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『トイ・ストーリー4』感想(ネタバレ)…これがピクサー・ストーリーです

トイ・ストーリー4

これがピクサー・ストーリーです…映画『トイストーリー4』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Toy Story 4
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2019年7月12日
監督:ジョシュ・クーリー

トイ・ストーリー4

といすとーりーふぉー
トイ・ストーリー4

『トイ・ストーリー4』あらすじ

ウッディたちの新しい持ち主となった女の子ボニーは、幼稚園の工作で作ったフォーキーを家に持ち帰る。ボニーの今一番のお気に入りであるフォーキーを仲間たちに快く紹介するウッディだったが、フォークやモールでできたフォーキーは自分を「ゴミ」だと認識し、ゴミ箱に捨てられようとボニーのもとを逃げ出してしまう。

『トイ・ストーリー4』感想(ネタバレなし)

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トイ・ストーリーはピクサーの歴史とともに

どんな映画もそれが作られる現場には観客からは見えない“ストーリー”があります。映画本編の物語以上にそのリアル・ストーリーも興味深かったりするものです。

ある時、「コンピューター・グラフィックスで長編アニメ映画を作りたい」と夢を抱く男がいました。その男の名は「エドウィン・キャットマル」。しかし、彼はまだ大学院を修了したばかりであり、そんな男の目標は誰もが「空想だ」「何の意味がある?」と一蹴します。当時、まだ技術が生まれたばかりのCGでわざわざアニメーションを作るなど、荒唐無稽だと思われていました。

しかし、エドウィン・キャットマルは決して諦めません。それから20年以上が経った1995年、ついにその夢が叶うときが来たのです。ここまで来るのにとんでもない苦悩がありました。夢を理解してもらえず、所属先も転々としました。結果、自分で会社を立ち上げ、赤字状態で経営して食いつないできました。

でもその苦難の道の途中で、大切な仲間にも出会いました。ひとりは「ジョン・ラセター」。ディズニー出身の生粋のアニメーターであり、まさに伝統のカウボーイ。彼もまた“CGでアニメを作る”という新世界に魅せられた男でした。そして、もうひとりは、才能あふれるもののあまりにも奇抜で協調性に難があるゆえに自分の会社から放り出された「スティーブ・ジョブス」。常識の通用しない彼は例えるなら未知の星からやってきた来訪者といったところでしょうか。

この3人が力を合わせて生み出した作品こそ、CGアニメ時代の幕開けを告げる転換点となる『トイ・ストーリー』です。「ピクサー」というまだ誰も名前も知らない小さな企業が、世界に衝撃を与え、アニメの常識を変えました。『トイ・ストーリー』はそれだけ大きな影響力をもたらした映画なわけですが、そのシリーズは常にピクサーという会社の山あり谷ありな歴史を一緒に歩く友でもありました。

1作目の成功ですぐに製作がスタートした『トイ・ストーリー2』は実は制作が超難航していました。なにせ1作を成功させただけで、長編映画を作った経験がまだ全然ないスタジオであり、トラブルが連続。結果、大幅に制作体制を見直す事態にまで発展。しかも、当時はディズニーがピクサーを金銭的に支援して映画を配給する契約を結んでいたのですが、実はそんなに信頼関係は深くなく、この『トイ・ストーリー2』も当初はディズニーは劇場公開ではなくビデオ販売にする方向で進めており、ピクサー側はこれに反発。すったもんだありつつ、でも2000年に公開されてまたもや大ヒット。

続く2010年の『トイ・ストーリー3』もピクサーは大きな激変を遂げていました。あのディズニーに買収され(といってもエドウィン・キャットマルとジョン・ラセターがディズニー・アニメーション・スタジオのトップになったので、制作面では事実上、ピクサーがディズニーを乗っ取ったかたちですけど)、会社はすでに超一流大企業。ついに到達できる山頂に上り詰めた感じです。それに呼応しているのか、『トイ・ストーリー3』の物語もこれまでのキャラクターたちの集大成となる綺麗な終焉を迎えましたし、あの物語のラスト(おもちゃたちが新しい持ち主の子どもの元へいく)もピクサーがディズニーの傘下に引っ越したことを連想させます。

ところが、2019年、『トイ・ストーリー4』の公開です。たぶん誰しもが“えっ、3で綺麗に終わったのに?”と思ったでしょうし、私もですが、でも鑑賞して思うのはやっぱり“作る意味”のある映画だったなということ。ストーリー面はネタバレになるので伏せますが、やっぱりピクサーという会社はこの『4』に至るまでまたもやいろいろあったのです。

