変化を求める若者は怖くない…映画『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年2月28日
監督:ジェームズ・マンゴールド
恋愛描写
なもなきもの あこんぷりーとあんのうん
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』物語 簡単紹介
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』感想(ネタバレなし)
今の時代にも通じる若きボブ・ディラン
「How does it feel ?(どんな気分だ?)」
今だったらSNSでの煽り言葉として使われそうです(というか使われている)。この挑発的なフレーズを歌詞に盛り込んだ60年前の曲が『Like a Rolling Stone(ライク・ア・ローリング・ストーン)』です。
頂点の人生からの転落を経験した者に向けられたかのようなその言葉は、反体制的で、怖いもの知らずで、若さに溢れていました。
この歌を歌ったのが「ボブ・ディラン」です。
アメリカの史上最高のシンガーソングライターとして「生きる伝説」となっており、ボブ・ディランを語れるほど、私は能弁にもなれないし、良い言葉も思いつかないのですけど…まあ、凄い人ですよ(なんで品のないまとめ)。
そのボブ・ディランを主題にした映画は少ないです。まだ存命ですからね。人生を総振り返りするにはまだ早いかな。“マーティン・スコセッシ”監督の『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005年)といったドキュメンタリーを観るほうが良いですね。
伝記映画としては、『アイム・ノット・ゼア』(2007年)のような特殊な実験的作品があったのですけども、2024年、ついにシンプルな伝記映画が登場しました。
それが本作『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』。
本作はボブ・ディランのどこに焦点を当てた伝記映画かというと、デビューの本当に初期、1960年代前半のボブ・ディランが「ボブ・ディラン」として確立するまでを描いています。そのため非常にボブ・ディラン入門な映画です。
中身もボブ・ディランがどういうアーティストとしての個性を持ち、それを音楽に反映しているのかが、丁寧なストーリーテリングで映し出されているので、私みたいな音楽にさほど詳しくない人間でも楽しみやすいです。
最近は著名なミュージシャンの伝記映画の全盛期で、あれやこれやと連発されていますが、ライブ・パフォーマンス的な演出を劇場体験と合わせて売り出しているものというよりは、今作『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』はだいぶ落ち着いていて、若きボブ・ディランの人間性にピンポイントで定まっています。若者が主役ということもあり、アイデンティティ・ストーリーですね。
作り手も若者を観客層に捉えられるようにすごく練っているのではないでしょうか。
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を監督したのは、『フォードvsフェラーリ』や『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の“ジェームズ・マンゴールド”。やっぱりフランチャイズよりもこういう映画のほうが“ジェームズ・マンゴールド”監督は向いていると思います。
そして『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』で主演のボブ・ディランに抜擢されたのが、“ティモシー・シャラメ”。もうこの熟成された若手がいるから本作を作れたまである…。
共演は、『アステロイド・シティ』の“エドワード・ノートン”、『最高に素晴らしいこと』の“エル・ファニング”、『トップガン マーヴェリック』の“モニカ・バルバロ”、『ザ・バイクライダーズ』の“ボイド・ホルブルック”、ドラマ『ジ・オファー / ゴッドファーザーに賭けた男』の“ダン・フォグラー”、『WE ARE LITTLE ZOMBIES』の“初音映莉子”、『ナイトビッチ』の“スクート・マクネイリー”など。
若きボブ・ディランに映画で会いに行きましょう。
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 10代前半の子くらいからならオススメ。 |
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1961年、わずかな荷物とギターを片手にボブ・ディランはニューヨークにやってきました。憧れのウディ・ガスリーに会ってみたかったのです。
ウディ・ガスリーが入院しているとされる病院へ。彼はハンチントン病で病弱となっていました。
静かな夜の病院の廊下を歩いていると、ある部屋から歌が聞こえます。そこにいたのは、ピート・シーガーがベッドに佇むウディ・ガスリーの横で弾き語りしている姿。
有名な2人のフォークミュージシャンが揃っています。ピート・シーガーは平等と労働者の権利を支持する社会活動を歌を通して一貫して行ってきたゆえに保守的な世間から批判され、裁判で厳しい立場に追い込まれていました。しかし、裁判所の記者の前でも堂々と歌を歌ってみせ、自分を恥じていません。ウディ・ガスリーも社会運動に身を捧げてきました。志を共有する2人の絆があります。
病室に顔をだしたディランは初対面の挨拶をしつつ、自分がウディ・ガスリーに陶酔していることを素直に言葉に表します。ウディはもう喋る力も弱っていましたが、ここで弾き語りする機会をくれました。
ディランはギターを手にウディ・ガスリーのために創作した歌を歌います。歌い終わるとウディは横の棚をガンガンと拳で叩いて拍手してくれました。
その夜はそのままピート・シーガーの家に招待されます。家にはピート・シーガーの妻のトシがいました。ピート・シーガーは行く当てもないディランに自分の家族と一緒に暮らすよう誘ってくれます。その背中に新しい世代の予感を感じていました。
クラブではジョーン・バエズのパフォーマンスが行われています。ピート・シーガーについていったディランもその場にいて、次にピート・シーガーがステージに上がり、ディランを紹介し、歌うことに。
ギターとハーモニカを手に、歌を歌うと、新顔のディランは聴衆に受け入れられ、温かい拍手喝采を浴びます。聴衆にはジョーン・バエズのマネージャーのアルバート・グロスマンもいて、その逸材に目を輝かせます。
グロスマンはディランの才能にすぐに手を出し、アルバムの制作を開始。スタジオでの収録が始まりますが、レーベルからほとんどカバー曲をするように言われます。ディランはあまり気乗りしません。実際、そこまで売れませんでした。
ある日、教会で演奏した際、シルヴィ・ルッソという女性に席で話しかけられます。変わった人です。会話を重ね、映画を観たり、食事をしたりをして、2人は交際を始め、一緒に住むようになります。
