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『海辺の映画館 キネマの玉手箱』感想(ネタバレ)…大林宣彦監督が託したハッピーエンド

海辺の映画館 キネマの玉手箱

大林宣彦監督が託したハッピーエンド…映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Labyrinth of Cinema
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2020年7月31日
監督:大林宣彦
性暴力描写

海辺の映画館 キネマの玉手箱

うみべのえいがかん きねまのたまてばこ
海辺の映画館 キネマの玉手箱

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』あらすじ

尾道の海辺にある映画館「瀬戸内キネマ」が閉館を迎えた。最終日のオールナイト興行「日本の戦争映画大特集」を見ていた3人の若者は、突如として劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界に入り込んでしまう。江戸時代、戊辰戦争、日中戦争、沖縄戦、そして原爆投下前夜の広島にたどり着いた彼らは、そこで出会った人々と交流しつつ、心を突き動かされていく…。

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』感想(ネタバレなし)

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偉大な映画監督は何を遺したのか

2020年4月10日。“大林宣彦”監督が亡くなりました。

日本がコロナ禍に翻弄され、映画館が苦境に沈黙し、映画文化が大打撃を受けている時期の真っ只中。日本映画の歴史を力強く支えてきた巨匠がこの世を去ったのはなんとも寂しいです。まるで使命を全うした映画館そのものであり、私たちに映画の未来を託すようでもあり…。

今回はまず“大林宣彦”監督の紹介をしましょう。知っている人は当然知っている著名人なのですが、映画をそれほど親しまない人や最近映画ファンになった人は知らないでしょうから。

“大林宣彦”監督は1938年生まれ。自主映画を作ることに野心を燃やした後、最初のキャリアとしてCM業界で実績を積み、海外スターを積極的に起用するなど革新的なCM作りでこの頃から挑戦心に溢れていました。

そして1977年の『HOUSE』で商業映画を初監督。この作品がとんでもなく奇抜な一作で、一気にカルト的な支持を集めていきます。今では日本の実写やアニメで普通に見られる「女の子」と「ジャンル(SFやホラー)」を掛け合わせるテンプレの元祖と言えるかもしれません。この路線は『ねらわれた学園』(1981年)によってアイドル映画として確立します。

その流れで生まれた“大林宣彦”監督の代表作群が、『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)のいわゆる「尾道三部作」。自身の故郷である広島県尾道市を舞台に展開されるこれら作品は絶大な人気を得ます。今でいうところの聖地巡礼現象も起きました。

それ以降も1980年代、1990年代、2000年代と意欲作を連発し、衰えない作家性を全開にしていた“大林宣彦”監督。ただ、後続していったクリエイターの作品の方が話題性を集めやすく、“大林宣彦”監督はパイオニアとして歴史に残りつつ、フェードアウトしている感じはありました。

しかし、2012年、『この空の花 長岡花火物語』を世に送り出したことで“大林宣彦”監督の凄さをあらためて実感した人も多いでしょう。全く衰えない作風への自信。そして年を重ね、当時のリアルを知る者だからこそ描ける戦争への警鐘。『野のなななのか』(2014年)、『花筐/HANAGATAMI』(2017年)と続いて「戦争3部作」と呼ばれることになり、やっぱりこの人にしか作れない映画は不動だなと私も思いました。魂を震わされます。

しかも、2016年に癌が判明し、余命3か月の宣告を受けてのこのクリエイティブなエネルギー。なんか変な話ですけど、死ぬ前に全ての活力を映画で放出しているようにも見える…。

そんな死を間近で感じながら作り上げたであろう本作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』。残念なことにパンデミックで本来の公開日が延期になり、一般公開の日の目を見る前に“大林宣彦”監督はこの世界から席を離れてしまいましたが、本作はまるで遺作として想定されていたかのような内容です。「集大成」という呼び方はなんだか雑っぽいですが、本当にそうなんだから他に言いようがない。女の子たち、戦争、映画史、自分の人生…あらゆる“大林宣彦”監督要素が隅々まで充満した至極の約3時間。監督の82年間の生きて得てきたものがここにある…そう私は受け取りました。

出演陣も“大林宣彦”監督組勢揃いな構成です。全員の名前を挙げていくと書き切れないのでやめますが、今作で新ヒロインに大抜擢された“吉田玲”は緊張したでしょうね。でも“吉田玲”の容姿や漂わす空気感といい、いかにも“大林宣彦”監督が好きそうな“少女”性ですよね。

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は“大林宣彦”監督の作家性が当然のごとくフル搭載されているので、これが監督作初見だという人は開いた口がふさがらない状態になると思います。まあ、でも“大林宣彦”監督作品はだいたいこんな感じですからね。個人的には“大林宣彦”監督作品を一度も観たことがないという人が本作を観てどう感想を持つのか、すごく気になります。

