性暴力被害を信じない人へ…ドラマシリーズ『アンビリーバブル たった1つの真実』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
配信日:2019年にNetflixで配信
監督:スザンナ・グラント
性暴力描写
アンビリーバブル たった1つの真実
あんびりーばぶる たったひとつのしんじつ
『アンビリーバブル たった1つの真実』あらすじ
まだ若い女性がレイプ被害を受けた。駆け付けた警察はさっそく捜査に乗り出すが、さまざまな情報が憶測を呼び、その女性の性的暴行の訴えは作り話として片付けられてしまう。しかし、数年後、酷似した手口の事件が相次いで発生し、2人の女刑事が捜査を進める。その犯行は巧妙だったが、ひとつひとつパズルのピースを集めていき、どこかにいる犯人へと迫ろうとする。
『アンビリーバブル たった1つの真実』感想(ネタバレなし)
当事者目線になるために
日本の各地で行われている「フラワーデモ」の存在をご存知でしょうか。これは“性暴力を許さない”と声をあげて社会を変えようとするための抗議運動であり、性犯罪の無罪判決が相次いだことが発端となっています。
性犯罪というのは何かと特異な扱いを受けることの多い犯罪です。その際たる例は、性犯罪被害者に対する社会からの反応でしょう。事件が発覚するたびに「冤罪じゃないのか?」「虚言じゃないのか?」という目線が市民からも警察からもマスコミからも真っ先に向けられます。こんなのは他の犯罪ではありえないです。「どうせ自業自得でしょ?」なんていう言葉も向けられます。服装が悪い、態度が悪い…なぜか被害者の自己責任にさせられる始末。道端を歩いていて車が突っ込んで来たら絶対に運転手が悪いのに、それがレイプだったら被害者が悪いことになる。「まあまあ騒ぎすぎだよ」というまるでヒステリックな愚か者を見るような扱われ方をする場合も珍しくありません。
これらの性犯罪被害者に対するあまりに過酷な社会の対応の背景には、性犯罪というものへの根本的な無知、偏見、差別などが絡み合っており、容易には解きほぐせない状況です。これでは性犯罪を正当に捜査し、被害者をケアし、犯罪を起こさない社会を作るなど、夢のまた夢。
だからこその「フラワーデモ」のような活動が行われているわけですが、残念なことにその声は世間に行き渡っているとは言えません。
だったらどうすればいいのか。実現可能な有効策はアプローチの手段を増やすことです。デモだけでダメなら、他の手法で訴える。少しでも声を届けるためには選択肢はあって困るものではありません。
そんな中、本作『アンビリーバブル たった1つの真実』を紹介することも、社会から性犯罪を撲滅するための一助になるのではないでしょうか。
本作はドラマシリーズで、正確にはミニシリーズ(リミテッドシリーズ)ですが、8話構成で各43~58分あるので全体で計385分(約6時間半)あり、少し長め。
そのじゅうぶんな時間を使って語られていくのは、ある性犯罪をめぐる被害者と刑事の物語です。「捜査モノ」のクライムサスペンスとして位置づけられるジャンルではありますが、その描写は犯罪シーンでも捜査シーンでも非常に生々しく、リアリティがあります。
実話から着想を得ているそうで、そのリアル重視も納得なのですが、この『アンビリーバブル たった1つの真実』が秀逸だと私が思うのは、性犯罪もしくはその被害者を理解するための教科書的な作りになっていること。見てもらえればわかるのですけど、性犯罪被害者はこういう心情や境遇に追い込まれるのか…性暴力被害を受けた時に警察や病院からこういう対応を受けるのか…という当事者目線を疑似的に体感できます。加えて、性犯罪の捜査はこうやって行うのか…そこにはこんな問題点もあるのか…という捜査する側の立場にもなることもできます。ロールプレイ要素が濃い作品です。知識ゼロの人が見ても登場人物や映像を通して説明が入るので何も問題なく理解できるはずです。
そうした過程を見ていくことで、最終的には性犯罪そしてその被害者に対して、私たちはどう向き合うべきかを提示する、とても真摯な作品、それが『アンビリーバブル たった1つの真実』。
