15時17分、パリ行き
映画『15時17分、パリ行き』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The 15:17 to Paris 
製作国:アメリカ  
製作年:2018年 
日本公開日:2018年3月1日 
監督:クリント・イーストウッド 

【個人的評価】
 星 5/10 ★★★★★

あらすじ

2015年8月21日、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスの中で、銃で武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。その列車の乗客の中にはスペンサー・ストーンとアレク・スカラトス、そして2人の友人である青年アンソニー・サドラーがいた。ごく普通の日常を送っていた彼らの人生は、今、大きく動き出す。

ネタバレなし感想

イーストウッド監督史上、最低の映画?

まさか「“クリント・イーストウッド”監督史上、最低の映画」という評価を2018年になって見られるとは思いませんでした。

アメリカ映画界を代表するアクション俳優から巨匠監督にまで上り詰めた“クリント・イーストウッド”。最近も『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』と、名作と評されるような作品を相変わらずの早撮りで連発し、その才能を発揮していました。

ところが彼の最新作『15時17分、パリ行き』。この作品が本国アメリカで公開されるや否や、批評家や一般観客からは予想外の大ブーイングの嵐。これまで、少なくとも2000年代の“クリント・イーストウッド”監督作で低評価だった作品には『ヒア アフター』(2010年)がありましたが、それを下回る反応に私もびっくりしました。

『ヒア アフター』は臨死体験を描くという少しスピリチュアルな要素が主軸になっているので、評価が低いのは理解できるのです。でも『15時17分、パリ行き』はなぜここまで酷評されたのか? 本作は実際のテロ事件を題材に描く作品であり、こういう実録モノはとりあえず平均点を出してくれる、言い方があれですが、“無難な”題材ですよ。それなのに…。

でも、観たらそれも納得でした。なるほど、そういうことかと。これは“クリント・イーストウッド”監督、やってくれたなと。

まずテロ事件の発生から収束にいたるまでをサスペンスたっぷりに描いた、例えばピーター・バーグ監督の『パトリオット・デイ』のような作品とは全く違います。
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本作のジャンルは「サスペンス」でも「パニック」でもなく「ヒューマン・ドラマ」です。ここが予告など宣伝材料から受ける印象とはかなり異なるので、それでガッカリする一般観客はいるでしょう。

一方でその問題はわりと小さいことで、それ以上に大きな議論を呼ぶのは、キャストに事件に関わった本人を選んでいることです。といっても、演技が下手だから問題というわけでもないと思います。確かに演技は素人なので下手も当然なのですが、そこは“クリント・イーストウッド”監督、その粗をカバーする撮り方をしていたと思います(そもそも表情演技を要求してないのでしょうけど)。まあ、私たち日本人は英語がわからないので気にならないというのもありますが。

ではなぜ本人キャスティングがここまで論争を招くのか。それは“クリント・イーストウッド”監督のヒーロー観、そして映画作り論にも関わってくる話なんだろうなと。その話は「ネタバレあり感想」で。

ぜひ“クリント・イーストウッド”監督の想いを受け止めてあげてください。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

これは運命なのか

今作は、“クリント・イーストウッド”監督の狙いは他のどの作品よりも明確だったと思います。94分の短い時間というだけあって、作品の目的を達成するうえでの構成に無駄がありません。

その目的とは「この映画はごく普通の人々に捧げた物語である」という言葉のとおり、普通の人間の普通の人生を普通に描くということです。

本作は子ども時代パート、軍パート、観光パート、事件パートと大きく4つに分かれます。構成に無駄がないと書きましたが、いや、観光パートは結構どうでもいいシーンはたくさんあった気もします。とくに主人公たちが異国で女性たちと出会っていく場面とか、さすが人を殺した数だけ女も惚れさせている男“クリント・イーストウッド”らしい描写ですよ

でも、これでさえ無駄じゃないと思うのです。観光していたら美女の一人や二人と、小粋なトークくらいするのが“普通”でしょう? ここで「そんなの俺は経験してないぞ!」という抗議の声が聞こえてきそうですが、あくまで“クリント・イーストウッド”にとっては“普通”なんです。そうなんですよ(格差社会に絶望)。