これが人生を“創作”に捧げてきた人間が生み出せる最高峰のエンディングなのです。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(監督の映画愛を受け取ろう)
友人 ◯(映画好き同士で体感しよう)
恋人 ◯(やや長丁場になるけど)
キッズ ◯(普通の作品ではないが…)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』感想(ネタバレあり)

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「嘘から出た“まこと”」

文明開化と人云ふけれど 野蛮開発と僕は呼びます
中原中也「野卑時代」

1970年に生まれて30歳で亡くなった詩人「中原中也」の作品を頻繁に引用していく『海辺の映画館 キネマの玉手箱』。本作のあらすじを説明するのはかなり難しいです。なんというか支離滅裂になるギリギリのラインを綱渡りするような感覚で物語が進むからであり、しかも映像作品ならではの語り口。とてもじゃないけど文字だけにできません。

まず冒頭から度肝を抜かれます。宇宙空間、宇宙船、浮かぶコイ、「この太巻き、美味いですよ」…。なんだこりゃあ…と絶句する観客がいてもしょうがない、狂ったワールド。ここで登場する「爺・ファンタ」。「ファンタ」というのは監督初期作『HOUSE』で登場した女子高生のひとりのあだ名であり、いきなり“大林宣彦”監督の原点を見せてきます。

とにかく本作は宇宙かつ未来からという、非常に俯瞰した視線で「今の私たち」を眺める…そういうスタンスの作品です。

で、物語はグッと尾道というピンポイントに焦点を合わせ、やっと私たち庶民がわかるストーリーテリングになってきます。

尾道の海辺にある唯一の小さな映画館「瀬戸内キネマ」が閉館を迎えることになり、最終日のプログラムとして「日本の戦争映画大特集」のオールナイト上映が行われます。あいにくの悪天候で外は嵐なのですが、人は続々と館内を埋め尽くします。

その映画館には馬場毬男鳥鳳介という2人の若者がおり、後からチンピラのも入ってきます。そんな中、希子という女の子がスッと入ってきて、「教えてください。私は知りません。私は映画を観るの、映画を尋ねるの」と言いながら、なぜかいつのまにかスクリーンの映像の中で踊っています。さらに毬男と鳳介と茂も映画の中で踊っていることに気づき、現実と虚構が入り乱れた物語が展開。

まことに面妖な映画の物語が始まるのです。

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「みなさん、戦争って知ってます?」

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は、“大林宣彦”監督が直近の戦争3部作で描いてきたように「厭戦映画」です。それを創作と絡めていくというのは『この空の花 長岡花火物語』にも似たところがあります。

しかし、そのカバー範囲はかつてないほどに広く、今作では江戸時代、乱世の幕末、戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争の沖縄、原爆投下前夜の広島と、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』もびっくりな縦横無尽なタイムトラベルで移動しまくります。

幕末の時代を描く中での「刀から銃への変移」など、“大林宣彦”監督は日本史のどこに戦争への布石があったと考えているのかを見つめる論点がしだいに見えてくる構成です。戊辰戦争は今につながるややこしい悲しい歴史の原点だと紹介していくことも興味深い点であり、戦争映画をイメージする中でそこにフォーカスするのも今は珍しい気もします。

これらの時代の話は時代劇でもよく描かれますが、どうしても現代に続く戦争観へとリンクさせることはあまりしないですからね。そこを忘れない“大林宣彦”監督の語りの確かさ。

加えて、今作では日中戦争の満州での中国人への日本兵の卑劣な愚行や、沖縄の現地人への蛮行など、侵略にともなう戦争犯罪というものからも一切逃げません。「お前はそれでも日本人か」「そういうお前も日本人か」「人だ!」など、言葉のインパクトが胸をうちます。

一方で空襲などそういう定番要素はあまり直接的に描かれず、ありがちな日本の戦争における被害性を描写するのは避けている印象もあり、“大林宣彦”監督が戦争の何を私たちに伝えたいのか、とてもハッキリ見えてくるのではないでしょうか。

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「熱い熱い映画の仲間たちと一緒に」

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は「厭戦映画」でありながら同時に「映画史映画」でもあります。つまり、映画の歴史を紐解いて教えてくれるのです。

序盤のフィルム上映の映写機トラブルや、館内の雰囲気など、「こんなことが起こるのも昔ながらのフィルム上映ということで」というセリフにもあるような諸々をテンポよく見せていくくだり。さらには今でいう「おトイレタイム」こと「インターミッション」も挿入してのお遊び(CM業界経験者ならでは)。

これらを通してシネコン&VOD時代を生きる若者たちにも「昔の映画館ってこんな感じだったんですよ」とうんちくを語っていく。それもどこか愛嬌があるので偉そうなウザさはない。

さらには演出面でも映像説明をしてくれており、江戸時代ではミュージカル調による軽快な映画エンターテインメントは昔からありましたよと教えてくれ、そこからの白黒トーキー(「トーキー」の言い方がいちいち面白い)、坂本龍馬と西郷隆盛が語り合うシーンでは総天然色へと移り変わり、映画の表現の流れもわかります。