そしてボブ・ディランは大衆に少しずつ認知されるようになり…。
若者恐怖症を乗り越える

ここから『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』のネタバレありの感想本文です。
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』は、アーティスト目線で没入させるような作りではなく、かなり俯瞰した立ち位置でボブ・ディランという若者を見つめていました。とくに政治社会を背景に俯瞰しており、それが一歩引いたトーンの維持に繋がっていたのだと思います。
1950~1960年代当時のアメリカのフォークミュージックは社会主義や反ファシズムなどの反体制的な政治社会運動と密接に重なって展開していました。
作中で重要なキャラクターとして登場するウディ・ガスリーは、KKKに属して黒人リンチに関与したこともある父を持ちながら、自身は白人至上主義とは距離をとり、反ファシズムに身を投じ続けた人物として有名です。1954年には『Old Man Trump』というフレッド・トランプ(ドナルド・トランプの父)の人種差別的なビジネスを批判する歌を作っています。
ピート・シーガーはウディ・ガスリーとは古くからの親友であり、同じ政治的な志を共有して一緒に歌で社会に訴えてきました。
そんな先人たちに憧れて、公民権運動など当時の問題に焦点を当てたアメリカンフォークリバイバルの最中に出現したのがボブ・ディラン。
しかし、このボブ・ディラン、年齢にしてはやけに大人びているというか、朴念仁というか、表面上は何を考えているのかわかりません。でもウディ・ガスリーやピート・シーガーを追いかけてニューヨークに来るくらいですから、内側にはアツい政治的想いがあるのだろうとは察せられます。
この新世代ミュージシャンにカウンターカルチャーとしてのフォーク音楽の未来を託していくわけですが、ボブ・ディランはそのフォーク音楽の世界にすら反体制的で業界を覆そうとしてしまう…。この旧世代と新世代の駆け引きが面白かったです。
それを象徴する事件として描かれるのが1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのパフォーマンス。アコースティックからエレクトリックへの転換は当時のフォーク音楽ではあり得ない激震でした。
面白いのが、今までずっと保守的な社会に変革を促す側だったピート・シーガーが、今度は大胆不敵なボブ・ディランを前にしていざ自分たちが保守側になってしまい、変革させられる立場を経験するという逆転現象。
あたふたしまくるピート・シーガーらおじさん組が滑稽でしたね(斧を一瞬考えるくだりとかも笑える)。今作の“エドワード・ノートン”演じるピート・シーガーは、いろいろ心配してくれるおじさんみたいな雰囲気で愛嬌があって個人的に楽しかったです。
変化に直進する若者にビクビクしている旧世代の描き方をみていると、本作はおじさん世代が抱きがちな若者恐怖症に向き合う物語のようにも感じました。おじさんには感情の読み取り方がわからない「変化を求める若者」は実はそんなに怖くはないんですよ…っていうね…。
本作は若者が主人公ですが、中身は案外とおっさん向けというか、おっさんの心理に寄り添った映画であり、そこはやっぱり“ジェームズ・マンゴールド”監督作らしいところではありました。
無口でも伝わる伝記映画
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』にて、ウディ・ガスリーやピート・シーガー以外にもおじさんたちはでてきますが、脇のおじさんも良い味をだしていました。
アルバート・グロスマンはなんだかんだで見守ってくれており、本作はよくある「アーティストvsレコード会社」の対立をそんなに強調せず、別軸に集中させてくれるのがむしろ良かったのかもしれないです。
あとジョニー・キャッシュ。“ジェームズ・マンゴールド”監督は2005年に『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』でジョニー・キャッシュの伝記映画を手がけているのですが、この『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』のジョニー・キャッシュは引っ掻き回すだけ顔を出しておいてなんかよくわからないという謎の立ち位置で、これはこれでまた面白かったです。
一方の女性陣。ボブ・ディランはプレイボーイなのでそのための役割で片づけられそうなところ(プレイボーイっぷりはギャグになってたけど)、一応はシルヴィ・ルッソとジョーン・バエズの2人に絞って、女性側のエピソードも盛り込まれていました。
このうちシルヴィ・ルッソは架空の名ですが、実質は当時のボブ・ディランの恋人だったスーズ・ロトロの人物像ほぼそのまま。ボブ・ディラン本人がこの映画企画の段階で脚本をみたときにこのキャラだけ名前を変えてほしいと言ったそうですが、悲劇のヒロイン感が強いので申し訳ないと思ったのかな(スーズ・ロトロは2011年に亡くなってます)。
スーズ・ロトロ中心の伝記映画も観てみたいですけどね。共産主義の家系に生まれ、ボブ・ディランとは中絶もあったし、彼女なりの芸術と政治を絡ませた活動もしていたし、もっと掘り下げることはいくらでもありますから。
肝心の主人公ボブ・ディランについては、知られざる内面を暴くようなことはせず、結構引いた描き方で終始していました。そのため、わりとパブリック・イメージを崩さずに伝記映画にするという芸当をこなしていたのかなと思います。
『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』はボブ・ディランらしい無口だけど何かを伝えてくれるようなそんな伝記映画でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
ミュージシャンの伝記映画の感想記事です。
・『こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語』
・『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』
・『エルヴィス』

作品ポスター・画像 (C)2024 Searchlight Pictures. ア・コンプリート・アンノウン
以上、『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』の感想でした。
A Complete Unknown (2024) [Japanese Review] 『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』考察・評価レビュー
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