確かなことは誰にも言えない…映画『入国審査』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:スペイン(2023年)
日本公開日:2025年8月1日
監督:アレハンドロ・ロハス、フアン・セバスティアン・バスケス
にゅうこくしんさ
『入国審査』物語 簡単紹介
『入国審査』感想(ネタバレなし)
あなたの入国審査での体験は?
2025年の春から初夏にかけて、「SNSの投稿やリポストが理由でアメリカへの入国を拒否されるらしい!」という話題で少し騒ぎになりました。
背景にあるのはその年から2期目に突入した“ドナルド・トランプ”政権。移民や難民の排除のみならず、現政権に批判的な者の排除をあらゆる方面で強め始めており、それが税関・出入国管理という公的な玄関口でも起きている…という話でした。それは懸念ではなく、実際に体験したというジャーナリストの報告もあり、より現実的な危機感に繋がっています。
具体的には入国審査の過程でSNSなどソーシャルメディアのアカウントまでチェックし、政権批判的な(もしくは政権が気に入らない)内容の投稿やリポストがあれば、不利になる…というもので…。
一応説明しておくと、電子機器の検査というのは以前から許可されており、トランプ政権になって急に始まったわけではありません。ただ、検査がより一般的かつ厳格化したことで、監視体制の強化や表現の自由に対する萎縮効果が問題視されています(USA TODAY)。
そもそも入国審査というのは海外に行くと避けられないイベントですが、そこでどんな経験をするかはその人のステータスに大きく左右されます。そのステータスというのは国籍・人種・宗教・障害・職歴・犯罪歴・性同一性・性表現・その他の外見などなど、多岐にわたります。ある人はあっさり入国審査が済むこともありますし、ある人はものすごく大変な目に遭うこともある…。それは本当にステータスしだいです。
これに対して「行儀よくしていればいいんでしょ?」なんて考えの人もいるかもですが、そうではなくて、このステータスというのは非常に政治的に左右されやすい代物なんですね。それが先に紹介した2025年のアメリカの件で可視化されたわけで…。
つまり、入国審査でどんな体験をするかというひとつとっても、そこには政治と個人の人生の密接な交差があるということです。
日本では海外旅行話の中で入国審査でのトラブルを「よくある笑えるエピソード」で安直に語る傾向もありますけど、それで済まされているのはあなたが政治的に「恵まれている」というだけなのであって…。
今回紹介する映画は、人によっては「未知の体験(他人事か未来の恐怖か)」、別の人にとっては「既視感のある体験(トラウマ)」だったりもする、そんな入国審査のワンシチュエーションに特化した作品です。
それが本作『入国審査』。
本作は2023年にスペインで一般公開された映画で、ある一組の男女カップルがニューヨークの空港で経験する「入国審査」の模様だけを描いています。本当にそれだけ。ほぼ会話劇で、派手な展開はありません。大事件も起きないシンプルな構成です。
それでも極限のシチュエーション・スリラーとなっており、ポリティカルな切れ味と、夫婦ドラマとしての感情の駆け引きと、最小限できっちり目が離せないものになっています。
この映画『入国審査』を監督したのは、“アレハンドロ・ロハス”と“フアン・セバスティアン・バスケス”で脚本も兼任しています。“アレハンドロ・ロハス”は『パラメディック 闇の救急救命士』で編集、“フアン・セバスティアン・バスケス”は同作で撮影を担当していましたが、今作『入国審査』で長編映画監督デビューを飾りました。
2人ともベネズエラ出身で、自身がその故郷のベネズエラからスペインに移住した際に、実際に体験したことからインスピレーションを受けて、この『入国審査』を思いついたそうです。
移民や難民の入国の過程を描いた映画はいくらでもありましたが、これほどピンポイントで研ぎ澄ましてエグってくる一作はなかなかなく、日本では2025年に劇場公開となりましたが、結果的には政治情勢的にベストタイミングになりましたね。
やっぱり入国審査というみんな外国に行く際に経験することを主題にしているからこそ、身近に感じざるを得ない緊迫感もありますし…。
絶対に飛行機内では上映されない映画だろうな…。
この映画の感想記事をリポストして入国審査で不利になるかはちょっと私もわからないです…。
