーメントを描いた極めて変化球な一作なんじゃないかとさえ思います。ちょっと本来のゾンビ(ジョージ・A・ロメロではなくアフリカの起源の方)を思わせるところもありますし。
セネガルの公用語は一応はフランス語なのですけど、現地のウォロフ語で映画を語っているのも民族を第一に扱っている感じと、それこそ伝承的な怪談を匂わせる効果をプラスしていて良いですね。
後は撮影も素晴らしく、序盤のスレイマンがトラックの荷台に乗って白波のたつ海が映るシーンとか、エイダとスレイマンの列車越しのカットバックとか、印象に残る映像がガンガン出てきました。終盤についにエイダのもとに現れるスレイマン(イッサ)の折り目のついた鏡に屈折して映る姿とかも、絶妙でしたし。撮影を手がけたのは“クレア・マトン”というフランスの女性の方で、カンヌ絡みだと『Portrait of a Lady on Fire』というこれまた注目の高かった女性監督作の撮影にも参加しているんですよね。今後も要注目です。
ともあれ長編監督デビューにしていきなり才能を見せつけた“マティ・ディオップ”監督。『ハイ・ライフ』などのフランス人女性監督“クレール・ドニ”のように、ジャンル系の衣装を身にまといつつ、中身は重厚な社会問題ドラマという、ミックス作品の系譜を受け継ぐ名監督になっていってくれることを期待してます。
そして彼女に続く若い多様な監督がわんさか生まれることも願って…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience –%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Les Films du Bal, Netflix
以上、『アトランティックス』の感想でした。
Atlantique (2019) [Japanese Review] 『アトランティックス』考察・評価レビュー