製作陣として主要クリエイターには、『エリン・ブロコビッチ』で脚本をつとめ、『恋は突然に。』という映画で監督も経験している“スザンナ・グラント”。小説家として有名な“アイェレット・ウォルドマン”。「ユダヤ警官同盟」などSF作家としてマニアにはかなりの知名度を誇る“マイケル・シェイボン”。この3名が中心です。
俳優陣は、性犯罪被害者となるティーンを演じる“ケイトリン・ディーヴァー”。彼女は『ショート・ターム』に出演していたのが印象的でしたね。『アンビリーバブル たった1つの真実』では彼女のキャリアをひとつ更新するベストアクトを見せています。そして刑事側のキャラクターを演じるのは、最近は『ヘレディタリー 継承』で素晴らしい怪演を披露した“トニ・コレット”、『ゴッドレス 神の消えた町』などドラマシリーズで受賞経験もある“メリット・ウェヴァー”、『足跡はかき消して』などで渋い名演をみせる“デイル・ディッキー”など。この女性刑事チームが本当に魅力的で良いので、期待してください。
こんな感じで良質さは保証できる作品です。題材が題材なだけに重たい内容であり、目を背けたくなるシーンも多々あります。同じくNetflixで配信されたドラマシリーズ『ボクらを見る目』とも通じる、警察の胸糞悪い対応は見るに堪えません。ですが、その描写は間違いなく今の社会への痛烈な一撃でもあり、時間を消費してでも見るべき一作だと推すことはできます。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(観るべき価値がある) |
友人 | ◯(議論のしがいはある) |
恋人 | ◯(性を真面目に語るきっかけに) |
キッズ | △(ティーンなら見てほしい) |
『アンビリーバブル たった1つの真実』感想(ネタバレあり)
すべてはラストのために
『アンビリーバブル たった1つの真実』は、ユニークな時間軸構成でストーリーテリングされる作品です。
物語は大きく分けて2つのパートがあります。ひとつは、ワシントン州リンウッドでレイプ被害を受けるも虚偽として扱われてしまうマリー・アドラーという少女の物語。そしてもうひとつは、コロラド州で起きたレイプ事件を皮切りに広域捜査を展開していくカレン・デュバルとグレース・ラスムッセンという二人の女性刑事の物語。私は鑑賞前はてっきりこのマリーの未解決事件を刑事たちが捜査していくのかと思っていたのですが、違いました。マリーの方は2008年。カレンとグレースの方は2011年と、時間軸に開きがあるんですね。
このタイムラグのせいで、視聴者側は誰にも理解されない性犯罪被害者の孤独に苦しむマリーをただ黙って見ていることしかできず、“早く救われてくれ…”とヤキモキすることになります。マリーの物語の時間軸は徐々に進んでいき、しだいに2011年に近づいていきますが、本当の意味で2つの物語がクロスする瞬間はラストのラストまで持ち越しです。
一連の連続レイプ事件の犯人に審判が下され、終結を迎えた後。カレンにマリーから電話がかかってきて、ある言葉を伝える。この一点で観客のフラストレーションがやっとフェードアウトしていく。
非常に練りに練った巧みな語り口で、上手く観客を超長尺の物語に持続的に誘い込むという、『アンビリーバブル たった1つの真実』の脚本力の秀逸さが光ります。
間違っても途中までしか見ていませんなんて人がいたら、こんな感想ブログは閉じて、今すぐ鑑賞を再開して最後まで見てくださいね。
生きた屍となる被害者
『アンビリーバブル たった1つの真実』の2つのパートは観客にもたらす役割が異なります。
まずはマリー・アドラーのパート。ここでは性犯罪被害者の地獄の人生を体験することになります。
ワシントン州リンウッド。オークデール青少年保護施設にて、マリーというティーンエイジャーが怯えるように座ってうずくまっていました。マリーの元養母ジュディスから水を与えられますが、相当に弱っています。