今回のスペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレック・スカトロスの場合、その普通のドラマの先にテロ事件があったというだけ。しかし、本作では随所に、これは運命に導かれているのでは?というような描写が挟み込まれます。序盤の子ども時代パートなんかは、前振りがわざとらしすぎるほどで、正直、モヤモヤするくらい気になったのですが。

でも、結局、運命だったのでしょうか。学校で落ちこぼれだった少年たちがテロ事件を未然に防ぐ…この出来過ぎるくらいのヒーロー誕生の史実は起こるべくして起こったのか。

その問いに“クリント・イーストウッド”は一切答えを出していません。それが答えだと思います。運命かどうかは…神のみぞ知る。ヒーローかどうかは後付けの話だからどうでもいい。そういうスタンスなんじゃないでしょうか。

本作は“クリント・イーストウッド”のこういう非常に俯瞰した視点が強烈だったと感じました。

15時17分、パリ行き

本人を出演させた意味

そして、もうひとつ、“クリント・イーストウッド”の映画作り論に関わってくるのが、本人を出演させたという選択。いわゆる本人再現ドラマ化です。

これも人によっては「最大のリアリティで再現させるため」とかで、意欲的なチャレンジだと評価する声もあります。

でも、私は違うのじゃないかなと思っていて。もちろん、表向きはそうなのですけど。

これは「めんどくさい」からじゃないですかね。プロの俳優をキャスティングするのが。まず、史実の情報を集めるために本人にインタビューする。そして、それに当てはまる俳優を探す。その後に、俳優に史実の情報を学んでもらう。このステップは非常に大変で、最近だと『デトロイト』でも苦労しているエピソードがありました。
しかし、“クリント・イーストウッド”は考えたのではないでしょうか。本人にやらせれば楽だと。もともと“クリント・イーストウッド”は俳優への演出が雑というか、やる気ないことで有名です。彼の監督作に出演した俳優の中には、あまりの一発撮りで全然演技を尊重してくれないと不満をこぼす人もいましたし、『アメリカン・スナイパー』では赤ん坊が人形でした。さすがに今作では全員マネキンにするわけにもいきませんが、でもそういうノリだったのではと邪推してしまいます。

これは凄い大胆ですよね。俳優業界に喧嘩売ってますから。『ハドソン川の奇跡』では「プロフェッショナル」へのリスペクトをヒシヒシと感じたのですが、それは俳優という職業には当てはまらないようで。でも、これも自身が俳優だったからこそ、俳優という職業を神格化していないからなのかもしれません。

あと別の理由として、ポリティカル・コレクトネスを気にしなくていいというのもありますよね。“クリント・イーストウッド”監督、以前からポリコレを重視する昨今の風潮は息苦しいと苦言を呈していましたから。本人を起用すれば文句もないだろう!という横暴な正論…なのかな。

忖度したくなる監督

本作は日本だとそこまで酷評ではないのですよね。先にも言った、英語がわからないので素人演技が気にならないという理由もあるでしょうが、皆のコメントを見ると凄い忖度している様子が見て取れます。まあ、私もですけど。

つまり、“クリント・イーストウッド”は忖度したくなる監督なんです。どれだけ彼の作品への想いを考察して解釈してあげるかを楽しむものになっていますよ。

これは『エイリアン コヴェナント』を製作して自身の原点に立ち返ることに熱心に見えるリドリー・スコット監督のような、巨匠にありがちな現象です。巨匠というのはだいたいこういうところに行き着くのですかね。
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ひとつ懸念は、“クリント・イーストウッド”監督をよく知らない人がこの映画を観て、「なんだ、つまんない映画を撮る監督だな」と思ってしまうのが残念だなと。でも、それさえ気に留めないのが巨匠の素質。“クリント・イーストウッド”レベルになると、神格化したり、ヒーロー扱いにされること自体が鬱陶しいのでしょうね。

ですから、あえて明言しましょう。この映画は駄作でも傑作でもない「普通の映画」だと。

↑実話を扱ったイーストウッド監督作『ハドソン川の奇跡』も、実際の関係者を一部でキャスティングしていました。

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