まず2011年にピクサーを破天荒に引っ張ってきたスティーブ・ジョブズが亡くなりました。続いて、ジョン・ラセターが2017年のセクハラ問題で半年間休業した後、2018年にディズニー&ピクサーを退社。そしてピクサーの生みの親であるエドウィン・キャットマルも2019年に退社して、映画業界から引退。つまり、ピクサー創業の礎を築いた伝説の3名が揃って消えてしまったんですね。

偶然なのか運命なのか『トイ・ストーリー4』はピクサーの初期世代のリタイアと新世代へのバトンタッチを象徴させるような立ち位置になりました。『カーズ クロスロード』もそうですが、最近のピクサーは作品が世代交代シーズンを迎える自社の姿を反映しているようで意味深いです。

なお、『トイ・ストーリー』関連で言えば、「Mr.ポテトヘッド」の声でも知られる俳優の“ドン・リックルズ”が2017年に亡くなっています(『トイ・ストーリー4』でもMr.ポテトヘッドは登場しますが過去の録音を使用)。彼と同じく最近亡くなったアニメーターの“アダム・バーク”を合わせて、『トイ・ストーリー4』のエンドクレジットでは追悼が示されます。

ともかくこの『トイ・ストーリー4』、ピクサーにとってとてつもなく大事な一本だというのは、この長い歴史を知ってもらえればわかったと思います。だからこその本作の物語は、フィクションのお話以上の重みがあるんですね。

時代の革命児だったピクサーという新鋭スタジオもなんだかんだで24年経ち、すっかり老舗です。これもひとつの映画史ですよね…(しみじみ)。ダメだ、ついつい哀愁に浸ってしまう。いけない、いけない。

さすがに『トイ・ストーリー』はみんな観ているだろうという前提ですが、もし観ていない人がいるならしっかり押さえておいてくださいね。映画史を築いた重要な作品ですから。

もう観たよという人は、私が冒頭で書いて語ったピクサー裏話の参考元である「ピクサー流 創造するちから」(エドウィン・キャットマル著)を読むと、さらに映画の作り手の裏側まで気持ちが入り込めて、また違った想いが抱けると思うのでオススメです。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(この夏、必見の一作)
友人 ◎(みんなで観るのも良し)
恋人 ◎(ハズレのない選択肢)
キッズ ◎(当然、子どもでも楽しい)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『トイ・ストーリー4』感想(ネタバレあり)

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ピクサーとディズニーの違い

いまだにゴチャゴチャにしている人がいますけど、ディズニーとピクサーは“経営面”では同じ釜の飯を食う間柄ですが、“制作面”では完全に別のスタジオです。だから全く違ったアイデンティティを持って創作に望んでいます。それは本作『トイ・ストーリー4』でもハッキリ示されたんじゃないかなと思います。

いきなりオチを書いてしまいますけど、『トイ・ストーリー4』ではずっと主人公だったカウボーイ人形の「ウッディ」が“子どものオモチャ”として尽くす役割から自分で降ります。まさに“引退作”。

これってディズニーでは絶対にやらないことです。ピクサーにとってウッディというキャラクターは、ディズニーでいうところの「ミッキーマウス」と同じであり、会社の看板を背負う存在なわけです。でもミッキーマウスはずっと作品内でも“役割”は変わらないじゃないですか。ずっと同じ役割に徹し、そこに悩むなんてしない存在です。でもピクサーはウッディをそういうキャラとして描かないんですね。

血の通った、リアルで生きる私たちと同等の感情を持った“生命”として描き出し、その人生を綴る。だからタイトルが「トイ・ストーリー」なわけで。みんなに愛されるための不変のアイコンじゃないよという視点。本来、おもちゃは“人間が人間の自己満足のために作りだしたモノ”であり、それに対して存在価値を覆すような投げかけをするのが『トイ・ストーリー』シリーズの一貫した面白さだと私は思います。

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オモチャはどうあるべきか

『3』では、ウッディたちオモチャが持ち主だったアンディの成長にともなって居場所を失い、ボニーという新しい幼い子どもへと受け渡されるというラストでした。これは既存の世界から新しい世界へと移るという、別れと出会いであり、ある種の“お行儀のよい”、誰しもが納得しやすい終幕でしょう。