そこへ警官がやってきて「さっそくだが何があった?」と質問。「レイプされた」と答えるマリー。「覚えていることを話してもらえるかな?」と促され、記憶を思いだしていきます。
夜、ベッドでコナーと電話して話した…「それから?」…誰かが来て、騒げば殺すと言われた…目隠しをされた…コンドームを取り出した…手を縛られた…いや最初に縛られた…「それから?」…それで…それで…「肛門にも挿入された?」「指?ペニス?」「犯人の姿は?」「なんて言われた?」…。
その場に担当刑事のパーカーとプルーイットが来て、また先ほどと同じく事件当時の話をイチからすることになるマリー。
続いてまだ怯えている状態ながら病院へ急かされるマリーは、そこで衣類も下着も証拠品として没収され、尿をとり、唾液をとり、血もとり、体を休む暇もなく、また病院でも話をしないといけないことに。夜、ベッドで…。
今度は警察署にてまたまた被害時の話をすることになり、同じ質問を繰り返されます。
このパートでは性犯罪被害者が直面する「セカンドレイプ」の実態が生々しく描きだされます。捜査という大義名分で体も記憶もいじくりまわされ、「児童家庭課から君のファイルを取り寄せた」なんて平然と人生にズカズカと入ってくる他人、他人、他人。もちろん捜査なのだから仕方がないのかもしれませんが、そこには被害者の人権は全くありません。あらためて映像で見せられると、セカンドレイプなんて言葉は大袈裟でもなんでもなく、実際のレイプ行為に匹敵するおぞましい所業なのがよくわかります。
しかも、マリーにはさらなる悲劇が待っているわけで…。この警察の事情聴取の過程で「虚偽申告である」という流れに持っていかれるくだり。とにかく見ているだけでやるせない気持ちになる陰惨で酷い展開で、視聴者側への精神的ダメージも相当なもの。無実の人に殺人等犯罪の罪を着せる警察の不当捜査を描いた『ボクらを見る目』や『デトロイト』でも同じでしたが、警察当人は“自分は正しいことをしている”と思っているからこそ余計に恐ろしく…。あの親切で偽装した上から目線、優しそうに振る舞ったかと思えば大声で恫喝、あげくに罪になるぞと半ば脅迫、本当に嫌だ…。
マリーは実の親に恵まれず孤児で里親を転々としている存在でしたが、味方がゼロだったわけではありません。保護者もいた、友人もいた、恋人もいた…普通の若者です。それなのに性犯罪被害者という肩書を背負うことになるやいなや不信の目を向けられる。あの作中のマリーを見て「ハッキリしないから悪いんだ」と思える人は、自分がレイプされて心も体も滅茶苦茶にされた直後に就職面接で最高パフォーマンスを出せるか考えてほしいです。無理難題でしょう。
性犯罪は被害者の人生を殺す…その信じられないけど確かに実在するリアルをまざまざと見せつけます。
捜査を阻む偏見の壁
『アンビリーバブル たった1つの真実』の第1話はまるまるマリーのパートでしたが、第2話以降はカレン&グレースの捜査パートをメインにしつつ、同時並行となります。
コロラド州ゴールデン。アンバーという女性がレイプ被害に遭った報告を受け、現場に駆け付けたのはゴールデン署の刑事カレン。さっそく被害者のアンバーに話を聞くカレンですが、ここでは前話とうって変わってセカンドレイプにならないように細心の注意を払う姿が印象的。ほんと、さっきまで地獄を見せられた視聴者にとっては、カレンが神に見える…。
他の場所でも同様の手口の事件が起きていることが判明し、ウェストミンスター署のベテラン刑事グレース・ラスムッセンと手を組み、情報交換し、やがてFBIを巻き込んだ共同捜査へと発展。
このパートで面白いのは、性犯罪を捜査する過程。犯罪捜査モノの醍醐味である業界裏側を垣間見ることができるわけですが、『アンビリーバブル たった1つの真実』では性犯罪に関する警察の問題点を明らかにしていきます。
例えば、犯人特定の要となるDNA鑑定法。「Y-STR」といった専門用語も登場しますが、私たち素人考えでは今の技術ならDNAで全部一発でわかる気になりますが、そうは問屋が卸さない。サンプルデータが少なければどうしようもなく、作中でも手詰まり。