『入国審査』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 低年齢の子どもには集中しづらいかもしれません。 |
『入国審査』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
ディエゴとエレナはスペインのバルセロナから車で発ちました。向かうは空港です。
2人は事実婚のパートナー関係であり、このたびエレナがグリーンカードの抽選で移民ビザに当選し、アメリカで新しい生活を始めようとしていたのでした。今日がその出発の日。2人はこれから待っている新しい人生にワクワクしていました。
アメリカ行きの飛行機の中でのんびり過ごし、フライトは順調。何事もなくニューアーク・リバティー国際空港に飛行機は着陸します。
他の乗客とともに飛行機を降り、到着客用の通路を2人並んで歩いていき、入国審査場の列に加わります。すでに前方では多くの乗客がスタッフと対面し、何やら会話したりしています。
ディエゴとエレナの番となり、スタッフにパスポートを渡します。真っ先に「移民ですか」と質問されます。
スタッフはまずディエゴのパスポートを見つめ、写真と本人の顔を照らし合わせるように眺めた後、すぐそばの端末で指紋を読み込むように指示。指をかざすだけです。目の前のスタッフは何の反応もせず、キーボードを指で叩いて何やらやっているのを立って見つめるディエゴでした。
それが終わるとディエゴの次はエレナも同じことをします。こちらも淡々と流れ作業です。
ところがスタッフはパスポートを返さずに透明な袋に入れ、「ついてきてください」とだけ言って2人を別の場所に案内します。
手狭なエレベーターに乗り、連れていかれたのは椅子が並ぶやや広めの待合室のような場所。他にも何人かが退屈そうに座っていて、ついさっきまでの空港の賑やかな喧騒はここにはないです。それはまるで病院の待合室のような居心地の悪そうな空間でした。
近くのスタッフに声をかけるも「座っていてください」としか言われません。口頭での説明も、案内表示なども無し。2人は困惑しながらも従うしかないです。
隣の同じような立場と思われる人に声をかけてみると、この人はもう3時間も待っているらしく、慣れているかのように平然と本を読んでいました。にわかには信じられませんが、これから何が待っているのか、2人には未知数です。
そしてまたも呼ばれて、今度は他に誰もいない狭い部屋に座らされることに…。
システム化された排外主義

ここから『入国審査』のネタバレありの感想本文です。
映画『入国審査』、鑑賞後の嫌な気分レベルは100点満点でした。ドっと疲れる以上に、「これは何だったの…!?」という虚脱感と底なしの不穏さ。終わったのに終わっていないかのような傷跡を残します。
私は本作を観ていて、非常に「システム化された排外主義」の恐ろしさを感じましたし、それがよく最小構成の物語に練り込まれていたなと思いました。
排外主義と言うと、直接的に特定の相手を誹謗中傷するとか、「○○人ファースト!」なんて言ったりして優劣をつけるとか、そういうものを真っ先に連想しますが、何もそれだけではありません。
ある意味で最も効果的に社会に排外主義を染み込ませる方法は、それを何らかのシステムに組み込んで当然のように成り立たせることです。
それがまさに今回の入国審査です。
入国審査が絶対に必要なのはみんな理解しています。廃止を求めたりはしないでしょう。本来は不正がないかをチェックするためのもののはずです。
ところがこの「社会の安心を守る」という名目で行われる入国審査は、現実的には極めて政治的に武器化されており、権力にとって「不都合な存在」を排除することに接続されてしまいます。いや、もっと嫌な言い方をすれば、大衆に染みついた偏見が露呈する場になってしまっています。
今作の主人公であるディエゴとエレナは基本的に何も脅威ではありません。犯罪者でもないし、危険なものも持ち込んでいないし、書類を偽造していることもない。就労資格証明書(l-9)があるかとか多少の不備はあれど、誠実に対処する意思があります。
しかし、それなのにディエゴとエレナは「要注意人物」扱いされます。その理由はなぜか?ということが、作中で明示せずとも審査官とのやりとりで察せるようになっているのが、また嫌~な感じで…。いっそのこと「あなたは○○が理由で入国できません!」ってきっぱり言ってくれるほうがまだ助かる…。
まずディエゴが南米のベネズエラ出身であるという出生地に対する偏見が明らかに最初のトリガーです。そしてスペイン国籍がないことが不信感を増大させ、さらに結婚ではなくシビルユニオンの関係性ゆえに偽装夫婦ではないかとすら疑われている節があります(結婚規範の偏見)。
