アーロと少年
映画『アーロと少年』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Good Dinosaur
製作国:アメリカ
製作年:2015年
日本公開日:2016年3月12日
監督:ピーター・ソーン

【個人的評価】
 星 5/10 ★★★★★
 
あらすじ

巨大隕石の墜落による恐竜絶滅が起こらなかった世界。体も小さくて甘えん坊の末っ子恐竜アーロは、父親に頼りっぱなしだった。ある日、アーロは川に落ちて激流に飲み込まれ、家族から遠く離れた見知らぬ土地へと流されてしまう。そして、そこで人間の少年スポットと出会う。

家族がテーマの良作だけど

言わずと知れたアニメ映画界のヒットメーカー「ピクサー」の最新作。

監督のピーター・ソーンはこれが長編映画初監督作品となります。まあ、監督交代など製作過程でいろいろあったみたいですが、ピクサーではよくある話です。このピーター・ソーンは、声優もやっている変わったキャリアの持ち主で、本作でも声をあてています。ちなみに、ピクサー作品『カールじいさんの空飛ぶ家』に登場したボーイスカウトの少年ラッセルのモデルはこのピーター・ソーンだそうで、顔がすごーく似てます(気になる人は一度確認してみてください)。

前作『インサイドヘッド』は頭の中の感情が主人公という超変化球な世界観で、高い評価を獲得しました。今作『アーロと少年』でも「もし恐竜が絶滅することなく進化し続けたらどうなるか」という変わった世界観が売りとなっています。

といっても物語は超王道。非常にシンプルなので、子どもでも普通に楽しめるでしょう。主人公のアーロのキャラクターも、最初は「なんかヨッシーみたいなありきたりな造形だな」と思ったのですが、実際映画を見ると予想以上に生き生きと可愛らしく動いていて好印象でした。アーロの相棒となる人間のスポットも、犬っぽい仕草がいちいち可笑しく、まだまだ見ていたい気分になります。

それに映像がとにかく綺麗です。ピクサー史上もっとも綺麗なのではないでしょうか。ぜひ大画面で見てほしいです。

個人的には世界観設定の扱いにやや不満がありますが、深く考えなければ、素直に楽しめる良作です。





↓ここからネタバレが含まれます↓




世界観が消化不良

物語はとてもシンプルかつ王道で、悪い点はありません。『ライオンキング』に似ているなんて言われたりしてましたが、これくらいのお話しなら珍しくないでしょう。

ピクサー史上もっとも綺麗な映像も、特に写実的な自然景観の描写は圧巻。幻覚によるドラッギーな描写も愉快でした。見ていて飽きることはなかったです。
The Good Dinosaur
しかし、傑作を続発するピクサーだからこそ、私の事前の期待値も非常に高くなるわけで、良作程度では満足できません。面倒な観客でごめんなさい…。

私の感じた最大の残念ポイントはひとつ。それは本作のオリジナリティであるはずの「もし恐竜が絶滅しなかったら」という世界観設定が、全く活かされていないこと。

誤解ないように言っておくと、本作の世界観設定はとても魅力的だと思っています。個々の体格などの特徴を上手く利用して恐竜が農業や遊牧をしている風景は見ていて面白いし、人間がネズミのような害獣として扱われているのもユニーク。本作の世界観設定は、可能性に満ち溢れています。

ところが、隕石が落ちずに恐竜が絶滅しなかった時点から数百万年が経過したうえで、あの恐竜たちの変化にはやや疑問です。

アーロたち一家は農業・林業・養鶏を行っていますが、この理由が謎。冬を越すための食糧を蓄える目的があるみたいですが、じゃあそれ以前の時代はどうしていたのでしょうか?

ああいう文明の発展は、時間が経てばおのずと起きるものではないのだから、何かしら理由がいるでしょう。それがないため、物語上の説得力ある現実感がないのです。

せめて村があって交易が成り立つくらいじゃないとダメだと思いました。そういう極端な「変化」が描かれていれば、その後のアーロが直面する弱肉強食の自然の世界がより際立つというメリットもあったのに…。

また、壮大な世界観設定のわりには話のスケールが小さすぎます。父の死を乗り越えて成長する息子という「家族」のテーマは、この変化球な世界観設定がなくても描けたと思いますが…。

「家族」のテーマも、世界観設定ともっと上手くリンクさせることができたのではないでしょうか。

例えば、スポットがラストで出会った人間たちは実の両親なのか気になるところです。実はこれには答えが出てて、スポットの過去を描いたピクサー公認の特別映像「アーロと少年 “エピソード0”」が日本で限定公開されているのです。


その映像には、スポットの両親はテロダクティル(翼竜)に殺されたという悲しい事実が描かれています。つまり、ラストのあの人たちは両親ではないということになります。劇中でも木の枝で家族の概念を説明するアーロに対して、スポットが2つの木の枝を埋めるあたりで両親が死んでいることがそれとなく説明されていました。

そう考えると、あのアーロとスポットの別れの選択も、なんだか「それでいいの?」という気がします。あの人たちが両親なら、スポットもアーロも成長して親の元に戻るという綺麗なオチになりますが、両親ではないなら、同種どうしで群れるほうがいいという安易な結論になってしまいます。

個人的には、異なる生物種が共存する社会をつくることが、絶滅しなかった恐竜たちの進化の未来なのではとも思います。これであれば、結局劇中では解決が示されなかった「父がいなくなったため冬を越すのに必要な食糧が集まらない問題」も、異なる生物種の協力によって解決できたでしょう。

映画ラストに「家族」の進化した姿である「社会」を提示できたら、本作は傑作になれた気もします。

いわば、本作は『ズートピア』の前日譚になりうる作品になれたはずです

「もし動物が弱肉強食の自然の摂理を捨てて、社会文明を発展させたら」という本作と似た世界観設定を、これ以上ないほど完璧に描いた『ズートピア』は、あらためて凄い作品だったなと実感してしまいます。