そして、それに関連しておそらく一番の問題は、警察内における性犯罪の過小評価。殺人と比べて重要視されない性犯罪は、警察職員(たいていは男性)の向き合い方にも差がでて、当然、ちゃんと報告書も作れない。結果、データベースに不十分な記録しかされない。データベース自体、使い勝手が悪い。現場の犯行に使われた証拠品すら見逃す始末…。
捜査の基本はデータなのにこれでは…。
第1話でマリーが病院でレイプキットによるデータ採取を受けていました。膣と直腸から分泌物などを採取し、性器を彩色して健康な組織と傷ついた組織を判別…恥に耐えて被害者が提供してくれたデータ。それさえも正しく使われないのなら、虚しいにもほどがあります。ちなみに日本ではこのレイプキットすらじゅうぶんな数が地域に存在しないらしいですが…(『日本の秘められた恥 Japan’s Secret Shame』を参照)。
私たちはどうしても「警察なんだからきっとなんとかしてくれる」と思いがちですが、それは真実ではないという現実。またもアンビリーバブルですよ…。
「次はちゃんとやって」
『アンビリーバブル たった1つの真実』はある犯人の手によって起きていた連続レイプ事件の捜査の顛末を扱うものですけど、その主題の他に性犯罪全体を取り巻く諸問題を広域的に拾っていくつくりです。
セカンドレイプや警察における性犯罪の扱いの低さはすでに前述したとおり。
他だと、性犯罪容疑者として真っ先に周囲から疑われるのは、表面上“普通”に見えない人ばかりだとか(アンバーの事件では、とくに根拠もないのにヘッドライト男が怪しまれていました)。そういう偏見に基づく根拠なき疑惑は結局は捜査の障害にしかなりません。
一方で、犯人候補として捜査線上にあがったスコットという男のように、「女たちはすぐに訴える」「被害者ぶりたい」と明らかにミソジニーを醜悪なまでにこじらせ、女性への半ば強引な性行為を正当化する男は野放しなわけです。事前に逮捕なんてできないとはいえ、だからこそ警察ではなく社会が正す必要があるでしょうに。
また、女性への暴力と性犯罪は相関があるという研究もあるのに、警察官のDV(家庭内暴力)率の高さは異常ですし、それに対して「女性警官が子どもを虐待していたらクビになるのに、男性警官がDVをしても多くはクビにならないのは変だ」という作中の指摘はごもっとも。
要するに社会全体が女性への暴力(性犯罪を含む)に甘いんですね。
しかし、そんな社会は性犯罪被害者には厳しいです。マスコミは好き勝手に被害者のプライベートまで追い詰め、ネットは集団リンチの場となり、あげくに被害者は虚偽申告の罪で訴えられる…。作中のマリーに起きたことは話を盛ったものではなく、日本でも性犯罪被害者の身に現在進行形で起きていることそのものです。
『アンビリーバブル たった1つの真実』はそんな性犯罪被害者をありのままに描きます。年齢、性格、人種、体型…実に多様で、被害者へのステレオタイプな固定イメージを覆すかのように。この「被害者はこういう人間だ」という偏見がマリーの“作り話”事件の引き金にもなるわけですから、やはり偏見の罪は重いです。
作中で犯人が「1件目が平気だったのでもっとできると思った」と供述するように、まさにこの社会が性犯罪を助長していることにほかならず、いわばこの社会は第二の加害者。その社会で生きる私たちには責任があります。
ラストのカレンに対するマリーの言葉。
「この世にいい人はいないんじゃないかと思った」
希望を与えることが、私たちがすべき“たった1つのの真実”。人を信じられる世の中にしていきたいものです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 94%
IMDb
8.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)CBS Television Studios, Netflix
以上、『アンビリーバブル たった1つの真実』の感想でした。
Unbelievable (2019) [Japanese Review] 『アンビリーバブル たった1つの真実』考察・評価レビュー