とにかくありとあらゆるステータスが「疑い」の根拠にされてしまいます。要は何でも疑おうと思えば疑えるのですが、あの空間では「徹底的に疑う」というのがデフォルトになっています。
で、あの働いている審査官もおそらく移民ルーツでなのだろうなという配置にしているのが、余計に嫌ですよね。「同じ移民だから同情してあげる」なんて余地はない。向こうは向こうで「これは仕事だから」という思考で、この冷静になってみればあまりに理不尽で不条理な審査に何も躊躇いも感じなくなっている。きっと何千何万といろいろな乗客を審査してきたのでしょう。いちいち感情を動かしてはいられない。審査官はまるでロボットのように業務的に「人間」をさばきます。
空港で働く人たちを舞台にした『セキュリティ・チェック』で、その理路整然としたマニュアルどおりの業務の誇りみたいなのが映し出されていましたが、それが反転し、最悪のかたちになってしまうとこうも怖いのかという…。
システム化された排外主義は、何よりもそれに従事する「労働者」の人間性を奪っていますよね。この映画でそれがよく伝わってきました。
低コストだから恐ろしい
映画『入国審査』は、単なるスタッフとのやりとりが、聞き取りに変わり、職場面接のように変貌し、いつの間にか尋問と化す。その過程が流れるように描かれます。
その中で、ディエゴとエレナの人間性、もっと言えば尊厳がごりごりと削りとられていくのが生々しく映し出され…。
プライバシーとかは一切関係なし。圧倒的に不均衡な対峙関係において、ひたすらに圧迫されていく恐怖。映画『リアリティ』でも似たようなシチュエーションがありましたが、『入国審査』は夫婦関係の緊張感をプロットのサスペンスに上手く付け加えていたのが印象的です。
「え? そんな過去があったの? 知らないんだけど…」という相手への疑心。これだけの状況にあれば本来はカップルが手を取り合ってこの危機を乗り越えたいところなのに、わかってやっているのかは知りませんけど、あの審査官たちはこのカップル間に互いへの疑いを生じさせ、引き裂き、さらに孤立させています。無論、そうやって2人が感情面でも分離して孤立化してしまえば、審査官にとってはますます懐柔しやすくなり、都合がいいです。
例えば「子どもを持つ気ですか?」なんてどう考えても入国審査に無関係じゃないですか。そんな車を買うかどうかみたいな話と同列じゃないんですから。でも質問内容はたぶんどうでもいいんでしょうね。こうやってプライバシーに一方的に踏み込む質問をし続けることで、常に上下関係を刻み込ませる。そこがテクニックなわけで…。
『入国審査』はとても低予算な作りですが、このサスペンスを引き立たせるのに、見事にベストなアプローチを選び取り、実行できていました。
部屋がなんか暗くなるとか(実際は照明小道具もじゅうぶんに用意できなかったらしい)、ただの待合室なのに不安感を煽る空気とか、心理演出が絶妙です。
逆に言えば、現実の入国審査も低コストで相手を普段からこうして恫喝・脅迫しているんですよとも示していることにもなるので、「この映画、低予算で凄いね!」なんて安易に褒めづらいところではありますけども…。
ただ、低予算と言えども、俳優は一流で、ディエゴを演じた“アルベルト・アンマン”も、エレナを演じた“ブルーナ・クッシ”も、すでに高い評価を得ています。審査官を演じた“ローラ・ゴメス”や“ベン・テンプル”と合わせて、会話劇だけで一気に場を掴むあの名演の対決はさすがでした。
最後はどうやってオチをつけるのかと思って観ていたら、大国アメリカからの最大級の皮肉な言葉が待っていましたね。このオチも映画的には好きですけど、ほんと、最低な国だよ…。
この映画は誇張ではありません。今日もきっとどこかの空港でこれと同じことが起きている。あなたもすでに列に並んでしまっています。次はあなたの番です。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2022 ZABRISKIE FILMS SL BASQUE FILM SERVICES SL SYGNATIA SL UPON ENTRY AIE
以上、『入国審査』の感想でした。
Upon Entry (2023) [Japanese Review] 『入国審査』考察・評価レビュー
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