日中戦争では「戦争映画はアクション映画でもある」と称し、娯楽性もある戦争と映画の付き合いを見せるのも愉快(酒匂が登場してからの「まだ明るい音楽だから大丈夫だろ」「ちょっと楽し過ぎません?」のやりとりもシュール)。このあたりは他と比べても荒唐無稽なアクションがましましで絵も楽しいです。ちなみにここで登場する「川島芳子」は東洋のマタ・ハリとも称される有名な歴史上の人物で、その人生の波乱万丈さからも人気のある人ですが、もっともっと文化作品のネタにされてもいいのにな…と思わなくもない(生涯を題材にした映画や演劇はありますが)。

映画ではないですが、音楽という側面であれば、軍艦行進曲(じゃんじゃんじゃがいもさつまいも)も印象的。人々を無邪気に戦場に追いやったその曲が戦後はパチンコ店の定番BGMになって今度はギャンブル依存症へと追いやっているのですから皮肉なもんですね…。

「山中貞雄」「小津安二郎」など、戦時中に映画史を支えた偉人の会話などを交えつつ、“大林宣彦”監督の映画原体験がわかります。

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「映画は誰にとっても自分事になる」

日本の映画史を『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は早送りで描きだす中で、本作はさらに“大林宣彦”監督の人生を映し出す「伝記映画」にもなっています。忙しい、忙しい。

そもそも作中の主人公のひとりである「馬場毬男(まりお)」というのは、かつて監督が使っていた名義であり(イタリアの映画監督マリオ・バーヴァに由来している)、まさしく自分自身の投影です。

作中では子どものときにフィルムに絵を描いてアニメーションを作ったと語られ、「マヌケ先生」という作品が軽快に動き出していましたが、あれも“大林宣彦”監督本人の人生史の1ページ(「マヌケ先生」は後にテレビドラマ化された)。

アメリカ映画、ピアノ、演劇…など、劇中の多くが“大林宣彦”監督の人生にあったものばかり。

「映画は誰にとっても自分事になる」というセリフがありましたが、おそらく監督も伝記映画を作ってやろうと意識したわけではなく、作っているうちに勝手にそうなっていくということなのでしょうか。映画と実人生の境がなくなるというのは普通の人々は経験しえないことなのですけど、“大林宣彦”監督ともなれば、それはそうなるだろうと納得の話です。

ちなみに91歳になる名俳優“犬塚弘”が本作にちょこっと出ています(映画館で幸せそうに居眠りする客)。出演しているだけで凄いのですが、なんかもう存在がフィクションじみていて認知が追い付かない。一瞬、“大林宣彦”監督がやりそうな誰かがなりすましているキャラなのかなと思ったりするし…。

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「世界に平和を!」

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の忘れることはできない要素にして、“大林宣彦”監督のエッセンスでもあるのが「少女」

本作は希子という少女を軸に物語が進みますが、途中で登場する3人の女性たちも重要です。気づいた方も多いと思いますが、彼女たち、斉藤一美は『転校生』のヒロイン、芳山和子は『時をかける少女』のヒロイン、橘百合子は『さびしんぼう』のヒロイン…それぞれと同姓同名であり、いわば“大林宣彦”監督版ユニバース。奇跡のクロスオーバー共演です。

しかし、ただ単に女性たちの無邪気なたわむれを描くのではなく、今作では戦争と一体化しているゆえに、とくに男社会がそうした女性をいかに搾取してきたかという側面を強調する部分が強いです。色街での扱い、沖縄でのレイプ…女性たちが受けてきた仕打ちは酷いもの。

最終的に物語の鍵になるのは移動演劇隊「桜隊」です。丸山定夫を隊長とするこの女性も多い集団は、かつての会津戦争において組織された「娘子隊」とオーバーラップしながら、時代に翻弄された女性たちを象徴していきます。

演劇は反体制とされ、国に押しつぶされていくのですが、そういう扱いを受けた作品の多くが“女性”性を前面に出したものであり、つまり国(男社会)は表象としての「女」を軟弱でふさわしくないと考えていたわけで。これは昨今のフェミニズム映画に対するバックラッシュにも重なりますよね。

その中で、希子というキャラクターは「希望の子」。“大林宣彦”監督が少女映画をたくさん作ったのも、そういう戦争に潰された女性たちを創作の中で救いたかったのかな、と。

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は「なすべきことは必ず誰にでもある」と私たちに提示する作品であり、言ってしまえば“大林宣彦”監督の遺言書。これからの時代を「ハッピーエ~ンド」と陽気に歌えるようにするためにも、私たちは頑張らないといけません。今も憲兵が監視している世界で、ピカもドンも知らない私たちができることをやらないと。

“大林宣彦”監督、エンドクレジットの中でおやすみなさい。

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2020「海辺の映画館 キネマの玉手箱」製作委員会/PSC

以上、『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の感想でした。

Labyrinth of Cinema (2019) [Japanese Review] 『海辺の映画館 キネマの玉手箱』考察・評価レビュー