一方、4作目となる本作は、そういう“お行儀よさ”にあえて真っ向から反抗しにいっているのが特徴です。

具体的には「オモチャは子どもの元にいることが唯一の正しさなのか」という議題。これに関して結構『1』~『3』の時点でも疑問を呈していた人もチラホラいた気がします。別に大人だってオモチャを所有しますし、オモチャにもいろいろな扱われ方があります。でも少なくとも『3』までの『トイ・ストーリー』シリーズでは“オモチャは子どもの持ち主を持つべき”というのが暗黙の絶対ルールでした。

『4』の冒頭パートではそのこれまでの『トイ・ストーリー』の世界のルールを再確認するような導入が入ります。土砂降りの中、側溝に置いてきぼりにされた車のオモチャを助けるウッディと仲間たち。“迷子になったオモチャ”は事実上、“終わり”だと。そういう前提での緊迫感のあるシーンです。

続いて、ランプスタンドの人形である「ボー・ピープ」が別の人に貰われていくシーン(『3』に登場しなかった理由が後付け的に語られます)。ここでも、“子どもは成長する存在だから、オモチャは居場所を転々とするしかない”という『3』をなぞった展開であり、オモチャにとっては一大イベント。

ちなみにこのシーンのボー・ピープの入った段ボール箱が乗せられる車のナンバープレートが「RMRF97」なのですけど、これはピクサーの歴史上最大級の大事件と関連がある文字列です。前述した本にも載っている有名なエピソードなのですが、実は完成まで大波乱だった『トイ・ストーリー2』の制作時のとんでもない出来事として、制作した全データを消失するという致命的なトラブルが起きたそうです(なんとか自宅にバックアップを持っている人がたまたまいたために最悪の事態を避けられたらしいですが)。この文字列はその事件の原因であるUnixのファイル消去コマンドです。要するにウッディたちオモチャにとっての大事件と、ピクサーにとっての大事件を重ねた自虐ですね。

それで回想は終わり、『3』ラスト以降のボニーという新しい子どもの元に来たウッディたちの物語に。ボニーはまだ幼いのでしばらくは安泰かと思いきや、アンディから譲られたオモチャたちの中でウッディだけがボニーに遊んでもらえません。

『3』ラストであんなに“大事にしてね”と言ってプレゼントされたのに、なんとも冷たいボニーですが、まあ、子どもなんてそんなものです(かくいう私もそうだった…)。

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ウッディ・ストーリーの完結

『トイ・ストーリー4』は過去作以上にウッディひとりにスポットをあてた物語であり、ウッディ・ストーリーです。

そもそもオモチャは老化しないのでわかりづらいですが、ウッディは1950年代に作られたオモチャらしいので、もう相当な“お年寄り”なんですね。そんなウッディですから、“オモチャは子どもの持ち主を持つべき”という古臭い価値観から抜け出せません。

そのウッディがボニーの元ではない“新しい居場所を探す”のがざっくり言えば『4』の趣旨。これは『2』の博物館で展示されるという人生の選択肢に迷う展開と似ています。あの時は結局、アンディのもとに残ることを選ぶという、とても保守路線な結末でした。『4』でもいかにもわざとらしく、いろいろな選択肢がウッディの目の前にちらつきます。自分を気に入る別の子どもとの出会い、アンティークショップで飾られる古きオモチャ、そして自由に外の世界で生きるボー・ピープたち。

とくに全く装いも新たに人生を謳歌するボー・ピープの存在は、老者ウッディにとっては既存価値観を揺さぶる衝撃。“迷子のオモチャ”のはずなのに、こんなに生き生きと生活しているなんて。過去作との対比も印象的で、『2』でウッディは片腕がとれてパニックになる展開がありましたが、『4』にてボー・ピープも片腕が折れるのですが、全然意に介さない堂々たる逞しさ。

最終的にはバズ・ライトイヤーを始めとするこれまでの仲間と別れを告げ、ボー・ピープと一緒に外の世界で生きることに決めたウッディ。この決断は『2』と真逆ですが、決して過去作をないがしろにするわけではなく、過去の経験あってこその判断だったのだろうと思います。

子どもにはかなり実感しづらいかもしれませんが、こういう人生の選択は、大人になると往々にして訪れるものですよね。いつまでも古巣にはいられない。いつか出ていかなくてはいけない日が来る。キャリアアップにゴールはなくて、それこそ“無限の彼方”まで続く。ピクサーだってまさにそうなのですから。

でも忘れてはならないのが『2』の迷っていた時と違って、ウッディは“オモチャが子どもの持ち主を持つ”ということへの喜びは重々理解しています。だからこそ、ゴミから生まれた先割れスプーンの「フォーキー」や、子どものオモチャになることに憧れるアンティーク少女人形の「ギャビー・ギャビー」への、熟練の人生経験者ならではの“背中を押す”行為。ウッディは本作でこれまでの“リーダー”から“メンター”に変わったのです。なかなかこういう成長を遂げられる人っていませんから、ウッディはたいしたものだな、と。こういう人がいると会社などの組織も良い方向に回るものですよね。

終盤、バズたちがウッディを迎えに行くために、ボニー家族の車を半ば強引にメリーゴーランド付近まで誘導します。ここで人前で声を発するなどオモチャの一線を越える行動をするのが、完全に『1』の終盤の作戦と重なり、しかもそれをウッディ抜きで考えて実行しているというのが、もうウッディは“リーダー”としては要らないんだということを突きつける展開になっていて、非常に練られていました。

古い考えを持った男が価値観を変えるといえば、最近だと『シュガー・ラッシュ オンライン』もそうでしたが、あちらと比べて『トイ・ストーリー4』は“古い側”が前に進むという結末は意外にも珍しいかも(普通はマイノリティな“新しい側”が前に進むので)。

本作のウッディの決断は、昨今の多様性を重視した選択でありながら、その多様性は決してマイノリティだけを輝かせるものではないことを示した、とても有意義な踏み込みだったのではないでしょうか。

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フォーキーを作りたい(願望)

語り尽くせない物語面以外だと、キャラクターとしては「フォーキー」が本当に良いキャラをしていて、個人的には『ウォーリー』に次ぐピクサー作品で好きなキャラになりました。あの必要最低限のパーツで生命を吹き込むアニメーションの神髄がまた爆発してましたね。ウッディたちオモチャには当然ながら生殖という概念はないのですが、フォーキーは疑似的な“赤ちゃん”。まあ、でもそれが、自分をゴミだと思ってゴミ箱に何度も投身自殺するというあたりに、ピクサー伝統のブラックユーモアを感じますが。

“キー&ピール”が声をあてているぬいぐるみの「ダッキーとバニー」も良かったですし、あとはカナダのスタントマン人形「デューク・カブーン」は声が“キアヌ・リーヴス”だということを頭に入れておくと、面白さ倍増です。スタントへの情熱がそのまんますぎる…。

ちなみにかなり目立たないカメオ出演ですが、「ティニー」というオモチャがでてきます。これはピクサーがそれこそ大成功をおさめる前に作った短編作品『Tin Toy』のキャラで、『トイ・ストーリー』の原型のひとつです。『4』でこのキャラを出すのは本当にニクイ演出で、知っていると感無量な気持ちに。ピクサー史の総動員じゃないですか。

アニメ史を感じさせるものと言えば、アンティークショップにいる(ドラゴンという名前)。あれは1982年に公開された『ニムの秘密』というアニメ映画に登場した猫が元ネタで、この作品はディズニーの旧体制に反発したディズニー所属アニメーターが独立して作ったものです。ここでも「新しい世界へ飛び出す」という本作のテーマとの呼応がさりげなくあるんですね。

映像面だと、序盤の雨や、アンティークショップや移動遊園地での光と闇の演出など、キャラクターのエモーションをじんわりと盛り上げる装置としての機能が素晴らしく、『1』の頃からの進化をグッと感じさせます。

ラスト、またゴミからボニーが作った新入りの“オモチャ”を前に、「なんでも聞いて」と先輩風を吹かすフォーキーに対して「なんで生きているの?」…「なんでだろう」

見事に落語的なオチも決まった本作。『トイ・ストーリー』のラストを飾る最高の映画でしたし、私は『4』は絶対に必要な物語だったなと心に深く刻まれました。

『5』は…ない…よね。

あ、でも、フォーキーを主役にしたショートアニメ・シリーズをやってくれてもいいですよ(上から目線)。

『トイ・ストーリー4』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 94%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

以上、『トイ・ストーリー4』の感想でした。

Toy Story 4 (2019) [Japanese Review] 『トイ・ストーリー4』考察・評価レビュー
#ピクサー